松本清張とは?

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Weblio 辞書辞書・百科事典探偵作家事典松本清張の解説 

三省堂 大辞林

三省堂三省堂

まつもと-せいちょう ―せいちやう 【松本清張】

(1909-1992) 小説家本名、清張(きよはる)福岡県生まれ犯罪背後にある社会暗部注目する社会派推理小説のほか、昭和史や古代史の謎に挑む。著「点と線」「砂の器」「日本黒い霧」「古代史疑」など。


探偵作家・雑誌・団体・賞名事典

探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち

松本清張(まつもと・せいちょう)

1909年(明42)、福岡県北九州市小倉生まれ文壇作家探偵小説勉強会「影の会会員
1929年(昭4)、借用した左翼雑誌戦旗」が元で小倉署の留置場に入れられる。
1951年(昭26)、国鉄日本交通公社全日本観光連盟共催全国観光ポスター公募に、「天草へ」が推薦受賞
1951年(昭26)、「週刊朝日」の「百万人の小説募集に「西郷札」が三等入選し、「週刊朝日」に掲載当時朝日新聞九州支社広告部に勤務していたため、同じ朝日新聞社員を一等入選させるわけにはいかないため、降格されたという。同作同時に1951年(昭26)の第26直木賞候補となる。
1952年(昭27)、木々高太郎勧められ、「或る「小倉日記」伝」を「三田文学」に発表し、1953年(昭28)、第28芥川賞受賞。はじめは直木賞候補作だったのだが、芥川賞にまわされたもの。また、同時に日本文藝家協会の「創作代表選集11巻(昭和27年後期)」に収録される。
1953年(昭28)、「オール読物」に掲載された「啾啾吟」が第一オール新人佳作第一席に入選
1955年(昭30)に「文藝春秋」に発表した「家康山師」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和30年度」に収録される。
1955年(昭30)、初めての探偵小説張りこみ」を「小説新潮」に発表
1955年(昭30)、小倉から東京練馬区移住
1956年(昭31)に「オール読物」に発表した「ひとりの武将」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和31年度」に収録される。
1956年(昭31)、「小説新潮」に掲載された「顔」を中心に編まれた短編集により、1957年(昭32)、第十回日本探偵作家クラブ賞受賞同時に「顔」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1957年版」に収録される。
1956年(昭31)に「オール読物」に発表した「いびき」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和32年度」に収録される。
1957年(昭32)に「小説新潮」に発表した「地方紙を買う女」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1958年版」に収録される。
1958年(昭33)、「点と線」を「旅」に発表し、今まで一部愛好者のものだった探偵小説解放した画期的作品となった。日本探偵小説史上屈指名作
1958年(昭33)に「小説新潮」に発表した「巻頭句の女」が日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
1959年(昭34)に「文春」に発表した「上申書」は日本探偵作家クラブの「推理小説ベスト15 1960年版」に収録される。
1959年(昭34)、「文芸春秋」に掲載された「小説帝銀事件」は第16回文春秋読者賞を受賞
1960年(昭35)、「黒い福音」を「週刊コウロン」に発表。この作品は「ヒッチコックマガジン」の1961年(昭36)ベストで1位に選ばれている。
1961年(昭36)に「週刊朝日」に発表した「水の中の顔」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和36年度」に収録される。
1961年(昭36)に「小説新潮」に発表した「偶数」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
1961年(昭36)、「」を「宝石」に発表
