上代とは? わかりやすく解説

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じょう‐だい〔ジヤウ‐〕【上代】

読み方:じょうだい

おおむかし古代上古

日本史、特に文学史での時代区分の一。主として奈良時代をさす。

流通業界で、商品小売価格のこと。→下代(げだい)


上代

読み方:カミダイ(kamidai)

所在 千葉県佐倉市


上代

読み方:カミダイ(kamidai)

所在 熊本県熊本市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒285-0044  千葉県佐倉市上代
〒860-0068  熊本県熊本市西区上代

上代

名字 読み方
上代かじろ、かみだい→じょうだい
上代じょうだい→かみだい,かじろ
名字辞典では、珍しい名字を中心に扱っているため、一般的な名字の読み方とは異なる場合がございます。

上代

読み方
上代うえしろ
上代うえだい
上代かじろ
上代かみしろ
上代かみだい
上代かみよ
上代じょうだい

上代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 08:44 UTC 版)

上代(じょうだい)




「上代」の続きの解説一覧

上代(かみしろ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 15:07 UTC 版)

ちぱパニック!!」の記事における「上代(かみしろ)」の解説

第12話「ちぱとカミシロ」にて登場したベテラン警部。偶然空き巣を捕まえ感謝状を貰うちぱに、「いい気になるな」と忠告し対立

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上代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 06:57 UTC 版)

摂政・関白の一覧」の記事における「上代」の解説

『日本書紀』によれば神功皇后が夫・仲哀天皇の崩後、皇太后として幼少誉田皇子(後の応神天皇)の代わりに摂政」したというが、皇太后執政摂政というよりも称制に基づくものと考えられるし、また皇后実在性問題含めて一般に史実考えられていない。従って、神功皇后摂政の例に数えない

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上代(奈良時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/12 17:48 UTC 版)

言挙げ」の記事における「上代(奈良時代)」の解説

『古事記』におけるヤマトタケル前述『万葉集』柿本人麻呂の歌に「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」とある。 蜻蛉島大和の國は神からと言擧げせぬ國しかれども吾は言擧げす 巻十三 作者不詳

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上代

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漢語」の記事における「上代」の解説

日本では3世紀終わり和邇吉師によって漢字もたらされたという伝説残っており、その後散発的に渡来人との交流があったと考えられるが、漢語知識体系化されたのは、上代になってからである。 日本はこの時代大い中華文明模倣し漢語も本来の意義用法出来る限り忠実に使用するよう努力された。漢語日本語として融和することはなく、行政官学者、あるいは僧侶の間の教養として用いられた。 この頃日本語には、まだ拗音存在しなかったため、「精進」を「サウジ」、「修行」を「スギヤウ」のように直音化して発音していたと考えられる一方でこのとき日本語内部イ音便ウ音便などの変化発生したのは、漢語発音何らかの影響与えていたからとされる

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上代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 05:04 UTC 版)

和歌」の記事における「上代」の解説

上代歌謡 和歌現れる以前に、感情高まりから発せられた叫び掛け声次第成長して、祭や労働の際に集団歌われるようになった歌謡があったといわれるが、多くは文字記されることなく失われてしまったという。それら歌謡が現在見られる五音七音でもって構成される和歌となるまでには、その形式様々な過程変遷経たと見られる。現在『古事記』『日本書紀』風土記『万葉集』古語拾遺』『琴歌譜』『仏足跡歌碑』などに収録され韻文上代歌謡称しているが、その多く五音七音の句で構成されるなど、すでにかなり洗練された内容となっている。 記紀歌謡 『古事記』『日本書紀』に採られた上代歌謡を、特に記紀歌謡という。独立した歌謡ではなく物語効果高めるために用いられていることが多いが、宮廷人が歌った儀式歌謡や、創作もあるとされている。片歌旋頭歌短歌長歌などの五音七音標準とする歌体に、対句繰り返し枕詞序詞などの技法用いられている。 上代歌謡神楽歌催馬楽などの楽器を伴う儀式歌の源流となるが、その歌体技巧は後の和歌母胎ともなっている。 万葉集 統一国家確立してゆく中で、大陸から漢詩入ってきた影響もあり、個人気持ち個々表現する歌が盛んに作られるようになった。それらを大成したのが『万葉集』である。万葉集注記によると、万葉集以前にも『古歌集』『柿本人麻呂歌集』『笠金村歌集』『高橋虫麻呂歌集』『田辺福麻呂歌集』『類聚歌林』などがあったとされる現存しない。『万葉集』長い期間を経て多く人々によってまとめられたが、最終的に大伴家持現在の二十巻の形に編集したのだといわれている。約4500首が収められており、その最も古いものは仁徳天皇の代のものであるが、大部分飛鳥時代から奈良時代中期にかけての約100年弱のもので占められている。貴族の歌のほかに東歌防人歌など民衆の歌もあり、現実的写実的な歌風が多いとされる

