おう‐か〔アウクワ〕【桜花】
さくら‐ばな【桜花】
【桜花】(おうか)
旧日本海軍が開発した、ロケット推進による特攻機。
1944年8月に特別攻撃を前提とした機体として開発された。
本機は機首に1,200kg徹甲爆弾を搭載し、申し訳程度の翼と800kgの推力を持つロケットエンジン3基を備えた外観を持っていた。
主翼は面積が狭く、殆ど直進しかできない。
またロケットエンジンの燃焼時間は約9秒間であり、脱出装置も搭載されていないため、一度母機から射出されればパイロットの生還は不可能である。
このため、本機は事実上「(人間が弾体に乗り込んで終端誘導を行う)空対艦ミサイル」でもあった。
主力生産型の一一型は、搭載機として改造された一式陸攻に吊り下げられ、目標付近で射出、敵艦に体当たりするという方式をとっていた。
しかし、桜花の有効射程はわずか37kmで、敵艦隊にぎりぎりまで接近しないといけなかった上、レーダーとそれに連動する対空射撃指揮装置を搭載する艦隊を前に、約2トンもの桜花を搭載した一式陸攻は艦隊護衛の戦闘機部隊の前では鴨同然であり、殆どの桜花は母機もろとも射出されることなく撃墜されている。
結局終戦までに155機が生産され、76機が実戦に参加したといわれているが、戦果はアレン・M・サムナー級駆逐艦1隻(DD-733「マナート・L・エベール」)を撃沈、2隻を損傷のみとなっている。
アメリカ軍のコードネームは「BAKA」。これは日本語の「馬鹿」から由来している。
スペックデータ
型式番号 | MXY-7 |
乗員 | 1名 |
全長 | 6.066m |
全高 | 1.16m |
全幅 | 5.12m |
自重 | 440kg |
全重量 | 2,270kg |
エンジン | 固体ロケットエンジン(推力800kg、稼動時間9秒)×3基 |
速度 (水平時/急降下突撃時) | 648km/h / 1,040km/h |
航続距離 | 37km(投下高度によって変化、約60km(高度7,000mで投下時)) |
武装 | 1,200kg徹甲爆弾 |
バリエーション
- 二一型:
銀河に搭載するために、若干の改良が加えられている他、自重の軽減のため、爆弾の搭載量が減らされている(1,200kg→800kg)。
試験段階で終戦を迎えた。
- 二二型:
四式噴進器を「ツ11」(カンピーニロケットの一種)に変更したもの。
二一型同様、試験段階で終戦を迎えた。
- 三三型:
母機を連山に変更し、エンジンを強化したタイプ。
連山自体が増備されなかったため、こちらも量産されなかった。
- 四三型:
陸上からのカタパルト発進を行う予定で開発された、ジェットエンジンを搭載するタイプ。
なお、エンジンと燃料タンクの設置のために爆弾重量は600kgに減らされている。
モックアップが概成したところで終戦を迎えている。
桜花
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桜花(おうか、旧字体:櫻花󠄁)
- 1 桜花とは
- 2 桜花の概要
桜花 (航空機)
(桜花 から転送)
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桜花(おうか、旧字体: 櫻花󠄁[2])は、日本海軍が太平洋戦争中に開発した特殊滑空機。特攻兵器として開発され、実戦に投入された。
注釈
- ^ 航空特攻兵器「剣」も実戦に投入された可能性が指摘されている[9]。
- ^ 小川は後に特攻兵器梅花を発案した人物でもある。
- ^ 必死であることに悩みがあったなら、悩みの解決は必死の有人化ではないという矛盾がある。
- ^ 作家生出寿は民間協力に源田の紹介状があったと想像している[26]が、既述のように民間協力はすでにある。
- ^ 書面上から海軍特攻部長大森仙太郎中将が命名者とされる場合もある(8月31日、書類上正式認定は1945年3月17日内兵令8号)[51]。記者渡邉恒雄が源田実を命名者と広言したことがあるが根拠はない[52]。
- ^ 実際に空母フランクリンとワスプを大破させ、イントレピッドやエンタープライズやエセックスにも損傷を与えていた。
- ^ 五航艦付中島正少佐によれば「猛虎のような男」[76]。
- ^ 山岡荘八は鹿屋基地近くに立つ2軒の平屋の内の1軒に他の報道班員と滞在、神雷部隊隊員と寝食を共にし2ヶ月に渡って取材をしている。もう1軒の平屋は神雷部隊司令岡村大佐の宿舎であった。
- ^ 野中五郎少佐指揮による一式陸攻18機(うち隊長機3機は桜花未搭載)、桜花15機、護衛の零戦55機の編成。
- ^ 出撃命令がなかったレーダー搭載型一式陸攻の電探員がBBCの短波放送を無断で聞いたところによれば、米側損害は7機だったという[106]。
- ^ 日本側は戦艦1隻撃沈と判断していた。
