ブーゲンビル島沖海戦とは? わかりやすく解説

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ブーゲンビル島沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 05:40 UTC 版)

ブーゲンビル島沖海戦(ブーゲンビルとうおきかいせん)は[4]1943年(昭和18年)11月2日太平洋戦争ソロモン諸島の戦いにおいて、ブーゲンビル島の攻防で生起した海戦である[5]ブーゲンビル島エンプレス・オーガスタ湾において、大森仙太郎少将(第五戦隊司令官)指揮の日本海軍連合襲撃部隊と、アーロン・S・メリル少将指揮のアメリカ海軍第39任務部隊が交戦した。アメリカ軍側の呼称はエンプレス・オーガスタ湾海戦Battle of Empress Augusta Bay[6][7]またはガゼル湾海戦(Battle of Gazelle Bay)[要出典]




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ブーゲンビル島沖海戦

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川内 (軽巡洋艦)」の記事における「ブーゲンビル島沖海戦」の解説

アメリカ軍ブーゲンビル島侵攻に伴い11月2日生起したブーゲンビル島沖海戦で川内は、米艦隊砲撃雷撃受けて沈没した経過以下の通りである。 10月27日連合軍約6300名がトレジャリー諸島モノ島上陸海兵隊725名がチョイセル島上陸した連合軍目標ブーゲンビル島タロキナ岬の上陸と飛行場建設であってモノ島上陸はその前哨戦であったアメリカ軍水上戦力は、輸送船団駆逐艦11輸送船12)、第39任務部隊アーロン・S・メリル少将巡洋艦4、駆逐艦8)、第38任務部隊フレデリック・C・シャーマン少将空母2隻《サラトガプリンストン》、護衛艦)で、アメリカ軍からみれば『不充分であったという。同日南東方面艦隊司令長官草鹿任一中将)直率水上部隊連合襲撃部隊指揮官第五戦隊司令官大森仙太郎少将)は、第一襲撃部隊妙高羽黒長良)、第二襲撃部隊川内皐月文月卯月夕凪)という編制だった。襲撃部隊出撃草鹿中将下令により中止同日附で軽巡長良連合襲撃部隊からのぞかれトラック回航され、11月1日附で第四艦隊編入されている。10月31日タロキナへ向かうアメリカ軍輸送船団発見により連合襲撃部隊妙高羽黒川内文月水無月時雨五月雨白露)は14時30分にラバウル出撃ブーゲンビル島方面へ向かうも、アメリカ軍輸送船団まで約30浬とせまりながら同船団を発見できなかった。11月1日輸送任務中の卯月ブカ島西方メリル少将隊(巡洋艦4、駆逐艦8)と遭遇砲撃を受けながらも避退成功し重巡2-3隻、駆逐艦5隻以上」を報告している。連合襲撃部隊メリル隊と約2030浬ですれ違い双方とも敵艦隊を発見できなかった。同日10時20分、連合襲撃部隊ラバウル帰着した11月1日午前中第八方面軍ブーゲンビル島タロキナへの逆上陸を企図し、南東方面艦隊協議した結果第一航空戦隊基地物件輸送してラバウル到着したばかりの各艦(軽巡阿賀野》、駆逐艦大波長波若月初風》)をもって第三襲撃部隊編制した連合襲撃部隊ラバウル帰投後ただちに燃料補給打ち合わせ行い総指揮大森少将/第五戦隊司令官連合襲撃部隊本隊妙高羽黒)、第一警戒隊/第二襲撃隊(川内時雨五月雨白露)、第二警戒隊/第三襲撃隊(阿賀野長波初風若月)、輸送隊天霧夕凪文月卯月、《水無月のみ単独ブカ島輸送》)という戦力が揃う。各部隊15時30分にラバウル出撃したが、輸送隊小発動艇搭載時間がかかり、夜間揚陸作戦成功見込みなくなった本艦1945分2053分に爆撃(B-24)を受けたが、被害はなかった。