阪神指導者時代
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一軍作戦兼バッテリーコーチ 2015年10月27日、阪神の一軍作戦兼バッテリーコーチに就任。大学および阪神でのチームメイトだった金本の一軍監督就任(10月17日)を受けての本格的な現場復帰で、登録名は阪神での現役後期→野球解説者時代に続いて矢野 燿大、背番号は日本代表コーチと同じ88。 2016年 春季キャンプから捕手陣を「横一線」として競い合わせた末に、二軍生活の長かった岡﨑太一に一軍開幕戦のスタメンマスクを初めて任せた。その後は、解説者時代から注目してきた原口文仁や、新人の坂本誠志郎を一軍に抜擢。故障の影響で育成選手契約を結んでいた原口については、4月の支配下再登録を経て、クリーンアップの一角を担う正捕手格の主力選手に育て上げた。 2017年 原口を事実上一塁手へ転向させる一方で、2015年の正捕手だった梅野隆太郎に、レギュラーシーズンの開幕から多くの試合でスタメンマスクを任せた。4月4日の対ヤクルト戦(京セラドーム大阪)では、5回表に阪神の先発投手・藤浪晋太郎からヤクルトの畠山和洋への死球をきっかけに生じた乱闘で、ヤクルトのウラディミール・バレンティンと共に審判団から退場を宣告。矢野にとってはコーチ就任後初の退場処分で、翌5日には、バレンティンと共にNPBから厳重注意と制裁金を科された(矢野の制裁金は15万円)。藤浪を守る目的でグラウンド上に出たところ、畠山の死球に激昂したバレンティンに突き倒されたため、ジャンピングニーパッド(跳び蹴り)で応戦したことによる。2016年から二軍の指揮を執っていた掛布雅之が「オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(SEA)」という特別職へ転じたことに伴って、シーズン終了後に二軍監督へ異動。 二軍監督 2018年 ウエスタン・リーグ公式戦では、「超積極的」「諦めない」「誰かを喜ばせる」という方針の下で、若手選手に積極的な走塁の意識を植え付けた。チームが勝利した試合では、勝利へ貢献した選手にヒーローインタビューやファンに対するスピーチを必ず体験させた。その結果、前年のシーズンをリーグ最下位で終えたチームを8年ぶりのリーグ優勝に導くと、ファーム日本選手権を12年ぶりに制した。ちなみに、ウエスタン・リーグでの最終成績は、115試合で68勝40敗7分。通算勝率は.630で、リーグ内のチーム最多記録であるシーズン163盗塁と、チーム歴代最多記録のシーズン68勝を達成した。 一軍監督 2018年の阪神は、二軍が矢野の下で日本選手権を制したのに対して、一軍は球団史上17年ぶりのリーグ最下位でシーズンを終了。全日程終了直前の10月11日には、金本がこのシーズン限りで一軍監督を辞任することを表明した。この表明を受け、球団は急遽矢野に一軍監督への就任を要請、これを矢野が受諾したことにより、同月18日には、翌2019年から一軍監督へ就任することを正式に発表した。就任に際しては、金本監督時代の方針を継承しながら、二軍監督時代に続いて「超積極的」「諦めない」「誰かを喜ばせる」という姿勢を選手に浸透させることを表明。一軍監督として初めて臨んだ10月25日のNPBドラフト会議1巡目では、藤原恭大・辰己涼介への指名重複に伴う抽選で独占交渉権のクジを相次いで外しながらも、二軍監督時代に大阪ガスとの練習試合で対戦した近本光司の指名に漕ぎ着けた。 2019年 「ブチ破れ!オレがやる」というチームスローガンを提唱。野球解説者時代に契約を結んでいたスポーツニッポン大阪本社発行分紙面での恒例企画(阪神の一軍監督が年始に自筆の書を披露する企画)でも、書道初体験ながらこのスローガンを毛筆でしたためた。