オリックス・バファローズ
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ユニフォームの変遷
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一軍
- 1936年…現在のホーム用にあたる白地に飾り文字、ビジター用にあたるユニフォームは紺が使われていた[注釈 40]。
- 1937年 - 1940年…チームカラーがオレンジに変更される。また紺地に白のペンシルストライプが登場。
- 1940年 - 1944年…戦況の悪化により「H」マークを廃止。また、左袖には阪急の社章が入る。
- 1945年 - 1949年…「H」マークが復活。ビジター用に当たるグレーは「HANKYU」のロゴ。当時はペンキで描いていた。
- 1947年 - 1952年…ロゴの「H」マークが丸くなり、ホーム用に阪急独特のナール型(丸文字)背番号が登場。ビジター用は同じ書体で丸味のない角型。茶の「Braves」は1950年まで使用。
- 1951年 - 1954年…ペンシルストライプを復活。また、ロゴが赤茶に変更される。
- 1955年 - 1959年…ミルウォーキー・ブレーブスを意識したホーム用ユニフォームが登場。同時にチームカラーが紺と海老茶[179]に変更される。1957年から帽子のマークを変更。
- 1960年 - 1961年…「Braves」の書体が変更され1980年代初頭まで使われる。前立てラインが登場。また帽子のツバを赤に変更。
- 1962年 - 1971年…縦縞が初登場。この時代はマイナーチェンジが繰り返される。
- 1972年 - 1983年…衣類の技術的進化によりカラフルな色が出せるようになり、丸首ニット製ベルトレスユニフォームを採用。プルオーバーとなる。ロゴ、胸文字、背番号が赤(縁取り:黒)、アンダーシャツ、ストッキング、が黒、首、袖が赤、黒、白のライン、帽子は黒地にHマーク、ツバが赤。マイナーチェンジを重ねつつ、1983年まで基本スタイルが踏襲され、黒、赤、白=常勝阪急のイメージが定着する。
- 1975年 - 1979年…袖とパンツのラインが太くなり、首部分に伸縮ゴムが入る。1975年 - 1977年の3年連続日本一(1975年 - 1978年は4年連続リーグ優勝)になったゲンのいいユニフォーム。ビジター用はグレーからスカイブルー、スパイクが黒から赤地に白ライン(美津濃製の「M」ライン)となる。
- 1977年より…背番号の上に選手のネームが入る。
- 1980年 - 1983年…アンダーシャツ・ストッキングを赤に変更。同時に、ベルト式(オーバーカバータイプ)になり、ボタン型となる(但し、第3ボタンまでがボタン式であとは飾りボタンのプルオーバー型)。スパイクが白地に赤ラインになる。
- 1981年 - …袖のラインを「黒・白・赤」から「赤・白・黒」に変更(パンツのラインは変更なし)。下述する1984年以降のユニホームにも引き続き採用した。
- 1984年 - 1988年…帽子のマークが「H」から西洋の騎士が身につける「プレートアーマー」のマスクをイメージした「B」に変わり、前面が白になる。同時にホーム用がモデルチェンジ。ボタン無しのVネックプルオーバータイプとなり、「Braves」のロゴが筆記体から変わる。また、1947年以来続いていたナール(丸文字)型の背番号の書体が変更となり、角文字になり、胸番号がゴシック体になる。
- 1985年 - 1988年…ビジター用もモデルチェンジする。デザイン書体などはホーム用同様で、胸ロゴが「HANKYU」から「Hankyu」へと小文字のゴシック体にかわる。左袖にはブレービーのワッペン(三角形)がつく。
- 1989年 - 1990年…球団がオリックスに譲渡され、球団名がオリックス・ブレーブスに変更される。チームカラーをオリックス・ブルー(藍色)とブレーブス・ゴールデン・イエロー(黄色)に変更。阪急時代のプルオーバーのVネックが継続され、ラインは藍・黄・藍に変更。ビジター用は上下スカイブルー地から、上着が藍色(ラインの色も反転し黄・藍・黄)で下がホーム用と同じ白のスタイルになる。背番号、胸番号の書体が高校野球型の書体となる(この番号の書体はブルーウェーブになってからも使用され、2000年まで使用された。ただし「8」のみ、同じ書体を使用していた広島や中日のものと異なり、中央の交差部分がX型ではなく横棒になっていた)。袖のワッペンは、右のみ。ホーム用はオリックスの社章、ビジター用はブレービーのワッペン(三角形)。ビジター用のワッペンは1989年夏から変更(デザインは同じで、枠のみ逆三角形で黄色地に藍色の縁取りに変更)。帽子マークはチームロゴと同じ「Braves」(黄色)。またヘルメットの前面左から庇にかけて「赤の3本ライン」が入り(阪急で使われたものを継続し、親会社の新しいロゴにも取り入れられることになった)、球団名が「ブルーウェーブ」「バファローズ」となってからも2010年まで使用された(ビジター用は2009年に廃止)。
