スポーツ報知
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/15 22:19 UTC 版)
スポーツ報知 SPORTS HOCHI | |
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種類 | 日刊紙 |
サイズ | ブランケット判 |
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事業者 |
株式会社報知新聞社(東京・大阪) 株式会社読売新聞東京本社・中部支社(名古屋) 株式会社スポーツ報知西部本社(福岡) |
本社 |
【東京本社】 (現在の東京都中央区日本橋横山町[1]→) (東京都千代田区有楽町1-11-1→) (東京都千代田区平河町2-29→) (東京都港区港南4-6-49→) 東京都墨田区横網1-11-1[2] 【大阪本社】 (大阪府大阪市北区本庄西→) 大阪府大阪市北区野崎町5-9 【中部支社】 愛知県名古屋市中区栄1-2-1 【西部本社】 (福岡県北九州市小倉北区明和町1-11→) 福岡県福岡市中央区赤坂1-16-5 |
代表者 | 依田裕彦(報知新聞社代表取締役社長) |
創刊 |
1949年(昭和24年)12月30日(東京) 1964年(大阪) 1979年(中部) 1998年(西部) |
前身 |
郵便報知新聞 (1872年7月15日 - 1894年12月25日) 報知新聞 (1894年12月26日 - 1942年8月5日) 讀賣報知(現・読売新聞) (1942年8月6日 - 1946年4月30日) 新報知 (1946年12月 - 1948年) 報知新聞 (1948年 - 1949年12月29日) 報知スポーツ(中部支社版の旧名) (1979年2月24日-1996年(改題時期不明)) |
言語 | 日本語 |
価格 |
1部 【東京・大阪】160円 【中部支社版】130円 月極 【東京・大阪】3,700円 【西部本社版】3,700円 【中部支社版】3,000円 |
ウェブサイト | https://hochi.news/ |
概要
題号は『スポーツ報知』となっているが、正式名称は『報知新聞(ほうちしんぶん)』である。
戦前の1942年に新聞社の持ち分合同による経営統合で読売新聞と合併、「讀賣報知」としたが、戦後一度読売から独立。夕刊紙「新報知」→「報知新聞」を経て、経営難から1949年に再度読売新聞傘下に入り、朝刊のスポーツ新聞に転換した。
「新興夕刊紙」としての新報知再創刊当初は、GHQによる新聞統制で、新聞発行に必要とされる印刷用紙の制限もあったため、発行部数は5万部にも満たず、印刷代もかかることから、従業員が現代のストライキに当たる「年末の餅代よこせ運動」なる行動を起こす羽目となった。さらに1949年11月にいわゆる全国紙(中央紙)が事実上夕刊を解禁したことから報知新聞としても再廃刊の危機が高まり、「社内ではもう年を越すのも難しいと覚悟する者も少なくはなかった」(元報知新聞記者・田中茂光の証言)といわれたが、読売新聞からの支援を再開することによって、スポーツ紙への転換という名目で存続の道を図ったとされる。しかし、引き続き新聞統制が続き、GHQの検閲・審査をクリアしないと新規の発行ができないため、1949年12月28日の社告でもあえてスポーツ紙への新装刊を隠して、一般紙のままで「スポーツ欄大拡充」とアピールすることでしのいだとされる[3]。
そのため、1949年12月30日の朝刊スポーツ紙としての新装刊第1号も、一般紙と同じ扱いでトップ記事は一般の社会記事を掲載したが、左側に「2リーグ制移行問題で両リーグはどうなるか」と題した座談会や、読売ジャイアンツ・手塚明治の自主トレーニングなどスポーツ記事も掲載するなどした[4]。スポーツ紙の創刊(移行)は、全国4例目(日刊スポーツ、デイリースポーツ、スポーツニッポンに次ぐ)で、東京創業のものとしては日刊スポーツ以来2つ目である[4]。