さらに、二軍監督時代からの方針に加えて、一軍監督としての「5か条」(①チームの勝利 ②勝利プラス1 ③喜怒哀楽 ④裏方への感謝 ⑤球団とも一体となったチーム作り)を提示。就任後初めて迎えた春季キャンプでは、自分で考える力を選手に植え付けるべく、自主性を重視しながら相応の結果を求める方針を打ち出した。レギュラーシーズン中には、試合に敗れてもナイン一同でグラウンドに出て観客に一礼したり、感情を抑えながらインタビューに応じたりするなど、ファンに対する真摯な姿勢を貫徹。その一方で、味方の選手が活躍した際に満面の笑みでガッツポーズを見せる姿が、「矢野ガッツ」と呼ばれるようになった。 実際には、投手陣がチーム防御率で12球団のトップに立つ一方で、野手陣は得点力不足や守備でのミスを随所で露呈。レギュラーシーズンの最終盤まではAクラス入りが危ぶまれていたが、9月30日の最終戦(甲子園)で古巣の中日に3-0のスコアで勝利したことによって、レギュラーシーズンの3位とクライマックスシリーズ(CS)進出を確定させた。レギュラーシーズンの通算成績は69勝68敗6分(勝率.504)で、阪神の一軍監督が就任1年目でチームをAクラスに導いた事例は、吉田義男の監督第2期初年に当たる1985年(昭和60年=セ・リーグ優勝)以来34年ぶり。新人監督が5割以上の最終勝率でAクラスを実現させた事例は1982年(昭和57年=セ・リーグ3位)の安藤統男以来37年ぶりだが、前年のレギュラーシーズン最下位からAクラス入りに至った事例は、球団史上初めてであった。 CSでは、横浜DeNAベイスターズとのファーストステージ(横浜)を2勝1敗で突破。第1戦(10月5日)では、CS史上初めて、最大6点差から逆転勝利を収めた。ファイナルステージでは、レギュラーシーズンで大きく負け越したセ・リーグ優勝チームの巨人に1勝を挙げただけで、日本シリーズ進出を阻まれた。10月17日のNPBドラフト会議では、「高校ビッグ4」と呼ばれた好投手(奥川恭伸・佐々木朗希・西純矢・及川雅貴)のうち、奥川への独占交渉権を1巡目の指名重複による抽選で逃したものの、西純矢(この年にオリックス・バファローズから移籍した後に一軍公式戦でチームトップの10勝を挙げた西勇輝の遠縁の親戚)の交渉権を獲得した(後に入団)。 2020年 「甲子園球場での全国大会に出場した経験のある高卒選手5人(西純矢・井上広大・及川・遠藤成・藤田健斗)が一斉に入団」「(MLBから新入団のジャスティン・ボーア、ジョー・ガンケル、ジョン・エドワーズ、KBOから新入団のジェリー・サンズ、福岡ソフトバンクホークスから移籍のロベルト・スアレスを含む)外国人選手8人を同時に支配下登録」という球団史上初めての陣容を背景に、「楽しむからこそ実力が発揮できる」「笑うことには大きなパワーがある」というニュアンスで、チームスローガンを「It's 勝 Time! オレがヤル」(ロゴでは「勝」を「笑」と重ね合わせた特殊な文字で表記)に改めた。 実際には、年初からの新型コロナウイルス感染拡大をめぐる球団内外の対応(詳細後述)へ翻弄された末に、巨人のリーグ2連覇を許した。感染拡大の防止を優先したNPBのレギュラーシーズン開幕延期および、セ・リーグのシーズン日程再編成によって「巨人との開幕3連戦から5カード連続でビジターゲームが組まれる」という異例のスタートを強いられたところ、球団では1996年以来24年ぶりの開幕4カード連続負け越しを記録。セ・リーグに限ってCSが開催されないことが決まっていたにもかかわらず、夏季の長期ロードでは8年ぶり、対巨人戦では9年連続のシーズン負け越しを喫した。