宮城事件
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宮城事件(きゅうじょうじけん)は、1945年(昭和20年)8月14日の深夜から15日(日本時間)にかけて、宮城(皇居)で一部の陸軍省勤務の将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件である。終戦反対事件(しゅうせんはんたいじけん)、あるいは八・一五事件(はちいちごじけん)とも呼ばれる[1]。
注釈
出典
- ^ 終戦反対事件 日本大百科全書
- ^ ポツダム宣言受諾に関する交渉記録 日本国憲法の誕生 資料と解説1-6 国立国会図書館
- ^ 別宮暖朗著・終戦クーデター 近衛師団長殺害事件の謎
- ^ “終戦秘話:8月15日に近衛師団戦車中隊に起こったこと”. 2020年7月10日閲覧。
- ^ 別宮暖朗著・終戦クーデター 近衛師団長殺害事件の謎 P.235
宮城事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 21:45 UTC 版)
1945年(昭和20年)8月14日未明にポツダム宣言受諾が決定し、それを昭和天皇自ら国民にラジオ放送を通じて知らせる「玉音放送」を放送することが決まった。8月15日未明に陸軍省軍務局軍務課課員らが近衛第1師団長森赳中将へ決起を促すが、あくまで昭和天皇の思し召しに従い終戦を受け入れる決意の固い森赳師団長はこれを拒絶する。拒否された将校らは、森師団長及び第2総軍参謀白石通教中佐を殺害し、偽の師団長命令を出して上番中の守衛隊を欺いて玉音盤を奪おうとするが、東部軍や近衛連隊長の同調を得られず失敗する。間もなく東部軍司令官田中静壱大将がこの叛乱を知り、叛乱将校を制止するとともに憲兵隊に逮捕を命じる。 詳細は「宮城事件」を参照 のちにこの事件は半藤一利により『日本のいちばん長い日』として小説化され、二度にわたって映画化も行われた。
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