ただ、スポーツ紙移行に際しては弊害もあり、1949年12月1日から全120回の連載予定で井上友一郎の長編小説「東京放浪歌」が掲載されたが、上記12月30日からのスポーツ紙への新装刊に際して、「連載小説もこの紙面にふさわしい大衆的な娯楽本位のものに切り替えることになりました。『東京放浪歌』は作者の井上氏の好意あるご了承のもとに本日(12月29日付け)限りで中止することにいたしました」と記述され、紙面では「井上氏の好意により」とされているが、実際はスポーツ紙に移行するにあたって、新連載「探偵捕り物シリーズ」という短編連作ものを掲載する事が決まっていたことによる強制的な打ち切り(実質未完)だったことがうかがえ、このことは日本新聞協会の会報・1950年1月20日号でも大きく問題視され、「社側(報知新聞)=紙面性格の転換、作者側(井上)=道徳上の責任問題」と書かれる始末となった[5]。
また、創刊当初からの古参の読者からも、伝統ある報知新聞がようやく復刊したかと思ったら、今度はスポーツ・芸能新聞になることで、「伝統を汚すのか」という苦情と、「スポーツ紙への移行という大英断を褒めるべき」とする意見で二分化され、新聞社に投書が殺到したほか、元々は政治担当の記者だった者がスポーツ記者に転向させられるなど、混乱も少なくはなかったという[4]。そのため、報知新聞社が発行する社史にはスポーツ紙への転換については大きく触れてはいないが、読売新聞が発行した社史「読売新聞80年史」(1955年)には「報知新聞は姉妹紙」としたうえで、直接スポーツ紙としてはなく、「スポーツ・文化・芸能を主体とした特殊紙に生まれ変わった」として紹介されていた[3]。
スポーツ紙新装刊以後も、歴史的な経緯から『報知新聞』の題号を使い続けたが、スポーツ紙40周年(1990年)を契機として、1991年2月以後は現在の『スポーツ報知』の題号を用いてそれまでの『報知新聞』からより一層スポーツ紙としてのカラーを打ち出すようになっている。1ページ右上に黄色地の楕円形に緑色で「スポーツ報知」と書かれた題字は同年4月からで、それ以後スポーツ報知の社員は名刺にこの2つの題字(「報知新聞」と「スポーツ報知」)を並列して記載したデザインが配布されている[6]。
スポーツ報知としてのニュースサイトは、2019年3月26日より独自ドメインである「hochi.news」を使用している。それとは別に、報知新聞社としての企業情報サイトとして「hochi.co.jp」を使用している。
かつてはニュースサイト・企業情報サイトとも共通で、読売新聞傘下の「hochi.yomiuri.co.jp」を一時期使用していた後、2014年4月1日から再び独自ドメインの「hochi.co.jp」を使用していた(なお、独自ドメインの「hochi.co.jp」はそれ以前にも使用したことがある)。
読売新聞グループのスポーツ新聞(ただし、持株会社の直系傘下ではない)であることから読売ジャイアンツ(巨人)の情報が多く、一面左下には毎日必ず「ジャイアンツ日記」というミニコラムを掲載するなどしていることから、全国の野球ファンからは「ジャイアンツの機関紙」と認識されている。実際、フリーペーパー『スポーツゴジラ』の「スポーツ新聞特集」(2016年5月発行分)では、『スポーツ報知』の記者みずから「巨人の機関紙」と説明していた[7]。なお、巨人が勝った翌日は1面から3面が巨人関連ニュースになる他、巨人の選手のコメントもきめ細かく掲載している。
スポーツニッポンにおける「スポニチ」やサンケイスポーツにおける「サンスポ」のような略称は無いが、一般には「報知」と呼ばれている。
発行所
- 報知新聞社
- 東京本社(対象:東北、関東、甲信越、静岡県、石川県、富山県)
- 北海道支社(同:北海道)
- 大阪本社(同:近畿〔三重県伊賀地域含む〕、福井県、中国〔山口県を除く〕、四国)
- 東京本社(対象:東北、関東、甲信越、静岡県、石川県、富山県)
- 読売新聞中部支社(対象:中京〔三重県伊賀地域除く〕) 下記参照)
