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すうき-きょう ―きやう 3 【枢機卿】



映画情報

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枢機卿

原題:The Cardinal
製作国:アメリカ
製作年:1962
配給:コロムビア映画配給
スタッフ
監督:Otto Preminger オットー・プレミンジャー
製作:Otto Preminger オットー・プレミンジャー
原作:Henry Morton Robinson ヘンリー・モートン・ロビンソン
脚本:Robert Dozier ロバート・ドジア
撮影:Leon Shamroy レオン・シャムロイ
音楽:Jerome Moross ジェローム・モロス
題字:Saul Bass ソウル・バス
キャスト(役名
Tom Tryon トム・トライオン (Stephan Fermoyle)
Carol Lynley キャロル・リンレイ (Mona
Corothy Gish  (Celia
Maggie McNamara マギー・マクナマラ (Florrie)
Bill Hayes  (Frank
John Huston ジョン・ヒューストン (Cardinal Glemon)
Pat Henning  (Hercule Menton
Jill Haworth ジル・ハワース (Lalage Menton
Raf Vallone ラフ・ヴァローネ (Cardinal Quarenghi)
Romy Schneider ロミー・シュナイダー (Annemarie
John Saxon ジョン・サクソン (Benny Rampell)
解説
ヘンリー・モートン・ロビンソン同名小説ロバート・ドジア脚色、「栄光への脱出」のオットー・プレミンジャーが製作、監督した聖職人間ドラマ撮影は「クレオパトラ(1963)」のレオン・シャムロイ音楽ジェローム・モロスタイトルを「勝利者(1963)」のソウル・バス担当した。出演は「史上最大の作戦」のトム・トライオン、「審判」のロミー・シュナイダー、「ヤムヤム・ガール」のキャロル・リンレイ、「女は夜の匂い」のジル・ハワース、「エル・シド」のラフ・ヴァローネ、「H氏のバケーション」のジョン・サクソン、「フロイド 隠された欲望」の監督ジョン・ヒューストンほか。
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
1917年司祭に任ぜられたファーモイル(トム・トライオン)は聖ヨハネ教会助任司祭として就任した。しかし、リアリスト主任司祭理想を追うファーモイルは、ことごとく対立した。そして彼は、自分意見発表するために本を著した。これがボストン教区の枢機卿グレノン大司教ジョン・ヒューストン)に知れ、いなかの貧し教区転任させられた。しかしファーモイルはここで病身をおして教区の人たちに心を砕く神父に会い、謙遜尊さを知った。グレノン大司教はファーモイルの成長を知り、再び自分の下に呼びもどし、秘書とした。そしてボストンの家に帰ったファーモイルは妹モナキャロル・リンレイ)が異常妊娠苦しむのを目の前に見ながら、聖職につく身では堕胎をすすめるわけにいかず、妹は死んでいった。心に大きな傷を受けたファーモイルは、聖職を辞そうと決心したが、グレノン大司教のすすめで、休暇をとって僧服を脱ぎ英語の教師としてウィーンに渡った。そこでファーモイルは教え子アンネマリ(ロミー・シュナイダー)の愛をうけるが、聖職捨てきれず、1人ローマへ発った。モンセニョルとなったファーモイルは秘密結社クー・クラックス・クラン焼き打ちされた教会再建した功績認められて、司教に任ぜられた。そのころヨーロッパでは、ヒットラーオーストリア侵入していた。ファーモイルは特別使節としてウィーン派遣された。そこでは、ナチ暴力教会支配し、ユダヤ人結婚したアンネマリの夫は殺され、彼女も獄につながれていた。第2次世界大戦前夜、ファーモイルは枢機卿に任命された。


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枢機卿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/12 12:40 UTC 版)

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枢機卿(すうききょう、すうきけい、ラテン語:Cardinalis)は、カトリック教会において、教皇の助言者たる高位聖職者[1]

正式な称号は「聖なるローマ教会の枢機卿」(Sanctae Romanae Ecclesiae cardinalis)である。枢機卿(カーディナル)という言葉自体はラテン語の「Cardo」(カルド―蝶番)に由来している。これには枢機卿が教会にとって蝶番のように重要なものという意味がある。敬称猊下(げいか)。

枢機卿は枢機卿団を構成しているが、三つの位階に分かれており、それぞれ「司教枢機卿」「司祭枢機卿」「助祭枢機卿」という。枢機卿の任命は教皇によっておこなわれる。教皇庁貴族ともいうべき枢機卿団は教皇の顧問団として二つの任務を帯びている。一つ目は、教皇を補佐して教皇庁の運営に携わり、聖省の長官などの高級行政官として、あるいは教皇特使、すなわち教皇の名代としてバチカンの高級外交官としての勤めに携わる事である。二つ目はさらに重要なことだが、枢機卿団が教皇選挙権を持ち、互選によって教皇を選出する務めを持っていると言う事である(教皇選挙をコンクラーヴェという)。

これらと関連して、教皇没後の使徒座空位時や何らかの理由による教皇座空位時には教皇庁の運営を指導する役割も担う。使徒座空位時の枢機卿団の職務と教皇選挙の詳細については1996年に発布された使徒憲章『ウニヴェルシ・ドミニチ・グレギシ』で規定されている。

