スポーツ報知
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/15 22:19 UTC 版)
スポーツ報知(スポーツほうち)は、報知新聞社および読売新聞中部支社、スポーツ報知西部本社が発行する日本のスポーツ新聞。
注釈
- ^ 大阪・西部版では、中継予定を関西・九州地区のものに差し替えている。ただし大阪管轄の中四国地方の放送については掲載されていない。
- ^ この号数は1872年7月15日に発行された前身「郵便報知新聞」の第1号からの起算であり、1942年8月5日に読売新聞と統合「讀賣報知」となった際は23584号だった。当時の主筆者であった武藤貞一は「栄誉ある本紙は23584号で終焉を告げた」とあたかも廃刊をしたような記述をし、「讀賣報知」の統合後は一旦、現在の読売新聞東京本社につながる発行紙齢を掲載していたが、夕刊新報知として復刊後は、統合・休刊前の号数を引き継ぎ、23585号から再開している。(大隈重信、原敬、犬養毅3総理輩出も、1942年に一度報知は「終焉」を告げた…創刊150周年 報知あの時(2)(2022年12月7日・スポーツ報知))
- ^ a b 直営の東京本社・北海道総局は東京・大阪・北海道の順。大阪本社だけ大阪・東京の順。フランチャイズの中部・西部についてはそれぞれの地域の分だけ。名古屋版創刊当初は中部読売と同じものが使われた。
出典
- ^ 報知新聞社社長・依田裕彦あいさつ 「 両国からも夢と感動をお届けします」
- ^ a b c d “創刊150年迎えた報知新聞社、創業の地「両国」に東京本社を移転”. 読売新聞 (読売新聞社). (2022年6月10日). オリジナルの2022年6月10日時点におけるアーカイブ。 2022年6月10日閲覧。
- ^ a b 1949年末、生き残りの秘策はスポーツ紙転身 GHQの目をすり抜けろ…創刊150周年 報知あの時(1)(2022年12月5日 スポーツ報知)・その記事の拡大
- ^ a b c 読者、記者も混乱の中、スポーツ紙として船出…創刊150周年 報知あの時(5)(2022年12月10日・スポーツ報知)・その紙面
- ^ スポーツ紙転換直前「常識破らなければ」衝撃の連載小説打ち切り…創刊150周年 報知あの時(4)(2022年12月9日・スポーツ報知)
- ^ a b 白石潔、編集局長時代に結婚 子煩悩な父親に…創刊150周年 報知あの時(8)(2022年12月15日・スポーツ報知)
- ^ 報知から読み解く巨人軍の不思議。プチ鹿島6月のスポーツ新聞時評。 NumberWeb 2017/06/30 17:00 (2021年11月24日閲覧)
- ^ 廃刊・休刊の新聞たち・中部読売新聞
- ^ a b スポーツ紙の題字 1
- ^ “報知新聞社が「相撲協会」所有のビルに移転へ 業界から“無気力報道”を心配する声”. デイリー新潮 (2021年8月27日). 2021年8月29日閲覧。
- ^ a b “報知新聞社、東京本社を6月に両国国技館近くへ移転…創刊150年”. 読売新聞 (2022年2月8日). 2022年2月9日閲覧。
- ^ 大阪でも報知(150周年記念特設サイト)
- ^ きょう150周年「スポーツ報知」紙面が変わる! 大相撲の大型企画など両国移転で内容パワーUP! 11日付「サタデーストーリー」に明石家さんま登場
- ^ “【競輪】村上義弘さんがスポーツ報知評論家に就任「選手の情熱や思考を皆さんに届けたい」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2023年4月1日) 2023年4月3日閲覧。
- ^ “報知新聞記者を懲戒解雇、甲子園の連載で盗用「重大な報道倫理違反」”. 産経新聞社 (2024年6月15日). 2024年6月15日閲覧。
スポーツ報知
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 09:47 UTC 版)
長嶋茂雄(1982 - '92、'02 -) ※客員評論家で「勝つ、勝つ、勝~つ!!」を随時執筆。 安藤統男(1985 - '86、'90 - ) 福本豊(1992 - '97、2000 - ) 堀内恒夫(1986 - '92、'99 - '03、'06 - ) 掛布雅之(1989 - '15、'18 - ) ※2015年までは専属。2018年からは大阪版を中心に「ミスター・タイガース 掛布論」を随時執筆。2020年から正式に復帰。 工藤一彦(2005 - 。サンケイスポーツで1991 - 2004) 高木豊(2014 - ) 村田真一(2004 - '05、'19-) 金村義明(2001 - ) 清水隆行(2010、2017 - ) 高橋尚成(2016 - ) 高橋由伸(2019 - ) ※「由伸フルスイング」というタイトルでコラムを執筆している。 山村宏樹(2017 - ) ※主に東北版を中心に「一発解投」のコラムを随時担当している。 藤川球児(2021 - ) 宮本和知(2022 - )
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スポーツ報知
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2018年(平成30年)10月2日、「温泉むすめ新聞」の定期発行が始まり「温泉むすめ新聞部」が創られ、部長に秋保那菜子役の高橋花林が就任した。
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「群青のファンファーレ」の記事における「スポーツ報知」の解説
2022年3月26日〜29日に東京ビックサイトで開催されていた『Anime Japan 2022』にて、スポーツ報知が号外を発行した。記事は音無優の芸能界引退記者会見の模様と、JO1大平と木全のインタビュー、澤野弘之の紹介記事で構成されている。
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スポーツ報知
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報知新聞社発行「スポーツ報知」も現地印刷を1996年11月より実施している。それまでは大阪本社発行のものを、空輸、もしくは鉄道便で輸送していたが、当支社の協力により、同社印刷工場を利用して、東京本社で製作された最終版(公営競技面のみ従来どおり大阪本社製作)の紙面を電送、同時印刷できるようになった。 なお欄外の版数を示すクレジットには「北陸」と、北陸支社工場で印刷されたことを示すものが掲載されている。
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