デルタフォースの著名人(関係者含む)について
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Charles A. Beckwith :退役陸軍大佐。デルタフォース創設者にして初代司令官(1977年〜1980年)。 第7特殊部隊グループの大尉だった1962年〜1963年の間、英第22SAS連隊へ交換将校として派遣されたことが契機となり、デルタフォース創設を決意するに至る。Operation EAGLE CLAW失敗後は特殊作戦部隊の統合運用の徹底を訴えてJSOC創設に尽力し、1981年に退役。同時にテロ対策のコンサルタント事業を行うSASオブ・テキサス社(Security Assistance Services Of Texas, Ltd)を設立し、社長に就任。 1984年にはホワイトハウス直々の要請でロサンゼルスオリンピック大会における警備計画の全面的点検を担当した。 1994年6月13日、心不全のため没(64歳)。生前、自身の回顧録である『対テロ特殊部隊を作った男―米軍デルタフォース秘話』(原題 Delta Force: The Army's Elite Counterterrorist Unit)を出版している。 Richard J. Meadows:退役陸軍少佐。Arthur D. Simons退役陸軍大佐と並ぶ米特殊作戦界の伝説的人物。 1947年、16歳で陸軍へ志願入隊。朝鮮戦争従軍時には20歳で曹長へ昇進し、米陸軍史上最年少の曹長となった。 1961年〜1962年の間、第7特殊部隊グループの下士官として初めて英第22SAS連隊へ派遣(この時に知り合ったSAS特務曹長の娘と後に結婚)。帰国後は第8特殊部隊グループや第5特殊部隊グループで勤務し、ベトナム戦争ではMACV-SOGに所属して北ベトナムおよびラオスへの24回以上にも及ぶ極秘越境作戦に従事した。また、1970年に行われたソンタイ捕虜収容所奇襲作戦では地上強襲チームを指揮した。 1977年に退役するが、民間アドバイザーとしてデルタフォース創設を支援、中南米におけるDEAの麻薬撲滅作戦の支援、Operation EAGLE CLAWにおける情報収集チームの一員としてイランへ潜入…など現役引退後も常に特殊作戦の最前線に立ち続けた。 1995年7月29日、白血病のため没(64歳)。当時のビル・クリントン大統領から大統領自由勲章を死後授与された。現在、ノースカロライナ州フォートブラッグ基地には彼の銅像が立っている。 Eric L. Haney:退役陸軍最先任上級曹長。 デルタフォース創設メンバーの一人として、1979年〜1985年の間、B戦闘中隊第1小隊Cチームに所属。その間、Operation EAGLE CLAW、レバノンにおける米国務省要員の身辺警護とテロリスト狙撃任務、Operation URGENT FURY、ホンジュラスにおける共産ゲリラ掃討作戦など幾多の実戦を経験。 デルタフォースを離れた後、第193歩兵旅団の旅団付き最先任上級曹長としてOperation JUST CAUSEに参加し、1990年に退役。 退役後はフリーランスの特殊作戦コンサルタントとして活動し、中南米における誘拐事件の人質交渉、アルジェリアにおける対テロ作戦の支援などの他、1994年にはハイチへ戻るジャン=ベルトラン・アリスティド大統領の警護隊長を務めた。自身の回顧録である『デルタ・フォース極秘任務 創設メンバーが語る非公式部隊の全貌』(原題 Inside Delta Force: The Story of America's Elite Counterterrorist Unit)を出版している。 Lewis H. Burruss, Jr.:退役陸軍中佐。デルタフォース創設メンバーの一人であり、部隊創設にあたって最初にBeckwith大佐自らが選抜した将校の一人。部隊の創設準備に従事する傍ら英第22SAS連隊へも派遣されており、帰国時には当時のSAS連隊長に「こいつがいらないなら、うちで引き取るぞ」と言わしめた。 デルタフォースA戦闘中隊の初代中隊長を務め、その後は選抜訓練&OTC責任将校に就任。Operation EAGLE CLAWおよびOperation URGENT FURYに参加。デルタフォース副司令官の職を最後に1986年に退役。 Walter L. Shumate:退役陸軍最先任上級曹長。 