- スポーツ報知西部本社(対象:九州〔沖縄県除く〕、山口県 下記参照)
- 事実上、東京・大阪が直営。名古屋と福岡はフランチャイズ契約である。
- 1面の発行所の表示は、東京本社版は東京本社、大阪本社、北海道支社の順、大阪本社は大阪本社、東京本社の順。中部支社と西部本社はそれぞれの地域発行所のみ。
- 上記の通り発行社が地域によって異なるため、2週間の試読申し込みについては、「※九州・沖縄・中部(愛知・岐阜・三重)は対象外とさせて頂きます。」と但し書きされている。
- 月ぎめの定期購読は、発行する地域に関係なく本社購読申込ページからも申し込むことができるが、「名古屋地方(中部支社)・九州地方(西部本社)の方で、インターネットでお申し込みの場合配達される新聞は、その地域で発行されているスポーツ報知になります。」との但し書きがある。西部版(九州・山口)については西部本社の専用申込ページもあるほか、中部版を購読する場合は、読売新聞中部支社販売部へ電話するように呼びかけている。
読売新聞中部支社
東海3県(愛知県・岐阜県・三重県)では、読売新聞東京本社の支社である「読売新聞中部支社」から発行している。1979年に当時の中部読売新聞社(現・読売中部支社)が当時の報知新聞の中部版「報知スポーツ」として発刊したのが始まりである。創刊当初は題字は朱色・見出しはモノクロと、東京・大阪版とは逆であった[8]・[9]。
中部読売新聞社は1988年6月1日に読売興業へ統合されたうえで「読売新聞中部本社」→2002年4月の読売新聞の持株会社化により「読売新聞東京本社・中部支社」となるものの、発行元・題字などの各種発行形態に大きな変更はなかったが、1996年に他の地域と同じスポーツ報知と題号を変更した。ただし、他地域が報知新聞の題号を紙面に併記しているのに対し、中部地域のものはスポーツ報知の題号のみ(1面の日付の下の小題字も他地域が緑地の「報知新聞」であるのに対し、中部版は「スポーツ報知」のロゴで掲出。各面の「第三種郵便物認可」のクレジットの横には「報知新聞」と表記されているが中部版は表記なし。ただ2015年ごろから、題字下の著作権クレジットには「©読売新聞社、報知新聞社」と並列記載されている)である。1部売りは中部版のみ100円(同一地区で発行される中日スポーツも一部売りは100円。他地域は130円)だったが、2012年4月1日より120円となり、同一地区で発行される日刊スポーツ、スポーツニッポンと同一価格となった(ただし日刊およびスポニチ同様、他地域より10円安くなっている。中日スポーツは2012年5月に110円に、さらに2013年4月1日より120円に値上げし、中部版エリアで発行される朝刊スポーツ紙はすべて120円となる)。2014年4月1日、消費税が5%→8%に増税になったのに伴い、130円に値上げされた。中日スポーツや日刊スポーツ(大阪版)同様、アダルト記事が宅配版・即売版とも掲載されていない。
プロ野球とJリーグ(シーズン中)の試合・テレビ放映日程の表は原則東京版と同じものであるが、東海地方の読者に配慮するため、欄外に「東海地方の中継」として記載されている[注 1]。また中央競馬の記事は、中京競馬場が関西地区扱いであるため、大阪本社製作のものを収録している。
また、東海3県内で発売されるスポーツ紙では唯一、新聞休刊日における特別版を発行していない(その際は「あすの本紙は休みます」と1面の隅に小さく表示される)。このため、休刊日特別版に掲載される読者プレゼント(懸賞企画)は休刊日翌日の通常版に1日遅れで掲載される。
スポーツ報知西部本社
1997年11月、それまでスポーツ報知が発行されていなかった九州・山口地方での発行を目的に、株式会社よみうりが子会社として「株式会社スポーツ報知西部本社」を設立。1998年3月からスポーツ報知を福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、山口県に向けて発行。