- 1991年 - 2000年…本拠地の神戸移転と球団名変更を機に胸のロゴが「BlueWave」に、帽子マークが「BW」に変更される。基本デザインは従来どおりの藍色と黄色(チーム名が変更されたため、この黄色の呼称も「ブルーウェーブ・ゴールデン・イエロー」に変更された)のユニフォーム。左袖はホーム用はオリックスの社章、ビジター用は「BlueWave」。この間、右袖のワッペンだけマイナーチェンジが繰り返される。
- 2001年 - 2004年…プルオーバーを廃止しボタン式に変更。オリックスブルーがより濃い紺色になり、従来のラインを廃止し紺色のラケットライン(ビジター用は地色と同色)が入り、選手名、背番号書体が斜体のかかったものに変更される。ヘルメットの「BW」ロゴがワッペンに変更。
- 2005年 - 2010年…近鉄との吸収合併により球団名がオリックス・バファローズに変更される。ユニフォームは胸のロゴを「BlueWave」から「Buffaloes」に変更し左袖に近鉄の文字を追加、帽子は「BW」を「Bs」に変更(胸・帽子ともにブルーウェーブ時代と同じ書体)しただけでそれ以外は従来どおり。新しいユニフォームを見た旧近鉄選手や旧近鉄ファンなどからの批判もあり、急遽大阪ドーム用のユニフォームを作成することになった。
- 大阪ドーム用ユニフォームは帽子と胸の左側部分に、従来とは異なるデザインの紺に黄色の縁取りがある「Bs」マークを使用。ロゴは水牛の角をモチーフにデザイン。前立てにはブルーウェーブ時代のユニフォームと同様に紺のラインが入っている。また、紺のラグランスリーブと帽子の赤いライン(パイピング部・天頂部から鍔の付け根、フロント部に縦に点線状に2本)、袖口の赤いラインに近鉄のイメージが残るように配慮されている(赤は近鉄のメインカラーであり、ラグランスリーブも色は異なるが1974年から1996年までの近鉄のユニフォームに使用されていた)。
- 2005年は阪神・淡路大震災から10年目の年で、神戸用ホームの左胸には「がんばろうKOBE 10th」のワッペンがつく。
- 2006年 - 2008年…神戸用ホームユニフォームの帽子・胸ロゴも大阪用と同じ書体のロゴに変更(ビジター用の帽子ロゴも合わせて変更)。2005年以後の神戸を除く地方遠征(公式戦では東京ドーム)は神戸仕様を使っていたが、2008年の東京シリーズは大阪仕様のものを着ていた。
- 2009年 - 2010年…ビジター用のユニフォームのデザインが変更。「ORIX」の文字や背番号などが白い文字になった。パンツのラインが赤色に変更。また、キャップはホーム用も含め大阪用に統一された(神戸用ユニフォームは廃止)。
- 2010年…ビジター用のキャップ及びヘルメットのデザインが変更。「Bs」の文字が白一色になり、オリックスのCIである斜め線が廃止された。庇の部分が赤色になった(ホーム用は変更なし)。また、デザイン変更に伴い、ニューエラ製のキャップからミズノ製へと変更。
- 2011年 - …帽子ロゴなどを除いて大幅にリニューアル。それまで使用されてきたオリックス・ブルー、ゴールデン・イエロー、赤に代わり、ウォーター・ネイビー(従来より深い濃紺)、エキサイティング・ゴールド(金色)、クール・ホワイト(白)がメインカラーとなる[180]。帽子はネイビー地でロゴがゴールド一色。ホーム用はラケットラインにゴールドを配色し、胸に「Buffaloes」ロゴが6年ぶりに復活。ロゴ自体も以前のブルーウェーブ型の書体から「Bs」マークに合わせた書体に変更。左側の「f」をひっくり返すことで「牛の角」をイメージし、配色は地色がネイビーで縁取りがゴールド。ビジター用は上下グレー地となり、「ORIX」のロゴもチームロゴと同じ字体に変更(オリックス球団初のロゴ変更)、ラケットラインはネイビー。ヘルメットはつや消し塗装を採用し、デザインは前述の帽子と同じものでホーム・ビジターとも統一され、赤の3本ラインが完全に廃止。日曜日のホームゲームで着用するサードユニフォームも採用[181]。デザインは上が濃紺、「Buffaloes」のロゴ・胸番号・背番号・背ネームがゴールドで下が白のユニホームとなる。3種とも、右袖に新ロゴマークを挿入。ユニフォームのデザイナーは池越顕尋、生地はミズノ社製でWBC日本代表のユニフォームと同じ素材を使用し、従来のものよりも約35グラムも軽く、また速乾性にも優れている[182][183]。
- 2012年…キャプテン・後藤光尊の左胸にキャプテンマーク(金縁に紺色)
- 2014年…サードユニフォームが変更。デザインは上が濃紺でゴールドのラケットライン、「Buffaloes」のロゴ・背番号・背ネームが濃紺地にゴールドで縁取り、胸番号がゴールド。両袖にゴールドのライン。右袖に「Bs spirits」のロゴマーク。下が白。帽子はつばがゴールド。ホームゲームの他、ビジターゲーム(2014年6月17日の対巨人戦など)で着用することもある。
- 2015年…キャップの庇をゴールドに統一(ヘルメットを除く)。ビジター用も含め、パイピング部がゴールドの単色となる。胸ロゴや背番号、背ネームがゴールドと白の2重縁取りに変更。また「第2のサードユニフォーム」としてゴールドを地色としたものが登場。
- 2016年…ビジター用をグレー地から、2015年シーズンに着用したサードユニフォームを踏襲した上着のみ紺色に変更(このスタイルのビジター用は2010年以来となる)。サード用は紺地に「ファイティングレッド」と称した赤色と白のパイピングを施し、帽子ロゴや胸番号などは赤に変更される。
