奨励会(しょうれいかい)
日本将棋連盟内に設置されているプロ棋士の養成機関のこと。正式名称は「新進棋士奨励会」という。
6級から1級までの級位と初段・二段および三段までの段位が決められていて、所定の成績を収めると、昇級または昇段となる。二段までは関東奨励会と関西奨励会に分かれて対局するが、三段になると東西合わせてのリーグ戦によって上位2名の棋士が四段に昇段すると同時にプロ棋士になれる。
ただし、プロ棋士になるには満26歳という年齢制限があるため、それまでに四段になれなかった場合は退会させられる。また、奨励会での対戦成績が悪いと降級または降段となることがある。
奨励会に入るには、プロ棋士から推薦を受けて、毎年1回実施されている試験に合格しなければならない。受験には年齢制限があって、年齢によって受験可能な級位が決められている。
日本将棋連盟は26日、アマチュア棋士(35)が提出したプロ入りの嘆願書に対してプロのフリークラスへの編入試験を実施することを決めた。年齢制限の特例を認める異例の判断に注目が集まっている。
(2005.05.27掲載)
新進棋士奨励会
(奨励会 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 07:54 UTC 版)
新進棋士奨励会(しんしんきししょうれいかい)は、日本将棋連盟のプロ棋士養成機関である。一般には単に奨励会(しょうれいかい)と呼ばれることが多い(本項においても以下「奨励会」と記述する)。
注釈
- ^ 中島富治は東京高等商業学校を卒業して[2]、海軍主計科士官となり[3]、海軍主計中佐に至った人[4]。予備役編入後は株式会社高島屋呉服店の顧問を務めていた[4]。多くの棋士を後援しており[4]、理科系・文科系の双方の素養に優れ[5]、各新聞社も一目置く存在であり[2]、戦前の将棋界に大きな影響力を有していた[2]。1935年(昭和10年)に実力制名人戦が発足したのは主に中島の尽力による[5]。名人戦の基本的なシステムは、中島が考案したものが、平成の現在まで継承されている[2]。中島は1936年(昭和11年)6月29日に将棋大成会(日本将棋連盟の前身)が発足した際には「理事(顧問の役割[6])」に就任している[7]。
- ^ 昭和6年当時の「日本将棋連盟」は、1936年(昭和11年)6月に「将棋大成会」となり[8]、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)4月に「日本将棋連盟」となって[9]、2017年現在に至る。
- ^ 女流順位戦・白玲戦は、第1期のみ棋戦開始時に奨励会員・女流三冠であった西山朋佳が参加している。
- ^ a b c 竜王戦と新人王戦と加古川青流戦には、奨励会三段からの出場枠はある。
- ^ 叡王戦の女流枠は第3期・第4期・第5期に設けられていた。2020年度開催の第6期叡王戦は女流枠なし。
- ^ NHK杯戦について、2016年は奨励会員の加藤桃子女流二冠(当時)が連盟推薦により女流枠で本戦に出場。2017年からは奨励会員も女流予選の出場が可能になり、加藤桃子女王が女流予選で勝利して本戦に出場した。
- ^ a b 奨励会を初段で退会した加藤桃子は、奨励会在籍時に女流タイトル8期獲得の実績があり、女流棋士の昇段級規定では「女流五段」に該当するが、女流棋士転向時に付与された段位は「女流三段」であった。
- ^ 奨励会員枠として、(1)年度前期の三段リーグ次点者が竜王戦のランキング戦に出場している場合、および、(2)年度前期の三段リーグの次点が「次点2回による四段昇段」となったことで竜王戦のランキング戦に成績4位(次々点者)が繰上げ出場している場合、または(3)奨励会三段に在籍する女性奨励会員が竜王戦のランキング戦に女流棋士枠で出場する場合で、(2)(3)の出場者が過去の三段リーグの次点を既に有している場合、奨励会員枠として出場する(1)-(3)の奨励会三段はいずれも、既に次点が1個付与されているため、進行中の三段リーグで降段点を取らない成績(勝率2割5分超、18局で5勝以上)であるならば、ランキング戦優勝時に昇段が確定する。以上の記述は「ランキング戦6組への出場」を前提としている。奨励会員(および女流棋士またはアマチュア)がランキング戦6組で準優勝した場合に、棋士と同様に翌年ランキング戦5組に昇級して参加できるかについては過去に例がなく不明である。
- ^ 現在では、C級2組から降級した場合、三段リーグではなく「フリークラス」に編入される