10月23日の対巨人戦(東京ドーム)に一塁手として起用したジェフリー・マルテが1イニング3失策(公式戦に出場したセ・リーグの一塁手最多記録)を含む1試合4失策(日本プロ野球の公式戦における一塁手の最多記録)を喫するなど、チーム全体でも「暴投や(公式記録の有無にかかわらず)守備・走塁面でのミスが失点に結び付く」という前年からの傾向に歯止めが掛からず、総失策数は両リーグ最多の85にまで達している。 打撃陣では、シーズンの前半に梅野・糸原、中盤に近本・大山・サンズが主に打線を牽引。開幕当初は正三塁手争いでマルテの後塵を拝していた大山は、ボーアの不振やマルテの故障などで4番打者へ返り咲くと、終盤にセ・リーグの本塁打王や打点王を争うほどの進境を見せた。前年終盤の躍進を支えた救援陣からは、ラファエル・ドリスとピアース・ジョンソンをMLBへの復帰、島本浩也を前年末の左肘手術、守屋功輝を故障で欠いたうえに、開幕前から調子が上がらなかったクローザーの藤川がシーズン中の9月に現役引退を表明。セットアッパー候補のエドワーズも右肩のコンディション不良で開幕早々に戦線を離脱したため、先発での起用を想定していたスアレスを前半戦の途中からクローザー、前半戦に先発で勝ち星が伸びなかった藤浪や岩貞祐太を後半戦から中継ぎへ転向させた。先発陣では、入団3年目の髙橋遥人が左のエース格に成長したほか、開幕投手の西勇輝が前年に続いて(オリックス時代を含めれば3年連続)、秋山拓巳が3年ぶりに2桁勝利を記録。その一方で、球団はシーズン終盤の10月に、開幕から不振に陥っている福留孝介(この年のNPB現役最年長選手)・能見篤史(NPB現役最年長の左投手)・上本博紀(金本監督時代に選手会長を務めた内野手)に対して、翌2021年の戦力構想から外れていることを通告した(3人とも他球団での現役続行を視野に退団)。このように世代交代を迫られているチーム事情を背景に、高卒2年目の小幡竜平内野手や、二軍の4番打者としてウエスタン・リーグでトップの本塁打と打点を記録していた井上が一軍の公式戦に相次いでデビュー。小幡については、二塁手や遊撃手としてのスタメン起用も相次いだ。結局、大山は最多本塁打・最多打点のタイトルを僅差で逃したものの、チームは金本監督時代の2017年以来4年ぶりにシーズンを2位で終了。近本は2年連続でリーグ最多盗塁、スアレスはリーグ最多セーブ投手のタイトルを手中に収めている。 この年には、新型コロナウイルスへの感染がチーム内にも波及。NPBがレギュラーシーズン開幕の延期を決めていた3月下旬には、NPB球団の現役選手として初めて、藤浪・伊藤隼太・長坂拳弥に感染が確認された。この事態を受けて、球団では感染防止策の一環として、チーム関係者によるシーズン中の外食の機会・参加人数を制限する内規を定めた。NPBでも同じ球団でポジションが重なる選手同士の会食を禁じることを申し合わせているが、シーズン中の9月下旬には、一軍の名古屋遠征中に球団の許可を得て会食していた糸原健斗(チームキャプテン)・陽川尚将・岩貞・馬場皐輔・浜地真澄やチームスタッフからも感染が確認。保健所や球団が上記選手の「濃厚接触者」と認定した参加者(福留・木浪・セットアッパーの岩崎優など)を含めて、一軍と二軍の間で総勢19名の選手の入れ替えを余儀なくされた。この時の会食は、参加人数などで上記の内規やNPBの申し合わせに抵触していたため、矢野の一軍監督昇格などに尽力していた球団社長・揚塩健治がシーズン終了後(12月1日付)の引責辞任を表明。球団では、会食へ参加した10選手に制裁金を課したうえで、全額を慈善団体へ寄付する方針も打ち出している。当該選手はシーズン終盤の10月から実戦へ復帰したが、同月上旬には、矢野自身も夏場の遠征中に内規を超える大人数での会食に臨んでいたことが一部で報じられた。