- 2017年…サプライヤーがデサントに変更されたのに伴い、マイナーチェンジ。帽子が2014年以前のデザインに戻り、ネイビーの色合いが僅かに明るくなる。ラケットラインを廃止し、袖口と首回りのみのシンプルなライン(ゴールド)に変更。ホーム用はより純度の高い白「スーパーホワイト」を地色に採用。サード用は2016年度のビジター用を踏襲、新たにゴールド一色の「OB」マークを設定し、帽子や左胸にこのマークを入れ、胸番号が右胸側に移動。ヘルメットも今回初めてロゴの色以外の帽子のデザインが反映され、庇がゴールドになる。
- 2018年…サードユニフォームが変更(基本的な意匠やロゴは2017年度に準ずる)。上着の地色がホーム用と同じスーパーホワイトとなり、OBロゴ・背番号・背ネームの配色が赤地に紺と白の二重縁取り、胸番号が赤地に紺縁取り、ラインが赤と紺の二重ラインとなる。帽子は庇含めネイビー地に赤いパイピングで、OBロゴが赤地に白縁取り。右袖の「Bs spirits」エンブレムは、同様のカラーコンセプトであった2016年度と同じものが使用される。
- 2019年…帽子のロゴマークが「B」単体に変更(書体・カラーリングは変更なし)。上着は飾りボタン付きのプルオーバー式となり、背番号・胸番号の書体がワシントン・ナショナルズに似たもの(但し「1」「4」「5」は異なる)に変更され、胸番号は胸ロゴや背番号と同じ配色となる。袖口・襟首・ズボンのラインが1989年 - 2000年のブレーブス・ブルーウェーブ時代に酷似した紺・金・紺のラインとなる(当時とは違い、ビジター用でもラインの色は反転しない)。サードユニフォームはホーム用のゴールドの部分を「ブレイブ・レッド」と称する赤に差し替えたデザイン。
- 2020年 - 2021年…サードユニフォームが変更。1937年 - 1944年の阪急のビジターユニフォームを模した上下紺地(勝色)に白のストライプとなり、帽子と左胸に前年度の夏の陣ユニフォームで使用された猛牛マークが入る。胸番号・背番号・背ネームは紺地に白縁取り。また、ホーム・ビジター用とともにストッキングにBマークと2本のラインが入る[184](ホーム・ビジター用はゴールド、サード用は白)。
- 2022年…サードユニフォームが変更。前年度と同じストライプが採用され、白を主体としたカラーリングとなることでシンプルなデザインとなる。帽子とストッキングには新たなOBイニシャルマークが採用され、胸ロゴはアーチ状の書体で紺地にシルバーと白の二重縁取りの"BUFFALOES"となる。
- 2023年~…キャップのサプライヤーをニューエラに変更。ロゴマークは従来通りとし、パイピングがネイビーの単色に統一され、右側頭部にプライマリーマークが入る(それに伴い、ユニフォーム上着の右袖のプライマリーマークが廃止)。
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ホームユニフォーム(2017年)
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ビジターユニフォーム(2018年)
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大阪ドーム用ユニフォーム(2005~2010年)
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2009年のビジターユニフォーム
限定ユニフォーム
- 2015年4月29日の対楽天戦・5月29日の対広島戦では「Bsオリ姫デー2015」、8月15日・16日の対ロッテ戦では「Bsオリ達デー2015」としてサードユニフォーム(ネイビー)の帽子鍔やラインなどゴールド部分をピンクに変更した限定ユニフォームを着用。
- 2016年、特別イベント「Bsオリ姫デー2016」・「Bsオリ達デー2016」・「Bsオリ姫&オリ達デー2016」において限定ユニフォームを着用[185]。
- オリ姫デー:地色をピンクとし、ネイビーとホワイトのギンガムチェック柄。
- オリ達デー:地色をブルーとし、ネイビーとホワイトのギンガムチェック柄。
- 2017年6月10日を「Bsオリ達デー2017」、6月11日を「Bsオリ姫デー2017」(ともに対中日戦)と題し、ネイビー地に濃淡で「大阪のおばちゃん」をイメージしたヒョウ柄が描かれた限定ユニフォームを着用。この年よりピンクを使用したユニフォームは選手向けには作成されず、球場配布やグッズとしての販売等ファン向けの展開へと縮小される。
- 2018年6月24日を「Bsオリ達デー2018」、7月8日を「Bsオリ姫デー2018」(ともに対ソフトバンク戦)、7月16日を「Bsオリ姫&オリ達デー2018」(対日本ハム戦)と題し、ネイビー地に選手の躍動感やチームの結束等をイメージする幾何学模様が描かれた限定ユニフォームを着用。なお、当該イベントにおける選手の限定ユニフォーム着用はこの年が最後となっている(オリ姫デーは翌年以降も継続、オリ達デーは2020年〜2022年は開催なし)。
