オリックスグループによる買収後
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「舞洲ベースボールスタジアム」の記事における「オリックスグループによる買収後」の解説
日本プロ野球(NPB)のオリックス・バファローズでは、球団創設1年目の1989年(当時のチーム名は「オリックス・ブレーブス」)から、ファームチーム(二軍)の本拠地を神戸総合運動公園野球場内の「グリーンスタジアム神戸サブ球場」(神戸市須磨区)に設定。チーム名を「オリックス・ブルーウェーブ」に変更した1991年以降は、一軍の本拠地も同公園内の「グリーンスタジアム神戸」(現在の「ほっともっとフィールド神戸」)に置いていた。 オリックス球団は、2004年のシーズン終了後に、大阪近鉄バファローズとの球団統合によってチーム名を「オリックス・バファローズ」に変更。2005年から2007年までは、合併に伴う暫定措置として、近鉄最後の一軍本拠地であった大阪市西区の大阪ドーム(京セラドーム大阪)とグリーンスタジアム神戸(当時の名称は「スカイマークスタジアム」)を一軍の本拠地(ダブルフランチャイズ)として扱っていた。暫定措置期間が終了した2008年以降は、一軍の本拠地を大阪ドームに集約させながら、グリーンスタジアム神戸も準本拠地扱いで主催試合を随時実施している。 一方の二軍では、近鉄との合併後も、神戸サブ球場を本拠地に使用していた。しかし、当時サブ球場の周辺にあった球団関連施設(選手寮として使われていた初代「青濤館」など)で、老朽化が年々進行。選手の練習や「青濤館」での生活などにも支障を来すようになったため、オリックス球団では2010年代の前半から、二軍の本拠地を舞洲スタジアムへ移転することを検討してきた。大阪ドームと同じ大阪市内の舞洲を移転先に定めた背景には、大阪市がオリンピックの招致を視野にスポーツ関連の施設を整備してきたことや、自動車を利用すれば(練習や一・二軍間の選手の入れ替えなどに伴う)往復が短時間で済むほどドームに近いことなどが挙げられている。 大阪市は2015年12月7日に、舞洲スタジアムの敷地および、スタジアム北西部の市所有地(舞洲野球場北西用地)の活用に関する一般競争入札を実施。この入札に大阪シティドームが参加したところ、月額599万円の賃料を大阪市へ支払うことを条件に、2016年4月1日から50年間にわたって当該土地の定期借地権を取得することが決まった。また、舞洲スタジアムも、入札と同時に6,400万円で大阪シティドームへ売却。オリックス球団では、以上の取引が成立したことを受けて、本拠地の移転計画を正式に発表した。2016年には、舞洲野球場北西用地に第二球場(舞洲サブ球場)、室内練習場、選手寮の(第2代)「青濤館」を新設。2017年シーズンからは、初代の「青濤館」を閉鎖したうえで、以上の施設の稼働を始めた。 オリックス球団による二軍本拠地の移転をめぐっては、ウエスタン・リーグ主管試合の大半を舞洲スタジアムで開催することを当初の計画で想定していた。しかし、アマチュア野球での使用を優先するため、2017年にはナイター照明設備のないサブ球場でのみ公式戦を開催。前年まで本拠地・練習場として利用した神戸サブ球場をはじめ、近畿圏内の他球場でも、一部の公式戦を引き続き実施している。 「オリックス・バファローズ (ファーム)#概要」および「オリックス・バファローズ#歴代本拠地」も参照 なお、2021年のNPBシーズン全日程終了2日後の11月29日には、サブ球場から道路を挟んで北東に300m(第2代「青濤館」から北東に500m)ほど離れた場所に位置する日立物流西日本の倉庫で午前中に火災が発生。12月4日に鎮火するまでに5日を要したが、球場は11月29日から使用されておらず、敷地内の球団施設も含めて火災による被害を免れた。
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