映画監督・出演者情報 |
宮崎駿 | |
ウィキペディア |
宮崎駿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/01 12:50 UTC 版)
宮﨑 駿(みやざき はやお、1941年1月5日 - )は、日本のアニメーション作家、映画監督、漫画家。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||
- ^ 会社が中島飛行機の下請けとして軍用機の部品を生産していたことが、軍事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになった。宮崎が回想した戦争体験としては、宇都宮が空襲を受け、親類の運転するトラックで4歳の駿を含む宮崎一家が避難した際、子供を抱えた近所の男性が「助けてください」と駆け寄ってきた。しかし、トラックは既に宮崎の家族でいっぱい。車はそのまま走り出した。その時に「乗せてあげて」と叫べなかった事が重い負い目となって、後々の人生や作品に大きく影響を与えた、と語っている。(宮崎駿「アニメーション罷り通る」(大泉実成『宮崎駿の原点――母と子の物語』潮出版社、2002年、pp.24-28))
- ^ 医者からは20歳まで生きられないと言われ、これは後の創作に影響を与えた、と言う。(『プロフェッショナル 仕事の流儀』2008年8月5日)
- ^ 宮崎駿「日本のアニメーションについて」『日本映画の現在』岩波書店、1988年。宮崎駿『出発点 1979~1996』徳間書店、1996年にも所収。
- ^ この時期、何本かの社会主義革命の漫画を執筆して持込みをした事もあったが、「ウチは時代劇扱ってないんですけど」と編集者に門前払いされている。『風の帰り道』(pp.251)
- ^ 「劇画の世界と、アニメーションの世界と、どちらが表現方法として優れているかというので、ずいぶん自分でも悩み続けて、結局、アニメーションの方が優れているという結論を、自分なりに出してしまったんです」(『THIS IS ANIMATION 1』小学館、1982年)
- ^ 岡田斗司夫著 オタク学入門 太田出版(1996年)のち新潮文庫によると、志望動機は「米帝ディズニーに対抗しうる国産アニメを作る」であったという。
- ^ 「これほどのことがアニメーションでできるなら、いつか自分もやってみたい、アニメーターになっていてよかったと思って、はっきりと腰が座った」(『THIS IS ANIMATION 1』小学館、1982年)なお、実線を描かずに白で目を表現するという手法は、この作品の影響である。
- ^ NHK-BS『BSアニメ夜話/未来少年コナン』(2005年6月27日放送)での大塚康生の証言。及び大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』168頁
- ^ 漫画版『風の谷のナウシカ』は、アニメ公開後も断続的に描き継ぎ、アニメ公開10年後の1994年に完結。アニメ版の結末の思想を、自ら否定するような内容となった。
- ^ 尾形英夫「あの旗を撃て!―『アニメージュ』血風録」オークラ出版、2004年
- ^ 初のオリジナル長編映画だった『風の谷のナウシカ』製作中、宮崎が6歳の時から病気で寝たきりの母が亡くなり、非常に悔やんだと話している。この後、宮崎の作品には自身の母をモチーフにしたキャラクターが頻出するようになる。(『プロフェッショナル 仕事の流儀』2008年8月5日)
- ^ 監督のインタビューコメント 『プロフェッショナル 仕事の流儀』 2007年3月28日
- ^ (東京FM『ジブリ汗まみれ』 2008年12月10日)
- ^ 映画公開後、鈴木敏夫に対し「72歳で死ぬことに決めた、あと5年なら一本しか作れない」と発言(東京FM『ジブリ汗まみれ』 2008年8月26日)
- ^ 「ポニョはこうして生まれた。宮崎駿の思考過程」 試写会の鈴木敏夫の発言
- ^ 第65回ヴェネツィア国際映画祭 記者会見時のインタビュー
- ^ 「フレデリック・バック展」のトークイベント「話をする二人」での、鈴木敏夫の発言
- ^ なお、妻の朱美には著書『ゴローとケイスケ―お母さんの育児絵日記』がある。
- ^ 富沢洋子編『また、会えたね!』アニメージュ文庫 徳間書店、1983年
- ^ 『天空の城ラピュタ』のムスカは例外。
