B級1組とは? わかりやすく解説

B級1組

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:54 UTC 版)

順位戦」の記事における「B級1組」の解説

田中寅彦「A級昇級の確率64分の63」(第57期) 第57期1998年度)のB級1組は、第9回終了残り2局)の時点田中寅彦(8勝1敗、リーグ表4位)がトップ2番手の郷田真隆(7勝2敗、リーグ11位)と3番手の南芳一(6勝3敗、リーグ表2位)が追いかける展開となっていた。すでに互い直接対決終わっていたので、残り2局で田中2連敗し、かつ、郷田と南が2連勝するという「確率64分の1」の事態ならない限り田中昇級2名の中に入りA級復帰するという状況であった次の第10回戦で田中負け郷田と南は勝ち、「64分の1」が「8分の1」になった最終第11回戦でも田中負け郷田勝った。しかし、南が福崎文吾負けたため、田中のA級復帰決まった当時田中NHKテレビ放送で「福崎君に感謝しないと」と語った24時間対局(第63期) 2004年6月25日の第63期B級1組、中川大輔行方尚史では、持将棋指し直し千日手指し直し発生したために、翌朝9時過ぎでかかった結果行方の勝ち。中川ジャケットワイシャツ脱ぎTシャツ姿で対局した。翌日対局があるため、対局場を追い出され2人は、控え室プラ駒、3寸盤で感想戦行った持ち時間の90%を1手に使う(第64期) 2005年9月2日のB級1組、青野照市堀口一史座で、堀口56手目7六歩突きの1手に5時間24分(持ち時間6時のちょう90%)の大長考をする。昼食休憩挟んでいるので事実上はもっと長い。▽7六歩▲同銀▽4九角が狙い筋の局面であった結果堀口の勝ち。後日囲碁・将棋ジャーナル出演した際、「気力充実していたから考えられた」との旨を語ったちなみに局面は、いわゆる指定局面」と称されている角換わり腰掛け銀先後同形38手目)から先手番の青野仕掛けた以降応酬であった将棋フォーカス紹介された際は井上慶太九段に「プロなら第一感の手と言われた。 井上慶太「A級復帰の確率64分の63を逃してから、復帰を果たすまで」(第67期) 第57期(1998年度)でA級から降級した井上慶太早くも翌第58期(1999年度)にA級復帰チャンスを掴む。残り2局の時点で7勝2敗とし、自身連敗し追いかける青野照市先崎学両者連勝するという「確率64分の1」が起きない限り昇級という状況になる。しかし、残り2局を連敗する青野先崎連勝し7勝4敗の3位昇級逃した次に迎えた復帰チャンスは第61期(2002年度)。再び残り2局の時点で7勝2敗とし、連勝復帰決められる状況になる(1勝1敗の場合は「確率4分の3」、連敗場合は「確率8分の1」時でA級復帰)。しかし、残り2局を連敗し連勝した鈴木大介抜かれ3位昇級逃した(もう1人昇級者は久保利明)。3度目復帰チャンスは第67期(2008年度)。この期大混戦となり、11回戦終了時点で7勝4敗の成績ながら(勝数順で)暫定1位となる。最終13回戦は抜け番(対局なし)のため、自力昇級無かったものの12回戦は久保利明勝てば昇級確率は「16分の15」、負けたら「512分の3」になるという大一番となった結局、この対局制した結果同じく12回戦で先に杉本昌隆敗れていたため、11期ぶりのA級復帰決めた A級昇級者2名がタイトル保持者(第68期) 第68期(2009年度)では、B級1組で渡辺明竜王がA級初昇級し久保利明棋王王将昇級決定時点では棋王の一冠)がA級に復帰したA級昇級者が2名ともタイトル保持者であるのは史上初である。深浦康市王位昇級争い加わっていたが、終盤渡辺との直接対決敗れた一方当時タイトル12期佐藤康光九段がA級から陥落したまた、この年度はA級以外においても、B級2組中村修九段(王将2期)がB級1組に復帰し内藤國雄九段(棋聖王位2期)および森雞二九段(棋聖王位2期)がC級1組降級するなど、タイトル経験のあるベテラン棋士昇降級が集中するという特異な年度となった大地震の最中に「A級昇級者決定戦」(第69期) 第69期2010年度)B級1組は、佐藤康光最終局を待たずしてA級復帰決め、残る1つ最終局(2011年3月11日)にて屋敷伸之松尾歩直接対決(7勝4敗同士)で争うこととなった。どちらが勝ってもA級初昇級である。その対局途中で東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生対局場の東京将棋会館から一同が外に避難し18時に対局再開された。なおも余震が続く中での対局であったが、屋敷勝利初タイトルから20年経ってからのA級昇級となったA級からの降級者がゼロ(第76期) 第75期A級順位戦先述三浦弘行特例措置施されたことによって降級が1名だけとなった。そして最終戦結果、3勝6敗勢の中で一番順位低かった森内俊之名人位含めて22期連続維持していたA級から陥落したその後内はフリークラス宣言したことによって第76期のB級1組にはA級からの降級者が1人もいない状態になり定員13名に対し11名と2人分欠員となった通常この人数以下の場合誰も降級することはないが第76A級順位戦降級が3名となる関係でB級1組の降級が1名となった降級が1名というケース過去にも何度かはあったが、A級からの降級者が1人もいない事態順位戦史上初めての出来事となった。そして名人2期経験を持つ丸山忠久が2勝8敗の最下位降級となり、名人経験者B級2組降級するのは第62期の加藤一二三以来14期ぶりとなった勝率6割で昇級(第76期) 阿久津主税は、第76期B級1組で6勝4敗(勝率 .600)ながら、2位成績となり、A級復帰決めた勝率6割での昇級は、順位戦各組で史上最低新記録予選リーグ決勝リーグ2段階に分かれた第3期を除く)。ちなみに76名人位挑戦も同じ6勝4敗であり、勝率6割での挑戦A級順位戦史上最低タイ記録(第44以来)である。 永世名人初B級2組への降級(第78期) 第78期B級1組では永世名人資格者である谷川浩司B級2組への降級決定した過去永世名人資格者B級2組への降級前に引退フリークラス転出しているため、永世名人資格者B級2組への降級史上であったB級1組順位戦の歴代全勝達成者 2021年3月終了した79期B級1組順位戦終了時点で、達成者丸山忠久(第56期)と渡辺明(第77期)の2名で、A級順位戦全勝達成者より少ない 。

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B級1組

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3月のライオン」の記事における「B級1組」の解説

櫻井岳人さくらい がくと) 声 - 小野大輔 30歳。七段。のある風貌優美な振る舞いで、棋界での集客力ナンバー1とされる将棋本格居飛車正統派匠戦の挑戦者決定戦島田対戦する敗れ、自らのタイトル戦注目集めさせたかった柳原落胆させた。 登山趣味で、先輩後輩別な気に入った棋士を山に誘い本人意図しないうちに自身信奉者増やしているが、天然悪意は無い。島田との対局は、登山魅力熱情的訴え櫻井と、幼少期から山で農作業をしていたために全くその誘い乗らない島田、というイメージ描かれた。

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