1961年(昭36)に「婦人公論」に発表した「万葉翡翠」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1962年(昭37)、「時間習俗」を「旅」にて発表。この作品は「ヒッチコックマガジン」の1962年ベストで3位に選ばれている。
1962年(昭37)に「小説中央公論」に発表した「閉銷」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1962年(昭37)、日本文芸家協会理事就任
1963年(昭38)に「小説新潮」に発表した「たづたづし」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1963年(昭38)、「日本黒い霧」(1960年(昭35)文芸春秋)、「深層海流」(1961年(昭36)文芸春秋)、「現代官僚論」(1965年(昭40)文芸春秋)により、第5回日本ジャーナリスト会議受賞
1963年(昭38)、日本推理作家協会理事長就任
1964年(昭39)に「文芸春秋」に発表した「脊梁」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1965年(昭40)に「小説新潮」に発表した「六月北海道」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1965年(昭40)、「草の陰刻」を「読売新聞」に発表
1966年(昭41)、「婦人公論」に掲載された「砂漠の塩」(1965年(昭40))により、第5回婦人公論読者賞を受賞
1966年(昭41)、「新本格」を提唱する。
1966年(昭41)に「宝石」に発表した「雨」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1967年版」に収録される。
1967年(昭42)に「小説新潮」に発表した「家紋―十二の紐<橙色の紐>」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1968年版」に収録される。
1967年(昭42)、「週刊文春」に掲載した「昭和史発掘」、「小説現代」に掲載した「花氷」(1966年(昭41))、「逃亡」などで、第一吉川英治文学賞受賞
1968年(昭43)に「オール讀物」に発表した「山」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1969年版」に収録される。
1968(昭和43)、「Dの複合」を「宝石」に発表
1969(昭和44)、「アムステルダム運河殺人事件」を「週刊朝日カラー」に発表
1969年(昭44)に「オール讀物」に発表した「新開地事件」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1970年版」に収録される。
1970年(昭45)、「週刊文春」に連載した「昭和史発掘」(1964年(昭39)~1971年(昭46))などで、第18菊池寛賞受賞
1970年(昭45)に「オール讀物」に発表した「奇妙な被告」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1971年版」に収録される。
1971年(昭46)、「小説現代」に掲載された「留守宅事件」により、第三小説現代ゴールデン読者賞を受賞同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1972年版」に収録される。
1971年(昭46)、日本推理作家協会会長就任
1972年(昭47)に「小説新潮」に発表した「理外の理」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1973年版」に収録される。
1973年(昭48)、「風の息」を「赤旗」に発表
1973年(昭48)、「ベトナム古代文化視察団長就任
1973年(昭48)に「オール讀物」に発表した「駆ける男」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1974年版」に収録される。
1977年(昭52)、第29NHK放送文化賞受賞
1981年(昭56)に「週刊文春」に発表した「十万分の一の偶然」が「週刊文春」の81年傑作ミステリーベスト10」の5位に選ばれる。
1987年(昭62)に「小説新潮」に発表した「紙碑」は日本文藝家協会の「現代小説 1988」に収録される。
1989年(平1)、社会派推理小説創始現代発掘などの作家活動により朝日賞受賞
1992年(平4)、肝癌のため死去




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松本清張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/01/13 14:54 UTC 版)

松本 清張
Matsumoto museum.JPG
北九州市立松本清張記念館
誕生 松本 清張(まつもと きよはる)
1909年12月21日
広島県広島市
死没 1992年8月4日(満82歳没)
東京都東京女子医科大学病院
職業 小説家
国籍 Flag of Japan.svg 日本
活動期間 1950年 - 1992年
主題 推理小説
代表作 或る『小倉日記』伝
点と線
『眼の壁』
主な受賞歴 受賞歴を参照
処女作 西郷札
親族 松本峯太郎(父)
岡田タニ(母)
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出版社文芸雑誌
文学賞
作家
詩人小説家
その他作家

松本 清張(まつもと せいちょう、1909年12月21日[1] - 1992年8月4日)は、日本小説家。“せいちょう”はペンネームで、本名は、“きよはる”と読む。

一般的には福岡県企救郡板櫃村(現在の北九州市小倉北区)出身とされるが、広島県広島市で生まれ、幼児期から児童期は山口県下関市で育ち、小倉に定住したのは小学校5年生、10歳、11歳から[2][3][4]。姉が2人いたが夭折し、その後1人っ子として育つ。実父が定職を持たず生家が貧しかったために、高等小学校卒業後、川北電気で給仕の職に、その後、高崎印刷所で石版画工になる。文学雑誌を耽読していたが、友人が読んでいた『戦旗』などの文芸雑誌を読んでいたため思想犯の嫌疑で検挙されたことがある。1939年朝日新聞広告部に意匠係として勤める。1950年、勤務中に書いた処女作「西郷札」が『週刊朝日』の「百万人の小説」に入選し、1953年に「或る『小倉日記』伝」が第28回芥川賞を受賞。以後作家活動に専念する。

1958年に発表した推理小説点と線』『眼の壁』の2長編はベストセラーとなる。犯罪の動機を重視した「社会派推理小説」とよばれる作品は「清張ブーム」を引き起こし、推理小説を大衆に開放することに成功した。

このほか『かげろう絵図』などの歴史物を手がけていたが、『古代史擬』などで古代史に興味を示し『火の路』『眩人』に結実。また、『昭和史発掘』『日本の黒い霧』などのノンフィクションで現実世界にも目を向け、多芸多才な作家活動を行なった。他の作品に『砂の器』や『Dの複合』、自身が代表作という『ゼロの焦点』など。

日本共産党の熱心な支持者で、創共協定締結にあたっては、創価学会日本共産党両者の仲介役となる。

目次

経歴

生い立ち

父・松本峯太郎は鳥取県日南町の田中家出身で、幼少時に米子市の松本家に養子入りした。青年期に広島市に出奔、書生や看護雑役夫などをする。当地で広島県賀茂郡志和村(現在の東広島市志和町)出身の農家の娘で、広島市内の紡績工場で働いていた母・岡田タニと知り合い結婚。清張は1909年12月21日、広島市で生まれその後、当時日露戦争による炭鉱景気に沸く福岡県企救郡板櫃村(現在の北九州市小倉北区)大字篠崎に移ったものらしい。姉2人は乳児のときに死亡していた。間もなく1910年、祖父母のいる下関市壇ノ浦に転居。家の裏は渦潮巻く海で、家の半分は石垣からはみ出し、海に打った杭の上に載っていた。ここで通行人相手の餅屋を始める。だが3年後に、線路建設のためダイナマイトで火の山麓を崩していたのに巻き込まれる。地滑りのため家が押し潰され、同市田中町に移った。父はあらゆる下層の職業を転々としたが、学問については憧憬を持ち、夜手枕で清張に本を読ませて聞かせた。両親には一人っ子のため溺愛された。10歳、11歳まで下関にて育つ。

1916年、菁莪尋常小学校に入学。1920年、家族で小倉市に移ったため、天神島尋常小学校に転校。古船場町の銭湯の持で暮らしていたが、のちにバラック家を借り、そこに住んだ。家の前には白い灰汁の流れる小川があり、近くの製紙会社から出る廃液の臭気が漂っていた。1922年、板櫃尋常高等小学校に入学。両親は大八車を転がし露天で生計を立てていたが、翌年、一家は飲食店を開業した。

苦渋の前半生

1924年、板櫃尋常高等小学校を卒業し、川北電気株式会社(現在のパナソニック エコシステムズ株式会社の源流)小倉出張所の給仕となり、文芸書を読むようになった。しばらくして家業が安定したため、祖母とともに間借住まいをする。この頃から春陽堂文庫や新潮社の文芸書を読み、特に芥川龍之介を好んだ。だが1927年、出張所が閉鎖され失職。小倉市の高崎印刷所に石版印刷の見習いとして採用され、さらに別の印刷所に見習いとして入る。1929年、仲間がプロレタリア文芸雑誌を購読していたため、「アカの容疑」で小倉刑務所に留置され、父によって本を燃やされ読書を禁じられた。1931年に印刷所が潰れ、高崎印刷所に戻ったが、嶋井オフセット印刷所で見習いとなり、その後みたび高崎印刷所に戻り、内田ナヲと結婚。だが、印刷所の主人が死去したために将来に不安を感じ、1937年から自営。朝日新聞西部支社(現・西部本社)の広告部意匠係臨時嘱託となる。