デルタフォース創設メンバーの一人であり、部隊創設にあたって最初にBeckwith大佐自らが選抜した下士官の一人。デルタフォースでは主に選抜担当上級下士官を務めた。 空挺歩兵として朝鮮戦争に従軍し、その後グリンベレーに入隊。水泳が得意であったため海軍のUDT-12(水中破壊工作チーム12)へ派遣されて訓練を受け、特殊部隊水中作戦学校を設立した。Beckwithが少佐としてベトナム戦争でB-52 Project DELTAの指揮を執っていた頃からの付き合いで、46歳というデルタフォース史上最年長で選抜課程をクリアした人物である(なお、この時に水泳を特技としながらも単純な水泳テストで落伍しているが、Beckwith大佐の特別な計らいにより再度チャンスを与えられている)。 1982年に退役した後も民間の保安担当官としてデルタフォースに勤務し続け、癌で没している。 生前、戦友達と共にジョークでデルタフォース本部施設へのパラシュート降下を敢行した。Shumate曹長は独特の口髭を生やしていたことでも有名で、デルタフォース本部の廊下には額縁に入った彼の口髭が飾られている。 なお、息子であるAlan J. Shumateは現役の陸軍将校で、第82空挺師団、グリンベレー、デルタフォースなどで勤務している。 Wade Y. Ishimoto:退役陸軍大尉。 デルタフォース創設メンバーの一人であり、部隊創設にあたって最初にBeckwith大佐自らが選抜した下士官の一人。 ファミリーネームが示すとおり日系人である。 デルタフォース入隊時は曹長だったが、Beckwith大佐の推薦により一足飛びに大尉への昇進を果たし(ダイレクトコミッション)、情報将校補佐に就任した。柔道や合気道など様々な武道の達人である。 Wayne E. Long:退役陸軍大佐。 デルタフォース創設メンバーの一人であり、部隊創設にあたって最初にBeckwith大佐自らが選抜した将校の一人。デルタフォースでは主に情報将校を務め、他にISA(情報支援活動)部隊やDIAでの勤務経験もある。1994年〜2003年の間、ソマリアにおける国連の保安担当主任顧問と人質交渉担当主任を務めた。 Peter J. Schoomaker:退役陸軍大将。 デルタフォース創設メンバーの一人で、1989年〜1992年の間、デルタフォース司令官を務めた。 その後、JSOC司令官、U.S.ASOC司令官、U.S.SOCOMの5代目司令官などを歴任して2000年に退役するも、2003年、当時のドナルド・ラムズフェルド国防長官の要請で一時現役復帰し、2007年まで35代目アメリカ陸軍参謀総長を務めた後、完全に退役した。 Edward C. Meyer:退役陸軍大将。 デルタフォース創設を支持した代表的人物で、1979年〜1983年の間、29代目アメリカ陸軍参謀総長を務めた。 1977年〜1979年の間、陸軍作戦計画担当参謀次長(中将)として陸軍内で己の持ちうるありとあらゆる権力・政治力を駆使してBeckwith大佐を支援した。Meyer大将は特殊作戦に従事した経験こそ全く無かったが非常に先見の明のある人物であり、今後、アメリカの国益のためにデルタフォースのような部隊が必要だと直感していた。1983年に退役。 Robert C. Kingston:退役陸軍大将。 デルタフォース創設を支持した中心人物の一人で、1983年〜1985年の間、U.S.CENTCOMの初代司令官を務めた。1977年当時、ジョン・F・ケネディ軍事援助センター(現在のJFK特殊戦センター)司令官を務め、Beckwith大佐のデルタフォース創設プロジェクトを支援した。Kingston大将は特殊作戦経験豊富な人物で、朝鮮戦争でゲリラ戦に従事したのをはじめ、レンジャー課程の教官、MACV-SOGの作戦将校、第3特殊部隊グループ司令官などを歴任している。1985年に退役。 U.S.SOCOM創設時、初代司令官候補に名前が挙がったが既に陸軍を退役済みであったため、当時の現役大将クラスで経歴の一部に特殊部隊勤務があるJames J. Lindsay陸軍大将が選ばれた。2007年2月28日、没(79歳)。 James J. Lindsay:退役陸軍大将。 デルタフォース創設を支持した人物の一人で、1987年〜1990年の間、U.S.SOCOMの初代司令官を務めた。 1977年当時、第18空挺軍団の参謀長(准将)として創設間近のデルタフォースの司令部となる建物を探していたBeckwith大佐のために、フォートブラッグ基地内の営倉の使用を快く許可した。