後藤新平とは?

後藤新平 ごとう しんぺい

後藤新平の肖像 その1
安政4年6月4日昭和4年4月13日 (1857~1929)

岩手生まれ内務官僚、政治家。父は水沢藩士。須賀川医学校卒。明治14年(1881)愛知県病院長兼愛医学校長となる。16年(1883)内務省衛生局に入る。ドイツ留学をへて25年(1892)衛生局長に昇進31年(1898)児玉源太郎台湾総督により民政局長に抜擢、のち民政長官36年(1903)貴族院議員勅選。第2次、第3次桂内閣逓相鉄道院総裁寺内内閣では内相外相等を歴任し、シベリア出兵推進大正9年(1920)東京市長となる。第2次山本内閣内相帝都復興院総裁として、大震災後の東京復興計画立案ソ連との国交樹立にも関与した。

キーワード 官僚, 政治家
著作等(近代デジタルライブラリー収載
  1. 国家衛生原理 / 後藤新平著 後藤新平, 明22.9 <YDM60516>
  2. 衛生制度論 / 後藤新平著 後藤新平, 明23.9 <YDM60366>
  3. 後藤新平君演説筆記 / 宮部政厚記 大日本私立衛生神戸支会仮事務所, 明25.11 <YDM27852>
  4. 後藤内務衛生技師演説筆記 / 西本茂吉赤穂郡, 明25.12 <YDM60517>
  5. 疾病保険法 / 後藤新平述 〔出版者不明〕 ,〔明26〕 <YDM41112>
  6. 後藤内務技師演説筆記 / 永木誠太郎兵庫県明石郡, 明26.1 <YDM60518>
  7. 赤痢病ニ関スル演説筆記 / 後藤新平述 小林常吉, 明26.4 <YDM59328>
  8. 帝国衛生法令 / 飯尾次郎編 ; 後藤新平閲 飯尾次郎, 明29.11 <YDM38347>
  9. 大国民之歌 / 山田源一郎作曲 如山堂, 明42.10 <YDM73278>
  10. 後藤新平論集 / 立石駒吉編 伊藤元治郎, 1911 <YDM102494>
  11. 処世訓 / 後藤新平述 ; 平木雄編 如山堂, 明44.5 <YDM10451>
  12. 青年訓 / 後藤新平述 ; 田中収吉編 宝文館, 明45.3 <YDM10748>
  13. 政党と代議制 / フリ-ドリッヒ・パウルゼン著 ; 後藤新平訳 富山房, 明45.6 <YDM28637>

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)

後藤新平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/03 16:26 UTC 版)