この報道を受けて、球団では残りシーズンにおける(選手・スタッフを含めた)遠征先の外食を一切禁止していたが、矢野などの会食については不問に付した。会食の場所が(新型コロナウイルスへの感染者数が全国で少ない部類に入る)広島県内で、「監督のチームマネジメントやチーム力の強化に資する」という理由で、球団本部の責任者が会食を事前に許可していたことによる。 矢野自身は一軍監督への就任に際して球団と3年契約を締結しているため、コーチ陣の一部を入れ替えたうえで、翌2021年も監督を続投。レギュラーシーズン中の10月26日に開催されたNPBドラフト会議の1巡目では、大学球界屈指のスラッガーである近畿大学の佐藤輝明(阪神の本拠地・兵庫県西宮市出身の内野手)への独占交渉権を、3球団との指名重複に伴う抽選で自ら引き当てた(後に入団)。 2021年 「一軍監督としての過去2年間の成績(最高はセ・リーグ2位)を『超』えて『頂』(優勝)に『挑』む」というニュアンスで、「挑・超・頂-挑む 超える 頂(いただき)へ-」というチームスローガンを設定。ボーア、ガルシア、呂彦青に代わってメル・ロハス・ジュニアとラウル・アルカンタラが入団したほか、中日の投手時代に阪神打線を何度も苦しめたチェン・ウェインがロッテから移籍するなど、前年と同じく支配下登録選手に8人の外国人を擁する陣容でシーズンに備えた。春季キャンプでは、守備力の強化を図るべく、自身と同じチームへの所属や阪神への在籍経験がない川相昌弘(巨人・中日OB)を臨時コーチに招聘。ただし、日本政府が新型コロナウイルスへの感染拡大防止策の一環で外国人の入国制限を課しているため、ロハスとアルカンタラの合流はレギュラーシーズンの開幕後(4月中旬)まで見送られた。 オープン戦では、佐藤輝明が全12球団トップの6本塁打でドラフト制度導入後(1966年以降)の新人選手としての最多本塁打記録を樹立するなど打線が好調で、金本監督時代の2016年以来5年ぶりに単独1位で終了。レギュラーシーズンでも、ヤクルトとの開幕3連戦(神宮)で全勝したことを皮切りに、貯金(勝ち越し数)が就任後最多に達するほどの好調で首位を走っていた。4番打者には開幕から大山を固定していたが、大山が背中の張りを理由に戦線を離脱していた5月には、開幕から「6番・右翼手」としてのスタメン起用を続けていた佐藤輝明を大山の復帰まで「4番・三塁手」に抜擢。佐藤と同期入団の選手からは、社会人野球出身の中野拓夢が正遊撃手・伊藤将司が先発陣に定着している。さらに、一軍公式戦未経験の投手(西純矢、及川、新人の村上頌樹など)が、公式戦に相次いでデビュー。西は、5月19日の対ヤクルト戦に先発で初登板を果たすと、5回を無安打無得点に抑えたまま交代した末に初勝利を挙げた。セ・パ交流戦では中継ぎ陣が軒並み調子を落としたため、開幕投手を初めて務めた藤浪を中継ぎ要員へ再び回したものの、佐藤輝明がNPBの新人選手としては交流戦最多の6本塁打を記録。チームは和田豊監督時代の2014年以来7年ぶりに交流戦を勝ち越したばかりか、セ・リーグ首位の座を維持したまま、同リーグの球団としては最上位(全体2位)で交流戦を終えた。リーグ戦が再開されてからは打線が全般に低調で、最大で8ゲーム差を付けていた2位・巨人に1.5ゲーム差まで迫られながらも、自身が現役選手だった岡田彰布監督時代の2008年以来13年ぶりに首位で前半戦を折り返した。 2020東京オリンピックの開催に伴うレギュラーシーズンの中断期間には、外国人選手に対して(家族の暮らす母国への)一時帰国を認めたものの、マルテやスアレスの合流がシーズンの再開に間に合わなかった。中断期間からの再開後は、打撃の調子が下降線をたどり始めた佐藤やサンズに代わって、ウエスタン・リーグで打撃が好調の小野寺暖(育成選手の出身で入団2年目にしてリーグ首位打者・最高出塁率のタイトルを獲得)や島田海吏(リーグ盗塁王)を積極的に起用。