工藤紀夫とは? わかりやすく解説

工藤 紀夫

工藤 紀夫

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工藤紀夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/28 05:50 UTC 版)

 工藤紀夫 九段
名前 工藤紀夫
生年月日 (1940-08-02) 1940年8月2日(82歳)
プロ入り年 1955年
出身地 青森県弘前市
所属 日本棋院東京本院
師匠 前田陳爾・勝本哲州
段位 九段
概要
タイトル獲得合計 2
七大タイトル
王座 1期 (1977)
天元 1期 (1997)
碁聖 挑戦者 (1985)
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工藤 紀夫(くどう のりお、昭和15年(1940年8月2日 - )は、囲碁棋士青森県弘前市出身、日本棋院東京本院所属、前田陳爾門下、九段。元日本棋院副理事長。

第25期王座・第23期天元位。第31回棋道賞優秀棋士賞受賞。若い頃は力碁で「眠狂四郎」のニックネームがあったが、後年粘り強く冷静な棋風へと変化した。

現在、存命の七大タイトル獲得経験者では最年長である。

経歴

生後すぐ、家族とともに満洲にわたる[1]。日本の敗戦により、苦難の旅で弘前にひきあげる[2]

小学1年生の時に囲碁をおぼえ、当時、妻の実家があった弘前に疎開していた勝本哲州(元「棋道」編集者)に師事する[3]1952年に勝本が家族と上京する[4]。小学校卒業の1953年に勝本に誘われて上京し[5]、日本棋院院生となり、1955年入段して前田陳爾門下となる。1976年九段。

1960年、日本大学第二高等学校[6]卒。

大竹英雄林海峰と並ぶ素材と期待され、若手時代はその3名で「三羽烏」ともよばれた[7]。だが、なかなかタイトル戦線に登場できなかったが、1977年趙治勲を破って初タイトルとなる王座を獲得。

1997年柳時熏を降して57歳で天元を獲得、20年ぶりにタイトルホルダーに返り咲いた。

翌年小林光一に敗れてタイトルを失うが、翌々年再び挑戦権を得てリターンマッチに挑むなど、中高年の星として話題を集めた。

2011年10月6日、公式戦通算1000勝達成(613敗4ジゴ)[8]。史上16人目で、最年長での到達[9]

1986年、日本棋院棋士会長[10]。 棋士間での人望も厚く、2002年に日本棋院常務理事。2004年同棋院副理事長、2005年~2006年理事長代行[11]加藤正夫らとともに棋院改革に当たった。理事時代の2002年、コミを5目半から6目半に変えた。2005年、国際囲碁連盟(IGF)会長に就任。

また地元青森県で「工藤紀夫杯争奪囲碁大会」を開催するなど、アマチュアへの普及にも熱心なことで知られる。囲碁の他、将棋はアマチュア五段の腕前を持つ。

タイトル獲得歴

  • 王座1期(1977年)
  • 天元1期(1997年)

その他の棋歴

新手

村正の妖刀」に対し、白1へと大々ゲイマに(通常の大ゲイマより一路広く)打つ手を開発している。1977年の本田邦久九段戦で初採用。妖刀定石の有力な変化とされている。初めて対するプロ棋士であると、黒が白の五目を取り、白が外勢をはる変化になりやすい。工藤がアマチュアの弟子に質問されて、そこから発想した手という。

工藤流

黒番で1のから3,5のシマリを打ち、白6のワリウチに黒7から9と構える布石を一時期多用し、「工藤流」と呼ばれた。

著作

  • 『定石の選びかた 新中級シリーズ』日本棋院 1980年
  • 『工藤紀夫・高木祥一』(現代囲碁大系32)1982年
  • 『ひらめきの碁学』独楽書房 1984年(ユージン伝 2003年)
  • 『最強の詰碁 初段・二段・三段―三手の詰碁から古典詰碁まで』成美堂 1998年
  • 『五段へ!四つの実践 日本棋道協会の有段者特訓塾7』フローラル出版 2000年
  • 『囲碁鉄人指南 中盤戦の定石―攻めと守りこの一手 (囲碁鉄人指南)』日本棋院 2001年
  • 『二子強くなるヨセ学 (日本棋道協会の有段者特訓塾)』フローラル出版 2002年
  • 『工藤紀夫—打碁鑑賞シリーズ<3>』日本棋院 2003年
  • 『やさしい定石 (マイコミ囲碁文庫シリーズ)』2007年
  • 『置碁三、四、五子局―白の狙いと黒の対策』日本棋院 2010年
  • 『やさしい死活 詳解85型+211問 (マイコミ囲碁文庫シリーズ)』2010年

エピソード

  • 若い頃の力碁は有名で、1955年影山利郎との対戦ではねじり合いから次々と黒石を打ち上げ、アゲハマ合計37個という歴史的な石取りを記録している。
  • 1997年の天元戦5番勝負でコウの石をすぐに取り返すという反則を犯し、反則負けを喫した。しかしこのことに動ぜず戦い、33歳年下の柳時熏を3-1で降してタイトルを奪取した。
  • 競輪ファンとして知られ、徳間書店から1986年に発刊された、阿佐田哲也編、『競輪痛快丸かじり』[12]にも登場した。

外部リンク

脚注

  1. ^ 小堀啓爾「現代の棋士 12人の世界』(日本棋院)P.45
  2. ^ 小堀啓爾「現代の棋士 12人の世界』(日本棋院)P.45
  3. ^ 小堀啓爾「現代の棋士 12人の世界』(日本棋院)P.47
  4. ^ 小堀啓爾「現代の棋士 12人の世界』(日本棋院)P.49
  5. ^ 小堀啓爾「現代の棋士 12人の世界』(日本棋院)P.49
  6. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  7. ^ 小堀啓爾『現代の棋士12人の世界』(日本棋院)P.54
  8. ^ 工藤紀夫九段が通算1000勝達成!10/6
  9. ^ 朝日新聞人物データベース
  10. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  11. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  12. ^ 競輪痛快丸かじり ギャンブルの帝王はジツに競輪だった! 阿佐田党武大派

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