1943年に正式に社員となるが、教育召集のため久留米第56師団歩兵第148連隊に入る。翌年6月に転属となり、衛生兵として勤務。朝鮮に渡り竜山に駐屯、一等兵となった。1945年に転属、全羅北道井邑に移り、6月に衛生上等兵に進級。終戦は同所で迎えた。帰国後は朝日新聞社に復帰。図案家としても活躍し、観光ポスターコンクールに応募していた。

多作の作家人生

小説研究16講を座右の書としていたが、もともと作家志望ではなく生活のために執筆、1950年、「西郷札」が『週刊朝日』の「百万人の小説」の三等に入選。この作品は第25回直木賞候補となり、上京。全国観光ポスター公募でも、「天草へ」が推選賞を取った。1952年、木々高太郎の勧めで『三田文学』に「記憶」「或る『小倉日記』伝」を発表。「或る『小倉日記』伝」は直木賞候補となったが、のちに芥川賞選考委員会に回され、選考委員の1人であった坂口安吾から激賞され第28回芥川賞を受賞。『オール讀物』に投稿した「啾啾吟」が第1回オール新人杯佳作。一方、日本宣伝美術界会九州地区委員となり、自宅を小倉事務所とした。また意匠係の主任になり、1956年5月31日退社。9月に日本文芸家協会会員。1953年上京。練馬区に住む。1955年から「張込み」「顔」で推理小説を書き始め、1957年『顔』が第10回日本探偵作家クラブ賞を受賞し、同年から雑誌『旅』に「点と線」を連載。翌年刊行され、『眼の壁』とともに「社会派推理小説」と呼ばれ、ベストセラーとなった。「清張以前」「清張以後」という言葉も出て、「清張ブーム」が起こった。その後も執筆量は衰えず、『かげろう絵図』『黒い画集』『歪んだ複写』などを上梓。執筆量の限界に挑んだが、書痙となり、以後口述筆記をさせ、それに加筆するという形になった。

一方、『小説帝銀事件』で扱った現実世界は、『日本の黒い霧』にまとめられ、「黒い霧」は流行語になった。『わるいやつら』『砂の器』『けものみち』『天保図録』を発表後、1964年から「昭和史発掘」の連載を『週刊文春』に開始。『古代史疑』で古代史にも目を向ける一方、『Dの複合』『砂漠の砂』など旺盛な活動を続け、1967年、第1回吉川英治文学賞を受賞。また、1970年、『昭和史発掘』などの創作活動で第18回菊池寛賞を受賞。

「自分は作家としてのスタートが遅かったので、残された時間の全てを作家活動に注ぎたい」と語り、広汎なテーマについて質の高い作品を多作した。このように多作の作家の中でコンスタントに質の高い作品を出し続けた例は極めて稀で、このため複数の助手作家を使った工房形式で作品を作っているのではないか、と平林たい子は韓国の雑誌『思想界』で指摘した。これに対し松本は、『日本読書新聞』において反論している。

1963年中央公論社が文学全集を刊行するための編集委員選考で、ミステリー作家ということで三島由紀夫から強行に委員参加を拒まれた。

社会派作家として政治や社会問題にも関心を持ち、日本共産党の支持者だった松本は、1974年12月に創価学会と日本共産党の間で、10年間、互いの存在を認め相互に干渉しないことを約束する創共協定(共創協定ともいう)を結ぶための仲介をした(協定の公表は約7ヶ月後の翌1975年7月。協定は公表とほぼ同時に死文化)。また、全国革新懇代表世話人も務めた。

ある種の苦労人に見られるように、時に傲岸不遜な態度で他者に当たる事もあった。自作がテレビドラマ化された際、自身が俳優として出演することもあった。長谷川町子の漫画『いじわるばあさん』でネタにされて、作中において主人公に執筆活動を妨害される事があった(ただし、いじわるばあさんの標的は婦人参政権不要論を唱えた石川達三であり、松本は間違えられてとばっちりを受けた立場)。