後藤 新平(ごとう しんぺい、安政4年6月4日1857年7月24日) - 昭和4年(1929年4月13日)は日本医師官僚政治家位階勲等爵位正二位勲一等伯爵




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  1. ^ a b c d 『日本の有名一族』、177頁、179頁。
  2. ^ 『日本の有名一族』、179頁。
  3. ^ 『日本の有名一族』、178-179頁。
  4. ^ 劉明修『台湾統治と阿片問題』(山川出版社、1983年)81-116頁、189-190頁、194-195頁。
  5. ^ 駄場裕司『後藤新平をめぐる権力構造の研究』(南窓社、2007年)174-176頁。
  6. ^ 越沢明「東京の都市計画」(岩波新書、1991年、58~86頁)。越澤明「東京都市計画物語」(ちくま学芸文庫、2001年、44~64頁)。
  7. ^ 「無線放送に対する予が抱負」、社団法人東京放送局編『ラヂオ講演集 第一輯』日本ラジオ協会、1925年11月、1~7頁。
  8. ^ 後藤 1926.
  9. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)126頁
  10. ^ 『官報』第3743号・号外「叙任及辞令」1895年12月18日。
  11. ^ 『官報』第5395号「叙任及辞令」1901年6月28日。
  12. ^ 『官報』第5829号「授爵・叙任及辞令」1902年12月6日。
  13. ^ 『官報』第6832号「授爵・叙任及辞令」1906年4月12日。
  14. ^ 『官報』第7014号「叙任及辞令」1906年11月14日。
  15. ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
  16. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  17. ^ 『官報』第2431号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。
  18. ^ 『官報』号外「授爵・叙任及辞令」1928年11月10日。
  19. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  20. ^ 筒井清忠「関東大震災と後藤新平・復興院の挫折」
  21. ^ 越澤明『後藤新平 -大震災と帝都復興』ちくま新書、2011年、p.193。
  22. ^ 『回花仙史隨談』p91-92 阿部千一、ラジオ岩手編 昭和33年
  23. ^ 後藤新平は、その最後の訪ソで1928年1月7日にスターリンと会見した際、スターリンに対して「日本ニハ未ダ英米政策ノ追従者アリ。然レドモ日本ハ既ニ独立ノ対外政策ヲ確立スル必要ニ迫ラレツヽアリテ、ソノタメニハ露国トノ握手ヲ必要トシツヽアルナリ」と述べている(鶴見祐輔『後藤新平 第四巻』勁草書房復刻版、1967年、865頁)。
  24. ^ 駄場『後藤新平をめぐる権力構造の研究』261-266頁。
  25. ^ 浦辺登「そこが聞きたい!インタビュー 伊藤博文暗殺事件の謎に迫る 封印された近代史を紐解け」『フォーNET』2014年5月号
  26. ^ 駄場裕司「日本海軍の北樺太油田利権獲得工作」(海軍史研究会編『日本海軍史の研究』吉川弘文館、2014年)59-60頁。
  27. ^ 駄場『後藤新平をめぐる権力構造の研究』208-209頁。
  28. ^ 佐野学が2度の共産党一斉検挙をタイミングよく免れていることから、佐野学を後藤新平・公安警察が共産党に送り込んだスパイであるとする者もあるが、そう断定する証拠は示されていない(近現代史研究会編『実録 野坂参三 共産主義運動“スパイ秘史”』マルジュ社、1997年)。
  29. ^ 佐野学「共産主義指導者の回想」(佐野学著作集刊行会編・発行『佐野学著作集 第一巻』1957年)999-1000頁。
  30. ^ 鶴見俊輔「〈コメント〉祖父・後藤新平について」(『環』第21号、2005年4月)265頁。
  31. ^ 千田是也『もうひとつの新劇史――千田是也自伝』(筑摩書房、1975年)121-124頁、藤田富士男『ビバ!エル・テアトロ! 炎の演出家 佐野碩の生涯』(オリジン出版センター、1989年)70-75頁、岡村春彦『自由人佐野碩の生涯』(岩波書店、2009年)32-35頁、46-47頁、51頁。
  32. ^ 藤田『ビバ!エル・テアトロ!』117-118頁、岡村『自由人佐野碩の生涯』88-89頁。
  33. ^ 平野義太郎『民族政治学の理論』(日本評論社、1943年)81頁。
  34. ^ 鶴見憲「一高時代の平野君の思い出」(平野義太郎 人と学問編集委員会編『平野義太郎 人と学問』大月書店、1981年)20-22頁。
  35. ^ 陸井三郎「戦中・戦争直後の平野先生 一九四三-四六年」(『平野義太郎』)82頁、86頁。
