宮沢 吾朗
プロフィール
棋戦主要履歴
- 昭和51年(1976年)
- 第1期棋聖戦五段戦優勝
昭和51年(1976年)大手合第1部2等 - 昭和55年(1980年)
- 第5期新人王戦優勝
- 昭和58年(1983年)
- 第8期新人王戦準優勝
- 昭和60年(1985年)
- 第10期新人王戦優勝
第10期棋聖戦七段戦優勝 - 昭和61年(1986年)
- 第11期棋聖戦七段戦優勝
- 平成4年(1992年)
- 第30期十段戦挑戦者決定戦進出
第18期名人戦リーグ入り - 平成7年(1995年)
- 第51期本因坊戦リーグ入り
- 平成12年(2000年)
- 第25期棋聖戦リーグ入り
- 平成13年(2001年)
- 第26期棋聖戦リーグ入り
- 平成16年(2004年)
- 第29期棋聖戦リーグ入り
- 平成17年(2005年)
- 第25期NECカップ本戦出場
- 平成21年(2009年)
- 第34期棋聖戦リーグ入り
受賞歴
著書一覧
宮沢吾朗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/14 13:48 UTC 版)
宮沢 吾朗(みやざわ ごろう、戸籍上の表記は宮澤 吾朗、1949年11月29日 - )は、囲碁の棋士。北海道帯広市出身。木谷實九段門下、日本棋院所属、九段。
- ^ a b “囲碁,棋聖戦,上達の指南”. 読売新聞 囲碁コラム. 2022年8月30日閲覧。
- ^ a b 内藤由起子(囲碁観戦記者)『それも一局 弟子たちが語る「木谷道場」のおしえ』水曜社、1969年、49-60頁。ISBN 978-4-88065-396-9。
- ^ “さかなクン、のん主演映画『さかなのこ』で描かれなかった“酒と暴力”の囲碁プロ父・宮沢吾朗九段との「断絶20年」【下半期スクープ】”. 週刊女性PRIME (2022年12月26日). 2024年5月14日閲覧。
[続きの解説]
「宮沢 吾朗」の例文・使い方・用例・文例
- 君は宮沢りえを知っているか。
- 顔立ちは宮沢りえにとてもよく似ている.
- 最近の世論調査によれば, 宮沢内閣の支持率はいまだに 20 パーセント台に低迷している.
- 宮沢外相は国連総会に出席するため昨日成田を飛び立った.
- 「熊谷さんは宮沢賢(けん)治(じ)を思わせる。」と選考委員の1人は話す。
- 巡査部長の宮沢恵(けい)禧(き)さんが定年退職を迎え,1月28日,「ラストダンス」を行った。
- 宮沢さんは「踊るおまわりさん」として東京周辺でよく知られていた。
- 東京・品川署の警察官として,宮沢さんは北品川2丁目交差点での交通整理を担当していた。
- 宮沢さんは交通整理について知り尽くしていた。
- 宮沢さんは中学校では応援団長だった。
- その交差点で交通整理をする最後の日,宮沢さんは帰宅途中の子どもたちからお礼の手紙を受け取った。
- 宮沢さんは涙をこらえることができなかった。
- 車内には,宮沢氏や彼の著作に関する展示がある。
- 宮崎吾朗氏は有名なアニメ映画監督,宮崎駿(はやお)氏の息子である。
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