「今、営倉には数人の懲罰兵が入っているが、そいつらを街の刑務所へ移してしまうのはどうだろう。君の提案のほうがよほど有効的だと思うからね。大佐、君の勝ちだ」―この言葉を聞いたBeckwith大佐は大変感謝すると同時に、しかしこの将軍はもう二度と昇進できないだろうな…と悔やんだが、結果的にそれは杞憂だったようである。1990年に退役。 Samuel V. Wilson:退役陸軍中将。 デルタフォース創設を支持した人物の一人。アメリカの特殊作戦界および諜報界における有名人であり、第二次世界大戦中にOSS(戦略事務局。CIAの前身組織)の将校や"Merrill's Marauders"の通称で有名な第5307臨時混成部隊の情報偵察小隊長などを務め、戦後はロシア語訓練を受けて軍からCIAへ出向し、国防総省や国務省のロシア語翻訳官を偽装身分としてソ連や東欧で諜報活動に従事。軍に復帰後は創設されたばかりの第10特殊部隊グループの将校として朝鮮戦争に従軍。 その後は特殊作戦担当国防長官補代理、第6特殊部隊グループ司令官、在ソ連アメリカ大使館の駐在武官、CIAの長官付き副官、DIA長官などを歴任し、1977年に退役。 Richard J. Meadows少佐と並ぶ米特殊作戦界の伝説的人物。デルタフォース創設を支持した人物の一人で、デルタ専用狙撃銃の設計に関与。第2次大戦中、レンジャー隊員として太平洋戦線で日本軍と戦い、戦後は第77特殊部隊グループ(現在の第7特殊部隊グループ)の将校としてラオスでの秘密作戦に従事。その後、第8特殊部隊グループの初代司令官(この当時の部下の一人にRichard Meadowsがいた)を経てベトナム戦争でMACV-SOGの地上研究グループ部長(この部署は地上における全ての越境偵察作戦を指揮していた)を、1970年に行われたソンタイ捕虜収容所奇襲作戦では任務指揮官を務めた。 1973年に退役。 1979年、アメリカのコンピュータ会社EDSの幹部2名がイランのテヘラン支社で不当に逮捕され、巨額の保釈金を要求された際、当時のEDS会長ロス・ペローから救出作戦を依頼され、見事成功させた。この出来事の一部始終はケン・フォレット著の『鷲の翼に乗って』(原題 On Wings of Eagles)という小説として書かれている。 1979年5月21日、心筋梗塞のため没(61歳)。なお、U.S.SOCOMには特殊作戦コミュニティに大きく寄与した人物に与えられる栄誉賞として、彼の名を冠した"Bull Simons Award"がある。現在、ノースカロライナ州フォートブラッグ基地には彼の銅像が立っている。 Jesse L. Johnson:退役陸軍大佐。 1980年〜1983年の間、デルタフォース副司令官を務めた。その他、第10特殊部隊グループ司令官や、湾岸戦争時にはSOCCENT(中央特殊作戦コマンド)司令官を務め、“大の特殊部隊嫌い”として有名だったノーマン・シュワルツコフ陸軍大将(当時のアメリカ中央軍司令官)に「湾岸戦争の影の功労者であり、偉大な武人」と言わしめた。 1991年に退役。 Larry Vickers:退役陸軍曹長。 高校卒業後に陸軍入隊、グリーンベレーに所属する。その後予備役となり、大学で機械工学を専攻しながら1911専門のガンスミスとして有名なスティーブ・ナストフに師事する。 大学卒業後に陸軍に戻り、デルタフォースに入隊する。 1989年、パナマ侵攻時のCIA工作員救出作戦(Operation Acid Gambit)に参加。 また軍に在職中の負傷により左足に後遺症が残り、他の部分にも故障を抱えている。 2004年に陸軍を退役。 退役後は、ガンスミスに転身し、1911のカスタムだけでなくHK416やHK45の設計にアドバイザーとして携わっている。 その他の関連企業Blue Force Gear、Daniel Defense、Tango Down等。 Steve Swierkowski” 元陸軍特殊部隊の士官。 デルタフォース・中隊指揮官、副司令官・作戦立案者としてコートジボワール、ガーナ、西アフリカ、アフガニスタン(CJSOTF-A)、イラク(OIF)での展開を経験。 2010年に退役。 退役後は、デルタフォースに繋がりのある「タイガースワン(TigerSwan)」社で事業・契約部門長を担い、2014年に元デルタフォース隊員で構成する訓練提供企業「TRC: The Range Complex」の社長として独立。 