檜山城とは? わかりやすく解説

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檜山安東氏城館跡

(檜山城 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/30 07:10 UTC 版)

檜山安東氏城館跡(ひやまあんどうしじょうかんあと)は、秋田県能代市檜山集落の東側丘陵にある山城および城館遺跡群。1980年(昭和55年)と1986年(昭和61年)に、檜山城跡とその近くにある大館跡茶臼館跡国清寺跡とを併せて、国の史跡に指定された[1]。また、秋田魁新報社が主催した1952年(昭和27年)6月20日の第1回「秋田県観光三十景」(有効投票約195万票)で第10位(53172票)に選出されている。


  1. ^ a b 「檜山安東氏城館跡・檜山城跡・大館跡・茶臼館跡」文化庁公式HP
  2. ^ 沼館愛三は『出羽諸城の研究』のなかで、段築を基本とする城は威容が他を圧して弓矢の重層射撃には強いが、接近戦となれば死角を生じやすく、槍や刀が戦いの中心となってからは不利な面があると指摘している。また、山城は包囲されると食糧、退路に困るケースも少なくない。それに対し、『古戦場-秋田の合戦史-』(1981年)では、檜山城が湊合戦で150日以上の籠城に耐えたのは、出城を多く持つ、要害の地に立地した堅固な城であったとともに、食糧や万一の際の退路など、弱点を補うさまざまな配慮がなされていたと論じている。
  3. ^ 大高氏は安東氏の重臣。湊合戦の際には大高筑前が由利十二頭赤尾津氏に派遣されている。なお、大高光忠という人物が南部氏側の史書『南部史要』に永禄元年(1558年)の安東氏との和睦の際の使者として登場する。
  4. ^ 秋田県では、後三年の役の際に籠城戦のあった県南内陸部の金沢周辺でも納豆が名物となっている。
  5. ^ 北羽新報』2016年6月7日の紙面
  6. ^ 製鉄炉の送風管のこと。


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