  36. ^ 安田常雄「『思想の科学』・『芽』解題」(安田常雄・天野正子編『復刻版『思想の科学』・『芽』別巻 戦後「啓蒙」思想の遺したもの』久山社、1992年)215頁。
  37. ^ 新村猛「平野義太郎さんを偲ぶ」(『平野義太郎』)77頁。
  38. ^ 安田「『思想の科学』・『芽』解題」215頁、鶴見俊輔「思想の言葉 態度と知識――『思想の科学』小史」(『思想』2009年第5号)
  39. ^ 鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二『戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く』(新曜社、2004年)291-292頁。
  40. ^ 鶴見和子は「私は後藤新平さんから受け継いだのは、反面教師としては権力志向は嫌いというのですが、もう一つは中国への関心ですね。後藤新平さんは、中国を安定させるためにロシアと結ぼうとしたのです」と、自らの親中的スタンスが後藤新平譲りであると述べている(鶴見和子「祖父・後藤新平」『コレクション 鶴見和子曼荼羅 Ⅶ 華の巻――わが生き相』藤原書店、1998年、33頁)。
  41. ^ 「ゼミでしたこと 出会った人々――鶴見先生インタヴュー――」(『コレクション 鶴見和子曼荼羅 Ⅸ 環の巻――内発的発展論によるパラダイム転換』藤原書店、1999年)321-322頁。
  42. ^ 能澤壽彦作成・鶴見和子校閲「『鶴見和子研究』年譜」(『鶴見和子曼荼羅 Ⅸ』)410頁。
  43. ^ 吉川勇一公式サイト内「略歴」1949年
  44. ^ 能澤作成・鶴見校閲「『鶴見和子研究』年譜」374頁。
  45. ^ 内山章子「一周忌までのご報告」(『環』第31号、2007年11月)69頁。
  46. ^ 武者小路公秀・鶴見和子『複数の東洋/複数の西洋 世界の知を結ぶ』(藤原書店、2004年)193頁。
  47. ^ 朝日新聞デジタル:「水俣の苦しみ今も」石牟礼さん、皇后さまに手紙 - 社会
  48. ^ 鶴見俊輔・上坂冬子「“爽やか”だった大東亜戦争」(『Voice』2008年9月号)163頁。
  49. ^ 鶴見俊輔「神谷美恵子管見」(みすず書房編集部編『神谷美恵子の世界』みすず書房、2004年)86頁。
  50. ^ 不破哲三「一高記念祭の思い出など」(「前田陽一 その人その文」編集刊行委員会編・発行『前田陽一 その人その文』1989年)237-240頁。
  51. ^ 加藤恭子『田島道治――昭和に「奉公」した生涯』(TBSブリタニカ、2002年)388-394頁。
  52. ^ 日ソ協会(現・日本ユーラシア協会)によれば、「声なき声の会」のデモの指揮は日ソ協会が行っていた(「回想・日ソ協会のあゆみ」編纂委員会編『回想・日ソ協会のあゆみ』日ソ協会、1974年、96頁)。
  53. ^ Koenker, Diane P., and Ronald D. Bachman (ed.), Revelations from the Russian archives : Documents in English Translation, Washington, D.C. : Library of Congress, 1997, pp699-700.
  54. ^ 小田実ほか「呼びかけ」1965年4月15日(ベトナムに平和を!市民連合編『資料・「ベ平連」運動 上巻』河出書房新社、1974年)5頁。ただし吉川勇一によると、「杉山さんは、ベ平連の後半では、ベ平連への批判的態度をもつようになったようだ」という。ベ平連への批判的文献
  55. ^ 松本重治『聞書・わが心の自叙伝』(講談社、1992年)184頁。
  56. ^ 小田実「ヨシユキさん《a concerned citizen》」(『鶴見良行著作集月報』第10号、2002年6月)1-3頁。
  57. ^ 武藤一羊「仮説を生産するヴィジョナリー」(『鶴見良行著作集月報』第10号)4頁。
  58. ^ 加固寛子「〈解説〉人間・松本重治について」(『聞書・わが心の自叙伝』)215-216頁。
  59. ^ 江森敬治『秋篠宮さま』(毎日新聞社、1998年)27-34頁。
  60. ^ 綾部恒雄『秘密結社』(講談社、2010年)193頁。
  61. ^ 中田安彦「後藤新平は『日本のセシル・ローズ』である」(副島隆彦+SNSI副島国家戦略研究所『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』成甲書房、2014年)243-246頁、274-275頁。
  62. ^ 中田「後藤新平は『日本のセシル・ローズ』である」253頁。
  63. ^ 吉田祐二「日本初・国際“超”高級官僚としての新渡戸稲造」(副島+SNSI副島国家戦略研究所『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』)231頁。


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