れいしき‐かんじょうせんとうき〔‐カンジヤウセントウキ〕【零式艦上戦闘機】
【零式艦上戦闘機】(れいしきかんじょうせんとうき)
日本海軍が1940年に制式採用した艦上戦闘機。ゼロ戦と呼ばれることも多い。
海軍での形式名称は「三菱A6M」。米軍のコードネームはZeke(三二型はHamp)。
本機の開発に当たって、日本海軍は500㎞/hの速度、九六式艦上戦闘機と同等の機動力、双発機なみの航続距離、高度3,000mまで3分30秒以内の上昇力などを求めた。
九六式艦上戦闘機を手掛けた三菱の堀越二郎技師を主務者とする設計チームは、これらを実現するため、徹底した重量軽減と世界初の「超々ジュラルミン」の導入や、可変ピッチプロペラ、引込式主脚、水滴型風防、落下増槽の採用、また胴体と主翼の一体構造化などを行うことで要求を実現させた。
同時期の欧米軍機に比べて軽量化の影響で防弾、機体強度などが見劣りしていたが、1,000馬力級エンジンから絞り出される極限の性能を有しており、機動力、航続力は単発レシプロ戦闘機史上画期的な機体となり、大戦初期の戦いでは世界最強の名を欲しいままにした。
このため、艦上戦闘機の最高傑作のひとつとして数えられることもある。
制式採用後、まもなく支那事変に投入されたが、このときの戦闘では、操縦士の技量の高さと相まって100機以上を撃墜し、対空砲火で2機が撃墜された以外は空戦での損害なしという一方的な勝利を収めた。
その後、大東亜戦争初期の真珠湾作戦、フィリピン空襲、インド洋作戦などでも無敵の活躍をした。
しかし、開戦から数ヵ月後の珊瑚海海戦の頃には、F4F「ワイルドキャット」の活躍によって大きな損害を被るようになっていった。これは急降下速度、防弾能力、無線を利用した連携力の差による。
本機の後継機の開発が思うように進まなかったため、幾度の改修で性能向上を図ったが、エンジン出力の向上や急降下速度、防弾能力の低さを抜本的に改良できず、大戦後期には性能が陳腐化し、ベテランパイロットが撃墜されることも多かった。
対する米軍は高速・重武装の新型戦闘機F6F・F4U・P-38・P-51等を次々投入し、サッチ・ウィーブと呼ばれる編隊空戦法や本機が苦手とする一撃離脱を積極的に用いた。
結局、1945年の敗戦まで第一線で使用され続け、日本製航空機としては最多の約1万機が生産された。
なお、後継機烈風の開発に目処が立ったのは大戦終盤の昭和19年10月で、敗戦までにわずか8機が生産されただけであった。
前述のように大東亜戦争の開戦から敗戦まで一貫して第一線にあり続けたことから、戦艦「大和」と並んで有名な旧軍兵器として知られており、1990年代に大量に発表された「架空戦記」と呼ばれるフィクション作品にもしばしば登場している。
また、2009年には経済産業省から「近代化産業遺産群」に認定された。
スペックデータ
機体略号 | 二一型:A6M2b 五二型:A6M5 五四型:A6M8 |
乗員 | 1名 |
全長 | 9.05m(二一型) 9.121m(五二型) 9.237m(五四型) |
全高 | 3.53m(二一型) 3.57m(五二型/五四型) |
全幅 | 12.0m(二一型) 11.0m(五二型/五四型) |
翼面積 | 22.44㎡(二一型) 21.30㎡(五二型/五四型) |
空虚重量 | 1,754kg(二一型) 1,876kg(五二型) 2,150kg(五四型) |
正規全備重量 | 2,421kg(二一型) 2,733kg(五二型) 3,150kg(五四型) |
発動機 | 「栄」一二型 空冷星形14気筒(離昇出力940hp)(二一型) 「栄」二一型 空冷星形14気筒(離昇出力1,130hp)(五二型) 「金星」六二型 空冷複列星形14気筒(離昇出力1,560hp)(五四型) |