ヤクルトと巨人を勝利数で上回っているにもかかわらず、引き分け試合数や勝率との兼ね合いで8月29日に首位から(ヤクルト・巨人より下の)3位へ転落したことを受けて、同月31日の対中日戦(甲子園)には「外国人選手だけのクリーンアップ(3番:マルテ、4番:サンズ、5番:ロハス・ジュニア)」という球団の公式戦史上初の打線で臨んだ。 レギュラーシーズン終盤の9月からは、先発要員だったアルカンタラを救援陣に加えた一方で、サンズを二軍に降格。打撃不振の梅野に代わって10月から坂本をスタメンに起用したところ、チームは同月6日の対DeNA戦(横浜)に勝利したことによって、レギュラーシーズンを15試合残した段階でAクラス(3位以上)が確定した。2リーグ分立後(1950年以降)の阪神の一軍監督で、チームを就任1年目から3年連続のAクラス入りに導いた人物は矢野が初めてである。同月8日の対ヤクルト戦(神宮)に敗れたことで(引き分け試合数と残り試合数の多い)ヤクルトにリーグ優勝マジックの点灯を許すも、26日のレギュラーシーズン最終戦(甲子園球場での対中日戦)で完封負けを喫するまでは優勝の可能性を残していた。シーズン全体ではリーグトップの77勝を挙げたほか、貯金も前年から3倍増の21にまで達していたが、結局は同日にシーズン2位とヤクルトの優勝が確定。もっとも、ヤクルトとの最終勝率の差は5厘(ゲーム差は0)で、セ・リーグではシーズンを通じて他の5球団に負け越さなかった(対広島戦のみ勝率5割で終了)。巨人に対しては、岡田監督時代の2007年以来14年振りのシーズン勝ち越しを果たしたばかりか、10月上旬に東京ドームの直接対決でリーグ3連覇を阻止。結局、巨人はレギュラーシーズンを3位で終えた。 先発陣では、左上腕のコンディション不良による影響でレギュラーシーズン終盤の9月上旬から一軍へ合流した高橋が、巨人相手の一軍公式戦初完封勝利を皮切りに、阪神の左投手としては1992年の湯舟敏郎以来29年振りの2試合連続完封勝利を記録した。また、スアレスは42セーブ(球団の外国人投手における一軍公式戦でのシーズン最多記録)で、前年に続いてリーグ最多セーブのタイトルを獲得。レギュラーシーズンの中断期間に開催された2020年東京オリンピックの野球競技で岩崎・梅野と共に日本代表チームのメンバーとして金メダルを獲得した青柳は、13勝で九里亜蓮(広島)と並んでリーグ最多勝利、勝率.684で勝率1位のタイトルを単独で初めてつかんだ。また、秋山も2年連続で2桁勝利(10勝)をマーク。救援陣では、シーズンの中盤から不振の岩貞に代わって及川、終盤に小川一平(及川・小野寺と同期入団の右投手)やアルカンタラもセットアッパーの岩崎につなぐ役割を果たした。 攻撃面では、近本が全試合出場と入団1年目からの3年連続盗塁王獲得を逃しながらも、プロ入り後自身初の打率3割(.313)と2桁本塁打(10本)に到達。シーズン通算の安打数は両リーグトップの178本で、チームの日本人選手としては1993年の和田豊以来28年振りに最多安打のタイトルを獲得したほか、一塁手のマルテと共に外野手としてセ・リーグのベストナインに初めて選ばれた。なお、前半戦では熊谷敬宥・植田海・小幡・江越といった代走陣による好走塁が得点に結び付くシーンも相次いでいたが、シーズンが佳境に入ってからはこのような走塁が全般に影を潜めた。さらに、チーム最年長選手(40歳)の糸井を主に代打で起用したものの、勝負所では代打陣の層の薄さを露呈。チームからは近本が外野手としてゴールデングラブ賞を初めて獲得したが、チームの総失策数は86で、4年続けてNPBの12球団で最も多かった。 