特攻作戦とは? わかりやすく解説

特別攻撃隊

(特攻作戦 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/15 00:28 UTC 版)

特別攻撃隊(とくべつこうげきたい、旧字体特別攻擊隊󠄁)は、決死の任務を行う部隊[1]。略称は「特攻隊」(とっこうたい、旧字体特攻隊󠄁[2]




「特別攻撃隊」の続きの解説一覧

特攻作戦

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第七六二海軍航空隊」の記事における「特攻作戦」の解説

昭和19年12月20日桜花特攻部隊である第七二一海軍航空隊ペア第十航空戦隊を結成し主力正規爆撃隊へと変容した。定数は陸偵24戦闘48・陸爆48だが、フィリピン進出の際に出撃した戦闘701飛行隊第七六一海軍航空隊転出し以後護衛戦闘機隊が七六二空編入されることはなかった。 再編後は、香取飛行場偵察11飛行隊攻撃501飛行隊陸軍第七飛行戦隊豊橋飛行場攻撃262飛行隊鹿屋飛行場第九飛行戦隊置いて訓練当たった昭和20年2月上旬頃より、沖縄地上戦への備え始まった七六二空2月11日をもって第五航空艦隊転籍し正規爆撃一翼を担うことになったその間攻撃406飛行隊新たに七六二空編入された。 3月1日 南九州に展開。鹿屋(偵11彩雲14機・攻501銀河9機)、出水(攻406陸攻10機・銀河28機)、宮崎(攻262銀河7機・七戦隊飛龍27機)、築城(攻262銀河16機)、大刀洗(七戦隊飛龍10機・九八戦隊飛龍13機)、鹿児島(九八戦隊飛龍13機)。 3月11日 第二次丹作戦ウルシー環礁薄暮強襲特攻決行。「特別攻撃隊」と命名され銀河24機が参加。うち15機がウルシー在泊中の米艦隊への突入無電報告戦果は1機が空母ランドルフ」に体当たりし中破させたのみ。突入断念してヤップ島基地不時着した3機(指揮官黒丸直人大尉機を含む)のうち、無傷だった1機(落合勝飛曹長機)のみが、不時着した3機の搭乗員全員乗せて14日鹿屋帰還3月18日 九州沖に敵機部隊接近、七戦隊・九八戦隊・攻501出撃、7機喪失3月19日 出水基地より攻406出撃、1機が急降下爆撃空母フランクリン大破させる。 3月20日501・九八戦隊出撃、4機喪失3月21日406・攻501出撃12喪失3月26日 天一号作戦発動。攻501・七戦隊・九八戦隊出撃4月1日 地上戦開始4月3日262、8機のうち3機が特攻4月11日 33機で対艦攻撃4月12日 30機で対艦攻撃4月14日 18機で対艦攻撃この頃から南九州への基地強襲激化する陸軍太刀洗飛行場主目標となり、七戦隊・九八戦隊組織的攻撃急激に散発的になる。 5月12日 第三次丹作戦決行銀河12参加。しかし出撃直後迎撃され断念10回にわたる菊水作戦にも、七六二空散発的に参加しているが、6月21日攻撃最後に本土決戦用に温存策が図られることになり、指揮下の飛行隊攻撃第501飛行隊統合され主力部隊は、島根県斐川町造成された大社基地という秘匿飛行場疎開展開した。五航艦では、七六二空決号作戦時の夜間雷撃隊として活用するべく、8月3日第六三四海軍航空隊第九三一海軍航空隊とともに32航空戦隊を編成したが、敗戦とともに解散した

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特攻作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 17:00 UTC 版)

硫黄島の戦い」の記事における「特攻作戦」の解説

2月21日ジャンボリー作戦打撃からどうにか立ち直った日本軍航空機による反撃開始し千葉県香取航空基地から出撃した第六〇一海軍航空隊爆撃機彗星12機、攻撃機天山」8機、直掩零式艦上戦闘機12機の計32からなる神風特別攻撃隊第二御盾隊による攻撃が行われた。この特攻日本本土から初め出撃したもので、八丈島基地燃料補給した後に硫黄島近海アメリカ艦隊突入した。同隊突入前に千葉県木更津第七五二海軍航空隊一式陸攻2機が欺瞞隊として硫黄島上空到達錫箔をまいてレーダー攪乱かくらん)した。第六〇一海軍航空隊航空母艦飛行隊として訓練されていた精鋭であり、わずか32であったにも関わらず護衛空母ビスマーク・シー」を撃沈正規空母サラトガ」に5発の命中弾を与えて大破させた他、「キーオカック」(防潜網輸送船) (英語版)も大破させ、護衛空母ルンガ・ポイント」とLST-477 (英語版)を損傷させるなど大戦果を挙げた大破した正規空母サラトガ」の戦闘報告によると「この攻撃はうまく計画され協同攻撃であった攻撃開始されたとき、4機の特攻機同時にあらわれたが、各機は別々に対空砲火指向させなければならないほど、十分な距離をとって分散していた。もしこれが自殺攻撃による一つ傾向示しているのであれば自殺機のなかには対空砲火指向されないものが出てくる可能性があり、対空射撃目標選定について混乱生じさせることは確実なので、この問題おざなりにできない」とあり、第二御盾隊が精鋭らしく互いに連携をとりながら対空砲火分散させる巧み戦術攻撃したことがうかがえる第二御盾隊による戦果硫黄島守備隊視認しており、第27航空戦隊司令官市丸が「友軍航空機壮烈な特攻望見し、士気ますます高揚必勝確信敢闘を誓う」「必勝確信敢闘を誓あり」と打電するなど、栗林らを大い鼓舞した梅津美治郎陸軍参謀総長及川古志郎軍令部総長はこの大戦果を昭和天皇上奏した。及川によれば昭和天皇はこの大戦果の報を聞いて硫黄島対す特攻を何とかやれ」と再攻撃求めたというが、洋上長距離飛行要する硫黄島へ特攻負担大きく、再び実行されることはなかった。 その後小規模ながら断続的に航空支援が行われ、アメリカ軍物資集積所への空爆守備隊への補給品空中投下なども行われたが、3月25日深夜木更津基地から6機の一式陸攻離陸、うち根本正良中尉機のみが硫黄島到達し単機爆撃行ったのが(根本機は生還硫黄島における日本軍最後航空攻撃となった硫黄島へ航空支援については、日本軍終始消極的で、作戦投入した機数はわずか延べ75機に過ぎなかった。 また、回天特別攻撃隊千早隊」(伊44伊368伊370)が編成され2月2022日出撃したが、回天警戒のため編成されていた護衛空母アンツィオ」、「ツラギ」と駆逐艦18隻の 対潜部隊に、「伊368」と「伊370」が撃沈され、戦果もなかった。その後、「伊36」と「伊58」で「神武隊」が編制され3月1日硫黄島向けて出撃したが3月6日作戦中止命令出て、両艦は引き返した回天作戦中は母艦となる潜水艦通常魚雷による戦闘禁止されていたが、この作戦中、「伊58」の橋本以行艦長が、目の前航行する敵艦攻撃する絶好機会逃したことから、海軍上層部回天作戦中の通常魚雷での攻撃許可求め意見書提出したところ認められた。このことが後の重巡洋艦インディアナポリス」を撃沈することに繋がった

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