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上代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 21:20 UTC 版)

富山県」の記事における「上代」の解説

崇神天皇10年7月 - 四道将軍大彦命高志道を綏撫したといわれる垂仁天皇23年 - 山辺之大鶙が垂仁天皇命ずところにより、を追うて高志国至ったといわれる景行天皇25年7月3日 - 武内宿禰北陸巡察を行う。 成務天皇年間 - 伊彌頭国造として大河音足尼任ずる仲哀天皇元年11月4日 - 越国より仲哀天皇白鳥を貢ずる。この時、見別王がこれを越国人より奪ったので、仲哀天皇は兵を遣わし、これを誅殺した。 573年敏達天皇2年5月3日 - 高麗使人越海漂着し、船破れて溺死者が多かったといわれる574年敏達天皇3年5月5日 - 再び高麗使人越海泊り7月20日上京したといわれる588年崇峻天皇2年7月1日 - 阿部臣が越国国境視察する642年皇極天皇元年9月21日 - 越国蝦夷帰順したといわれる白雉年間 - この頃鵜坂神社創建という。 658年斉明天皇4年4月 - 越国阿倍比羅夫粛慎征討開始し660年斉明天皇6年2月には二百艘の船を率いて陸奥渡島まで遠征したという。 698年文武天皇2年) - 伝承によればこの年各願寺旧婦負郡婦中町)が創建されたという。『肯構泉達録』曰く、「婦負郡長澤各願寺草創文武帝御宇なり越中天武帝第九皇子経宮の御領地にて経宮又越の宮とも称せ皇子浮屠帰依まし〳〵て祝髪し給ひ女犯肉食断ち自仏の像を刻み朝昏供養し給ふ御年三十にして越へ下らせ三川島といふ所に宮を造り暫く爰に在し文武帝即位年長澤山に伽藍建立し給ふ是れ各願寺開山自信一品親王仏性聖人なり」。 大宝年間 - この頃までに越国分かって越前越中越後とする。越国分立国は『日本書紀』持統天皇6年9月癸丑条に「越前国司献二白一」とあるのを初見としていることから、692年持統天皇6年以前越中国成立した可能性が高いとされている。また、婦負郡新川郡射水郡礪波郡この頃までには成立していたといわれ、703年大宝2年以前には頸城郡古志郡蒲原郡魚沼郡越中版図含まれていた。 701年大宝元年) - この頃越中国国司である佐伯有頼またはその父・佐伯有若によって立山開山し、雄山神社開かれた伝えられる開山縁起についての最古文書である『類聚既験抄』には「文武天皇御宇大宝元年始所建立也。相伝云、於立山狩人有之。熊射矢ヲ射立追入出処。其熊乍立矢死了。見之皆金色阿弥陀如来也。仍此山云立山権現也。顕現地獄云々」とあるのみで、誰が開山したかということは記されていない。『伊呂波字類抄』では単に狩人ではなくて熊を射った人物越中守佐伯有若とし、阿弥陀如来射てしまったことを契機出家し、諸寺を建立したということになっているが、佐伯有頼開山の祖とする文献多く、『和漢三才図会』では佐伯有頼白鷹追って奥山入った際、襲いかかってきた熊を弓で射たところ逃げていったので、これを追っていったところ血を流している阿弥陀如来出逢い如来より有頼へ立山を開くようにお告げのあったのが立山開山謂れであるとしており、『立山縁起』はこの佐伯有頼出来事大宝2年こととしている。また『神道集』は立山開山大宝3年教導聖人によって行われたとしている。かくの如く立山開山譚は一様ではないが、佐伯有頼開山の祖とする縁起が多い。 703年大宝2年3月甲申 - 越中国属していた四郡(頸城郡古志郡蒲原郡魚沼郡)を越後国に所属させる。 この年婦負郡常楽寺文武天皇勅願によって常楽寺創建されたという。本尊行基の作と伝え、『越中旧事記』に「縁起云、文武天皇勅願大宝壬寅二年御建立也。本尊十一面観音行基師の作、御堂十一四面観音安置す」という。 706年慶雲3年2月26日 - 越中国神社祈年幣帛の例に入る。 709年和銅2年3月5日 - 越中諸国より兵を徴発して越後蝦夷征討を行う。 718年養老2年) - 伝承によればこの年天竺より僧善無畏三蔵来朝し礪波郡安居寺創建したという。『越中旧事記』に「縁起に云、この寺は善無畏三蔵此所に紫雲立をみて、この寺を発起すとなり。