- 2021年9月18-20日の対西武戦では「Bsオリっこデー2021」と題し、選手・マスコット・BsGirlsがそれぞれのニックネームを背ネームとして使用した特別ユニフォームを着用(デザインはホーム用と同一)。当初は4月30日-5月2日の対ソフトバンク戦でのイベント開催が予定されていたが、緊急事態宣言発令を受け当該試合が無観客での開催となったため、上記日程へと延期された。
- 2022年3月29-31日の対楽天戦、4月1-3日の対日本ハム戦を「Bs本拠地開幕シリーズ2022」と銘打ち、前年度のパリーグ優勝記念として、胸ロゴ・胸番号・背番号・背ネームの配色を反転させゴールドをメインとし、右袖にチャンピオンロゴワッペンが入った特別ユニフォームを着用。また同年4月29日-5月1日の対西武戦では「Bsオリっこデー2022」と題し、サードユニフォームをベースに前年度同様選手や各関係者のニックネームを入れた特別ユニフォームを着用(ニックネーム自体は各個人の任意で、前年度から継続の者と変更した者が混在している)。
- 2023年4月4-6日の対ソフトバンク戦、4月7-9日の対日本ハム戦を「Bs本拠地開幕シリーズ2023」と銘打ち、前年度のパリーグ優勝・日本一達成記念として、前年度同様に各ロゴがゴールドメインの配色で、左胸部分(胸ロゴの"oe"の位置)に"V"を象ったマークが入った特別ユニフォームを着用。また同年5月5日-5月7日の対西武戦では「Bsオリっこデー2023」と題し、ホームユニフォームをベースとしカタカナで「バファローズ」と書かれた胸ロゴ、選手や各関係者のカタカナ表記のニックネームが入った特別ユニフォームを着用。
前身球団の復刻版
- 「がんばろうKOBE」のスローガンが15周年目となる2010年5月30日の東京ヤクルトスワローズ戦に、1日限定でブルーウェーブ時代のユニフォームが復刻された[注釈 41]。なお、当日選手が着用したユニフォームはチャリティー販売に出品され、売上金の一部が復興関連団体に寄付された[186]。
- 2011年5月7・8日の対ロッテ戦および5月20・21日の対広島戦では「LEGEND OF Bs 2011 〜蘇る黄金の70'S〜」と題して、阪急ブレーブスの1977年 - 1979年当時の復刻版ユニホームを着用した(デザインは上述。背ネームのない1977年前期までのバージョン。ウエスト部は当時と異なりカバー付きベルト仕様)。最初のロッテ戦のみ、スコアボードの表示も「阪急」とした。また同年8月12日 - 14日の対西武戦・同月26日 - 28日の対ロッテ戦では近鉄バファローズの1974年 - 1977年当時の復刻版ユニホームを着用した(デザインは大阪近鉄バファローズ#ユニフォームの変遷を参照。背ネームがなく、猛牛マークと炎を組み合わせた袖章の1976年までの物だが、ウエスト部は1978年以降に準じたカバー付きベルト仕様)。同年9月10日・11日の対西武戦はブルーウェーブ時代の復刻版ビジターユニフォームを着用。
- 2012年…「LEGEND OF Bs2012~感動、激動の80's~」と銘打ち、5月25・26日の広島戦と6月2・3日の巨人戦で阪急ブレーブスの1984年 - 1988年当時の復刻版ホームユニフォーム(デザインは上述、なおバックネームは当時と異なりヘボン式を採用)を、8月4・5日のロッテ戦と同月24 - 26日の西武戦で近鉄バファローズの1978年 - 1996年当時の復刻版ホームユニフォーム(デザインは大阪近鉄バファローズ#ユニフォームの変遷を参照、帽子は1978年後期からのものを使用)を着用する。
- 2013年4月19日 - 21日のソフトバンク戦で「OSAKA CLASSIC 2013」と銘打ち、近鉄バファローズの1978年 - 1996年当時の復刻版ホームユニフォームを着用する。また、ソフトバンクも南海ホークスの1984年 - 1988年当時の復刻版ホームユニフォームを着用する(デザインは福岡ソフトバンクホークス#ユニフォームの変遷を参照)ほか、「LEGEND OF Bs2013〜Miracle!夢が叶ったあの時〜」と銘打ち、4月12日 - 14日の日本ハム戦でブルーウェーブ時代の1991年 - 2000年当時の復刻版ホームユニフォーム[注釈 42]を、6月15・16日のヤクルト戦と8月23日 - 25日の日本ハム戦で大阪近鉄バファローズの1999年 - 2004年当時の復刻版ホームユニフォームを着用する(デザインは大阪近鉄バファローズ#ユニフォームの変遷を参照。なお、ユニフォームの生地は2011年から使用しているユニフォームと同じ素材で、当時のユニフォームとは異なる)。なお、ブルーウェーブ時代のユニホームは、8月から9月にかけて行われるパリーグ6球団共同企画『レジェンド・シリーズ2013』の期間中にも使用される[注釈 43]。
- 2014年、ソフトバンクとの共同企画「OSAKA CLASSIC 2014」[注釈 43](5月16日 - 18日、京セラドーム大阪)において、近鉄バファローズの1966年 - 1973年当時の復刻版ホームユニフォームを着用。また、ソフトバンクも南海ホークスの1972年 - 1973年モデルの復刻版ホームユニフォームを着用。