- ^ 川端康成は『新潮』1955年8月号の終戦10周年の特集号に、三島由紀夫・志賀直哉ら作家計25名で「昭和二十年の自画像」として戦時を振り返り寄稿した「敗戦のころ」という特集記事で「沖縄戦も見こみがなく、日本の敗戦も見えるやうで、私は憂鬱で帰つた。特攻隊について一行も報道は書かなかつた。」と書いているが、神雷桜花部隊についての記事に談話は寄せていたことになる。
- ^ 棚沢直子は当時東洋大学教授で三木の娘。
- ^ この内桜花搭載は15機。
- ^ 不時着・不時着水機は含めず。
- ^ 航空機撃墜用の親子爆弾であった三号爆弾を誤認した可能性もあるが、作戦報告では三号爆弾を「火の球(Ball of Fire)」「空対空ロケット」と区別して報告している[165]。
- ^ 稀に実施される観覧会以外のときは要予約。
出典
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- 1 桜花 (航空機)とは
- 2 桜花 (航空機)の概要
- 3 戦績
- 4 アメリカ側の評価
- 5 派生型
- 6 諸元
- 7 脚注
- 8 外部リンク
桜花
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 06:13 UTC 版)
前世のような特攻機ではなく、戦時増産型噴式迎撃戦闘機。蒼莱はかなりの強さを持っているが大量生産向きでは無いため、大量生産ができ、かつ整備もしやすいように桜花は設計されている。離陸はカタパルト射出で行い、着陸はスキーによって行う。前世の桜花に背負い式にジェットエンジンを付加した無骨、かつ生産性の高いデザインの機体に、コクピットの背後に装備した40mm傾斜機関砲を搭載する。コミック・OVA版ではデザインがより洗練され、両側にインテークを装備しジェットエンジンは内蔵式。機関砲は機首に装備されている(コミック版では、原作小説の無骨なデザインの桜花が、マスコミによる予想図として登場している)。
※この「桜花」の解説は、「紺碧の艦隊」の解説の一部です。
「桜花」を含む「紺碧の艦隊」の記事については、「紺碧の艦隊」の概要を参照ください。
桜花(おうか)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 23:57 UTC 版)
「突撃!パッパラ隊の登場人物」の記事における「桜花(おうか)」の解説
とびかげ同様『突撃!』から引き続き登場。水島家に7代もの間、お側役ロボットとして仕えている。性格は丸くなっているが、「後光院」の名には敵意を持っているためにイズルを攻撃するが、その度にそらやうみに止められる描写がある。ランコを想わせるランジェを見るとキレる模様。
※この「桜花(おうか)」の解説は、「突撃!パッパラ隊の登場人物」の解説の一部です。
「桜花(おうか)」を含む「突撃!パッパラ隊の登場人物」の記事については、「突撃!パッパラ隊の登場人物」の概要を参照ください。
桜花(おうか)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 05:32 UTC 版)
白姫の回想の時に登場。幼少期に父親を黒姫に殺され仇である黒姫を刺し殺そうとするも、桜花身弾の治癒力の前に失敗。直後、黒姫から魔砲銃を与えられ再び殺しに来るよう諭された。それ以来、魔力を磨き黒姫討伐団に入る。特技はライフル型魔砲銃による魔法獣の長距離狙撃で黒姫からは別格扱いされるほどの実力。
※この「桜花(おうか)」の解説は、「魔砲使い黒姫」の解説の一部です。
「桜花(おうか)」を含む「魔砲使い黒姫」の記事については、「魔砲使い黒姫」の概要を参照ください。
桜花
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 20:34 UTC 版)
大学卒業後、海軍航空技術廠に入廠。海軍技術士官となる。1941年12月太平洋戦争が勃発。三木は戦時中に陸上爆撃機銀河、ロケット特攻機桜花などの機体設計を担当している。 詳細は「桜花 (航空機)」を参照 1944年(昭和19年)6月前後、大田正一少尉が航空技術廠長和田操中将に特攻兵器桜花を提案した。三木によれば、和田はもう決めた様子で、大田は「自分が乗っていく」と言うため、研究に協力したという。もっとも、戦中のインタビューで三木は「ドイツのV一号に呼応してわがロケット兵器の研究もまた全力をあげて行われていた。しかしV一号の目標は地上の間であるが、わが目標は空母、戦艦、輸送船の海上の点である。目標に対して一発必中の成果を上げるためにはV一号のごとく無人機では到底不可能である。どうしても人力を借りねばならない。だが、人の力を借りれば必中と同時に必死である。ここに悩みがあった。この悩みを解決したのが大田正一中尉(当時少尉)である。『 V一号に人間が乗ってゆくことだ。まず自分が乗ってゆく』と、烈々の至情を吐露して肉弾ロケット機『神雷』(桜花)を各方面に説き回った。」と語っている(必死であることに悩みがあったなら、悩みの解決は必死の有人化ではないという矛盾もある)。 