この年のNPBでは全般に新人選手の活躍が目立っていて、阪神でも球団史上初めて、新人選手から2名(中野と佐藤)がセ・リーグの最終規定打席に到達。NPBにドラフト制度が導入された1966年以降では初めて、「同一チームの新人選手2名が一軍公式戦で揃ってシーズン100安打」という記録も樹立した。さらに、中野はシーズン30盗塁でリーグ盗塁王のタイトルを獲得。盗塁の成功率は(パ・リーグを含めた)2リーグ分立後の盗塁王としては最も高い93.8%で、盗塁死を歴代最少の2に収める快挙も成し遂げた。佐藤はレギュラーシーズンの一軍公式戦通算で(日本プロ野球の公式戦における新人選手の歴代6位タイ記録に当たる)24本塁打を放ちながら、通算173三振で歴代の阪神選手におけるシーズン最多記録を更新。レギュラーシーズン再開後の8月下旬からは、矢野の判断による10日間の二軍調整(9月中旬)をはさんで、10月上旬まで(セ・リーグ公式戦最長記録および日本プロ野球公式戦最長タイ記録の)59打席連続無安打を喫するほどの不振に見舞われた。新人投手では、伊藤がほぼフルシーズンにわたって先発ローテーションの一角を任された末に、阪神の新人左投手としては1967年の江夏豊以来54年振りに一軍公式戦でのシーズン2桁勝利(10勝)を達成。さらに、佐藤は5月期にセ・リーグの打者部門、伊藤は10・11月期に投手部門で月間MVPを獲得した。セ・リーグの新人王選考では、佐藤・中野・伊藤とも記者投票で栗林良吏(広島)の後塵を拝したものの、3人揃ってDeNAの牧秀悟(大卒の新人内野手)・ヤクルトの奥川恭伸(高卒2年目で新人王の選考資格を有する投手)と共に「新人特別賞」の表彰を受けている。 甲子園球場で巨人を迎え撃ったクライマックスシリーズ(CS)のファーストステージでは、左太腿を痛めた影響でレギュラーシーズン最終盤の3試合を欠場していた近本を復帰させた一方で、フェニックスリーグで復調したサンズを一軍に合流させていながらベンチに入れなかった。第1戦では巨人と相性の良い高橋、第2戦では勝ち頭の青柳に先発のマウンドを託したものの、貧打と勝負所での失策が響いて2連敗。レギュラーシーズンの最終勝率が5割にも満たなかった巨人の前に、サンズばかりか大山・佐藤・梅野もスタメンから外した第1戦で完封負けを喫すると、サンズ以外の選手をスタメンに戻した第2戦で日本シリーズ進出への道を断たれた。 レギュラーシーズン終盤の10月11日に開催されたNPBドラフト会議の1巡目では、小園健太(和歌山市立和歌山高等学校投手)への独占交渉権をDeNAとの指名重複による抽選で逃したものの、高知中学校時代に軟式野球の公式戦で150km/hの球速が計測されたことで知られる森木大智(小園と同じ右投手で高知高校の3年生)への交渉権を2回目の指名で獲得した。その一方で、ヤクルト・巨人との間でレギュラーシーズンの順位が何度も入れ替わっていた9月には、NPBの12球団では最も早く球団のトップ(オーナー兼球団社長の藤原崇起)から監督職の続投を要請。チームのCSファーストステージ敗退の2日後(11月9日)には、一軍監督としての契約を改めて締結した。また、廣戸聡一が提唱する「4スタンス理論」のトレーナー資格を保有していることを背景に、この理論を突き詰めながら他球団でT-岡田や柳田悠岐などの長距離打者を育てた実績を持つ藤井康雄(元・阪急ブレーブス→オリックス外野手)を秋季練習から一・二軍巡回打撃コーチへ招聘。さらに、「(長らく希望してきた)捕手としての出番が減っているので、他のポジションに回ってでも出場機会を増やしたい」という原口の要望を受けて、原口を一塁手や外野手へ専念させることを秋季練習から容認している。 