出典
- ^ a b “プロ棋士を東北で育成 将棋連盟が仙台に研修会、来年4月開設”. 河北新報. 2020年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月17日閲覧。
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- ^ a b 加藤治郎 & 原田泰夫 1999, pp. 20–22, 実力名人制ついに発足(加藤)
- ^ a b c d e f 加藤 1987, p. 26, スポット1 奨励会の発足から現代まで(筆者:加藤治郎)
- ^ 加藤 1987, p. 35, 将棋大成会が1936年(昭和11年)6月29日に発足したことを伝える新聞記事
- ^ 加藤治郎 & 原田泰夫 1999, pp. 20–22, 小菅八段の調停で統一成る(加藤)
- ^ 加藤治郎 & 原田泰夫 1999, pp. 62–64, 三十八歳で引退を決断(加藤)
- ^ 加藤治郎、原田泰夫『[証言]将棋昭和史』(執筆)田辺忠幸、毎日コミュニケーションズ P.220-221「将棋昭和史年表」(加藤久弥、越智信義)
- ^ 東公平『升田幸三物語』(日本将棋連盟)P.36
- ^ 加藤治郎、原田泰夫、田辺忠幸『証言・昭和将棋史』(毎日コミュニケーションズ)P.10、P.215-220
- ^ 加藤治郎 & 原田泰夫 1999, pp. 117–119, 後進の育成に尽力する(原田)
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- ^ 公益社団法人日本女子プロ将棋協会 棋士規程 2018年6月20日閲覧(2017年10月21日時点のアーカイブ)
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- ^ 女流育成会|棋戦|日本将棋連盟
- ^ “【勝負師たちの系譜】どんな子が将棋のプロになるか 大切な負けても腐らず向き合う資質 藤井聡太七冠の活躍で子供将棋教室が大流行(2/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト” (2023年7月23日). 2023年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月23日閲覧。
- ^ a b 段と級 - 日本将棋連盟
- ^ 里見香奈の「1級編入試験」は奨励会員3人と対局し、2勝で1級合格、1勝2敗で2級仮入会、3敗で不合格となる方式。なお、対局相手の3人は全員が女性の奨励会員で、加藤桃子(当時は奨励会2級、16歳)、伊藤沙恵(当時は奨励会2級、17歳)、西山朋佳(当時は奨励会4級、15歳)の3名だった。
- ^ 里見香奈女流名人・女流王将・倉敷藤花が奨励会1級編入試験を受験|将棋ニュース|日本将棋連盟, (2011年04月13日) 2011年4月13日閲覧。
- ^ 里見香奈女流名人・女流王将・倉敷藤花、奨励会1級編入試験に合格|将棋ニュース|日本将棋連盟, (2011年05月21日) 2011年5月21日閲覧。
- ^ 第53-57回の三段リーグ参加後に奨励会を退会していた知花賢アマは、2019年5月の第48回全国支部将棋名人戦で優勝し三段編入試験の要件を満たしていたが、資格を得ていたことに気づかず申請が行なわれなかった。
- ^ 将棋のプロを目指して……沖縄出身の知花賢さんが18歳で異例の奨励会入りした理由 | 観る将棋、読む将棋 | 文春オンライン
- ^ “2022年度奨励会入会試験のご案内|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2023年1月31日閲覧。
- ^ 『将棋世界』2014年6月号 p.237(マイナビ出版)
- ^ 奨励会の年齢制限規定の変遷とそれにまつわる将棋ドラマ(2011年2月8日・田丸昇のと金 横歩き)(2013年5月16日閲覧)
- ^ 「近代将棋 1987年7月号」によると、1987年5月22日の棋士総会における順位戦C級2組の規定変更に付随して新四段昇段者の人数を絞ることを目的とした制度変更であった。
- ^ 次点2回の「四段に昇段する権利」を放棄した後も、次点1つの保有は継続される。仮にその後のリーグで3位の次点を得た場合「権利」を行使することができる。
- ^ 新人王戦における奨励会三段優勝者の規定について 日本将棋連盟 2014年1月14日
