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パラオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/13 17:46 UTC 版)

パラオ共和国
Beluu er a Belau (パラオ語)
Republic of Palau (英語)
パラオの国旗 パラオの国章
国旗 国章
国の標語: Rainbow's End
国歌: 我等がパラオ
パラオの位置
公用語 パラオ語英語
アンガウル州は上記2言語と日本語
首都 マルキョク
最大の都市 コロール
政府
大統領 ジョンソン・トリビオン
首相 なし
面積
総計 458km2179位
水面積率 極僅か
人口
総計(2005年 20,303人(190位
人口密度 44人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2005年 1億4467万アメリカ合衆国ドル
GDPMER
合計(2005年 1億4467万ドル(???位
GDPPPP
合計(2001年 1億7,400万ドル(190位
1人あたり 9,000ドル
独立
国連信託統治(アメリカ合衆国)より 1994年10月1日
通貨 アメリカ合衆国ドルUSD
時間帯 UTC +9(DST: なし)
ISO 3166-1 PW / PLW
ccTLD .pw
国際電話番号 680

パラオ共和国(パラオきょうわこく、パラオ語: Beluu er a Belau英語: Republic of Palau)、通称パラオは、太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国。首都マルキョク2006年10月7日に旧首都コロールから遷都した。

目次

国名

正式名称はパラオ語で、Beluu er a Belau

公式の英語表記は、Republic of Palau。通称、Palau

日本語の表記は、パラオ共和国。通称、パラオ。漢字では、帛琉と書き、と略す。また、現地ではベラウと呼ぶこともある。

歴史

有史以前

有史以前のパラオについては未解明の状態だが、国内に多く残る遺跡などを研究した結果、約4000年前から人が住んでいたと推定されている。

スペインの植民地

16世紀頃より、海運の進歩の結果ミクロネシア諸島にもヨーロッパ人が訪れるようになり、スペイン人が初めて渡来し、次いでポルトガル人、イギリス人がやってきた。パラオも1885年にスペインの植民地下に入った。これらのヨーロッパ人により天然痘などが持ち込まれ、また現地人に対する搾取が行われた結果、パラオの人口は90%程度減少したとされる。

ドイツの植民地

1899年に、国力が衰退の一途を辿っていたスペインは、グアムを除くスペイン領ミクロネシアを450万ドルでドイツに売却、パラオもこれに含まれ以降ドイツ植民地となった。ドイツはパラオでココナッツタピオカ栽培、アンガウルにおけるリン鉱石採掘などの産業振興を行った[1]。しかし、他のドイツの植民地と同様に、道路や水道などのインフラストラクチャーの整備や現地人への教育はほとんど行われなかった。

1914年第一次世界大戦が開始されると、イギリスやアメリカなどと同じ連合国の一国であり、ドイツに対して宣戦を布告した日本海軍を派遣し、ドイツ守備隊を降伏させてこれを占領した。

日本の委任統治

日本の委任統治領当時のコロール
アンガウル島沖での海戦

第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオは日本の委任統治領になった[2]。コロールには南洋庁及び南洋庁西部支庁(パラオ支庁)が置かれ、パラオは周辺諸島における植民地統治の中核的な島となり、多くの日本人が移住しパラオ支庁管内の住民の4人に3人は日本人となった(軍人を除く昭和18年6月末時点の居住者33,960人の内訳:内地人(内地出身日本人)25,026人、朝鮮人(朝鮮半島出身日本人)2,460人、パラオ人先住民6,474人、他にスペイン人・ドイツ人宣教師18人)。

日本の統治が始まってからは、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった学校や病院、道路など各種インフラストラクチャーの整備も重点的に行われ、1920年代頃になるとコロールは近代的な町並みへとその姿を変貌させていった。また、日本統治の開始にともない日本語による学校教育が現地人に対しても行われるようになった。ただし、本科3年補習科2年の課程であり、日本人子弟とは学校が別だった(公学校)。現地人子弟は高等教育の道が事実上閉ざされていた[1][3]。現地人の教科書編纂のため南洋庁の書記として赴任していた中島敦(後に作家となる)は、教育の軽視など、現地住民がおかれた状況を悲観的に分析した手紙を家族に送っている。

日本は1933年国際連盟から脱退したが、「統治委任はパリ講和会議によるもの」と主張して、国際連盟の加盟諸国もこれを認めたために委任統治を続けた。なお、国際連盟からの脱退により、国際連盟の「委任統治領に軍事施設を建設してはならない」という規則の制約から逃れた日本は、各地に海軍の関連施設を建設した。

