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マニラ [Manila]
映画情報 |
マニラ
| 原題: | Manila |
| 製作国: | アメリカ |
| 製作年: | 1952 |
| 配給: | ワーナー・ブラザース日本支社配給 |
| キャスト(役名) |
| Errol Flynn エロール・フリン (Mason) |
| Ruth Roman ルース・ローマン (Stella) |
| Raymond Burr レイモンド・バー (Benedict) |
| Paul Picerni ポール・ピサーニ (Steve Ranier) |
| Richard Webb リチャード・ウェッブ (Andy Callahan) |
| Dan Seymour ダン・シーモア (Lt. Zuenon) |
| Georges Renavent ジョージ・レナヴェント (Ortega) |
| Robert Cabal ロバート・カバル (Manuelo) |
| Henry Marco (Perol) |
| Nestor Paiva ネスター・ペイヴァ (Capt. Van Hoten) |
| Howard Chuman (Felix) |
| 解説 |
| デイヴィッド・ワイスバートが製作し、「勇者のみ」のゴードン・ダグラスが監督した南海活劇1952年作品。フィリップ・ヨーダン(「恐怖時代」)、シドニー・ハーモン、ホリスター・ノーブルの3人が共同で書いたストーリーを、N・リシャード・ナッシュが脚色した。撮影はロバート・バークス、音楽はマックス・スタイナー(「風と共に去りぬ」)の担当。主演は「印度の放浪児」のエロール・フリンと「コルト45」のルース・ローマンで、レイモンド・バー(「陽の当る場所」)、ポール・ピサーニ、リチャード・ウェッブ、ダン・シーモア(「キーラーゴ」)らが助演する。なお本作品は、はじめMara Maruの原題で発表された。 |
| ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください |
| 戦後のマニラで沈没船引き揚げを業としているメイスン(エロール・フリン)のかつての恋人ステラ(ルース・ローマン)は、今は同僚カラハンの妻であった。1万ドルのダイヤをつんで南支那海に沈没した船をめぐってカラハンは謎の死をとげ、メイスンはその嫌疑で厳しい尋問にあったが、彼を利用しようと計るベネディクト(レイモンド・バー)とレニエのアリバイによって救われた。ベネディクトの提案で、メイスン、ステラ、ベネディクトたちは宝探しに出かけたがステラは宝が発見され次第メイスンを殺そうとするベネディクトの腹を知り、表面どっちつかずの態度を装っていた。愈々メイスンが宝の十字架を海底から持ち出してくる刹那、ベネディクトによって彼は危険に陥ったが、ステラが救出した。台風で島に乗り上げた船からメイスン、ステラと助手のマヌエロの3人は危うく逃走し、ベネディクトたちはこれを追い、マリア会堂の洞窟の墓場で追いつ追われつの大騒動となった。ステラとマヌエロは警官の来援を求め、宝を手にしたメイスンは助かったが、十字架の神々しい美しさに打たれ、ステラとマヌエロの助言で会堂の祭壇におさめた。しかしメイスンにはステラとの楽しい新生活が待っていた。2人は希望にあふれて洞窟を出ていくのだった。 |
ウィキペディア |
マニラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/18 08:24 UTC 版)
| マニラ Maynila |
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|---|---|---|---|
| Lungsod ng Maynila | |||
|
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| 標語:Linisin Ikarangal ang Maynila | |||
| 座標: 北緯14度35分0秒 東経120度58分0秒 / 北緯14.58333度 東経120.96667度 | |||
| 国 | |||
| 地方 | マニラ首都圏 | ||
| 区 | 1 - 6 区 | ||
| バランガイ | 897 | ||
| 自治体発足 | 1574年6月10日 | ||
| 行政 | |||
| - 市長 | アルフレッド・リム (2007-現在) | ||
| 面積1 E7 | |||
| - 総面積 | 38.55km2 (14.9mi2) | ||
| 標高 | 16.0m (52ft) | ||
| 人口 (2007年) | |||
| - 総人口 | 1,660,714人 | ||