- ^ 奨励会員として出場可能である女流棋戦(白玲、女王、女流王座、女流王将)のいずれかのタイトル保持者であることが概ね求められる。
- ^ 女流棋士・奨励会員・アマチュアにおける 棋戦優秀者への対応について 日本将棋連盟 2021年2月5日
- ^ 今泉健司は第23回の次点が自身2度目(第18回でも次点)であるが、「次点2回での四段昇段」は第20回以降の次点が対象であるため、昇段規定を満たさず。その後第25回で退会。
- ^ 大地震における日本将棋連盟の対応|将棋ニュース|日本将棋連盟
- ^ 退会者は石井直樹、三宅、荒木。
- ^ 退会者は森下。
- ^ 退会者は鈴木。
- ^ 退会者は竹内、望月、渡辺愛生。
- ^ 退会者は伊藤和夫、福間[50期次点]、小泉。
- ^ 二段降段者は菅野。
- ^ 退会者は知花、藤原、森村。
- ^ 退会者は石川泰[57期次点]、折田。
- ^ 退会者は荒木。
- ^ 退会者は川崎。
- ^ 三段昇段者(第61回から参加)は岡井、井田の2名。
- ^ 退会者は山岸。
- ^ 三段昇段者(第62回から参加)は古賀、服部、川村、小高、山川、横山、貫島、小山の8名。
- ^ 退会者は藤田、里見の2名。
- ^ 三段昇段者(第63回から参加)は徳田、相川、伊藤、宮田、齊藤の5名。
- ^ 退会者は甲斐[61期次点]、慶田、黒川の3名。
- ^ 三段昇段者(第64回から参加)は上野。
- ^ 退会者は秋山。
- ^ 三段昇段者(第65回から参加)は田中、中沢、森本。
- ^ 退会者は坂井、三浦、桝田。
- ^ 三段昇段者(第66回から参加)は宮嶋、狩山。
- ^ 二段降段者は宮田。
- ^ 退会者は関矢、荒田。
- ^ 三段昇段者(第67回から参加)は吉田、広森、中西、高田、片山、斎藤光。
- ^ 三段昇段者(第68回から参加)は高橋、関、岡本、入馬、熊谷、中(女性)、宮田(再昇段)、福田。
- ^ 自主退会者は西山朋佳[66期次点](第68回三段リーグ終了時)。
- ^ 三段昇段者(第69回から参加)は木村、宮原、倉谷、生垣。
- ^ 倉谷(三段昇段時は満25歳)について、規定により年齢制限26歳に因らず最低5期は参加可能(降段点なければ73期までは在籍可)。
- ^ 退会者は岡井(第69回三段リーグ終了時)。
- ^ 三段昇段者(第70回から参加)西山、小窪、岩村、麻生、藤本、山城、北村。
- ^ 麻生(三段昇段時は満24歳)、西山(三段昇段時は満25歳)について、規定により年齢制限26歳に因らず最低5期は参加可能(降段点なければ両名とも74期までは在籍可)。
- ^ 二段降段者は中西。
- ^ 退会者は小高(第70回三段リーグ終了時)。
- ^ 三段昇段者(第71回から参加)は吉池、齊藤裕也、清水、増田。
- ^ 清水(三段昇段時は満24歳)について、規定により年齢制限26歳に因らず最低5期は参加可能(二段へ降段しなければ75期までは在籍可)。
- ^ 奨励会の年齢制限による退会者は三田[68期次点]、相川(第71回三段リーグ終了時)。
- ^ 三段昇段者(第72回から参加)は古井、藤原、山下、村田。
- ^ 退会者は古田と熊谷(第72回三段リーグ終了時)。
- ^ 三段昇段者(第73回から参加)は鳥巣、鈴木、獺ヶ口(おそがくち)、高坂。
- ^ 退会者は倉谷(第73回三段リーグ終了時)。
- ^ 三段昇段者(第74回から参加)は松本、村田丞、炭崎、桐山、渋江、清水将、村上、是枝。
- ^ 村田丞(三段昇段時は満24歳)について、規定により年齢制限26歳に因らず最低5期は参加可能(二段へ降段しなければ78期までは在籍可)。
- ^ 退会者は麻生と西山(第74回三段リーグ終了時)。
- ^ 三段昇段者(第75回から参加)は山口、戸川、吉田響。
- ^ 西山朋佳三段(24)14勝4敗の好成績ながら三段リーグ次点 同じ不運の経験者5人は後に全員棋士昇格(松本博文) - 個人 - Yahoo!ニュース
- ^ 将棋連盟の財政事情の影響を受けた四段昇段制度の変遷: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き
- ^ 準昇段点は8連勝、12勝4敗。12勝4敗のち昇段の一番を負けた後3連勝(18勝5敗)すれば四段昇段。
- ^ 準昇段点者の繰り上げ昇段は、準昇段点以降の年度内指し分け以上の成績継続を条件とする(12勝後の5敗目を成績に含めない)。
- ^ 「近代将棋 1977年8月号」p173.