Kevin Holland” 1988年海軍入隊後、BUD/Sに参加。 1989年SEALsのチーム8に配属。 1990年湾岸戦争に従軍。 1992年DEVGRUに転属 1995年海軍を退役。 2001年にアメリカ同時多発テロ事件が起き対テロ戦争が始まると原隊への復帰を願い出たが、既に部隊はアフガニスタンに展開していたため、元指揮官の勧めでデルタフォースの選抜審査に参加し合格。史上初めて陸軍のデルタフォースと海軍のDEVGRUに入隊を果たした隊員になった。 その後、中東に20回以上派遣され、2011年の任務中左胸に被弾するが一命をとりとめる。 2013年に再度を退役するが、それまでの期間を治療やリハビリ等に費やす。 退役後は、Kryptek Outdoor Groupで研究開発担当兼副社長を務めており、戦場で培った豊富な経験と知識を新しい商品開発に活かしている。 Mike Pannone フォースリーコン、陸軍特殊部隊、デルタフォース等に所属。 デルタフォース在籍時に爆発事故で右目に重傷を負い退役。 退役後は、VTAC (Viking Tactics)、BHI (Blackheart International) などのインストラクターを務め、2008年 に CTT Solutions(Comprehensive Technical and Tactical Solutions)社を設立した。 Pat McNamara:退役陸軍上級曹長。 高校卒業後、米陸軍へ入隊。 22年間第75レンジャー連隊やデルタフォースに所属し、1997年からの東欧における戦争犯罪人逮捕作戦から、2003年以降からの旧イラク政権指導者逮捕作戦における、タスクフォース20としてCIAと共に活動。 退役後はインストラクターとしてTMACS INCを立ち上げている。 George Andrew Fernandez 2003年、イラクの自由作戦下のイラク北部で作戦中に戦死。没(36歳)。 Ivica Jerak 2005年、イラクアルカイムでの作戦中に対戦車地雷によって戦死。没(42歳)。 George Hand 退役後、ネバダ州ラスベガスの北にある米国の核実験場で、米国エネルギー省の下請けとして16年間勤務。 現在は、人身売買対策の情報分析および街頭工作員として働いている。 Michael L.Mcnulty 2005年6月17日、イラクのアルカイム近郊での戦闘で戦死。没(36歳)。 Robert Horrigan 2005年6月17日、イラクのアルカイム近郊での戦闘で戦死。没(40歳)。 Tyler Grey退役陸軍一等軍曹。 陸軍入隊後、第75レンジャー連隊第 2大隊に所属後、デルタフォースに転属。 2005年、イラク・サドルシティーでの作戦中に右腕に重症を負い除隊。 4年間のリハビリ生活と延べ 30以上の外科手術を受け見事な回復を果たし、利腕を右腕から左腕に変更している。 除隊後は映画界でその活躍の場を広げており、2016 年の「スーサイド・スクワッド (Suicide Squad) 」や、2013 年の「オーバードライ(Ôvâdoraivu) 」、2015 年の「That Which I Love Destroys Me」、2017年から「SEAL Team」といった作品に関わっている。 Brett Fredricks” 1980年代から1990年代にデルタフォースに所属し1990年代中頃に退役。 2007年までイラクで民間警備請負人として勤務。 2014年12月ソマリアのアデン・アッデ国際空港近くにあるアフリカ連合ソマリア・ミッション軍ベースキャンプでの警備業務中に、イスラム武装勢力アル・シャバブの襲撃により戦死。没(55歳) John R. Steinbaugh: 1987年に陸軍に入隊。 1994年に衛生兵となり、第10特殊部隊グループに所属。 2000年からSEREのインストラクター。 2003年にデルタフォースに配属。 2012年に陸軍を退役。 退役後は、軍が計画をすすめていた新型医療品開発に力を注ぐためにRevMedxの責任者になった。現在は新型注射器であるX Statを開発し、軍に配備を進めるように尽力している。 Christopher Nelms:陸軍上級曹長。 1990年に陸軍入隊。 フィリピンやイラクに2度の派兵され、その後陸軍州兵の第19特殊部隊グループに配属。 