朝鮮軍とは? わかりやすく解説

朝鮮軍

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朝鮮軍



朝鮮軍

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文禄・慶長の役」の記事における「朝鮮軍」の解説

文禄の役全期間合計で、朝鮮172,400人の正規軍展開し22,400人の非正規軍がこれを支援した朝鮮にも火縄銃似た火器があったが旧式のものであった現代でいう「大砲」に分類されるものもあったが、銅製であり大きい割に威力低く小型ある日本の鉄製大鉄砲なみの威力であった宗義智1589年使節として朝鮮訪れた際に進物として火縄銃贈ったが、朝鮮国王はそれを軍器寺(武器製造官署)に下げ渡したのみで、李朝開戦前にこの新兵器潜在力見抜くことができなかった。 朝鮮歩兵は刀、弓矢などの武器装備していた。主力武器は弓であったが、当時朝鮮宰相である柳成龍著述した懲毖録によれば朝鮮の弓の最大射程120メートル程度であり、日本の弓の140メートル余よりも短かった。 更に日本火縄銃朝鮮の弓より威力命中率の点で数倍優れていた。懲毖録には「(火縄銃の)遠くまで発射する力と命中させる手際とは、弓矢に数倍する。(中略弓矢の技は百歩に過ぎないが、鳥銃はよく数百歩に及び、(中略)とても対抗できない」(東洋文庫283頁)とある(当時朝鮮の歩は約118cm)。また同書に、尚州での両軍戦闘においては朝鮮の弓は実射程が100m満たず(「矢は数十歩で墜ちて」東洋文庫60頁)日本軍届かず開平地の戦闘では火縄銃アウトレンジされ一方的に損害被ったことが記されている。また弓を兵士効果的に使いこなすためには、火縄銃よりも長く困難な訓練が必要であった。このほか、フロイス日本史には「火薬鍋(パネーラ・デ・ポールヴォラ、手榴弾のような兵器)」「鉄製の兜」「丈夫な皮製の防具」「銅製小型砲」「矢をつめて発射する射石砲(ボンバルダ)」などの記述見える。朝鮮騎兵は、対女真用に北方配備されており、乱戦用に殻竿装備して遠距離戦用に弓矢装備していた。朝鮮騎兵戦闘としては、忠州の戦い海汀倉の戦いがあるが、いずれも日本軍勝利している。 朝鮮軍の防具に関して柳成龍著述した懲毖録記録残っている。それによれば防衛に関する諸臣一人が「賊(日本軍)はや刀を巧みに用いるが、我々朝鮮軍にはこれを防御することの出来堅甲が無いために対抗できないでいるのです」と発言したという。さらに、「全身分厚い見えなくする鎧を作り、それをまとって敵と戦えば、敵は隙が無く刺すことができず、我々が勝てでしょうと言ったという。これに多く人々賛同し大勢工匠集め昼夜をかけ鍛造したという。 しかし、数日して、重さに耐えきれず身動き取りにくく使用難しいことが分かり計画中止となったという。朝鮮軍は日本兵日本刀剣術苦しんだ懲毖録には、臨津江における朝鮮軍の敗北に関して「(朝鮮の)軍士たちは敗走し川岸に来たものの渡ることができず、岩の上から川に身を投じたが、それはさながら風に乱れ散る木の葉のようであった。まだ川に身を投じていなかった者には、賊(日本軍)が後ろから長刀奮って切りかかったが、みな這いくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。金命元と韓応寅は、川の北から遥かにこれを眺め気力喪失してしまった」とある。竜仁における日本軍と朝鮮軍との接触について述べた記事には「日が暮れ、賊は、光彦らの緊張がややゆるんだのを見て白刃をきらめかせ大声をあげて突進してきた。あわてて馬を索して逃げようとしたが間に合わず、みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。(中略)翌日、賊はわが軍怯えきっているのを察知し数人が刃を揮って勇を誇示しながら突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった打ち棄てられた無数の軍事資材器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった」とある。他に「わが軍(朝鮮軍)は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発砲声響き四方面から大声呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵(日本兵)であったので、仰天して総崩れとなった将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、ことごとく泥沢中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるでを刈るように斬り倒し死者は数しれなかった」という記述もある。ルイス・フロイス著した日本史』には「朝鮮人頭上振り騎される日本人太刀威力対抗できず」「日本軍きわめて計画的に進出し鉄砲加え太刀威力をもって散々に襲撃したので、朝鮮軍は戦場放棄し、足を翼(のよう)にして先を争って遁走した」という記述がある。1790年朝鮮編纂された武芸図譜通志には、「我が国(朝鮮)は、(中国から見て辺鄙な)海の外に偏っていて、古くから伝わるのは、ただ弓矢技芸ひとつがあるだけです。剣と至っては、ただその道具があるだけで、捜してもそれらの習得用い方法はありません。 馬上などといっても、試場で用いられたことがなく、その使い方詳細に揃っていません。そのため、剣槍は、その武器自体放棄され久しいです。倭と対陣すると、倭はたちまち決死突進をしてくる。我が軍(朝鮮軍)が持ち剣を帯びていようとも剣を鞘から出す暇がなく、切っ先交えることができず、皆凶刃によってことごとく血を流す。すべて剣や訓練法が伝わらなかったためである」とある。また、朝鮮王朝実録によれば、朝鮮軍は、朝鮮側投降した日本兵(降倭)から、日本式剣術学んだという。 朝鮮水軍は、高麗時代から対倭寇目的整備され訓練行われており、旧式ながら火砲多く装備していたが、開戦直後から日本には大敗している。朝鮮水軍板屋船(戦船)という日本安宅船相当する大型船用いた。有名ではあるが実体不明亀船も、この板屋船を改造したものといわれる。他に補助艦船として中型の挟船、小型作船がある。朝鮮水軍火器や弓を使って遠戦指向だったが、朝鮮火砲射程が64m-160mと短く 更に不安定な海上の船の上から撃つとなると殆ど目の前まで接近しなければ砲弾命中されられず、朝鮮艦隊日本船からの火縄銃弓矢などによる反撃射程外から日本船を撃破できたわけではない朝鮮水軍兵数圧倒的に有利であった閑山島海戦においても交戦距離は100m満たない距離で戦われている。また、朝鮮火砲は、弾、石弾複数込めて散弾の形で使うこともあったが、基本的に火箭火矢)を撃って敵船焼き討ちすることを主眼としていた。

※この「朝鮮軍」の解説は、「文禄・慶長の役」の解説の一部です。
「朝鮮軍」を含む「文禄・慶長の役」の記事については、「文禄・慶長の役」の概要を参照ください。

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