最高速度 | 533km/h(高度4,550m、二一型) 565km/h(高度6,000m、五二型) 572km/h(高度6,000m、五四型) |
航続距離 (正規/増槽あり) | 二一型:1,433km/2,530km(巡航時:2,222km/3,350km) 五二型:1,920km/2,560km 五四型:850km |
武装 | 九九式二号20mm機銃×2挺(主翼内) 九七式7.7mm機銃×2挺(胴体機首部) |
携行弾数 | 主翼内:60発(二一型)/100発(五二型)/125発(五四型) 胴体機首部:700発/240発(五四型) |
兵装 | 30kg又は60kg爆弾×2発 250kg爆弾×1発、300kg爆弾×1発、30kg小型ロケット弾×4発、以上より選択(五四型) |
主な形式
- 零戦一一型系統
- 十二試艦上戦闘機(A6M1):
海軍から提示された「十二試艦上戦闘機計画要求書」に基づいて作られた試作機。
エンジンは1~2号機は瑞星一三型(離昇780hp)を、3号機は栄一二型(離昇940hp)を搭載している。
- 零式艦上戦闘機一一型(A6M2a、64機):
暫定的とも言える初期生産型。
そのため、着艦フックなど艦上機としての艤装を持たない。
- 零式艦上戦闘機二一型(A6M2b、740機(三菱製)/2,821機(中島飛行機製(ライセンス生産))):
一一型に艦上機としての正規の艤装を施したもの。
航空母艦へ搭載するため、主翼端を50cmずつ折り畳めるようになっている。
- 零式練習用戦闘機一一型(A6M2-K):
二一型を複座にし、練習機としたもの。
- 二式水上戦闘機(A6M2-N):
水上戦闘機「強風」の開発が難航したため、一一型に浮舟を取り付け、水上機にしたもの。
- 十二試艦上戦闘機(A6M1):
- 零戦三二型系統
- 零式艦上戦闘機三二型(A6M3、343機):
二一型の後継でエンジンを栄二一型(離昇1,130hp)に換装し、翼端折畳機構を廃止して主翼を短縮、角型に成型。
九九式一号二型20mm機銃を九九式一号三型に換装(装弾数60発→100発)
二一型と比べて最大速度・上昇力・上昇限度が増加し、急降下性能や横転性能も改善されたが、航続力、水平飛行時の安定性は低下している。
- 零式艦上戦闘機二二型(A6M3、560機):
三二型の欠点を補うために急遽開発・生産された型で、翼端折り畳み機構を復活させ機内燃料タンクを追加した。
- 零式艦上戦闘機三二型甲、及び二二型甲(A6M3a):
二二型、及び三二型の20mm機銃を長砲身型の九九式二号三型に換装したもの。
- 零式艦上戦闘機三二型(A6M3、343機):
- 零戦五二型系統
- 零式艦上戦闘機五二型(A6M5、747機):
二二型の発展型で、再び翼端折り畳み機構を廃止し、丸型に成型。
エンジン排気でのロケット効果を狙い推力排気管化。
栄搭載型では最大の560km/hを発揮。
ただし極初期生産型は推力式単排気管が間に合わず、二二型同様の集合排気管を装備している。
また、後期生産型から翼内燃料タンクに自動消火装置を設置して防御力を高めている。
- 零式練習用戦闘機二二型(A6M5-K):
五二型を複座にし、練習機としたもの。
1945年に試作機2機が完成するが、生産準備中に敗戦となる。
- 零式艦上戦闘機五二型甲(A6M5a、391機):
ドラム給弾式の九九式二号三型20mm機銃をベルト給弾式の九九式二号四型に換装(装弾数100発→125発)
また主翼外板を0.2mm厚くする等、構造を強化し急降下最大制限速度が増加した(741km/h)
- 零式艦上戦闘機五二型乙(A6M5b、470機):
右胴体機銃を九七式7.7mm機銃から三式13.2mm機銃に変更した他、胴体外板を厚くし、前面風防に45mm厚の防弾ガラスを装備した。
また、座席の後部に8mm防弾鋼板を装備可能である。
