5代目柳亭左楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 19:51 UTC 版)
「桂文楽 (8代目)」の記事における「5代目柳亭左楽」の解説
8代目桂文治(当時は7代目翁家さん馬)門下で翁家さん生(おきなやさんしょう)を名乗っていたが師匠と反りが合わず、睦会移籍を巡って袂を別ち実質的に5代目柳亭左楽門下になり行動を共にした。極めて人望と政治力があり落語界に隠然たる勢力を誇った5代目左楽によって1917年(大正6年)翁家馬之助(おきなやうまのすけ)で真打昇進、1920年(大正9年)8代目桂文楽を襲名した。8代目文楽襲名は5代目左楽によって強引に行われて非難を浴びることになった。5代目左楽からは芸よりも政治と帝王学を学んだ8代目文楽はのちに落語協会で長らくトップに君臨することになる。8代目文楽襲名の経緯は#年譜の1920年(大正9年)を参照。
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