- 2015年、4月18日・19日のVS西武戦で開催の「がんばろうKOBE~あの時を忘れない~」にて、「がんばろうKOBE」のスローガンが20周年目の節目を迎えるにあたり、ブルーウェーブ時代の復刻ユニフォームを着用。5月1~3日、ソフトバンクとの共同企画「OSAKA CLASSIC 2015」[注釈 43]において、オリックスは大阪近鉄バファローズ時代の復刻ユニフォーム(1999年 - 2004年着用ビジターユニフォーム)、ソフトバンクは南海ホークス時代の復刻ユニフォーム(1983年着用ホームユニフォーム)をそれぞれ着用。
- 2016年、9月3日・4日の対日本ハム戦(ほっともっとフィールド神戸)と9月11日の対ロッテ戦(京セラドーム大阪)で開催の「THE ORIGIN of Bs 〜蒼き勇者の閃光〜」にて、オリックス・ブレーブスであった1989年 - 1990年当時の復刻版ホーム用ユニフォームを着用[155]。
- 2017年、「KANSAI CLASSIC 2017」と銘打ち4月28日 - 30日の対ソフトバンク戦(京セラドーム大阪)で近鉄バファローズ復刻ユニホームを(対戦相手のソフトバンクも南海ホークス時代の復刻ユニフォーム着用)、5月5日 - 7日の日本ハム戦(京セラドーム大阪)で阪急ブレーブス復刻ユニホームを着用。
- 2018年、「KANSAI CLASSIC 2018~レイルウェイズシリーズ~」と銘打ち4月28日 - 30日の対ソフトバンク戦(京セラドーム大阪)で近鉄バファローズ復刻ビジターユニホームを(対戦相手のソフトバンクも南海ホークス時代の復刻ビジターユニフォーム着用)、5月1日 - 3日の西武戦(京セラドーム大阪)で阪急ブレーブス復刻ビジターユニホームを(対戦相手の西武も復刻ユニフォーム着用)着用。阪急ブレーブス復刻ユニホームは5月27日のロッテ戦(わかさスタジアム京都)でも着用した。
- 2019年、平成最後のホームゲームとなる4月29日の西武戦では「ありがとう平成シリーズ」と題し、1991年 - 2000年のブルーウェーブ時代のホームユニフォームを着用。パリーグ2連覇・日本一達成時の監督の仰木彬(当該日が誕生日でもある)を偲び、選手・監督・コーチ全員が背番号72を背負った。また同年、「KANSAI CLASSIC2019」として[187]、いずれも京セラドーム大阪で施行された5月17・18・19日の西武戦では1999年の大阪近鉄時代のビジター仕様、同28・29・30日のソフトバンク戦では1970-71年の阪急時代のホーム仕様(ソフトバンクも同時期のビジター仕様)のそれぞれのユニフォームを着用した。なお後者は2019年8月27・28日にわかさスタジアム京都で予定されていた同じ組み合わせでも着用する予定[188] とされていたが、降雨中止となった(代替試合となる9月28・29日の京セラドームでは着用しない)。
- 2020年、震災から25年、球団の神戸移転30年を迎えるこの年は「THANKS KOBE~がんばろうKOBE 25th~」として、ほっともっと神戸での8試合(対西武戦2試合、対ロッテ戦2試合、対楽天戦4試合、対楽天戦での復刻ユニフォーム着用は史上初)で1995年のブルーウェーブ時代の復刻ユニフォームを着用。なお、新型コロナの影響で9月15日 - 17日の楽天戦3試合のみの実施となった。
Bs夏の陣
2009年8月7日 - 9日の対千葉ロッテマリーンズ戦において初開催された。特別ユニフォームは開催日により異なる3種類のデザインが採用された。ベースは赤地であり、入場者に配られたユニフォームの背中部分には大きく「大阪夏の陣」の文字がプリントされていた。7日開催分のデザインと8日、9日の文字デザインは異なっていた。
- 2010年7月16-18日の対ソフトバンク戦に行われるイベント「Bs 大坂夏の陣」にて、特別ユニフォーム(略称:ZIN-UNI2010)が着用された。デザインは戦国時代をイメージしたもので、肩には甲冑をあしらった装飾が施されており、色も普段の青と違い、赤を基調としている[189]。
- 2011年7月1日 - 3日の対ソフトバンク戦では「Bs大坂夏の陣2011」と銘打ち、前2年間での「夏の陣」が1勝5敗と大きく負け越していることや史実の「大坂夏の陣」でも西軍が敗れていることを理由に、上半身を「リベンジレッド」と名づけられた赤色としたユニフォームを着用した。結果はホークス相手に三戦全勝し、リベンジを果たした形となった。デザイン自体はサードユニフォームをベースとしており、右袖にはロゴマークに代わってイベント用マークが入る。またラケットラインは入らない。
- 2012年6月29日 - 7月1日の対ロッテ戦では「Bs大坂夏の陣2012」と銘打ち、前年同様の赤色ユニフォーム(コンセプト「LEGEND RED」)を着用する。なお、昨年の「リベンジレッド」と異なる点は白のラケットラインが入る部分である。
- 2013年8月9日 - 11日の西武戦では「Bs大坂夏の陣2013」と銘打ち、SHINING RED(シャイニングレッド)のユニフォームを着用。イベント協賛のイオンのカラーにあわせたもので赤よりも紫に近い色となっている。