三木は山名正夫技術中佐とともに研究の協力を開始。三木や山名は東大に講師としても出入りしていた。空技廠は、風洞実験装置が有り、民間飛行工場の指導も行い、出入りのある愛知航空機にも桜花研究の協力を要請している。 1944年(昭和19年)8月16日、軍上層部も桜花の研究を認めて、研究試作を下命、航空技術廠に任務を課した。三木は主担当者となった。設計には、山名正夫技術中佐、服部六郎技術少佐等も参加した。 1945年5月28日桜花の初戦果を発表した新聞で生みの親として三木忠直技術少佐は「自分が設計したあのロケット機でこれら勇士たちが神去りませしとは」と感激一入、「必死ではなく決死必中の兵器を心に誓った。大田少尉が案を持参したから設計、製作した。神雷(桜花)の成功は岡村司令はじめ関係者一致のたまもの」と語った。
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桜花
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詳細は「桜花 (航空機)」を参照 桜花の着想は、大田が陸軍で母機から投下するロケット推進の有翼誘導弾が開発されているとの情報を得て、製作担当の三菱名古屋発動機製作所から設計の概要を聞き出し、誘導装置の精度が悪く実用化には程遠いと知り、誘導装置を人間に置き換えるのが一発必中を実現する早道だと確信して、東大に足を運んだところから軌道に乗る。 大田の相談に乗ったのが東大航空研究所の小川太一郎教授だった。実験に協力した谷一郎東大教授によれば「昭和十九年夏、東大航研で小川教授から新しい依頼があった。小川さんは広い見識と温かい包容によって声望が高く、外部から持ち込まれる相談の窓口の役割を余儀なくされていた。その僅か前に、大田正一海軍少尉が火薬ロケット推進の特攻機の着想を持参し、海軍上層部を動かすための基礎資料の作成を依頼していたのである。」という。 1944年(昭和19年)5月、厚木基地で開隊された第1081海軍航空隊に着任。大田は毎日第一種軍装に革靴を提げた姿で出かけていた。大田は司令の菅原英雄中佐に対して桜花の構想を明かして、菅原司令は任務外の新兵器開発に奔走する大田を黙認して、航空技術廠長和田操中将に電話で技術上の検討を依頼する。菅原と大田は以前に舞鶴空で分隊長と先任下士官の間柄であった。 5、6月頃菅原司令の推薦によって、大田は和田中将に桜花を提案した。航空技術廠三木忠直技術少佐の戦後証言によれば、和田中将はもう決めた様子で、大田は「自分が乗っていく」と言うため、研究に協力したという。もっとも、三木忠直技術少佐は戦中のインタビューでは、「ドイツのV一号に呼応して我がロケット兵器の研究もまた全力をあげて行われていた。しかしV一号の目標は地上の間であるが、我が目標は空母、戦艦、輸送船の海上の点である。目標に対して一発必中の成果を上げるためにはV一号の如く無人機では到底不可能である。どうしても人力を借りねばならない。だが、人の力を借りれば必中と同時に必死である。ここに悩みがあった。この悩みを解決したのが大田正一中尉(当時少尉)である。『 V一号に人間が乗ってゆくことだ。先ず自分が乗ってゆく』と、烈々の至情を吐露して肉弾ロケット機『神雷』(桜花)を各方面に説き回った。」と語っている。 和田から連絡を受けた航空本部2課長伊東裕満中佐に大田は「私が乗っていきます」と言った。伊東中佐の感想は「これは部外で相当に研究されたものらしい」というものだった。また、「私は大田氏が操縦者であるなしを質さなかった。大田氏自身が操縦者であり、己が真っ先に乗る立場に立ちうる者でなくして、必死兵器を進言できる筈がないと思い込んでいたからである。誠に迂濶千万であった。私は操縦者の意思の代表として、彼の発案の実現促進に努力する腹を決めた」「大田をパイロットと思い込んでいた。もし偵察員と知っていたら叱りつけて潰したと思う」と回想している。 8月初旬大田は東京帝国大学航空研究所、三菱名古屋発動機製作所の協力で案をさらに練り改めて航空本部に提出する。私案には木村秀政東大講師の風洞実験用木型の設計図と谷一郎東大教授担当の風洞実験データがつけられ、推進装置は三菱開発の呂号薬が採用された。その出来に伊東も驚いたという。 大田は1081空で下士官、兵のパイロット数十名を集めて「南方戦線について」の戦訓講話を行った。内容は見聞きしたラバウル、ソロモン、モレスビー方面戦況の実状と米軍の防御力の向上により、日本軍の損害ばかり多く戦果を上げることが困難となってきていることなどであった。次いで「今の戦局を挽回するには一機で一艦を確実に葬るしかないと考え、それには母機から発進してロケット進推進で敵艦に体当たりする飛行爆弾のような有人の小型機しかないのではないかとの考えに至った。これを上申すべく東京に一番近い部隊に転勤を希望し、軍令部に日参しておったのである。軍令部ではそのようなものを作っても乗る搭乗員がいないと相手にしてもらえない。