邪馬台国論争では九州説を唱える。

1992年4月20日、脳出血のため東京女子医科大学病院に入院。手術は成功したが、7月に病状が悪化、肝臓がんであることが判明し、8月4日に死去した。『甲州霊嶽党』が絶筆。法名は清閑院釋文張。

死後の動き

幼少時に各地を転々としたものの、前半生は実質今の北九州市が地元であったことに変わりなく、北九州市が清張の功績を語り継ぐ拠点としての地位を担っている。

年譜

  • 1909年 - 12月21日、広島県広島市で誕生。父は鳥取県日南町、母は広島県東広島市の出身。
  • 1916年 - 下関市立菁莪尋常小学校入学。
  • 1920年 - 小倉市に転居。同時に、天神島尋常小学校に転校。
  • 1924年 - 板櫃尋常高等小学校卒業。川北電気株式会社小倉出張所で給仕。
  • 1928年 - 高崎印刷所に就職。
  • 1943年 - 朝日新聞社に正式に入社。
  • 1945年 - 敗戦を朝鮮全羅北道井邑で迎える。
  • 1950年 - 『週刊朝日』の「百万人の小説」に応募した「西郷札」が入選。
  • 1952年 - 日本宣伝美術協会の九州地区委員を務める。
  • 1953年 - 前年『三田文学』に発表した「或る『小倉日記』伝」で第28回芥川賞。12月、東京本社に転勤。
  • 1956年 - 朝日新聞社を退社。日本文芸家協会会員になる。
  • 1957年 - 練馬区石神井に転居。短編集「顔」で日本探偵作家クラブ賞(現・日本推理作家協会賞)受賞。
  • 1958年 - 『点と線』『眼の壁』がベストセラー。社会派ブーム。
  • 1960年 - 「日本の黒い霧」連載。「黒い霧」は流行語になる。
  • 1961年 - 杉並区高井戸に転居。直木賞選考委員を務める。
  • 1971年 - 日本推理作家協会会長に就任する(〜1974年)。
  • 1992年 - 8月4日、死去。享年82。