- ^ 四段昇段人数の年間上限撤廃の一方、1974年度の棋士総会で順位戦のC級2組から降級となっても即引退とはならない制度の導入が決まった。現在の編入フリークラスに相当する制度で、C級2組の下位の位置づけから「C3」とも呼ばれた。
- ^ 棋士の西本馨は1958年度の順位戦C級2組からの陥落後に奨励会B組にも在籍したことがある。
- ^ 鎗田清太郎『角川源義の時代 角川書店をいかにして興したか』角川書店 P.226
- ^ a b 丸山忠久九段の研修会時代 - 将棋ペンクラブログ・2013年11月10日
- ^ 日本将棋連盟九州研修会開設のお知らせ - 日本将棋連盟 2015年9月9日
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- ^ a b c d e f g h i “研修会”. 日本将棋連盟. 2018年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月7日閲覧。
- ^ 2024年4月以降の女流2級資格への要件は「B1クラスへの昇級」であるが、2023年3月までは「B2クラスへの昇級」が要件であった。2018年3月までは「女流3級」の資格が「C1クラスへの昇級」で暫定的に得られた。
奨励会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 01:10 UTC 版)
斑木 王四郎(まだらき おうしろう) 14歳、男性。誕生日は3月7日。身長は165センチメートル。名前にある駒は「王」(「斑」の字の中にも「王」の字が2つある)。 一億人に一人と言われる病気持ちで右目はまったく見えない。何が起きても「そういう運命だった」と思う運命論者。 長期の入院生活で学校には行っておらず、眼に悪いという理由で真っ白な部屋でTV等を禁止されて生活していた。 そこで兄達が暇つぶしにと置いていった将棋を始めたが、王四郎の才能を見て奨励会員だった三人の兄達は心が折れてしまい、将棋を諦めて医者や弁護士になった。 居眠り運転のトラックが突っ込んできても衝突現場から何事も無く出て来るなど超然とした人物である。 奨励会一次試験において「全部勝つ」との宣言通り、信歩と対局した時も危なげなく勝ち、六戦全勝で通過している。 二年後は竜胆よりも少しだけ早く二段になっていた。 立花 明日美(たちばな あすみ) 小学生の女装男子。盤外戦術で対戦者を煽ってくる。 奨励会試験で信歩と対局する。初戦で負けて動揺している信歩に勝利した。 二年後、泰金と銀雅が抜けたかやね荘の新住人になる。 五所川原 満(ごしょがわら みつる) 小学生の男性。台詞に四字熟語を混ぜてしゃべる。奨励会試験で信歩と対局した。 明日美とは相性が良いらしくこれまでの戦績では勝ち越している。 二年後、明日美とともにかやね荘の新住人になる。 小鳥遊の弟子 三頭身のデフォルメされた体型をした左沢(あてらさわ)と、背の高いメガネをかけた男性(名称不明)の二人。 同じ小鳥遊門下でプロとして大成した歌川の存在を励みに頑張っている。
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奨励会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 01:07 UTC 版)
5級時代に一度、降級点を喫したが、おおむね順調に昇級・昇段を重ね、2008年(平成20年)4月(中学2年生時)には13歳8か月で三段への昇段を果たした。これは13歳12か月(中学2年4月)で昇段した豊島将之を抜いて史上最年少記録となった(※一般向けには学年単位で捉えてタイ記録とする資料が多い)。これらの記録は、2015年(平成27年)10月18日に13歳2か月(中学1年生)で昇段した藤井聡太が更新し、単独1位となっている(2019年現在)。 奨励会三段リーグには、第44回(2008年度後期)から参加。2回(1年)以内に四段昇段すれば加藤一二三・谷川浩司・羽生善治以来4人目の「中学生棋士」、3回(1年半)以内に昇段すれば、渡辺明と同じく中学卒業と同時のプロ入りという記録がかかっていたが、第44回6位(12勝6敗)、第45回17位(9勝9敗)、第46回4位(13勝5敗)と、四段昇段に迫るも果たせなかった。 しかし、4回目となる第47回(2010年度前期)で14勝4敗(6勝4敗からの8連勝)・1位の成績を収め、プロ入りを決める。当時のインタビューで、「やっぱりタイトルは取れるようになりたい。連勝記録を塗り替えたい。勝ち進んでいきたい」と述べ、高い目標を掲げた。16歳1か月でのプロデビュー(2010年10月1日付)は、現行三段リーグ制度導入(1987年)以降では、藤井聡太(14歳2か月)、渡辺明(15歳11か月)に次ぐ3番目の年少記録であり、通算でも藤井、加藤、谷川、羽生、渡辺に次ぐ6番目の年少記録である。