第二次世界大戦太平洋戦争)が始まると、コロールは海軍の重要な基地として北西太平洋方面の作戦拠点となった。そのため、西方のフィリピン戦線の状況と連動して連合軍の攻撃対象となり、1944年にはペリリューの戦いなどで両軍に多くの戦死者を出した。なお、ペリリュー島の戦いではパラオ民間人の死者はなかった[4]。しかし、日本国籍を持たない現地人であっても、パラオ挺身隊などに軍属として動員されることがあった[3][5]

藤岡信勝等の自由主義史観研究会関係者は、「(日本統治が終わった後のアメリカの)統治初頭にアメリカがパラオに浸透した日本の文化の排撃(神社や日本人と共同で作ったインフラ・畑等の破壊)や反日教育を行ったが全く浸透しなかった」と主張している。実際現在も非常に親日的な上に、アメリカに次いで日本から莫大な援助を受けている[6]

アメリカの信託統治

戦争終結後の1947年に、国際連合の委託を受けアメリカ合衆国はパラオを信託統治下に置いた(太平洋諸島信託統治領)。アメリカはミクロネシア地域には動物園政策を取り教育や福祉健康には援助を行ったが産業開発にはほとんど投資を行わなかった。

アメリカ統治の開始にともない、今度は英語による民主主義教育が住民に対しても行われるようになった。パラオ住民は高等教育も受けることが出来るようになった反面、経済はアメリカの援助に依存し、パラオ人は農業などの肉体労働に就くのを嫌がるようになり、フィリピンからの出稼ぎ労働者が担うようになった。食料がアメリカによって豊富に供給されたことにより蛋白源が伝統的な魚介類から輸入肉製品中心となり肥満の問題も発生している。また、高等教育を受けた若者は、アメリカの教育の影響を受けて統治国のアメリカでの就職を希望する者が多く、パラオの人口動態は流動的なものとなって把握が難しくなっていた。アメリカによる民主主義教育の成果は、後述パラオ憲法の非核条項をめぐるコンパクトの国民投票においてアメリカ側の軍事的利益に反する結果を度々出したことにも現れている。

独立への動き

1979年7月には、アメリカによる核兵器の持ち込みを禁止した「非核憲法」を住民投票で可決したが、アメリカ政府の意向を受けた信託統治領高等裁判所が無効を宣言。10月、非核条項を緩和した憲法草案で再び住民投票を行ったが今度は否決。しかし1980年7月に、1年前と同じ内容(修正前)の草案での住民投票で可決された。

1981年に、自治政府の「パラオ共和国」を発足させ、憲法を発布。翌1982年に、内政・外交権はパラオが、安全保障はアメリカ合衆国が担うものとし、アメリカ軍が駐留。その見返りとしてアメリカが財政援助をする自由連合盟約(コンパクト)の内容に関して両政府が合意した。だが翌年行われた住民投票でコンパクトは否決され、これ以降、1990年まで都合7回の住民投票が行われたが全て否決された。

独立

1990年代初頭の冷戦終結を受けて、アメリカにとってパラオの利用価値がなくなった後の1992年に行われた住民投票で、憲法内の非核条項をアメリカとの自由連合協定においてのみ凍結することが決まり、コンパクト承認のための住民投票の可決条件を緩和(75%から50%へ)する憲法改正のための住民投票が行われ、これを可決。同時に行われた大統領選挙でクニオ・ナカムラが当選した。

1993年には、緩和された可決条件の下、8回目の住民投票でアメリカ合衆国とのコンパクトが承認された。これにより、1994年10月1日に、コンパクトによる自由連合盟約国として独立し、国連による信託統治が終了。同年に国際連合へも加盟した。信託統治領としては最後の独立となる。

地理

パラオの地図
パラオの地図(2)

パラオを構成する島は200程度だが、実際に人が住んでいる島は10に満たないとされる。首都マルキョクやパラオ国際空港のあるバベルダオブ島と旧首都のあるコロール島とは橋で結ばれている。

地方行政区分

パラオは、16の行政区域に分かれている。

州内の自治は州政府(州知事が首長)によっておこなわれるが、伝統的な酋長制度も並存している。パラオには州単位の酋長で構成される酋長協議会がある。

気候

全域が熱帯の気候であり、年平均気温は27℃と温暖である。また、スコールなど通年で雨が多いが、特に7月と10月の雨量が多い。年間雨量は3,800mmになり、平均湿度は 82%である。なお、台風の襲来はほとんどない。

標準時

全土でパラオ時間(Palau Time, PWT)が施行されている。UTC+9:00で、日本標準時 (JST) との間に時差はない。


  1. ^ 2008年5月の遠東航空全便運航停止(事実上の倒産)を受け移管


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