だがアメリカ軍発見されたことで逆上陸の可能性消え草鹿中将輸送部隊天霧卯月文月夕凪)のラバウル帰投と、連合襲撃部隊アメリカ軍輸送船団襲撃命じた一方連合軍哨戒機日本艦隊動向通報アメリカ軍輸送船団護るため、メリル少将の第39任務部隊巡洋艦4隻、駆逐艦8隻)はタロキナ岬沖へ進出日本艦隊との対決航路取った11月2日月齢3、海上静穏、半晴、視界8-15km)の日付変更時点で、連合襲撃部隊大森少将旗艦妙高)の本隊/第五戦隊重巡妙高羽黒)が中央第二襲撃部隊指揮官伊集院三水司令官軽巡川内第27駆逐隊時雨五月雨白露》)が本隊左前方約5km第三襲撃部隊指揮官大杉守一第十戦隊司令官軽巡阿賀野駆逐艦長波初風若月》)が本隊右前方を航行、そして妙高羽黒偵察機触接によりアメリカ軍メリル隊の方向航行していた。0045、ほぼ同時に2隻(川内時雨)が110度方向9000mに敵艦発見報告、5分後には主隊(妙高羽黒)が照明弾発射してブーゲンビル島沖海戦(アメリカ軍呼称エンプレス・オーガスタ湾海戦)が始まったメリル隊は連合襲撃隊の左前方に位置しており、必然的に最も近い距離にいた第二襲撃隊および本艦最初に集中砲火浴びた0100前後には主機械停止、舵故障航行不能となった川内指揮下の第27駆逐隊は各艦魚雷8本を発射後、0052に至近弾を受けた白露が不意の運動五月雨衝突、両艦とも20ノット以上を出せなくなった第27駆逐隊司令原為一大佐司令駆逐艦時雨)は、先頭艦(川内)が右旋回したため時雨転舵、その混乱により2隻(五月雨白露)が衝突した回想している。また被弾炎上して航行不能となった川内から伊集院司令官移乗のため時雨対し接近命令出たが、戦闘中のためあえて黙殺川内接近する時雨巻き添えとなるため)、戦闘終了後救助することに決定したという。敵艦攻撃よりも回避運動優先していた主隊と第三襲撃部隊は0107に妙高初風衝突し初風落伍したこの間アメリカ軍駆逐艦フート魚雷命中により艦尾吹き飛ばされた。川内発射した魚雷命中したとする文献もある。0116、主隊(妙高羽黒)はメリル隊にむけ初め射撃開始同時に雷撃をおこなうが、メリル隊に深刻な損害受けた艦はなかった。 0134、大森司令官退却下令アメリカ艦隊敗走する日本艦隊追撃した川内円運動描きながら射撃続けていたが、バーナード・L・オースティン中佐の第46駆逐隊サッチャーコンヴァース)に発見され攻撃受けた。米駆逐艦2隻は魚雷8本を発射して2回の爆発音確認した。第46駆逐隊去ったあと、今度アーレイ・バーク大佐率いる第45駆逐隊(チャールズ・オースバーン、ダイソンスタンリー、クラクストン)が到着し砲撃して撃沈したという。このあとアメリカ軍駆逐隊漂流する初風撃沈し戦場去った。本海戦アメリカ軍駆逐隊魚雷52本を発射、うち2本が川内命中したとみられる。0334、戦場離脱中の白露炎上する艦艇1隻を認めた。0530、戦場取り残されていた川内右舷傾斜して沈没した沈没地点.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯0610東経15420分 / 南緯6.167度 東経154.333度 / -6.167; 154.333。荘司喜一大佐川内艦長)は脱出せず行方不明(戦死)、第三水雷戦隊司令部カッター2隻に乗り脱出した大森少将損傷艦乗員救助のための潜水艦派遣要請し派遣され呂104によって11月3日午後に伊集院司令官以下、川内乗艦していた者75名が救助され、同潜水艦11月5日ラバウル着いた。他に川内乗員47名と三水要員4名がセント・ジョージ岬自力でたどり着き生還した生存者311名、戦死185名(艦長含む)と記録されている。 1944年昭和19年1月5日川内二等巡洋艦川内型帝国軍艦籍、それぞれから除籍された。

※この「ブーゲンビル島沖海戦」の解説は、「川内 (軽巡洋艦)」の解説の一部です。
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