受賞歴

作品一覧

全集

  • 松本清張全集 (全66巻、文藝春秋
  • 松本清張短編全集 (カッパ・ノベルス 光文社
  • 松本清張小説セレクション (全36巻、中央公論社

小説

推理・社会小説

  • 地方紙を買う女 (1957年、新潮社
  • 点と線 (1958年、光文社
  • 眼の壁 (1958年、光文社)
  • 蒼い描点 (1959年、光文社)
  • 黄色い風土 (1959年、講談社
  • ゼロの焦点 (1959年、光文社)
  • 黒い福音 (1960年、新潮社)
  • 黒い樹海 (1960年、講談社)
  • 黒い画集 (1960年、カッパ・ノベルス)
  • 波の塔 (1960年、光文社)
  • 影の地帯 (1961年、カッパ・ノベルス)
  • 霧の旗 (1961年、中央公論社
  • 高校殺人事件 (1961年、光文社)
  • 砂の器 (1961年、光文社)
  • 歪んだ複写 (1961年、新潮社)
  • わるいやつら (1961年、新潮社)
  • 球形の荒野 (1962年、文藝春秋
  • 風の視線 (1962年、カッパ・ノベルス)
  • 考える葉 (1962年、カッパ・ノベルス)
  • 連環 (1962年、講談社)
  • 時間の習俗(1962年、光文社)
  • 神と野獣の日 (1963年、カッパ・ノベルス)
  • 火の縄 (1963年、講談社)
  • 不安な演奏 (1963年、ポケット文春)
  • 落差 (1963年、文藝春秋)
  • 絢爛たる流離 (1964年、中央公論社)
  • 花実のない森 (1964年、光文社)
  • 北の詩人 (1964年、中央公論社)
  • けものみち (1964年、新潮社)
  • 草の陰刻 (1965年、講談社)
  • 蒼ざめた礼服 (1966年、光文社)
  • 溺れ谷 (1966年、新潮社)
  • 花氷 (1966年、講談社)
  • 半生の記 (1966年、河出書房新社
  • 砂漠の塩 (1967年、中央公論社)
  • 二重葉脈 (1967年、カッパ・ノベルス)
  • Dの複合 (1968年、カッパ・ノベルス)
  • 中央流沙 (1968年、河出書房新社)
  • 小説東京帝国大学 (1969年、新潮社)
  • 分離の時間 (1969年、カッパ・ノベルス)
  • 夜光の階段 (1970年、新潮社)
  • 人間水域 (1970年、ノンブック)
  • 強き蟻 (1971年、文藝春秋)
  • 喪失の儀礼 (1972年、新潮社)
  • 火の路 (1974年、文藝春秋)
  • 風の息 (1974年、朝日新聞社)
  • 黒の回廊 (1976年、文藝春秋)
  • 象徴の設計 (1976年、文藝春秋)
  • 渡された場面 (1976年、新潮社)
  • 山峡の章 (1976年、カッパ・ノベルス)
  • 火と汐 (1976年、文藝春秋)
  • 渦 (1977年、日本経済新聞社
  • 屈折回路 (1977年、文藝春秋)
  • 棲息分布 (1977年、講談社)
  • 空の城 (1978年、文藝春秋)
  • 風紋 (1978年、講談社)
  • 水の肌 (1978年、新潮社)
  • 白と黒の革命 (1979年、文藝春秋)
  • 天才画の女 (1979年、新潮社)
  • 黒革の手帖 (1980年、新潮社)
  • 十万分の一の偶然 (1981年、文藝春秋)
  • 殺人行おくのほそ道 (1982年、講談社ノベルス)
  • 死の発送 (1982年、カドカワ・ノベルズ)
  • 疑惑 (1982年、文藝春秋)
  • 彩り河 (1983年、文藝春秋)
  • 湖底の光芒 (1983年、講談社ノベルス)
  • 迷走地図 (1983年、新潮社)
  • 翳った旋舞 (1984年、カドカワノベルズ)
  • 網 (1984年、光文社文庫)
  • 塗られた本 (1984年、講談社ノベルス)
  • 熱い絹 (1985年、講談社)
  • 霧の会議 (1987年、文藝春秋)
  • 数の風景 (1987年、朝日新聞社)
  • 赤い氷河期 (1989年、新潮社)
  • 詩城の旅びと (1989年、日本放送出版協会
  • 一九五二年日航機「撃墜」事件 (1992年、角川書店
  • 犯罪の回送 (1992年、角川書店)
  • 隠花平原 (1993年、新潮社)
  • 神々の乱心 (1997年、文藝春秋)未完作

歴史・時代・伝奇小説

  • 大奥婦女記 (1956年、ロマン・ブックス)
  • 無宿人別帳 (1958年、新潮社)
  • かげろう絵図 (1959年、新潮社)
  • 天保図録 (1964年、朝日新聞社)
  • 逃亡 (1966年、光文社文庫)
  • 私説・日本合戦譚 (1966年、文藝春秋)
  • 紅刷り江戸噂 (1968年、講談社)
  • 西海道談綺 (1976-77年、文藝春秋)
  • 眩人 (1980年、中央公論社)
  • 鬼火の町 (1984年、文藝春秋)
  • 乱灯江戸影絵 (1985年、角川書店)
  • 異変街道 (1986年、講談社)
  • 軍師の境遇 (1987年、角川文庫)
  • 信玄戦旗 (1987年、角川書店)

