森下卓
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森下 卓(もりした たく、1966年7月10日 - )は、将棋棋士。花村元司九段門下。棋士番号は161。福岡県北九州市小倉区(現:小倉南区)出身。竜王戦1組通算17期、順位戦A級通算10期。
注釈
- ^ 花村は元・真剣師であり、異色の棋風で知られる。将棋の師弟関係において、師匠が弟子に熱心な指導をつけることは稀であるが、花村は自分の異色な将棋が大山康晴に通じなかったことから、森下に正統派の将棋を教えこむために練習将棋を数多く指し(奨励会時代に千局以上)懇切丁寧な指導を行った。
- ^ それぞれ有吉道夫、塚田泰明に敗れた。
- ^ 同時昇級者は日浦市郎と佐藤康光。
- ^ 翌期は1勝5敗でリーグ陥落。
- ^ 土佐は「後1つの白星で降級点回避」という状況だったが、最終局1つ前の森下戦と、最終局を落とした結果、2つ目の降級点を回避できなかった。
- ^ 但し、意地の2勝目は当期昇級候補の門倉啓太相手に挙げた白星であり、結果的に門倉の昇級を阻止する形となった。
- ^ 師匠の花村は奇抜な攻めの手を指すことを好む棋士であり、森下の受けの強さは、花村の攻めを受けている間に身についたものだという説がある。
- ^ アシスタントは熊倉紫野。
出典
- ^ 平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)
- ^ a b c “1000局もの指導対局で培った直感力。森下卓九段に聞いた、師匠花村元司九段との思い出(1)|将棋コラム|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2020年12月22日閲覧。
- ^ a b “森下卓さん: 関弁連がゆく | 関東弁護士会連合会”. www.kanto-ba.org. 2020年12月22日閲覧。
- ^ 当時、講師として出演していたNHK将棋講座の中での発言。
- ^ ASCII. “森下九段が惨敗した小田原城決戦・電王戦詳細レポート”. 週刊アスキー. 2020年12月22日閲覧。
- ^ a b c 坂本寛. “最善手を指し続けても「将棋が終わらない」 将棋電王戦リベンジマッチ観戦記【後編】”. 日刊SPA!. 2015年3月21日閲覧。
- ^ “電王戦合議制マッチ | niconico”. 電王戦合議制マッチ|ニコニコ動画. 2020年12月22日閲覧。
- ^ “豊島七段の超速将棋が光った電王戦第三局詳細レポート”. 角川アスキー総合研究所. 2019年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月9日閲覧。
- ^ “【羽生・藤井公式戦初対局】(2)羽生将棋の“神髄”-際立つ勝利への執着心”. デイリースポーツ (2018年2月15日). 2018年2月16日閲覧。
- ^ “藤井七段が16歳初白星「無冠の帝王」森下九段破る”. 日刊スポーツ. 2019年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月8日閲覧。
- ^ 「もう帰るところはないぞ」奨励会のために一家で引っ越した佐々木大地の覚悟 文春オンライン
- ^ 森下卓九段、将棋電王戦出場のプレッシャーを正直すぎるほど正直に語る「豊島さん、負けてくれないか」 将棋ワンストップ・ニュース
- ^ “森下卓九段、愛息の朝ドラ出演に「びっくりぽん!」”. スポーツ報知. (2016年1月28日). オリジナルの2016年1月28日時点におけるアーカイブ。 2016年2月7日閲覧。
- ^ a b 森下九段の長男“成った”! 大地、朝ドラ「あさが来た」出演 スポーツ報知 2016年1月27日閲覧
- ^ “森下九段と長男大地が初共演 将棋界が舞台のNHK・BSドラマ 仕事への理解深め互いにリスペクト”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年1月16日) 2019年1月23日閲覧。
- ^ “森下卓九段、長男・大地がNHKドラマで親子初共演 息子の成長に喜び”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年1月16日) 2019年1月23日閲覧。
- ^ “藤井聡太七段、最年少タイトル獲得…「将棋と囲碁」学力アップの軍配は?「つるの剛士」ら語る”. デイリー新潮 (2020年7月17日). 2020年7月20日閲覧。
- ^ 『近代将棋』 2000年12月号、近代将棋 / 国立国会図書館デジタルコレクション、187頁 。
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