入門
弟子入り
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「橘家圓蔵 (8代目)」の記事における「弟子入り」の解説
1966年2月∶月の家杵助が入門。 1972年4月∶杵助が二ツ目昇進、「橘家舛蔵」と改名。 1975年5月∶月の家かがみが入門。 1980年2月∶かがみが二ツ目昇進、「靖鏡」と改名。 月の家杵助が入門。 七代目橘家圓蔵門下から桂文平と橘家竹蔵を預かる。 1981年3月∶橘家竹蔵が真打昇進。 1982年月の家かがみが入門。 橘家若蔵が入門。 4月∶舛蔵が真打昇進、「初代月の家小圓鏡」と改名。 八代目橘家圓蔵を襲名。 1983年4月∶杵助が二ツ目昇進、「橘家舛蔵」と改名。 1986年∶かがみが二ツ目昇進、「橘家鷹蔵」と改名。 1987年∶若蔵が二ツ目昇進、「橘家豊蔵」と改名。 1990年3月∶靖鏡が真打昇進、「橘家半蔵」と改名。 1991年∶橘家竹蔵門下に橘家亀蔵が入門。 1995年舛蔵が真打昇進、「橘家富蔵」と改名。 亀蔵が二ツ目昇進。 1996年∶鷹蔵改メ「二代目橘家蔵之助」、豊蔵改メ橘家仲蔵が真打昇進。 1999年4月∶小圓鏡が六代目月の家圓鏡を襲名。 2001年3月∶文平が六代目柳亭左楽を襲名。 六代目月の家圓鏡門下に月の家かがみが入門。 2004年11月∶かがみが二ツ目昇進、「鏡太」と改名。 2005年∶亀蔵が真打昇進、橘家圓十郎を襲名。 2016年3月∶鏡太が真打昇進、二代目月の家小圓鏡を襲名。
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弟子入り
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元々、5代目圓楽の惣領弟子になることを希望していた時期があったが、新聞で楽松(現:三遊亭鳳楽)が惣領として弟子入りしたことを知り考え直したあと、2代前の圓楽だった、当時の8代目正蔵(後の林家彦六)が口演する「鰍沢」をラジオで聴いて感動し、その翌日に正蔵に弟子入りを志願することにした。来歴の通り、正蔵への弟子入りの際に初めの3回は断られているが、4回目に志願した際に正蔵から名前を聞かれ、「信夫」であることを明かすと、「"のぶお"が帰ってきたんだね」ということでようやく入門を許可された。正蔵の長男である岡本信男は17歳になった1945年8月7日に勤労動員先の豊川海軍工廠で空襲に遭い、辛くも東京に帰ってきたものの肺をやられており、終戦後間もなく亡くなった。このことから、正蔵は信夫に亡くなった信男を重ね合わせて、よくかわいがったという。「九蔵」の名前は、好楽の説明では「正蔵の9番弟子」という意味ではなく、「もう弟子は取らない」という止めの意味。ただし、正蔵自身はこの当時、自身の弟子の数を三遊亭市馬(岸正二郎)から勘定しており、「(岸正二郎から数えて)9番目の弟子だから「九蔵」」という認識だった。正蔵曰く、「九蔵」は「役者と同じ名前」とのこと。(好楽説をとると)「もう弟子は取らない」はずだった正蔵はその後、林家上蔵(のち三代目桂藤兵衛)、林家よし蔵(のち時蔵)、林家茂蔵(のち林家正雀)と、3人の弟子をとっている。
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弟子入り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:58 UTC 版)
1973年 - 古今亭菊次が入門。 1974年 - 古今亭菊弥が入門。 1975年古今亭菊松が入門。 古今亭菊助が入門。 1976年 - 古今亭菊八が入門。 1977年 - 菊八が楽屋入り。 1978年菊次が二ツ目昇進、「古今亭菊龍」と改名。 菊弥が二ツ目昇進。 1979年 - 古今亭菊坊が入門。 1980年菊助が二ツ目昇進、「菊之助」と改名。 菊松が二ツ目昇進。 1981年 - 菊八が二ツ目昇進、「菊枝」と改名。 1983年 - 菊坊が二ツ目昇進、「菊正」と改名。 1984年 - 古今亭菊乃が入門。 1987年 - 古今亭菊龍、菊弥改メ古今亭志ん弥が真打昇進。 1988年菊乃、二ツ目昇進。 古今亭菊ぼうが入門。 1989年 - 長男浩司が古今亭菊司として入門。 1990年菊之助が真打昇進、「古今亭菊丸」と改名。 ギター漫談家のぺぺ桜井が一門に加わる。 1991年 - 古今亭菊之丞が入門。 1992年菊松が真打昇進、「古今亭菊春」と改名。 菊ぼうが二ツ目昇進、「菊若」と改名。 菊司が二ツ目昇進、「菊翔」と改名。 1993年菊乃が真打昇進、「古今亭菊千代」と改名。 菊枝が真打昇進、「古今亭菊寿」と改名。 1994年菊之丞が二ツ目昇進。 古今亭菊朗が入門。 1995年菊正が真打昇進 - 「古今亭菊輔」と改名。 古今亭菊一が入門。 1998年 - 菊朗が二ツ目昇進。 1999年 - 菊一が二ツ目昇進、「菊可」と改名。 2001年 - 菊若が真打昇進、「古今亭駿菊」と改名。 2002年菊翔が真打昇進、「古今亭菊生」と改名。 古今亭菊六が入門、翌年楽屋入り。 マジシャンのマギー隆司が一門に加わる。 2003年古今亭菊之丞が真打昇進。 菊千代門下に古今亭ちよりんが入門。初の孫弟子となる。 2006年 - 菊六が二ツ目昇進。 2007年菊朗が真打昇進、「古今亭菊志ん」と改名。 ちよりんが二ツ目昇進。 2008年 - 菊可が真打昇進、「古今亭菊太楼」と改名。 2012年菊六が抜擢で真打昇進、「古今亭文菊」となる。 二代目古今亭圓菊死去。 2015年 - 駿菊、落語協会を退会。 2017年菊之丞門下に古今亭まめ菊が入門。 菊太楼門下に古今亭菊一が入門。 2018年まめ菊が楽屋入り。 ちよりんが真打昇進、「古今亭駒子」と改名。 2019年 - 菊一が楽屋入り。 2021年 - 菊生が「三代目古今亭圓菊」を襲名。 2022年 - まめ菊が二ツ目昇進予定。