- 2014年7月5日(ほっともっとフィールド神戸)・6日(京セラドーム大阪)の西武戦と8月1-3日のロッテ戦(京セラドーム大阪)では「Bs夏の陣2014」と銘打ち、水都大阪と港町神戸にちなみ水色を基調としたユニフォームを着用。デザインはホームユニフォームがベースで、右袖にはロゴマークに代わってイベント用マークが入る。帽子はサードユニフォームで使用しているものを使用。
- 2015年、「Bs夏の陣2015」と銘打ち、7月4・5日のソフトバンク戦(ほっともっとフィールド神戸)と同31日~8月2日の楽天戦(京セラドーム大阪)で特別ユニフォームを着用すると発表。7年目となる今回のコンセプトは「HIGH!」。世界へ誇れるチームを表し、ユニフォームは地球をモチーフに世界地図がプリントされたデザインが特徴。
- 2016年、6月24-26日の日本ハム戦、7月29-31日および8月23・24日の西武戦にて「Bs夏の陣2016」と銘打ち、黒地に赤や青で宇宙の星の光をイメージした特別ユニフォームを着用。
- 2017年、6月25日のロッテ戦、8月1-3日のソフトバンク戦で「Bs夏の陣2017」と銘打ち、夏の陣の原点である赤を再び使用し、赤いデジタルカモフラージュ柄の特別ユニフォームを着用。
- 2018年、8月7-9日の西武戦、8月10-12日のロッテ戦で「Bs夏の陣2018」と銘打ち、ダイヤモンドの光沢をイメージした白と黒の模様が入った特別ユニフォームを着用。
- 2019年、8月2-4日の西武戦、8月23-25日の日本ハム戦で「Bs夏の陣2019」と銘打ち、「アグレッシブブラック」と称する黒とグレーを基調とした特別ユニフォームを着用。帽子マークは猛牛をモチーフとしたもの(近鉄時代とは異なる)を新たに採用。後に9月14-16日の楽天戦でも追加開催された。
- 2021年、7月6-8日の楽天戦、8月17・18日の日本ハム戦、8月20-22日の西武戦、8月27-29日のソフトバンク戦で「Bs夏の陣2021」と銘打ち、「エナジーグリーン」と称する黄緑色を使用した特別ユニフォームを着用。地色は上下グレーで、胸ロゴは左胸にBマークが入っている。
- 2022年、8月5-7日の日本ハム戦、8月9-11日の楽天戦、8月16・17日のロッテ戦、8月26-28日の西武戦で「Bs夏の陣2022 supported by DmMiX」[190] と銘打ち、ゴールドブラウンを基調にしたクラシカルなデザインの特別ユニフォームを着用。
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「Bs夏の陣2021」ユニフォーム
二軍
- 2000年 - 2009年…「サーパス神戸」(2006年以後は単に「サーパス」のみ)時代のユニフォーム。帽子は、青地に青緑色の文字で「SURPASS」。
- ホーム用:ベースは白、パンツは白、シャツの首・袖口・パンツの横ラインに青と青緑のツートンカラーのライン、胸マークは青フチに青緑の文字で「SURPASS」、左袖に穴吹工務店の社章、右袖にサマー・シルキー。背ネームは青、背番号は青緑のフチに青。
- ビジター用:ベースは青、パンツは白、シャツの首・袖口・パンツの横ラインに青緑と青のツートンカラーのライン、胸マークは青フチにシルバーの文字で「SURPASS」、左袖に穴吹工務店の社章、右袖にサマー・シルキー。背ネームは青緑、背番号は青緑のフチにシルバー。
- ^ 旧球場名:グリーンスタジアム神戸→Yahoo! BBスタジアム→スカイマークスタジアム
- ^ かつては、「サーパス神戸」→「サーパス」という二軍独自の球団名が使われたことがある。
- ^ 唯一、平成以降に行われた球団合併である。
- ^ 合併当初は大阪と神戸にある両球場での一軍公式戦は半分ずつの開催であったが、徐々に大阪の比重が高くなり、現在のほっともっとフィールド神戸で行われる一軍公式戦の試合数は、京セラドーム大阪の僅か1/3以下となっている。詳細は後述。
- ^ 1971年までの球団記録。
- ^ 2012年までの球団記録。
- ^ それまでも達成例はあったが、日本ではサイクル安打が知られておらず、スペンサーが日本球界に広めたとされる。
- ^ 7票が不信任、4票が白紙。
- ^ この年、門田博光も指名したが入団拒否(本人による拒否か非交渉による失効かは不明。翌年南海に2位指名で入団後、阪急がオリックスに売却された1989年に移籍加入し、1990年まで在籍)。結果としては、この年阪急は後に名球会入りする選手を4人指名したことになる。
- ^ 当初は広島を引退したばかりの山内一弘を招く予定だったが、すでに巨人のコーチ就任が決まっていたため、代わりに山内から上田を紹介された[14]。
- ^ 当時の日本プロ野球新記録。
- ^ 現在でも日本プロ野球記録。
- ^ 西本は翌1974年より近鉄の監督に就任。
- ^ この年より1シーズン制。
- ^ 他のチーム名候補には神戸市と姉妹都市関係にあったシアトルのメジャーリーグチームと同じ「マリナーズ」、ブルーサンダー打線に因んだ「サンダース」、「ドルフィンズ」などがあった。公募票数最多はサンダースだった[30]。
- ^ 日本一の瞬間、守備で外野手3人以外全員他球団から移籍した選手という珍しい場面があった(投手・鈴木平〈1995年ヤクルトスワローズから移籍〉、捕手・高田誠〈1992年読売ジャイアンツから移籍〉、一塁・四條稔〈1995年読売ジャイアンツから移籍〉、二塁・大島公一〈1996年近鉄バファローズから移籍〉、三塁・馬場敏史〈1994年福岡ダイエーホークスから移籍〉、遊撃・勝呂壽統〈1992年読売ジャイアンツから移籍〉)。