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奨励会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 18:23 UTC 版)
2009年8月19日 - 8月21日に行われた、平成21年度奨励会入会試験で、5級を受験し合格した。女性が奨励会5級に合格したのは史上初である(男女を問わず、ほとんどの場合6級を受験する)。同年9月21日から関東奨励会に参加。規定により、女流棋士と奨励会員の掛け持ちは不可のため、女流棋士は休会となった。ただし、進行中であった第3期マイナビ女子オープンのみ引き続き出場し、本戦1回戦で中村真梨花に敗れた。その後2011年2月5日の例会をもって奨励会を退会した(退会時4級)。受験シーズン(高校3年)となる2011年度、女流棋士にはすぐ復帰せず、12月31日まで休場した。
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奨励会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 01:36 UTC 版)
1994年9月 奨励会試験では、2位で6級で入会。試験対局の成績は7勝2敗だったが、その2敗はいずれも反則負けであった。当時は福岡県在住で、関西奨励会に所属した。 第24回(1998年後期)より三段リーグ入り。参加2期目の第25回では、阿久津主税に次ぐ暫定2位の成績(12勝4敗)で最終日を迎え、奨励会入会が同期で同い年の阿久津と橋本が同時に昇段する可能性もあったが、2連敗を喫し6位に終わった。5期目となる第28回2000年後期に、15勝3敗の1位で同星の佐々木慎とともに四段昇段を果たす。
※この「奨励会」の解説は、「橋本崇載」の解説の一部です。
「奨励会」を含む「橋本崇載」の記事については、「橋本崇載」の概要を参照ください。
奨励会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 06:55 UTC 版)
小学6年生の時に、史上最年少で奨励会初段、二段に昇段。中学1年生であった2015年10月18日に、史上最年少(13歳2か月)で奨励会三段に昇段し、複数のマスコミで報じられた。ただし、その2週間前、同年10月3日に開幕した第58回奨励会三段リーグ戦(2015年度後期)には間に合わず、半年近く足止めとなった。 中学2年生で迎えた第59回奨励会三段リーグ戦(2016年度前期)で、2016年9月3日の最終局に勝ち、同年10月1日付・14歳2か月での四段昇段(プロ入り)を決め、最年少棋士記録を62年ぶりに更新した(従来の記録は、1954年8月1日の加藤一二三の14歳7か月)。中学生棋士は、加藤一二三・谷川浩司・羽生善治・渡辺明に続いて史上5人目。三段リーグを1期抜けしたのは、小倉久史・屋敷伸之・川上猛・松尾歩・三枚堂達也に続いて6人目であった。
※この「奨励会」の解説は、「藤井聡太」の解説の一部です。
「奨励会」を含む「藤井聡太」の記事については、「藤井聡太」の概要を参照ください。
奨励会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:56 UTC 版)
詳細は「新進棋士奨励会#奨励会規定」を参照 前述の通り、奨励会には最高三段までの段級位が存在する。 奨励会に入会した者は、多くの場合6級からスタートして奨励会員同士の対局をし、規定以上の成績を挙げると一つ上の段級位に昇進できる。三段に昇進すると「三段リーグ」に参加して三段同士のみの対局を行い、そこで所定の成績を収めると四段の棋士になる。 奨励会では、成績不振による「降段点」・「降級点」を2度取ると降段・降級となる。成績不振の場合は降級して7級になる場合もある。過去に存在した奨励会の下部組織「奨励会初等科」では7級から10級までの級位が存在したものの、現在は8級以下は存在せず、7級から降級した場合には退会となる。降段・降級があるという点で、奨励会の段級位制は将棋界の中で特異なものである。
※この「奨励会」の解説は、「将棋の段級」の解説の一部です。
「奨励会」を含む「将棋の段級」の記事については、「将棋の段級」の概要を参照ください。
「奨励会」の例文・使い方・用例・文例
- 産業奨励会
奨励会と同じ種類の言葉
- 奨励会のページへのリンク