短編小説

  • 小説日本藝譚 (1958年、新潮社)
  • 影の車 (1961年、中央公論社)
    • 「潜在光景」「典雅な姉弟」「万葉翡翠」「鉢植を買う女」「薄化粧の男」「確証」「田舎医師」「突風」
  • 火神被殺 (1973年、文藝春秋)
    • 「火神被殺」「奇妙な被告」「葡萄草模様の刺繍」「神の里事件」「恩誼の紐」
  • 草の径
    • 「老公」「モーツァルト伯楽」「死者の網膜犯人像」「ネッカー川の影」「『隠り人』日記抄」「呪術の渦巻文様」「夜が怕い」
  • 黒の図説
    • 「速力の告発」「分離の時間」「鴎外の婢」「書道教室」「六畳の生涯」「梅雨と西洋風呂」「聞かなかった場所」「生けるパスカル」「遠い接近」「山の骨」「表象詩人」「高台の家」
  • 黒の様式
    • 「歯止め」「犯罪広告」「微笑の儀式」「二つの声」「弱気の虫」「内海の輪」
  • 五十四万石の嘘
    • 「二すじの道」「五十四万石の嘘」「疵」「白梅の香」「酒井の刃傷」「武士くずれ」「くるま宿」
  • 或る「小倉日記」伝
  • 石の骨
  • 一年半待て
  • 陰謀将軍
  • 共犯者
  • 誤差
  • 張込み小説新潮1955年12月号)

評論

  • 現代官僚論 (1963-1966年、文藝春秋新社)
  • 清張通史 (1976-1983年、講談社)
  • 古代私疑 (1974年、中央公論社)
  • 古代探求-古事記・日本書紀を中心に (1978年、文藝春秋)
  • 史観・宰相論 (1980年、文藝春秋)
  • 青木繁と坂本繁二郎 (1982年、新潮社)

随筆・エッセイ・紀行

  • 随筆 黒い手帖 (1961年、中央公論社)
  • 紀行 今日の風土記(1966-1969年、光文社)樋口清之との共著
  • 密教の水源をみる (1984年、講談社)
  • 名札のない荷物 (1992年、新潮社)

ノンフィクション

  • 日本の黒い霧 (1962年、文藝春秋新社)
  • 昭和史発掘 (1965-1972年、文藝春秋新社、文藝春秋)
  • ミステリーの系譜 (1968年、新潮社)

日記

  • 清張日記 (1984年、日本放送出版協会)
  • 過ぎゆく日暦 (1990年、新潮社)

逸話

  • 470もの作品がドラマ化・映画化されているが、本人が評価していた映画作品は「砂の器」、「張込み」と「黒い画集」だけであったという。
  • 左目はほとんど見えず、眼鏡も左だけガラスであった。

脚注・出典

  1. ^ 生後2ヶ月で撮られた清張の記念写真の裏側に親が楷書で書いたと思われる清張の誕生日は同年2月12日12月21日は広島から小倉に移り住んだ両親が、まだ出生届を出していなかったことに気づき、あるいは他人から指摘されあわてて届け出を出した日か、その際、届け出の遅れを吏員に叱責されるのを恐れ、届け出日の数日前を記入したかで、12月21日は出生届が受理された戸籍上の誕生日の可能性が高い(藤井康栄 『松本清張の残像』、2002年、文春新書、31-35頁、郷原宏 『清張とその時代』、2009年、双葉社、33-36頁、「週刊 松本清張 1号 『点と線』」ディアゴスティーニ・ジャパン、2009年10月27日発行、28-30頁)。
  2. ^ 清張は大半の文献の年譜で小倉生まれとなっている。しかし清張自身が最も私小説的で、半分は事実という『半生の記』の中で「私は広島で生まれたと聞かされた」と書いている。また北九州市立松本清張記念館にも展示してある清張の幼児期の記念写真の裏や台紙には、はっきりと広島市にある地名と撮影した写真館の名前が書かれている(藤井康栄 『松本清張の残像』、31-35頁、郷原宏『清張とその時代』、33-36、386頁)。何より清張自身が読売新聞のインタビューで「生まれのは小倉市(現北九州市)ということになっているが、本当は広島なの」と話している(読売新聞、1990年11月12日夕刊、5面、中央公論Adagio、読売メディアセンター、2009年4月25日号、4頁<中央公論Adagio 2009年4月25日号 特集 松本清張と日比谷を歩く>)。北九州市立松本清張記念館の館長を務める藤井康栄も、著書『松本清張の残像』(文春新書、2002年)の中で、清張は広島生まれと記述している。藤井は朝日新聞(2009年12月10日29面)や中国新聞(2009年5月28日11面)誌上でも同様に、清張は広島生まれと言及しているが、清張の戸籍謄本他、全ての公式記録の出生地が小倉になっており、清張本人が出生地の訂正をしなかったものを他人が換えられないと説明している(朝日新聞、2009年12月10日29面)。
  3. ^ また、これも自伝小説といわれる『父系の指』の中にも「私は広島のK町に生まれたと聞かされた」と書いている。郷原宏は、私小説に書かれているすべてが事実とは限らないが、ここは誰が見ても事実を曲げる必要のないところであり、しかも単に「広島」と書けばすむところをわざわざ「広島のK町」と具体的に踏み込んだ書き方をしており、記念写真の件と合わせて郷原も清張の出生地は広島と言及している。また、この「K町」とはおそらく広島駅近くの京橋町(現在の南区)と話している(郷原宏 『清張とその時代』、33-38、386頁、中国新聞、2009年4月2日、25頁 中国新聞 地域ニュース)。
  4. ^ 下関の同級生や関係者の証言、また清張自身の記述から、清張の家族が下関から炭鉱景気に沸く小倉に転居したのは小学校5年生の時とする説が有力(『松本清張の残像』、35-37頁、郷原宏 『清張とその時代』、61、62、389頁)。