善無畏三蔵は、北天竺の甘露飯王の後胤なり」という。 719年養老3年7月9日 - 北陸道等の民二百戸を遷し出羽柵配する7月13日 - 初め按察使を置き、越前国正五位下多治比広成能登越中越後管轄させる。 725年神亀2年) - 寺伝によると、北陸巡錫中の僧侶行基によって国内最大石仏である不動明王像彫られ真言密宗大岩山日石寺開かれたという。『越中旧事記』曰く、「伝云、昔行基法師諸国遊行して仏像造り給ふ然るに越中白石と云處にて、東方臨み見るに、東山の麓に火上石見ゆ、行基直に行て不動尊彫刻すといへり」。 732年天平4年9月5日 - 越中守として田口年足任ずる文献上初の越中国国司)。 741年天平13年2月14日 - 聖武天皇国分寺建立の詔渙発し、「毎レ国造僧寺一」よう命ずる。越中においては現在の高岡市伏木一宮にその遺構があり、県指定史蹟となっている。 12月10日 - 能登国羽咋郡珠洲郡能登郡鳳至郡)を越中国併合する744年天平16年9月15日 - 初め巡察使畿内七道派し従五位下石川東人北陸道使となす。 746年天平18年4月5日 - 初め鎮撫使を置き、北陸山陰両道巨勢奈氐麻呂任ずる6月21日 - 越中国国司として歌人でもある大伴家持が任ぜられる。後に大伴家持中心となり編纂した『万葉集』には富山県風景伝説詠んだ歌が全4536首のうち337収められている。 8月7日 - 家持邸にて歌会開き史生土師宿祢道良が「ぬばたまの夜はふけぬらし玉くしげ二上山に月傾きぬ」(巻十七)と作歌する8月15日 - 家持宇佐八幡宮神霊勧請し奈呉八幡宮称して、この日放生会を行う。これが放生津八幡宮創始であると言われる。『越中国神社由来曰く、「同郡放生津八幡宮往古大社ニ而北条時政再興之由申伝候得共、寄進状無二御座一候、古来奈古浦与申祭礼、八月十五日放生会ニ付、嘉暦三年放生津与改申由」云々9月25日 - 家持が、弟の卒去したのを聞き、これを悲しんで「かからむとかねて知りせば越の海荒磯の波も見せましものを」(巻十七)と作歌する747年天平19年2月20日 - 家持病臥して、国守の館にて「山川のそきへを遠みはしきよし妹を相見ずかくや嘆かむ」(巻十七〉と作歌する748年天平20年1月29日 - 家持、「あゆの風いたく吹くらし奈呉海人の釣する小舟漕ぎ隠る見ゆ」と作歌する。この「あゆの風」というのは鹿持雅澄が『万葉集古義』に「安由能加是は、下の自註に、越ノ俗語東風ヲ謂ニ之安由之可是一也とあり、今も安以乃可是と云由、契沖云り」というように、元来越中において東風意味するであってあいの風とやま鉄道株式会社社名はこれに由来している。 春 - 出挙のため家持が諸郡を巡行し、「立山し消らしも延の川の渡り瀬鐙漬かすも」や「雄神川紅にほふ娘子らし葦付取ると瀬に立たすらし」(巻十七)などの歌を作る3月23日 - 左大臣橘家より使者あり、大伴家持訪う家持饗応して作歌あり、「奈呉の海に船しまし貸せ沖に出で波立ち来やと見て帰り来む」(巻十八749年天平感宝元年天平勝宝元年5月5日 - 大伴家持東大寺占墾地視察のため、東大寺占墾地使僧平栄を饗し、「焼き太刀を礪波の関明日よりは守部遣り添へ君を留めむ」(巻十八)の歌をなす。 751年天平勝宝3年7月17日 - 大伴家持少納言に任ぜられ、越中より離れる。悲別の歌を作って曰く、「しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき夕かも」(巻十九)。 757年天平宝字元年5月8日 - 越中国より能登国分離する758年天平宝字2年9月28日 - 初め越中国駅鈴頒つ759年天平宝宇3年11月14日 - 往時越中における東大寺荘園園の規模等を示す「東大寺越中国諸郡荘園惣券」が成る。 775年宝亀6年3月2日 - 初め越中に大少の目を置く。 780年宝亀10年12月14日 - 射水郡二上神社及び礪波郡高瀬神社従五位下叙する784年延暦3年3月3日 - 気多神社正三位叙する795年延暦14年8月18日 - 高瀬神社雄神神社二上神社従五位上叙する804年延暦23年6月10日 - 越中国上国とする。