- ^ 宮崎駿『出発点 1979~1996』岩波書店、1996年、pp.83,88
- ^ 「宮崎駿ロングインタビュー この映画が作れて僕は幸せでした」『千尋と不思議の町 千と千尋の神隠し徹底攻略ガイド』ニュータイプ編、角川書店、2001年、p.35
- ^ 宮崎駿『出発点 1979~1996』岩波書店、1996年、p.123
- ^ CUT誌2009/11/19号
- ^ 一応国ごとに動物が割り当てられており、ドイツ=豚、イギリス=犬(自ら手がけた『名探偵ホームズ』と同じデザイン)、アメリカ=ゴリラとなっている(ソ連にも豚を用いた例あり)。アジア人が登場する作品では動物化はされていない。
- ^ MODELKASTEN 第二次大戦の隼のエース
- ^ 『天空の城ラピュタ』でも主人公の少年パズー役に実際の少年を起用しようとしたといい、実写俳優の採用は早くから検討されていた。『天空の城ラピュタ』でパズー役の田中真弓などプロの女性声優を起用したのは演技力の問題であったという(『アニメージュ』徳間書店、1986年8月号)
- ^ “A god among animators”. guardian.co.uk 2010年9月3日閲覧。
- ^ 世界一受けたい授業より
- ^ せっ記は、「聶記」と書かれることもあるが、厳密には冠に「耳」ではなく「艹」をあしらった、「正史には残らずに耳から耳へ伝えられた物語」を意味する宮崎による造語
- ^ 鈴木敏夫『仕事道楽 スタジオジブリの現場』岩波新書、2008年、p.86
- ^ 「手塚治虫に「神の手」をみた時、ぼくは彼と決別した」『コミックボックス』ふゅーじょん・ぷろだくと、1989年5月号(宮崎駿『出発点 1979~1996』に所収)
- ^ 宮崎駿さんの手塚体験 「原点だから崇拝しない」(2009年4月)
- ^ 『コミックボックス』に全録、『月刊OUT』みのり書房、1986年8月号に抄録で掲載。
- ^ 『アニメージュ』2002年5月号において、宮崎の発言に対する5人のアニメ業界人のコメントを掲載。久美薫『宮崎駿の仕事 1979~2004』(鳥影社、2004年)では宮崎発言が「反響が大きかった」とし、久美自身も8ページをかけて宮崎発言を論じる。
- ^ 「「それでも戦争は正しくない」 文化人ら市民が米紙に意見広告計画」『朝日新聞』1991年3月16日朝刊31面
小田実を中心とする市民グループ「市民の意見30の会」による、「ニューヨーク・タイムズに湾岸戦争を批判した意見広告を掲載しよう」という呼びかけに応じた。 - ^ 『CUT』誌2009年11月19日号
- ^ 『NEWS ZERO』(日本テレビ系)ZERO CULTURE 宮崎アニメの原点(2008年11月24日)
- ^ オタク学入門 太田出版(1996年)のち新潮文庫
- ^ これら及び“社会主義への傾倒から照葉樹林文化論への転向”(後述)といった宮崎の精神的変遷に関しては久美薫『宮崎駿の仕事 1979~2004』(鳥影社、2004年)、井上静著『宮崎駿は左翼なんだろう?』(世論時報社・1998年)、評論集『宮崎駿の着地点をさぐる』(青弓社・1997年)等で詳説されている
- ^ 「動物農場を語る 宮崎駿インタビュー」 映画『動物農場』公式サイト
- ^ 「動物農場を語る 宮崎駿インタビュー」 映画『動物農場』公式サイト
- ^ 『CUT』誌2009年11月19日号
- ^ 「宮崎駿監督、映画哲学を語る」
- ^ 網野善彦『「忘れられた日本人」を読む』(岩波書店、2003年)p.31 - 34
- ^ 2002年10月号『フィギュア王』でのインタビュー
- ^ 2002年10月号『フィギュア王』でのインタビュー
- ^ スタジオジブリ『熱風』2011年8号
- ^ ジブリ屋上に幕「原発抜きで映画を」 - ビジネス情報誌オルタナ
- ^ ジブリ横断幕は宮崎駿監督が考案!「攻撃的な意味はありません」とスタジオジブリがコメント - シネマトゥデイ
[続きの解説]
固有名詞の分類
- 宮崎駿監督「風の谷のナウシカ」が今夏ブルーレイで発売Phile-web
- 宮崎駿の「衝撃の新作」 一部公開で話題沸騰 (1/2)J-CASTニュース
- 宮崎駿の大ファンの監督作が『アリス〜』を抑えて全米興行1位! - MovieWalkerウォーカープラス
宮崎駿に関係した商品
宮崎駿のページへのリンク