金本監督時代
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2016年 3月、読売ジャイアンツ所属選手による野球賭博問題に絡み、巨人同様円陣の声だしで金銭の授受 や高校野球を対象としたくじ等 が発覚(「読売ジャイアンツ所属選手による野球賭博問題」も参照)。 「超変革」をスローガンに、髙山俊、横田慎太郎、北條史也、江越大賀ら若手を積極的に起用。交流戦を7勝11敗で負け越し、前半戦終了時点で5位。夏場には最下位転落も経験し、結果的に4位で4年ぶりのBクラスに終わる。福原忍らが現役を引退した。オリックスからFA宣言した糸井嘉男を獲得。高山がセ・リーグ新人王に選出された。 2017年 新加入の糸井を始め、開幕から各打者が高い出塁率を武器に躍進。5月6日の広島戦では球団史上初となる「最大9点差からの逆転勝利」を達成し、一時は首位にも浮上した。シーズンを通して上位を推移。特にリリーフ投手陣の働きが光り、桑原謙太朗、マルコス・マテオ、ラファエル・ドリス、高橋聡文、岩崎優の5名はそれぞれ60試合以上の登板数を記録、さらに52試合に登板した藤川を加えた6名が50を超える試合に登板した。1チーム5名の60試合以上登板、6名の50試合以上登板はどちらもNPB史上初の出来事であった。最終的には首位広島と10ゲーム差でのシーズン2位となり、CSでは1stステージで3位DeNAに1勝2敗で敗退した。安藤優也らが現役を引退した。大和がDeNAにFA移籍。二軍監督の掛布が退任。鳥谷が通算2000安打を達成。 2018年 各打者が開幕から揃って不振を極め、得点力不足に陥りチームも低迷。5月29日には鳥谷の連続試合出場が1939試合で途切れた。投手陣でも藤浪を始め不調や故障により離脱する選手が多く、中盤から終盤にかけて徐々にBクラスに定着。最終盤での糸井、原口文仁ら主力選手の故障離脱なども響いて10月8日には2001年以来17年振りのシーズン最下位が決定した。この年は特に本拠地・甲子園で勝つことができず、球団史上ワーストとなるシーズン39敗を喫した。シーズン最下位の責任を取る形で監督の金本が退任。記録では鳥谷が藤田平の保持する球団歴代最多安打記録(通算2064安打)を更新した。二軍監督の矢野燿大が一軍監督に就任。オリックスからFA宣言した西勇輝を獲得。 この年は平成最後のペナントレースだったため、阪神は「平成最後のセ・リーグ最下位球団」と同時に広島と共に「平成時代も日本一になれなかった球団」となった。
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