- ^ 6月17日に21対11、7月27日に26対7、8月1日に29対1、9月24日に20対11。
- ^ 両リーグ通じての記録は、1967年にサンケイアトムズが読売ジャイアンツに3勝23敗と負け越して以来37年ぶり4度目で、パ・リーグでも1961年に近鉄が南海に5勝23敗とされて以来43年ぶり2度目である。
- ^ 実質的に愛称の変更であり、会社法人としては合併しておらず、社名は「オリックス野球クラブ株式会社」のまま。近鉄の運営会社「株式会社大阪バファローズ」は翌年3月いっぱいで解散。ただし、2007年まで近鉄側もオリックス野球クラブに出資した。
- ^ 前川は、過去にもスピード違反で免許取り消しになっていた。
- ^ 巨人と阪神に次ぐ、日本プロ野球3球団目の達成である。
- ^ この日オリックスが勝つか引き分け、もしくは西武が負けるか引き分けるかでオリックス3位確定という状況だった。
- ^ (プレーオフで最終順位を決定していた年次を除き)通年の勝ち星で優勝チームを2勝以上、上回りながら優勝を逸した例は、1982年巨人・1986年巨人・2010年西武・当年オリックス・2021年阪神の史上5例しかない。
- ^ チームでは1989年の1厘差以来で優勝を逃し、厘差で優勝を2度逃したのはNPBではオリックスが初である。
- ^ a b 以前のパ・リーグ記録は76~85年太平洋クラブ→クラウンライター→西武ライオンズの(83年の1分けを挟んで)9連敗。以前の引分けを挟まない連敗記録は52~59年東急→東映フライヤーズの8連敗。プロ野球最長は91~01年阪神タイガースの11連敗(なお、引分けを挟まなかった)。
- ^ 年間最高勝率は南海にプレーオフで敗退した1973年と近鉄にプレーオフで敗退した1979年を含み、近鉄とのプレーオフを制した1975年を除く14回
- ^ リーグ優勝のうち、1975年、1977年はプレーオフ(1975年は近鉄、1977年はロッテを相手にした)で獲得。1976年、1978年は前後期完全制覇により自動優勝が決まった。
- ^ 2021年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から延長戦が無かった。延長戦がある年では1971年・1979年の11分が最多。
- ^ 福岡ソフトバンクホークスと同率1位(勝敗数も同じ)。リーグ規定によりバファローズが直接対決で勝ち越していたためリーグ優勝。
- ^ 1989年は、基からダイエーが神戸市に登記本店(本社機能は吹田市と東京都港区)があるため、福岡市を本拠地としたダイエー球団が神戸を準本拠地として開催する希望があったが、他の球団が主管試合をする場合、阪神・オリックス双方の許諾が必要であり、その許可が下りなかったことを踏まえ、ダイエー戦13試合+他のパ・リーグのチームと1試合の14試合を開催予定だった(このうちダイエー戦2試合が中止となり西宮に変更され、西宮で予定された中止分2試合を神戸で代替)。
- ^ 阪神もオリックスと同じく2005年からの3年間に限り「ダブルフランチャイズ制」が認められていた。(プロ野球地域保護権#備考も参照)
- ^ 野球協約の規定では半数以上を専用球場で開催しなければならない。
- ^ リーグ優勝を達成した監督に選手として当チームでプレーした人物は、2021年の中嶋聡までいなかった[136]。チームで選手経験ある監督がリーグ優勝を達成したのは、太平洋戦争前から存続する5球団(他に巨人・阪神・中日・ソフトバンク)の中では最後となった(2シーズン制時代には梶本が監督の1979年後期に優勝しているが、プレーオフで近鉄に敗れた)。
- ^ 最終的には、神戸の山の緑と海の青をそれぞれ球場名(グリーンスタジアム)とチーム名(ブルーウェーブ)で表現しているとされた。
- ^ 近鉄のマスコット「バフィリード」については商標権をオリックス本社が譲受し、2013年に復刻イベントで「バフィリード」が登場した。
- ^ 球団公式には八カセが勝手に開発した牛型ロボットの「バッファロボ1号・2号」であるという設定もある[160]。
- ^ 2013年現在、NPB12球団で合併歴があるチームとしてはほかに埼玉西武ライオンズ(西日本パイレーツを1951年に合併)・横浜DeNAベイスターズ(松竹ロビンスを1953年に合併)、千葉ロッテマリーンズ(大映ユニオンズを1958年に合併。なお大映ユニオンズも高橋ユニオンズを1957年に合併している)があるが、オリックスによる近鉄合併の時点ではいずれもすでに40年以上が経過していた。また各被合併球団の歴史も20年に満たない。
- ^ 北海道日本ハムファイターズの公式ウェブサイトには2016年現在、チームの歴史自体が掲載されていない。
- ^ もっとも、球団経営時代の資料提供、演出再現等への水面下での協力は行っていた。
- ^ 戦後に横沢三郎が設立したセネタースのユニフォームに流用され、そのストッキングの色からセネタースの球団愛称「青鞜」の語源となった。
- ^ 当時との差異点は左肩のオリックスの社章がスポンサー・イーモバイルのマークになっている点のみ。