2022年 「1球、一打、一瞬にこだわる」「チームが1つになる(ONE TEAM)」「(前年にわずか5厘の勝率差で逃した)一番上(リーグ優勝)に向けて前年(リーグ最多の77勝)よりもう1勝増やす」というニュアンスを掛け合わせたチームスローガンとして、「イチにカケル!」を新たに設定。前年に在籍していた外国人選手からサンズとエドワーズが退団したほか、在籍中の2年とも最優秀救援投手のタイトルを獲得したスアレスがMLBのサンディエゴ・パドレスへ移籍したが、右投手のアーロン・ウィルカーソンとカイル・ケラーが相次いで入団している。 春季キャンプインの前日(1月31日)には、この年限りで監督職を退任する意向をナインと報道陣に相次いで明かした。本人によれば、退任を決断したのは2021年シーズンの終了後で、同年9月に続投の要請(前述)を受けてから熟考を重ねていたという。 チームには春季キャンプの期間中から新型コロナウイルスへの感染症が再び広がっていて、安芸キャンプへの参加者から複数の選手が相次いで感染したほか、レギュラーシーズンの開幕投手を初めて務めることが内定していた青柳にも開幕の直前に感染が判明。3月25日の対ヤクルト戦(京セラドーム大阪)では、このような事情から藤浪を前年に続いて開幕投手に起用したものの、「スアレスの後釜」と目されていたケラーなどの救援陣が最大7点のリードを守り切れずに逆転負けを喫した。以降の試合ではケラーに代わって岩崎がクローザーの役割を担っているほか、2019年の入団前から故障が相次いだ影響で、一軍公式戦での登板実績が前年(2021年セ・パ交流戦)の2試合しかない湯浅京己をセットアッパーに抜擢している。もっとも、チームはセ・リーグの公式戦史上最も長い開幕9連敗を喫するなど低迷していて、開幕から17試合を経過した時点ではシーズン通算の勝率が.063(この時点における日本プロ野球公式戦史上最低記録)にまで落ち込んでいた。 青柳は4月下旬から戦線へ復帰したが、マルテが右脚のコンディション不良、藤浪や伊藤将司などが新型コロナウイルスへの感染、坂本の台頭でスタメン起用の機会が減っていた梅野が右脇腹痛で戦線を次々と離脱。その一方で、投手陣は同月22日の対ヤクルト戦(甲子園)から5月19日の同カード(神宮)まで、青柳・ガンケル・ウィルカーソンを軸に21試合連続で相手打線の得点を3点以下に抑えていた。公式戦では2007年以来15年振りに先発投手を8番に入れる打順で臨んだ5月18日の対ヤクルト戦(神宮)では、西純矢が先発投手として一軍で初めての完投勝利を挙げたばかりか、打者として2回表の第1打席でプロ入り後初めての本塁打を放っている。開幕戦からおおむね4番打者に起用されている佐藤輝明もこの試合で2年連続のシーズン2桁本塁打を達成したが、佐藤・中野の2年目コンビと40歳の糸井以外の打者は総じて不振。開幕から44試合(5月19日の対ヤクルト戦)を終えた時点でチームの完封負けが前年と同数(11試合)に達したほか、同日までの広島戦で1988年以来34年振りの(引き分け1試合をはさんで)開幕7連敗を喫したほどの貧打振りで、チームはセ・パ交流戦の導入(2005年)以来初めて交流戦をセ・リーグの最下位で迎えるに至った。 チームにおける極度の「投高打低」傾向は交流戦に入っても変わらず、(セ・リーグ開幕戦からの)シーズン54試合目に当たる5月31日の対西武戦(甲子園)でシーズン13度目の完封負けを喫したことによって、開幕月(3月)から3ヶ月連続の月間負け越しが確定。さらに、21世紀(2001年以降)のチームでは最も早く、自力によるセ・リーグ優勝の可能性が消滅した(実際には翌6月1日の同カードに勝利したことで復活)。
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