そこで賛成する搭乗員がいることを証明したいので、貴様達の名前を貸してほしい」との趣旨の話を持ちかけ、質疑をする内に賛同者が徐々に増え、それを見た大田は取りまとめを堀江良二一飛曹に託した。堀江によれば、偵察員だから搭乗することもないと軽い気持ちで最初に署名して回すと、皆快く署名し、中には血判を推すものまでいたという。 8月最終的に軍令部も承認して、航空本部は発案者大田の名前から「○大(マルダイ)部品」(○の中に「大」の字)と名付け、研究試作が開始された。自ら乗っていくと言った大田が決定後、「また新しい発明を考えて持ってきます」とケロリと言ったりしたことから、伊東中佐は「あんな奴の提案を採用するのではなかった」と悔やんだという。1944年8月18日大田も航空技術廠付になる。 1944年(昭和19年)10月1日桜花の専門部隊第七二一海軍航空隊(神雷部隊)編成。大田も隊付となる。1945年(昭和20年)2月15日第七二二海軍航空隊(龍巻部隊)隊付。桜花搭乗員となるべく異例の取り計らいで偵察員から操縦員への転換訓練を受けたが「適性なし」と判断された。 1945年3月21日の桜花による初戦果を報じた1945年5月28日の新聞で、大田は「命中率99パーセント、一発轟沈という今次大戦中最高の新兵器は、皇国の尽忠大義に生きるという魂があってこそできる。科学者達は特攻兵器の原理とか、その他の概念とかいったものについてはとっくの昔に分かっている。ただ自分がその兵器の実施者でないということに躊躇を感じ、将兵を必ず死に就かせることに気後れを感じているまでだと思う。だが戦局は躊躇などしている時でないと考える。将兵を殺すなどということを考えてはいけない。そういう事態ではない」と語っている。 桜花の使用が中止された7月頃、大田は方々に再開するように説いて回ったが、終戦まで再開されることはなかった。
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桜花(おうか)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 22:03 UTC 版)
体の各部位を連動して加速させる技。時速1236キロまで出すことができ、主に殴打に用いている。陽菜の技がモデルとなっている。
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桜花
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 22:58 UTC 版)
「仮面ライダーSPIRITS」の記事における「桜花」の解説
「梅花」が防御に徹して相手の気を外へと誘う守りの拳であるのに対し、「桜花」は敵の攻撃を躱さずにその力を利用して、すべての気を鋭い点に集めて真芯を切り裂く防御を捨てた必殺拳。一也は義経の上記の「桜花」によって会得し、カイザーグロウとサタンスネークの合体怪人にスーパー1の戦闘起動は0.1秒しか出来ないという制約の中、呼び出したVハンドの内の4種の腕に憑依した師や2人の友と自ら(スーパー1への改造のため、自ら望んで死んだ一也自身)の梅花に守られながら放ち、最後はスーパー1の駆動限界を迎えて変身が解けながらも一也が放った「スーパーライダー梅花二段蹴り」で勝利する。それには、復帰した目黒圭一が放った不死身のカイザークロウの唯一の欠点である右肩に留まっていた鴉の足跡への銃撃が助力している。
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桜花
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 06:00 UTC 版)
「桜花忍法帖 バジリスク新章」の記事における「桜花」の解説
『矛眼術』を持つ八郎と『盾眼術』を持つ響が見つめ合い、感情が高ぶったときに発生する謎の現象。その発生要因や仕組み、どのようなことが起こっているのかは特定されておらず、大災害を生む可能性があるとされる。
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櫻花(おうか)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/26 05:28 UTC 版)
13歳にして一家を支えるために畑仕事を手伝う。奔放に行動しても叱られない弟を羨む。
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桜花
出典:『Wiktionary』 (2021/07/14 13:21 UTC 版)
名詞
発音(?)
- お↘ーか、さ↗くら↘ばな
関連語
翻訳
固有名詞
発音(?)
- お↘ーか
「桜花」の例文・使い方・用例・文例
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