ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)
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ヨハネ・パウロ2世(羅:Ioannes Paulus II, 伊:Giovanni Paolo II, 1920年5月18日 - 2005年4月2日)は、ポーランド出身の第264代ローマ教皇(在位:1978年10月16日 - 2005年4月2日)。ヨハネス・パウルス2世、ヨアンネス・パウルス2世[1]とも表記される。本名はカロル・ユゼフ・ヴォイティワ(Karol Józef Wojtyła)。
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ヨハネ・パウロ2世
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「ムダヅモ無き改革」の記事における「ヨハネ・パウロ2世」の解説
第264代ローマ教皇。ベネディクト16世の先代の教皇に当たる人物。日本からのアシモ開発に関する打診に対し、当時の教理省長官であるラッツィンガー枢機卿の言を容れ、裁可を下した。
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ヨハネ・パウロ2世
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「インカルチュレーション」の記事における「ヨハネ・パウロ2世」の解説
教皇ヨハネ・パウロ2世(在位: 1978年 - 2005年)はインカルチュレーションの問題について、いくつかの回勅および公式の場で言及している。この言葉はヨハネ・パウロ2世による1990年の回勅『レデンプトリス・ミッシオ(救い主の使命)』 (en:Redemptoris Missio) のなかでふたたび使われた。 「土着の文化における福音の肉体化、またこれら文化の教会生活への導入。」 「彼らのキリスト教への統合を通じた本質的な文化価値の親密な変容、あらゆる人類の文化へのキリスト教の注入。」 「現在『インカルチュレーション』は、信仰と文化の間の継続した対話として『レデンプトリス・ミッシオ』に定義された神学的な用語であると認められている。」
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ヨハネ・パウロ2世
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「ヨハネ・パウロ1世 (ローマ教皇)」の記事における「ヨハネ・パウロ2世」の解説
1978年10月に行われたコンクラーヴェで、次の教皇に選ばれたカロル・ヴォイティワは、「ヨハネ・パウロ1世の姿勢を継承する」という意味をこめて「ヨハネ・パウロ2世」を名乗ることになる。 しかし、ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世はバチカンの事情に疎く、冷戦下において東側諸国に組み込まれた故郷のポーランドの民主化をはじめとする反共産主義活動に力を注ぎ、教義の面では保守的であったため、ヨハネ・パウロ1世が推し進めようとしたバチカン内の様々な改革は後退する結果となったとする見方もある。
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