スポーツ報知は1998年以前まで九州(山口県以西)では発行されていなかったが、九州版の発行でスポーツニッポン、日刊スポーツに続いて全国をカバーするスポーツ新聞となった(沖縄県では発行されていないが、沖縄では東京版が空輸によってコンビニで販売されている)。2002年7月の読売グループ再編により、現在は読売新聞西部本社の子会社となっている。
注釈
- ^ 大阪・西部版では、中継予定を関西・九州地区のものに差し替えている。ただし大阪管轄の中四国地方の放送については掲載されていない。
- ^ この号数は1872年7月15日に発行された前身「郵便報知新聞」の第1号からの起算であり、1942年8月5日に読売新聞と統合「讀賣報知」となった際は23584号だった。当時の主筆者であった武藤貞一は「栄誉ある本紙は23584号で終焉を告げた」とあたかも廃刊をしたような記述をし、「讀賣報知」の統合後は一旦、現在の読売新聞東京本社につながる発行紙齢を掲載していたが、夕刊新報知として復刊後は、統合・休刊前の号数を引き継ぎ、23585号から再開している。(大隈重信、原敬、犬養毅3総理輩出も、1942年に一度報知は「終焉」を告げた…創刊150周年 報知あの時(2)(2022年12月7日・スポーツ報知))
- ^ a b 直営の東京本社・北海道総局は東京・大阪・北海道の順。大阪本社だけ大阪・東京の順。フランチャイズの中部・西部についてはそれぞれの地域の分だけ。名古屋版創刊当初は中部読売と同じものが使われた。
出典
- ^ 報知新聞社社長・依田裕彦あいさつ 「 両国からも夢と感動をお届けします」
- ^ a b c d “創刊150年迎えた報知新聞社、創業の地「両国」に東京本社を移転”. 読売新聞 (読売新聞社). (2022年6月10日). オリジナルの2022年6月10日時点におけるアーカイブ。 2022年6月10日閲覧。
- ^ a b 1949年末、生き残りの秘策はスポーツ紙転身 GHQの目をすり抜けろ…創刊150周年 報知あの時(1)(2022年12月5日 スポーツ報知)・その記事の拡大
- ^ a b c 読者、記者も混乱の中、スポーツ紙として船出…創刊150周年 報知あの時(5)(2022年12月10日・スポーツ報知)・その紙面
- ^ スポーツ紙転換直前「常識破らなければ」衝撃の連載小説打ち切り…創刊150周年 報知あの時(4)(2022年12月9日・スポーツ報知)
- ^ a b 白石潔、編集局長時代に結婚 子煩悩な父親に…創刊150周年 報知あの時(8)(2022年12月15日・スポーツ報知)
- ^ 報知から読み解く巨人軍の不思議。プチ鹿島6月のスポーツ新聞時評。 NumberWeb 2017/06/30 17:00 (2021年11月24日閲覧)
- ^ 廃刊・休刊の新聞たち・中部読売新聞
- ^ a b スポーツ紙の題字 1
- ^ “報知新聞社が「相撲協会」所有のビルに移転へ 業界から“無気力報道”を心配する声”. デイリー新潮 (2021年8月27日). 2021年8月29日閲覧。
- ^ a b “報知新聞社、東京本社を6月に両国国技館近くへ移転…創刊150年”. 読売新聞 (2022年2月8日). 2022年2月9日閲覧。
- ^ 大阪でも報知(150周年記念特設サイト)
- ^ きょう150周年「スポーツ報知」紙面が変わる! 大相撲の大型企画など両国移転で内容パワーUP! 11日付「サタデーストーリー」に明石家さんま登場
- ^ “【競輪】村上義弘さんがスポーツ報知評論家に就任「選手の情熱や思考を皆さんに届けたい」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2023年4月1日) 2023年4月3日閲覧。
- ^ “報知新聞記者を懲戒解雇、甲子園の連載で盗用「重大な報道倫理違反」”. 産経新聞社 (2024年6月15日). 2024年6月15日閲覧。
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