- ^ この3連戦の2日目の13日早朝に淡路島で地震が発生したが試合は予定通り行われている。
- ^ a b c なお復刻ユニフォームには、当時とは違い、スポンサー広告が張り付けられている。大阪近鉄バファローズの1999年 - 2004年当時の復刻版ホームユニフォーム分では2003-2004年当時の袖スポンサー「アコム」ではなく、現在のスポンサー「ソーラーフロンティア」を掲出。
- ^ MLB移籍後は2015年にマイアミ・マーリンズで投手として1試合登板している。また、1996年のオールスター第2戦でも投手として登板したことがある。
- ^ 年間指定席などはダイエー主催試合でないと使用できないため、その分が少なかった模様。
- ^ オリックスの前身であるオリエント・リース自体は大阪発祥の企業であり、2014年現在まで、関東を発祥とする企業が近畿圏本拠の球団を保有した例はない。大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)も一時期大阪府を事実上の本拠地としていたが、当時の親会社だった大洋漁業(現:マルハニチロ水産)は、兵庫県が発祥で山口県で法人化したものだった。また、大洋に合併した松竹ロビンスも大阪府・京都府を本拠地としていたが、共同オーナー企業だった田村駒は大阪府、松竹は京都府が発祥だった。
- ^ 以前は「仰木維新」(2005年)→「仰木魂・伝承」(2006年)→「新たなる鼓動」(2007年)→「大阪激弾!!」と、各年ごとにサブタイトルがついていた。
- ^ 阪急と阪神の経営統合後は、資本関係の都合上関西テレビも阪神タイガースとの関係が強化され、2019年には宝塚歌劇団とのコラボイベントも関西テレビが中継する阪神タイガースの試合で実施したほか、交流戦のオリックス主催試合の中継では、放送時間が余っていながら勝利したオリックスのヒーローインタビューを放送せず、阪神の過去の試合からの映像を放送するという、阪神側を重視する対応が取られた。
- ^ 一例として、1960年5月28日(土曜)の対大毎戦はNETテレビ・毎日放送が全国中継扱いで、東京放送・朝日放送が予備カード扱い(東映対西鉄をNETテレビ=毎日放送が予備、東京放送=朝日放送が本番扱い)で編成していた。なお当時はネット編成が2016年現在と異なっていた他、テレビでもラジオ同様予備カードを編成していた(出典:同日の読売新聞、大阪版テレビ・ラジオ欄)。
- ^ 2020年現在は系列局(主に北海道放送・RKB毎日放送・中国放送)とBS-TBSへの制作協力のみ(球団制作映像の併用や、ノンクレジット扱いの場合もあり)。
- ^ 対中日戦ではCBCラジオおよび東海ラジオが、対広島戦では中国放送が自社乗り込みを行う可能性がある。
- ^ 1994年から2001年まで、巨人と大洋→横浜の対戦時の裏カードに限定してTBSラジオもヤクルト主催試合が中継できたが、ビジター側のJRN系列局(対中日戦のCBCラジオ・対阪神戦の朝日放送ラジオまたは毎日放送・対広島戦の中国放送)へのネットが認められなかったことによる措置(朝日放送ラジオ・毎日放送・中国放送はNRNにも加盟しているため、従前通りニッポン放送〈中国放送の土・日曜ナイターは文化放送〉による裏送り・同時ネットや乗り込み自社制作で中継可能だった)。一方NRN独占時代の大洋→横浜主催試合も巨人とヤクルトの対戦時の裏カード限定で、1999年からビジター側のJRN系列局にネットしない条件でTBSラジオの中継が認められたが、こちらは中日球団・CBCラジオ・東海ラジオの親会社である中日新聞社の意向もあり、1992年頃からニッポン放送が対中日戦をCBCラジオ向けに別制作して裏送りしていた。
- ^ 中国放送が、過去に朝日新聞社・毎日新聞社と資本関係があり、1975年3月30日までテレビ部門(TBS系列)でも朝日放送(テレビ・ラジオの分社前)と系列関係があった一方、当時は系列外(NETテレビ系列)だった毎日放送からも、本来の系列局だった広島ホームテレビの編成から外れた番組を相当数遅れネットしていたのが、翌31日の在阪局ネットチェンジでテレビにおいて朝日放送との関係が大幅に縮小されたのをカバーするために、テレビでは毎日放送との、ラジオでは朝日放送との関係を重視して朝日系・毎日系との関係のバランスを取ったことや、1976年から1980年まで、阪神球団が朝日放送と優先契約を結んでいたことなどの、過去の歴史的経緯による。
- ^ 全国放送となる可能性が低い場合が多い上朝日放送ラジオ・中国放送がどちらもJRN・NRNのクロスネット局であるため、JRNナイター全国配信廃止以降、このカードの場合、中国放送の制作時はNRNの速報チャイムに一本化しているが、朝日放送ラジオの制作時は速報チャイムの運用がややアバウトになり、デーゲームでは1日ごとにJRN・NRNのチャイムが使われた事例がある(NRN単独加盟の東海ラジオにもネットした際の『阪神×広島』の日曜デーゲームや、NRN予備カードに指定された土曜ナイターの『阪神×DeNA』で、JRNの速報チャイムが使用されたことすらある)。
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