盤外戦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 盤外戦の意味・解説 

ばんがい‐せん〔バングワイ‐〕【盤外戦】

読み方:ばんがいせん

囲碁将棋で、対局有利に進めるために、盤上対局とは別に行われる戦いまた、その戦術対局相手心理的な圧力かけたり相手集中力をそいだりする。盤外戦術


盤外戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 16:35 UTC 版)

盤外戦(ばんがいせん)とは、ボードゲームにおいて、盤上の勝負とは別に、対局前や対局中に行われる心理戦のことを指す。


注釈

  1. ^ ただし、これに関しては、羽生を将来のタイトルホルダーと見込んだ大山が、地方対局の多いタイトル戦の雰囲気を羽生に体感させるために行ったとする見方もある。(椎名龍一『羽生善治 夢と、自信と。』)なお、日本将棋連盟発行の「大山康晴名局集」(P410~、2012年)に収録されているこの対局の自戦記では、大山は対局場の移動に触れていない。
  2. ^ 石田和雄も同様の行為を頻りに行う傾向があった。
  3. ^ 申し立ての仲裁などを行う資格を持った審判員。
  4. ^ 自分の手番では、駒を移動するまで着席している必要があり、相手の手番でも席を外す際はアービターに許可を得る必要がある。

出典

  1. ^ a b c d e f g 河口俊彦『大山康晴の晩節』(新潮文庫ISBN 978-4101265131
  2. ^ 佐藤天彦『理想を現実にする力』朝日新聞出版、2017年、66頁。ISBN 978-4-02-273714-4 
  3. ^ a b c 『現代に生きる大山振り飛車』 藤井猛・鈴木宏彦、日本将棋連盟、2006年12月、ISBN 978-4-819-70232-4
  4. ^ 「別冊NHK将棋講座 もう一度見たい!伝説の名勝負」P137~138、NHK出版 2011年2月
  5. ^ ザ・王将戦(大山王将の二上八段向け盤外作戦) | 将棋ペンクラブログ
  6. ^ 『勝負師』(朝日新聞社、ISBN 978-4022598578
  7. ^ 1982年小学生名人解説会
  8. ^ 原田泰夫 (監修)、荒木一郎 (プロデュース)、森内俊之ら(編)、2004、『日本将棋用語事典』、東京堂出版 ISBN 4-490-10660-2 pp. pp.124-127
  9. ^ 加藤一二三「将棋名人血風録」角川書店、2012年、P116
  10. ^ 『日本将棋用語事典』p.124 斜体部はここからの引用。なお、日本将棋連盟 2004年『米長邦雄の本』でもこの逸話が紹介されているとのことである。
  11. ^ 藤井猛竜王(当時)「特別対局室で指したい」 将棋ペンクラブログ、2017年1月16日(2017年7月5日閲覧)。
  12. ^ European Chess Union introduces 'no cleavage' dress code


「盤外戦」の続きの解説一覧

盤外戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 21:37 UTC 版)

大山康晴」の記事における「盤外戦」の解説

対局相手無形圧力加えるなど、いわゆる「盤外戦」を駆使した面がしばしば強調される例え有名な高野山の決戦である。A級1位だった升田塚田正夫への挑戦者当然だったが、名人戦当時主催していた毎日新聞社は、自社嘱託棋士であったB級1位の大山強引に参画させるため、突然A級上位3名とB級1位のプレーオフ名人戦挑戦者決め変則実施した朝日新聞社嘱託棋士であった升田には、対局日程も場所も事前に通知無く真冬高野山に行く升田同行者出さないという冷遇をした。しかも、十二指腸具合よくなかった升田温暖な場所での対局依頼していたが、毎日新聞社寒冷な高野山を選ぶなど、升田対局する以前大山側から強烈な盤外戦を喰らっていたという説もある。 一方河口俊彦は、毎日新聞社が、朝日新聞社嘱託棋士であった升田悪意のある仕打ちをしていたというのは、升田考えすぎであろう、という趣旨述べている。 昭和23年1948年)の「高野山の決戦」の後の昭和28年1953年)に毎日新聞社入社し長く観戦記者務めた井口昭夫は、下記のように述べている。 「B級1位を参画」という制度変更は、「順位戦開始前」にされていた筈だ。(升田知らなかったかもしれないが)順位戦終わった段階での、制度変更考えられない。なお「B級1位を参画」は七段時代升田が、木村名人との五番勝負勝った結果としてB級逸材にも挑戦チャンス与えよう」という流れである。 井口は、高野山での対局毎日新聞社担当した者に話を聞いた当時食糧難対局所を探すのも困難であり、食糧が十分確保されている高野山対局場所として適所としてあげられた。なお、「途中寒くても、寺に入ってしまえば防寒用意発達している」と高野山側の説明受けていた。 毎日側は升田連絡しようとしたが、升田所在わからず困惑していた。朝日新聞側の担当者も、升田連絡つかないことを心配していた。 敗戦から3年経た昭和23年未だ日本の食事情厳しく、「高野山の決戦」については、対局前夜供されるすき焼き材料主催社の毎日新聞社提供し高野山滞在中に関係者食べ白米出典には「銀飯」とある)は高野山提供し左党升田欠かせない酒は後援者提供した食糧確保のための関係者努力多大なものであった。 なお、大山の側も、朝日新聞社名人戦主催するようになって以降は相当の盤外の圧力被っていたという説もある。升田勝てば役員総出で大宴会になり、大山勝ったそのまま全員帰った大山升田敗れればカメラマン何度も投了瞬間再現するよう迫ったという逸話伝えられている。これで奮起した大山2期後に名人位升田から取り戻し13連続通算18期名人位獲得しその後二度と終生ライバルであった升田タイトルを譲る事はなかった。

※この「盤外戦」の解説は、「大山康晴」の解説の一部です。
「盤外戦」を含む「大山康晴」の記事については、「大山康晴」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「盤外戦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「盤外戦」の関連用語

盤外戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



盤外戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの盤外戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大山康晴 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS