小林 光一
プロフィール
棋戦主要履歴
- 昭和47年(1972年)
- 第4回新鋭トーナメント優勝。☆初タイトル
- 昭和52年(1977年)
- 第2期天元戦で杉内雅男九段を3-1で下し優勝
- 昭和59年(1984年)
- 第22期十段戦で加藤正夫十段を3-2で破り初の十段位
- 昭和60年(1985年)
- 第10期名人戦で趙治勲名人を4-3で破り初の名人位
第11期天元戦で石田芳夫天元を3-0で破りタイトル奪取
第23期十段戦で大竹英雄九段を3-0で破り防衛。 - 昭和61年(1986年)
- 第10期棋聖戦で趙治勲棋聖を4-2で破り棋聖奪取。
第24期十段戦で武宮正樹九段を3-0で破り防衛。
☆棋聖・名人・十段・天元の4冠となる。
第33期NHK杯優勝 - 昭和62年(1987年)
- 第11期棋聖戦で武宮正樹本因坊を4ー1で破り防衛。
- 昭和63年(1988年)
- 第12期棋聖戦で加藤正夫名人を4ー1で破り防衛。
第13期碁聖戦で加藤正夫九段を3-0で破りタイトル奪取。
第13期名人戦で加藤正夫名人を4-1で破りタイトル奪取。 - 平成元年(1989年)
- 第13期棋聖戦で武宮正樹本因坊を4ー1で破り防衛。
第14期碁聖戦で今村俊也八段を3-1で破りタイトル防衛。
第14期名人戦で淡路修三九段を4-1で破りタイトル防衛。 - 平成2年(1990年)
- 第14期棋聖戦で大竹英雄IBM杯を4-1で破り防衛。
☆5連覇で名誉棋聖の資格を得る
第15期碁聖戦で小林覚九段を3-0で破りタイトル防衛。
第15期名人戦で大竹英雄九段を4-2で破りタイトル防衛。 - 平成3年(1991年)
- 第15期棋聖戦で加藤正夫王座を4ー3で破り防衛。
第16期碁聖戦で小林覚九段を3-2で破りタイトル防衛。
第16期名人戦で林海峯天元を4-1で破りタイトル防衛。 - 平成4年(1992年)
- 第16期棋聖戦で山城宏九段を4ー3で破り防衛。
第17期碁聖戦で小林覚九段を3-1で破りタイトル防衛。
☆5連覇で名誉碁聖の資格を得る
第17期名人戦で大竹英雄九段を4-3で破りタイトル防衛。
☆5連覇で名誉名人の資格を得る - 平成5年(1993年)
- 第17期棋聖戦で加藤正夫九段を4-3で破り防衛。8連覇達成。
第18期名人戦で大竹英雄九段を4-1で破り防衛。6連覇達成。
第18期碁聖戦で林海峯九段を3-0で破り防衛。6連覇達成。 - 平成6年(1994年)
- 第19期名人戦で林海峯天元を4-0で破り防衛。7連覇達成。
- 平成9年(1997年)
- 第6期竜星戦優勝 第10回世界選手権富士通杯優勝。★初の世界戦制覇
- 平成10年(1998年)
- 第24期天元戦で工藤紀夫天元を3-2で破り天元奪取
- 平成11年(1999年)
- 第37期十段戦で彦坂直人十段を3-0で破り十段位奪取
第24期碁聖戦で依田紀基碁聖3-2で破り碁聖奪取
第25期天元戦で工藤紀夫九段を3-0で破り天元防衛
第6期阿含桐山杯優勝 - 平成12年(2000年)
- 第38期十段戦で中野寛也九段を3-0で破り十段位防衛
- 平成13年(2001年)
- 第26期碁聖戦で山下敬吾碁聖を3-2で破り碁聖奪取
- 平成14年(2002年)
- 第27期碁聖戦で結城 聡九段を3-1で破り碁聖防衛
第11期竜星戦優勝 - 平成15年(2003年)
- 第12期竜星戦優勝・2連覇
- 平成16年(2004年)
- 第51回NHK杯優勝
第23期NECカップ優勝 - 平成23年(2011年)
- 第36期棋聖戦リーグ入り
第1回マスターズカップ準優勝 - 平成28年(2016年)
- 第6回マスターズカップ優勝
受賞歴
著書一覧
小林光一
小林光一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:34 UTC 版)
実利派。部分の味や含みを残さず「決め打ち」をしてしまうことで有名。一度形勢有利になると相手に逆転を許さず勝ちきる力に定評があり、しばしば勝負に徹した打ち方と評される。
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小林光一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 08:58 UTC 版)
小林光一の内弟子時、木谷の家には小林を含めて8人の内弟子がいた。木谷が体調を崩して以降に入門したため打つ機会は無かった。内弟子になった最初の日に、腰におもちゃのピストルをぶら下げた子供が部屋や廊下あたりを走り回っていた。小林は近所の子が紛れ込んだと思っていたが、これが当時8歳だった趙治勲だった。小林とは定先くらいの手合で1、2歳年上の小林より8歳の趙治勲のほうが強いことに小林はショックをうけた。小林は毎日朝5時半にはもう勉強を始めていた。そして10歳でプロになれると言われていた趙治勲を追い越し、小林光一が先に入段を果たした。小林光一の入段を見て、今度は趙治勲が奮起し、11歳でプロ入りする。お互いがいい刺激を与え合った。また加藤正夫によく打ってもらっていて、最大6子まで打ち込まれていた。
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「小林 光一」の例文・使い方・用例・文例
- 小林さんは我がグループの新しいリーダーです
- 私は小林です。
- 私、有限会社松下不動産の購買部の主任の小林と申します。
- 小林はその音楽に夢中だ。
- 小林君はハワイで大変楽しい思いをして, すこぶるご機嫌で帰って来た.
- 小林氏を中軸としてこの仕事は推進されてきた.
- ご主人に青森の小林が来たと取り次いで下さい.
- 小林君のやったことではあるまい.
- 小林市という市
- 小林檎という植物
- 最年長は60歳の小林伸明選手だ。
- 俳優の哀(あい)川(かわ)翔(しょう)さん,女優の小林聡(さと)美(み)さんはトップテン内に初めて入った。
- 日本の最初のメダルは,バイアスロン女子12.5キロ視覚障害で小林深(み)雪(ゆき)選手によって獲得された金メダルだった。
- 昨年の夏,小林選手はエスカレーターから転落し,右足首に重傷を負った。
- 先日,俳優で歌手の小林旭(あきら)さん(68)が日本プロゴルフ協会の名誉会員に選ばれた。
- 小林さんは1993年からシニア大会に出場して良い成績を収めていることから,同協会は小林さんを名誉会員第1号に選んだ。
- 同協会の会長で小林さんの親しい友人でもある松井功(いさお)さんは,「小林さんは今68歳だが,ドライバーで280ヤードまでボールを飛ばせる。」と話した。
- 小林さんは,「一時はプロゴルファーになろうと考えたこともあったが,当時俳優としての収入が多かったので,その考えを断念した。」と話した。
- 1年生の小林夏(なつ)希(き)投手は,2004年から2006年まで硬式野球の日本代表チームのメンバーだった。
- その受賞者は,シカゴ大学名誉教授の南(なん)部(ぶ)陽(よう)一(いち)郎(ろう)氏(87),高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠(まこと)氏(64),京都産業大学教授の益(ます)川(かわ)敏(とし)英(ひで)氏(68)である。
固有名詞の分類
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