| - 人口密度 | 43,079人/km² (111,575人/mi²) | ||
| - 都市圏 | 11,553,427人 | ||
| 等時帯 | フィリピン標準時 (UTC+8) | ||
| 郵便番号 | 0900 - 1096 | ||
| 市外局番 | 2 | ||
| 住民の呼称 | Manileño (Manilenyo) | ||
| 市歌 | Manila | ||
| ウェブサイト | www.manila.gov.ph | ||
マニラ(英語:Manila、タガログ語:Maynila)はフィリピンのルソン島中西部にあり、マニラ湾東岸に位置する都市。フィリピン共和国の首都。『東洋の真珠』などの美称がある。
フィリピンがスペイン人によって植民地化された16世紀末よりフィリピンの首府であり、独立後も一貫して首都でありつづけている。2007年時点の人口は1,660,714人。都市の発展に伴いマニラは本来のマニラの区域から拡大し、メトロ・マニラとも呼ばれるマニラ首都圏へと広がっている。「マニラ」という名称はタガログ語で「ニラッド(植物の名称)の生えるところ」という意味の「マイニラ」に由来している。
2010年、米国の外交専門誌フォーリンポリシーにより、世界第51位の世界都市に選ばれている[1]。東南アジアでは、シンガポール、バンコク、クアラルンプールに次ぐ第4位である。
目次 |
地区
市域はパシグ川北岸の8地区、南岸の8地区に分けられる。北岸のビノンド地区はチャイナタウン、トンドは東洋最大のスラムとして知られる。南岸にあるマニラ旧城のイントラムロス地区や、マニラ湾に沿ったベイウォークなど、観光名所はほとんどが南岸に集中している。
歴史
レガスピの到来
16世紀のスペイン人到来以前から、パシグ川の流域にあって、マニラ湾に臨む交通の要衝にあった現代のマニラ地域には、マレー人の集落が存在しており、中国人などがさかんに来航して交易をおこなっていた。東洋におけるスペインの拠点を築くべく初代総督としてフィリピンへやってきたミゲル・ロペス・デ・レガスピらはマニラの地理的な重要性に着目し、ここを占領して拠点化しようと考えた。レガスピは1570年に先遣隊を派遣してマニラを占領しようとしたがうまくいかなかったため、1571年に自ら赴いてマニラを占領した。レガスピは占領した5月19日が聖ポテンシアナという聖人の祝い日であったことから、ポテンシアナをフィリピンの守護聖人とした。
レガスピが築いた最初のマニラ市は、サン・アントニオ、サン・カルロス、サン・ガブリエル、サン・ルイスの四つの地域からなり、政庁と大聖堂および中央広場、アウグスティノ会の修道院や軍事施設、宿舎などがつくられた。(イントラムロス)
中国人たちはスペイン人の占拠によって交易に支障をきたしたため、その排除を狙った。初期のマニラは中国南岸部の海賊の領袖であったと考えられるリム・アホンなる人物の襲来を受け、火事などによっても破壊されることが多かった。
16世紀の終わりにこの地をおとずれたイエズス会員アントニオ・セデーニョは建築学の知識があったため、その指揮によってマニラの再建と要塞化がすすめられ、「イントラムロス」と呼ばれるマニラの城壁内地域が整備された。イントラムロスの内部には一般の建築物と共にマニラ大聖堂、サント・ドミンゴ教会など多くの壮麗な教会が建設されたが、多くは第二次大戦中に破壊された。唯一建設当時の姿を残しているサン・アウグスチン教会はフィリピンのバロック様式教会群として世界遺産に登録されている。
中国人たちは依然としてアジア経済を握っていたため、マニラにおいても大きな影響力を持ち、イントラムロスの外に中国人街を築いて暮らしながら、スペイン人たちと取引をおこなっていた。スペイン人と中国人は時に敵対しながらも、共存するという関係を続けていった。こうしてマニラはフィリピン人、スペイン人、中国人の混合する街という独自の性格を形成していくことになる。
スペイン時代からアメリカ時代へ
1762年には一時的にマニラがイギリス軍によって占領されたが、1764年には協定が結ばれてふたたびスペインの管轄化に入った。このころにはイントラムロスは完成しており、強固な要塞、東洋の拠点都市となっていた。交易が盛んになり、マニラを多くの人が訪れるようになると、マニラはいっそう発展し、イントラムロスの外の区域も発達していった。
スペインが強国の地位を滑り落ちた後もフィリピンとマニラはスペインの支配下にあり続けたが、19世紀になるとフィリピン人の知識人の間で独立運動が盛んになった。ホセ・リサールの啓蒙運動やカティプナンの軍事行動によりフィリピンは独立への道を進むかに見えたが、1898年の米西戦争によってマニラのスペイン艦隊がアメリカ艦隊にあっさりと撃破されると、フィリピン人たちの願いも空しく、戦後のパリ条約によってフィリピンはアメリカ領となった。一部の闘士たちはなおも抵抗したが、米比戦争が勃発し、フィリピンが完全にアメリカ領となることを避けられなかった。
