教皇ベネディクト16世
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「教会の御母」の記事における「教皇ベネディクト16世」の解説
ローマ教皇ベネディクト16世は、なぜカトリック教会のマリア神学が教会論に関係するのかという問題に立ち向かった。最初に教皇は、第2バチカン公会議において、マリア神学が教会論の中で議論されたのは偶然かも知れないとしている。このマリア神学と教会論の関係は「教会」とは実際何であるのか、ということを理解する上で役立つ。神学者のフーゴ―・ラーナーはマリア神学をオリジナルの教会論で、教会はマリアに似るとした。 また、教皇ベネディクト16世は、2008年1月2日水曜日の122回目の一般謁見演説で一般信者に対し、「平和の母」を次のように説明した。 聖母は、完全な形で神とともにおられるので、わたしたちのもっとも近くにおられ、母また姉妹としてわたしたちを助けてくださいます。マリアが信者の共同体の中で占める、唯一のかけがえのない位置も、このあがない主の母としての基本的な召命に由来します。だからこそマリアは、キリストの神秘的なからだである教会の母でもあるのです。それゆえにこそ、適切にも、第二バチカン公会議の会期中の1964年11月21日に、教皇パウロ6世はマリアに「教会の母」という称号を正式に与えたのです。 教会の母だからこそ、おとめマリアは、わたしたち一人ひとりの母でもあります。わたしたちはキリストの神秘的なからだの部分だからです。イエスは十字架上で、母であるかたをすべての弟子にゆだねると同時に、すべての弟子を母であるかたの愛にゆだねました。福音書記者ヨハネはその短い意味深い記事を次のことばで結びます。「そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った」(ヨハネ19・27)。これは「エイス・タ・イディア」というギリシア語テキストをイタリア語に訳したものです。弟子はイエスの母を、自分の現実、自分の存在に受け入れました。こうして母であるかたは弟子のいのちの一部となり、二つのいのちは浸透し合います。このように自分の生活に(エイス・タ・イディア)母であるかたを受け入れることが、主の遺言だったのです。それゆえイエスは、救い主としての使命を完成する最高の瞬間に、弟子の一人ひとりに、貴い遺産として、ご自分の母であるおとめマリアを残したのです。
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