目次

機能と位階

枢機卿の礼服
枢機卿の紋章の基本形

枢機卿は多くの特権を持っている。たとえば枢機卿が司教でなくても司教同様の特権を受けることができる。その特権には指輪へのキスのような改まった挨拶を受ける権利も含まれているし、赤い角帽をかぶることも特権に含まれている。13世紀以来、枢機卿は緋色の聖職者服を身にまとう習慣がある。緋色は信仰のためならいつでもすすんで命を捧げるという枢機卿の決意を表す色である。

教皇は初めから枢機卿団によって選出されていたわけではない。古代においては教皇はローマ市民によって選ばれていた。中世に入って教皇の選挙権は枢機卿団のみが持つというシステムが構築されていった。キリスト教の歴史の中で、司教団にこの権限をゆだねようという動きが出たこともあったが、結局実現しなかった。

イングランドフランスでは、宰相あるいは首席閣僚を枢機卿がつとめていた時期があった。たとえばイギリスのトマス・ウルジーやフランスのリシュリューマザランがそれにあたる。それは教会関係者が重用されたということではなく、聖職者の俸給は国家財産ではなく教会財産から出すことになっていたため、国家財産の節約になったからであった[要出典]。教皇庁も枢機卿が国政の中枢にいることのメリットからこれを黙認していた。

教会法典第350条によれば、枢機卿には以下の三つの職階が存在する。

司教枢機卿は教皇によってローマ教区に属する周辺の教区の司教位の任命を受けるものと、東方典礼カトリック教会総大司教でも、枢機卿団に加わるのがふさわしいと教皇がみなしたものに与えられる位階である。司祭枢機卿(通常は教区司祭が任命される)・助祭枢機卿(教区司祭以外が任命される)は同様にローマにある名義教会の司祭職位あるいは助祭職位の任命を受ける。司祭階級・助祭階級といっても単に名称上のもので、実際の枢機卿はほとんど全員が司教である。

歴史と変遷

枢機卿団の起源は、5世紀の教皇がローマに在住する司祭・助祭のあるものを自らの顧問団に任じたことであるとされる。その後、ローマ教区が拡大し、ローマ周辺にローマ教区に属する司教区が設けられると、その司教たちも枢機卿団に加えられた。これらが司祭枢機卿、助祭枢機卿、そして司教枢機卿のルーツである。当初の目的を果たすため、枢機卿はローマとその近郊から選ばれるのが通例であったが、ローマ教皇の権威が増していく中で、ローマ以外の地域からも枢機卿が選ばれるようになっていった。

中世に入って、枢機卿団が教皇宮廷の貴族という色合いを持ち始めると、枢機卿は信徒の男性であれば誰でも任命されうるものとなり、聖職者でない者も枢機卿団に加わっていた。たとえば16世紀の著名な枢機卿レジナルド・ポールは司祭叙階を受けるまでに18年以上も枢機卿職をつとめていた。現代では最低限の条件として司祭であることが必要とされており、通常は司教団から任命される。司祭が枢機卿に任命される場合は任命後に司教叙階を受けることが多いが、最近の例では2001年に枢機卿に任命されたイエズス会員アヴェリー・デュレスが枢機卿任命時に司祭であったが、高齢を理由に司教叙階の免除を願い出てゆるされている。

13世紀初頭にはわずか7人しかなかった枢機卿団であるが、16世紀に入って急速にその規模が拡大したため、シクストゥス5世の時代に枢機卿団の人数に70人という枠が設けられた。内訳は6名の司教枢機卿、50名の司祭枢機卿、14名の助祭枢機卿である。20世紀にいたるまでこの制限は守られていったが、教皇ヨハネ23世はこの制限を解除し、枢機卿団を増員した。また教皇選挙権は80歳以下の枢機卿に限り、その人数は120人までという制限がパウロ6世によってもうけられたが、ヨハネ・パウロ2世の時代には有資格者がこの人数制限を上回った時期があった。枢機卿団は互選で首席枢機卿を選出し、教皇の承認を受ける。最近まで首席枢機卿を務めたのが、教理省長官でもあったヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(現:ベネディクト16世)であった。現在の首席枢機卿は、アンジェロ・ソダーノ枢機卿(名誉国務長官)である。

ヨハネ・パウロ2世は精力的に枢機卿を任命してきたが、2003年10月21日に在任中最後となる枢機卿任命を行い、枢機卿団の人数は194人、そのうち80歳以下で教皇選挙権を持つものは135人となった。2005年3月の時点では、枢機卿団183人で教皇選挙権保持者は117人となっており、このうちの115人が実際に2005年のコンクラーヴェに臨んだ。

日本人の枢機卿は、1960年3月28日土井辰雄東京大司教(職名は任命当時のもの、以下同)が初めて任命され、以後、1973年3月5日田口芳五郎大阪大司教、1979年6月30日里脇浅次郎長崎大司教、1994年11月26日白柳誠一東京大司教、2003年10月21日濱尾文郎大司教の5人が選ばれている。この5人は全員帰天(死去)し、2009年12月現在、日本国籍をもつ現職枢機卿はいない。




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