1945年4月とは? わかりやすく解説

1945年4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 15:27 UTC 版)

日本本土空襲」の記事における「1945年4月」の解説

4月4日 立川空襲 死者144名。陸軍航空工廠立川飛行場ターゲット残堀川沿いにあった山中坂の防空壕焼夷弾直撃し42名が死亡した4月8日 玉野空襲 4月12日 郡山空襲 4月15日 川崎空襲 死者1000人、負傷者15,000人。罹災人口10万人。全半壊33,361戸。同工287戸。川崎7月13日25日8月1日13日にも空襲受けた4月20日 倉敷空襲 帯江地区被害受けた4月21日 鹿児島空襲 鹿児島市電上町線一部区間被害受けた時限爆弾投下され5月末ごろまで昼となく夜となく爆発続けたため、熊本第6師団から歩兵1個中隊と工兵隊1分隊が、時限爆弾とこの不発弾処理あたった

※この「1945年4月」の解説は、「日本本土空襲」の解説の一部です。
「1945年4月」を含む「日本本土空襲」の記事については、「日本本土空襲」の概要を参照ください。

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