宮城事件とは? わかりやすく解説

宮城事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/26 19:57 UTC 版)

宮城事件(きゅうじょうじけん)は、1945年昭和20年)8月14日の深夜から15日日本時間)にかけて、宮城(皇居)で一部の陸軍省勤務の将校近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件である。終戦反対事件(しゅうせんはんたいじけん)、あるいは八・一五事件(はちいちごじけん)とも呼ばれる[1]


注釈

  1. ^ 1945年5月25日空襲によって宮殿が焼失した後、昭和天皇の住居は鉄筋コンクリート製の御文庫に移された。この付近の地下には地下壕も構築されており、終戦時の最高戦争指導会議および御前会議などはここで開催されている。
  2. ^ 本事件については森下智著『川口放送所占拠事件秘史』の第二版に最新の研究成果が詳しく述べられている。
  3. ^ この顛末は、この日の玉音放送で司会と解説を担当した和田信賢放送員(アナウンサー)の著書『放送ばなし アナウンサア十年』(青山商店出版部 1946年)pp.206-226「嗚呼八月十五日正午」に詳しい。

出典

  1. ^ 終戦反対事件 日本大百科全書
  2. ^ ポツダム宣言受諾に関する交渉記録 日本国憲法の誕生 資料と解説1-6 国立国会図書館
  3. ^ 別宮暖朗著・終戦クーデター 近衛師団長殺害事件の謎
  4. ^ 終戦秘話:8月15日に近衛師団戦車中隊に起こったこと”. 2020年7月10日閲覧。
  5. ^ 別宮暖朗著・終戦クーデター 近衛師団長殺害事件の謎 P.235


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宮城事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 21:45 UTC 版)

近衛師団」の記事における「宮城事件」の解説

1945年昭和20年8月14日未明ポツダム宣言受諾決定し、それを昭和天皇自ら国民ラジオ放送通じて知らせる「玉音放送」を放送することが決まった8月15日未明陸軍省軍務局軍務課員らが近衛第1師団長森中将決起促すが、あくまで昭和天皇思し召し従い終戦受け入れ決意固い森赳師団長はこれを拒絶する拒否され将校らは、師団長及び第2総軍参謀白石通教中佐殺害し、偽の師団長命令出して上番中の守衛隊を欺いて玉音盤奪おうとするが、東部軍近衛連隊長の同調得られ失敗する間もなく東部軍司令官田中静壱大将がこの叛乱知り叛乱将校制止するとともに憲兵隊逮捕命じる。 詳細は「宮城事件」を参照 のちにこの事件半藤一利により『日本のいちばん長い日』として小説化され、二度わたって映画化行われた

※この「宮城事件」の解説は、「近衛師団」の解説の一部です。
「宮城事件」を含む「近衛師団」の記事については、「近衛師団」の概要を参照ください。

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