1997年からワシントン州の消防士として勤務。 2008年に陸軍に復帰しデルターフォースの選抜過程に参加。 中東・アフリカへの派遣を7度を経験。 2018年7月1日に自由降下訓練中の事故により殉職。没(46歳) John McPhee” 第7特殊部隊グループを経て、デルタフォースに所属。 2011年に陸軍を退役。 退役後は、タクティカルトレーニンググループ S.O.B シェリフ オブ バグダッドを設立。 Tom Spooner” 陸軍入隊後、第82空挺師団に配属。 その後、陸軍特殊部隊資格コースを修了し、第7特殊部隊グループに転属。 2001年に、デルタフォースに配属。 中近東へ 17度の派兵を経験している。 2011年に陸軍を退役。 退役後は、退役軍人のPTSDなどに対応する慈善活動団体Elder Heartに参加。 兄弟のScot Spooner”氏もデルタフォース隊員。 Benjamin A. Stevenson: 2011年、アフガニスタン南東部のパクティカ州でのアルカイダ掃討作戦中の銃撃戦により戦死。没(36歳)。 Dale Comstock” 陸軍入隊後、第82空挺師団に配属。 第3特殊作戦グループを経て、1991年にデルタフォースに配属。 2001年に陸軍を退役。 退役後は、大学において博士号を取得。 現在は、イントレピット グローバル セキュリティ ソリューション社の副社長。 David R. Halbruner”:陸軍曹長。 ベンガジ在外公館襲撃事件での功績により殊勲十字章 (アメリカ合衆国)を受勲。 Joshua Wheeler:陸軍曹長。 オクラホマ州ローランド出身。 1995年に陸軍入隊後、陸軍第 24歩兵連隊に配属。 1997年に第75レンジャー連隊第2大隊B中隊に転属。 2004年にデルタフォースに転属。 中近東へ 11度の派兵を経験している。 2015年10月22日、デルタフォースの一員としてイラク北部のキルクーク郊外ウイジャあるイスラム国の収用所からの人質救出作戦中に戦死。没(39歳)。 米軍にとってWheeler曹長の犠牲はイラクにおいて、2011年のイラク撤退以来となった。 Jonathan J. Dunbar 2018年3月、イラクでのISIL掃討作戦中にIEDの爆発により死亡。没(36歳)。 Thomas “Patrick” Payne:陸軍上級曹長。 サウスカロライナ州ベイツバーグ出身。 2002年に陸軍入隊後、空挺資格課程を修了。 2003年にレンジャー教育課程を修了後、第75レンジャー連隊第1大隊に配属。 2007年にデルタフォースに転属。 2010年アフガニスタンでの作戦中に負傷し、名誉負傷章を授与。 2012年のBest Ranger competitionで優勝。 2015年10月22日にイラクで行われた救出作戦中に副隊長として危険を顧みず70余名の人質を救出した。その功績から2020年に名誉勲章を受勲。彼は同部隊として1993年のOperation GOTHIC SERPENT以来の名誉勲章の受勲者となり初の存命中に授与された隊員となった。 2017年にノーリッチ大学を卒業し、戦略研究と防衛分析の理学士号を取得。 Brett Velicovich”:元UAVパイロット。 デルタフォース所属のドローンパイロットとして約 10年間従事し、イラク、ソマリア、ブルンジ、アフガニスタンなどのミッションに参加。 空対地ミサイルAGM-114 ヘルファイアを二発搭載した無人航空機 RQ-1 プレデターを操り、テロリストの捕捉・捕獲・排除、味方の援護など、各戦地の上空で任務をこなしてきた。 退役後は、アフリカの野生動物を密猟者から無人航空機で守るプロジェクトである African Eye Project を創設し、現在は野生動物の保護活動に尽力している。 コナン”:軍用犬。 デルタフォース所属のベルジアン・シェパード・ドッグの雌。 2019年10月26日のアブー・バクル・アル=バグダーディー殺害を目的としたカイラ・ミューラー作戦に参加し、バグダーディーが自爆した際にトンネルが崩壊し負傷したが、その後回復し復帰した。 作戦の功績によりトランプ大統領から特注の勲章を授与された。 2013年生まれで、2019年当時の年齢としては「最盛期」で、引退の予定はないという。
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