- 零式艦上戦闘機五二型丙(A6M5c、93機):
左胴体九七式7.7mm機銃を廃止し主翼に三式13.2mm機銃2門を追加。
操縦席後方に55mm防弾ガラスや8mm装甲板を追加し、主翼下に30kgロケット弾、小型爆弾架を装備した。
しかし、重量増により運動性は大幅に低下している。
- 零式艦上戦闘機五二型(A6M5、747機):
- 零式夜間戦闘機(A6M5d-S):
操縦席後部または胴体左舷に九九式二号四型20mm斜銃1挺を搭載して、夜間戦闘機に改修された機体。
- 零戦五三型・五四型系統
- 零式艦上戦闘機五三型丙(A6M6c):
エンジンを水メタノール噴射方式の栄三一型に換装。
主翼内燃料タンクをセルフ・シーリング式に。
エンジンと防弾タンクの開発遅延により試作1機のみ。
- 零式艦上戦闘機六二型/六三型(A6M7):
五二型丙および五三型の胴体に250kg爆弾懸吊架(落下増槽懸吊架兼用)を装備した戦闘爆撃機型。
大型爆弾を搭載しての急降下にも耐えられるように、水平尾翼の内部構造強化や胴体下面の外板厚増加も実施されている。
特攻機として使用された機体には500kg爆弾を搭載したものもあった。
- 零式艦上戦闘機五四型丙(A6M8c):
栄をより大馬力の金星六二型(離昇1,500hp)に換装。
スピナ及びプロペラは、同型エンジンを搭載する彗星三三型と同じ物を装備し、機首の13.2mm機銃は撤去されている。
584km/hを発揮するも、時既に遅く敗戦。試作2機のみ。
- 零式艦上戦闘機六四型(A6M8c):
五四型丙の量産型名称。生産中に敗戦となる。
- 零式艦上戦闘機五三型丙(A6M6c):
零式艦上戦闘機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 13:12 UTC 版)
A6M 零式艦上戦闘機
注釈
- ^ 日本陸軍(以下、陸軍)では同じ年に採用した兵器を一〇〇式と命名している(例:一〇〇式司令部偵察機、一〇〇式重爆撃機、一〇〇式輸送機)。
- ^ 海軍飛行予科練習生出身パイロットの通称
- ^ P-51では工程の多い沈頭鋲ではなく通常のリベットを電動工具で削るなど、最終的に短時間となる手段を選択している。
- ^ 零戦のライバルであるF4F ワイルドキャットの引込み脚は、パイロットがハンドルを回転させる、手動式である。
- ^ 最大厚さ29.8%位置
- ^ 揚・抗力曲線はB-9と同等で迎角変化による風圧中心の移動はその半分という優れた特性を持つ
- ^ 2617.54mm、中心から500mm外側の翼根で2500mm
- ^ 取付角0度で計るべき所を取付角2度で採寸しており僅かに厚めに出る
- ^ 中心から125mm外側、弦長2588.16mm・厚369.2mm
- ^ 中心から2475mm外側、弦長2035.71mm・厚289.34mm
- ^ 中心から3825mm外側、弦長1600.81mm・厚177.94mm
- ^ 中心から4875mm外側、弦長1272.2mm・厚114.72mm
- ^ 角度の捩りを幾何学的捩り下げ、翼型を変えて失速に強くするのを空力的捩り下げといい併用される
- ^ 完成を急いだためユンカース社の標準部品を使用したところ、操縦装置の剛性が不十分なのに、かえって操縦性がきわめてよいという怪我の巧妙のような結果になった。
- ^ 1944年(昭和19年)頃になると中島製二一型は訓練や防空、爆撃などの任務に用いられることが多く、マリアナ沖海戦でも爆戦として投入されている。
- ^ 自動車のギヤシフトに相当する。
- ^ プロペラピッチの変更は29-49度の間で変更が可能である。
- ^ 陸軍向けは日本楽器製造(現:ヤマハ)が生産している。
- ^ アメリカ軍機には背面飛行を数秒以上行うとエンストするとの制限が飛行マニュアルにあった。