参考文献

  • 田村栄 『松本清張 その人生と文学』(1976年、啓隆閣新社)
  • 田村栄 『松本清張 続・その人生と文学』(1977年、清山社)
  • 福岡隆 『人間松本清張 影武者が語る巨匠の内幕 新版』(1977年、本郷出版社)
  • 齋藤道一 『名探偵松本清張氏』(1981年、東京白川書院)
  • 田村栄 『松本清張の世界』(1993年、光和堂)
  • 『松本清張(新潮日本文学アルバム)』(1994年、新潮社
  • 阿刀田高 『松本清張あらかると』(1997年、中央公論社
  • 歴史と文学の会編 『松本清張事典』(1998年、勉誠出版
  • 佐藤友之 『松本清張 清張と戦後民主主義(三一「知と発見」シリーズ)』(1999年、三一書房
  • 阿井景子『わが心の師清張、魯山人』(2001年、中公文庫)
  • 林悦子 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』(2001年、ワイズ出版
  • 藤井康栄 『松本清張の残像』(2002年、文春新書
  • 文藝春秋編 『松本清張の世界』(2003年、文春文庫
  • 平野謙 『松本清張探求 1960年代平野謙の松本清張論・推理小説評論』(2003年、同時代社)
  • 梓林太郎 『霧の中の巨人 回想・私の松本清張』(2003年、祥伝社
  • 岩見幸恵、文献目録・諸資料等研究会 『松本清張書誌研究文献目録』(2004年、勉誠出版
  • 郷原宏 『松本清張事典決定版』(2005年、角川学芸出版
  • 渡部昇一 『昭和史 松本清張と私』(2005年、ビジネス社
  • 佐藤一 『松本清張の陰謀 「日本の黒い霧」に仕組まれたもの』(2006年、草思社
  • 仲正昌樹 『松本清張の現実(リアル)と虚構(フィクション) あなたは清張の意図にどこまで気づいているか(B選書)』(2006年、ビジネス社
  • 保阪正康 『松本清張と昭和史(平凡社新書)』(2006年、平凡社
  • 『別冊太陽 日本のこころ No141 松本清張』(2006年、平凡社)
  • 森史朗 『松本清張への召集令状』(2008年、文春新書)
  • 『松本清張研究』Vol.1-5(1996-1998年、砂書房)
  • 『松本清張研究』創刊準備号、創刊号-(2005年-、北九州市立松本清張記念館
2008年1月現在、創刊準備号から第8号まで全9冊刊行。

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