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上代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 05:06 UTC 版)

希望小売価格」の記事における「上代」の解説

なお流通商業用語ではこれに相当するものを「上代」(じょうだい)といい、これに対して卸売における売価を「下代」(げだい)という。ただしこの場合は、上代はあくまでも末端商店店頭にて販売する上で参考価格であり、これは消費者には全く明示されず、商店側の経営努力次第でこれよりも安い価格示して良いし、また輸送販売掛かるコスト加味し上で上回る価格を示すこともある。消費者には示されない用語ではあるが、昨今ではインターネット使って一般に卸売りする業態もあるため、電子商店街中にも「上代/下代」という表現使っているところも見られる

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上代

出典:『Wiktionary』 (2021/08/28 13:47 UTC 版)

名詞

 じょうだい 歴史的仮名遣(wp):じやうだい)

  1.  大昔いにしえ古代上古太古上世
  2. 時代区分〕《日本史(特に文化史文学史)》主として奈良時代遅くとも平安中期以前
  3. 時代区分〕《国語史》口承文学を含む場合太古から、文献文学では世紀末から、奈良時代まで。
  4. 時代区分〕《言語学万葉仮名遣われていた時代日本語母音時代大和奈良時代

語源

和製漢語 かみつよ

発音(?)

じょ↘ーだい
IPA: [ʒóodaɪ], [óodaɪ] (not [(d)ʒóːdaɪ])
X-SAMPA/Zo_HodaI/, dZo_HodaI (not (d)Zo:_HdaI)

関連語

翻訳

  • 英語:
  1. ancient times before and including Nara period (of Japan)
  2. mainly Nara (and Yamato) period (of Japan)

名詞:流通用語

  1. メーカー希望小売価格定価などの小売店で並ぶ商品税金含まない販売価格のこと。

関連語


「上代」の例文・使い方・用例・文例

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