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弟子入り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:35 UTC 版)
橋本昇一は、新派の役者・高田実夫妻にかわいがられたことが芸の道に入るきっかけとなった。1928年(昭和3年)、昇一が5歳のとき、高田の妻は知人だった大阪南地宗右衛門町の吉村流二世家元・吉村ゆうのもとに昇一を入門させる。さらに9歳になると高田実は昇一を自らの養子とし、素人の子はとらないことにしていた三世家元・吉村雄光の内弟子に押し込んだ。 吉村流の家元は世襲せず、代々実力のある女性の内弟子が跡を継いできた。また舞というものは他の者の舞う姿を見て習得するものだと考えていた雄光は、男子の昇一にこれといって芸を教えようとはしなかった。そこで昇一は三味線や地歌に加え、積極的に茶道、華道、裁縫なども習い、また洗濯やアイロンかけなどの家事も引き受けて、女性のしぐさを身につけていった。
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弟子入り
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1974年2月、高校3年の時に笑福亭松之助に弟子入り。入門の動機は、花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったからだという。初めて顔を合わせた際、松之助に「なぜ僕を選んだのか」と入門の理由を問われたさんまは「センスがよろしいから」と、素直な気持ちを伝えたつもりだったが、これに対し松之助は「そら、おおきに」と返答。この日すぐ松之助はさんまを自身の仕事先であるラジオ局に連れて行った。 高校卒業後の3月に正式に内弟子修行を開始。入門生活は丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だった。高座名は「笑福亭さんま」が与えられた。 しかし半年もしないうちに内弟子修行を放り出して、当時交際していた女性と共に上京し、東京で一旗揚げようと試みる(いわゆる「さんま駆け落ち事件」)。しかし、東京での生活はうまくいかず、さんまは一時帰阪した際、松之助から借りていた本を返すという口実で、松之助宅を訪ねたが、松之助はさんまを一切叱ることなく、明るい声でさんまを激励した。このときは正式な弟子復帰に至らなかったが、松之助は「さんまが帰ってくるから、よろしゅう頼むわなぁ」と上方落語界や吉本興業への根回しをしており、直後にさんまと交際していた女性が別の男性と結婚し、さんまは内弟子修行に戻ることを決意して、なんば花月の松之助の楽屋を訪ねた際、松之助は「何もいうな、ついてこい!」と、師弟で初めて食事に行ったラーメン店にさんまを連れ出した。その後笑福亭のままでは反発があると、松之助の計らいでそれまで屋号を名乗っていた笑福亭ではなく「明石家さんま」として再出発した。
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弟子入り
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1982年12月∶林家時蔵が、兄弟子の五代目春風亭柳朝門下より二ツ目で移籍(時蔵は元弟弟子)。 1985年∶時蔵、真打昇進。 1987年4月∶林家きく姫が入門。 1989年∶林家きく兵衛が入門。 1991年∶きく姫、二ツ目昇進。 1992年∶林家久蔵が入門。 1993年∶きく兵衛、二ツ目昇進し林家彦いちに改名。 1995年久蔵、二ツ目昇進。 林家きくおが入門。 1996年∶林家十八が入門。 2000年十八が二ツ目昇進、林家きく麿に改名。 林家木之助が入門。 2001年きく姫が真打昇進。 木之助、廃業。(二代目快楽亭ブラック門下へ) 2002年彦いちが真打昇進。 林家ひろ木が入門。 2005年∶ひろ木が二ツ目昇進。 2006年久蔵、真打昇進。 林家たい木が入門。 2007年∶きくお、二代目林家木久蔵を襲名し真打昇進。 2008年10月∶林家扇が入門。 2009年3月∶林家木りんが入門。 2010年きく麿、真打昇進。 林家けい木が入門。 たい木が林家しん平門下へ移籍。 2011年∶林家扇兵衛が入門。 2013年扇が二ツ目昇進。 木りんが二ツ目昇進。 2015年けい木が二ツ目昇進。 扇兵衛が二ツ目昇進。 2017年ひろ木が真打昇進。 彦いち門下に林家やまびこ、林家きよひこが入門。初の孫弟子となる。 林家木はちが入門、翌年楽屋入り。 2021年やまびこが林家やま彦に、きよひこが林家きよ彦に改名し、同時に二ツ目昇進。 きく麿門下に林家十八が入門。 扇兵衛、木はちが廃業。 2022年扇が廃業。
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