アメリカ占領下のマニラでは、東洋経営の拠点としての整備がおこなわれ、イントラムロスの旧市街を保存しながら、市内を近代化するという手法でインフラなどの整備がすすめられた。有名なマニラ・ホテルもアメリカ統治時代に建設された。1935年以降、ダグラス・マッカーサーがフィリピン軍顧問という肩書きでマニラに在駐し、後に「フィリピン軍元帥」という名誉的な称号を受けている。
第二次世界大戦から現代まで
1941年12月7日に日本がアメリカやイギリスと戦争状態に入り、日本軍がマニラへ迫ったことを受け、12月30日にアメリカ陸軍部隊は、市と廃止されるすべての軍事施設から退出するよう命令された。
アメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー将軍は潜水艦などを乗り継いで副官らとともにオーストラリアへ逃亡し、残留したアメリカ陸軍部隊は日本軍に降伏した。マニラはマニュエル L. ケソン大統領により「非武装都市」と宣言され、同市を死と破壊から回避させた。ケソン大統領は法令を発布し、大マニラ(Greater Manila)と呼ばれる行政区域を成立させ、マニラから離れた地域を安全地域として安全地域を拡大させた。
大マニラの市長にはケソン大統領の前官房長官であった ホルヘ B. ヴァルガスが選ばれた。1942年元日夕方、日本特使はヴァルガスに対し、日本軍は既にパラニャーケで野営し、翌日には大マニラに入ることを伝えた。1月2日午前9時から午前10時に、日本軍はマニラ市内に行進して入る。
ヴァルガスは、大マニラを新しい当局に委ね、残っているフィリピン人指導者たちを日本当局に紹介する仕事が任された。ヴァルガスと出席したフィリピン人指導者たちは、3つの選択肢から選ぶことを求められた。それは(1)全くの日本の軍政、(2)米比戦争の後、日本に亡命したアルテミオ・リカルテ将軍の下、ひとりのフィリピン人に任される独裁的な政府、もしくは(3) フィリピン人によって選んだ委員会による政府、というものだった。ヴァルガスと地元指導者たちは、第3の選択肢を選び、まず大マニラ、後にはフィリピン全土を統治しようとフィリピン委員会(Philippine Executive Commission)を設立した。
1942年、ヴァルガスはフィリピン委員会の議長となり、マニュエル L. ケソン大統領統治の米国自治連邦区としてのフィリピンだった時期に労働長官であったレオン・G・ギント卿を大マニラの市長に指名した。ギントは大マニラの解放まで同市の市長職を続けた。
ギントの戦時統治下、カロオカン、ラス・ピニャス、マラボン、マカティ、マンダルヨン、ナボタス、パラニャ-ケ、パサイ、サンファンはマニラの地区とされ、マニラ市はその南側地域の“Bagumbayan”(ニュータウンの意)、サンパロク、キアポ 、サンミゲル、サンタクルス地域の”Bagumpanahon”(新時代)、 トンド地域の”Bagumbuhay”(新生活)、ビノンド及びサン・ニコラス 地域の”Bagong Diwa”(新秩序)などを併合して大マニラとなり、新しく成立したケソン市は破綻し、2つの地区に分けられた。
1944年10月20日にアメリカ陸軍のマッカーサー将軍はフィリピンに戻り(「レイテ島の戦い」参照)。1945年2月3日から3月3日にかけて日米両軍の間で行われたマニラの戦いにおけるイントラムロスにおける決戦終了後、日本軍は降伏し、完全に破壊されたマニラ市は正式にアメリカ軍の施政下へと戻された。
戦後のフィリピン独立とその後の経済発展を経て、1976年には、メトロ・マニラという広域都市圏が確立し、マニラは従来の区域を越えて大きく拡大した。イントラムロスと旧市街は戦後も破壊されたままであったが、1979年になってようやく国による再建活動が始められ、整備がすすめられて現代に至っている。
かつてマニラは東洋で最も美しい都市のひとつといわれていたが、戦後のフィリピンの発展とマルコス時代の停滞にともなって多くの貧民が流入し、多数のスラムが形成された。また、生活排水などによる環境汚染がすすみ、マカティ市などの近代的な区域を除いては多くの部分が雑然とした様相を呈すことになり、都市の美化という問題を抱えている。
教育
- フィリピン大学マニラ校
- サント・トマス大学(東洋最古の大学)
- アテネオ・デ・マニラ大学
- デ・ラ・サール大学
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- 1 マニラの概要
- 2 観光
固有名詞の分類
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