阪神淡路大震災での被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 09:15 UTC 版)
「神戸市立医療センター西市民病院」の記事における「阪神淡路大震災での被害」の解説
1995年1月17日午前5時46分発災時、当院(当時:神戸市立西市民病院)には245名の入院患者がいた。職員は医師4名、深夜勤務の病棟看護婦20名、救急担当看護婦3名、薬剤、検査、放射線各1名、事務当直、設備当直等嘱託職員も含め5名がいた。地震による揺れにより、本館5階を押しつぶし、各階でも柱は押しつぶされるように曲がり、鉄筋は剥き出しに、建物自体も南に傾き、その南にある南館も余震による本館の崩壊があれば危険という状態となった。 5西病棟の入院患者44名と看護婦3名は閉じ込められてしまったが、発災当日窓から6階のベランダへと自力で脱出した2人、救出できた6人、ガレキの中をトンネルを作って救出できた35人、6階の床に穴を開けて救出した2人、4階の天井から穴を開けて救出した1人の計46人が脱出できた。残る患者1名は翌18日、自衛隊も加わって捜索され、20時30分に手の先が発見され、21時36分に引き上げられたがすでに亡くなっていた。
※この「阪神淡路大震災での被害」の解説は、「神戸市立医療センター西市民病院」の解説の一部です。
「阪神淡路大震災での被害」を含む「神戸市立医療センター西市民病院」の記事については、「神戸市立医療センター西市民病院」の概要を参照ください。
- 阪神淡路大震災での被害のページへのリンク