- ^ 「私たちの見るところ、スピットファイア2型と5型の最も重要な違いは、前者のエルロンが羽布張りなのに対し、後者のそれは金属製に改良されている点にあった。空中に上がると、このことが性能におよぼす違いは極めてはっきりしていた。操縦桿の重かったのが軽くなり、高速での横転の速さは2倍以上になった」 「新しいエルロンの形と寸法は羽布張りのものと全く同じだったので、もし手に入りさえすれば、それを私たちが現在使っているスピットに取りつけていけない技術的理由は何もなかった。」
- ^ 洋上飛行では、視界内に陸地の断片がなければ、飛行している高度の実際の風速風向を知る手段はない。
- ^ 搭乗員の古賀忠義一飛曹は頭部を強打して死亡していた。
- ^ 珊瑚海海戦で急降下からの引き起こしで分解する零戦をF4Fのパイロットは目撃し、零戦の急降下性能が低いことをすでに知られていた。
- ^ 武装強化や防弾装備の追加等を行ったが、その重量増加に見合う発動機出力の向上ができなかったため、最高速度や上昇力などの飛行性能を大幅に向上させることができなかった。
- ^ 戦闘三一六飛行隊では零戦を爆装させて、戦爆による夜襲や特攻による運用を検討していた美濃部であったが、芙蓉部隊においては原則零戦には爆装させず機銃掃射による攻撃を行わせていた。
- ^ 硫黄島に派遣されていた兵器員、杉本寅夫(二五二空、戦闘三一七飛行隊)によると五二型の新品で武装は13ミリ機銃5梃(両翼各2梃、胴体1梃)、20ミリは装備しておらず、現地にて製造番号、日の丸とも真っ黒に塗り潰されたという[116]
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零式艦上戦闘機(零戦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/27 14:52 UTC 版)
「ラバウル烈風空戦録」の記事における「零式艦上戦闘機(零戦)」の解説
作中では烈風が早期に登場したため、五二型以降は開発されなかった(外伝では7.7ミリ機銃8丁を装備した「四二型乙」が登場、これが最後の生産タイプとされている)。
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零式艦上戦闘機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 08:09 UTC 版)
「ストライクウィッチーズシリーズの登場兵器」の記事における「零式艦上戦闘機」の解説
九八式と並ぶ扶桑皇国海軍主力戦闘機。2期8話にて「千歳」「千代田」所属航空隊の機体が登場。零式艦上戦闘脚の技術を大きくフィードバックしており、軽快な運動性と、ウィッチが使用する九九式と同一の二〇ミリ機銃を装備する。小型ネウロイ相手ならば対抗可能と期待されているが、2期8話に出現した大型ネウロイに対しては、歯が立たなかった。モデルはその名前の通り、大日本帝国海軍の零式艦上戦闘機。
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零式艦上戦闘機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 19:54 UTC 版)
初飛行1939年、最高速度518 km/時、開戦時太平洋地域の最強戦闘機。高速・重武装・良好な運動性・長大な航続力という相反する性能を高度に達成した。日本海軍の主力戦闘機として終戦まで改良されながら10,000機以上生産されたが、機体構造に余裕が少なく大きな性能向上は無かった上、後継機の開発が遅れたため性能的に差を付けられた戦争後期まで使われた。
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