ジュニア【junior】
読み方:じゅにあ
1 年少者。また、下級生。「—版の名作集」「—クラス」⇔シニア。
ジェー‐アール【JR】
JR
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/15 18:27 UTC 版)
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創立 | 1987年 |
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国籍 |
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中核企業 | |
主要業務 | 鉄道事業 |
標章 | JRマーク |
前身 | 日本国有鉄道(国鉄) |
JR(ジェイアール、Japan Railways)は、日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化により1987年に発足した鉄道事業者の統一的総称。6つの旅客鉄道会社と1つの貨物鉄道会社などから構成される。全体としてJRグループ(JR-GROUP)とも呼ばれる。
国鉄の英文字略称が「JNR (Japanese National Railways)」であったことから、「国有」を表すNを除いて「JR」とした、と説明されることもあるが、実際には「NR」(Nは日本=Nihon、Nipponの頭文字)などの案も検討されていた[1][注釈 1]。
JRグループ
JRグループには、6つの旅客鉄道会社と1つの貨物鉄道会社、鉄道の研究機関(公益財団法人)やコンピュータシステムを担当する会社があり、旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律(JR会社法)を設立根拠とする会社と、対象外の会社が混在している。そのうち旅客鉄道事業を担当する会社は、それぞれJRバスやJRホテルグループに属する会社のほか、駅ビルや飲食店などを運営する各種子会社・関連会社を傘下に収めている[注釈 2]。また、貨物鉄道事業を担当するJR貨物に関しても、臨海鉄道会社や物流会社などを傘下に収めている。また、幅広い鉄道網を抱えて、地域や日本の移動の足となっている。
事業領域 | 法人名 | 種別 | 通称 | コーポレートカラー | 本社 | 主な事業区域 |
---|---|---|---|---|---|---|
旅客鉄道 | 北海道旅客鉄道 | 株式会社 | JR北海道 | ![]() |
北海道札幌市 | 北海道、および青森県津軽地方の一部[注釈 3] |
東日本旅客鉄道 | JR東日本 | ![]() |
東京都渋谷区 | 東北・関東・甲信越、および静岡県東部の一部 | ||
東海旅客鉄道 | JR東海 | ![]() |
愛知県名古屋市 東京都港区 |
東京都から京都府を経由し大阪府までを結ぶ東海道新幹線とリニア中央新幹線、および東海[注釈 4]・長野県南部・山梨県南部・神奈川県西部 | ||
西日本旅客鉄道 | JR西日本 | ![]() |
大阪府大阪市 | 北信越[注釈 5]・三重県伊賀地区・関西・中国・福岡県[注釈 6] | ||
四国旅客鉄道 | JR四国 | ![]() |
香川県高松市 | 四国 | ||
九州旅客鉄道 | JR九州 | ![]() |
福岡県福岡市 | 九州 | ||
貨物鉄道 | 日本貨物鉄道 | JR貨物 | ![]() |
東京都渋谷区 | 日本全域 | |
情報処理 | 鉄道情報システム | JRシステム | ![]() |
東京都渋谷区 | ||
研究機関 | 鉄道総合技術研究所 | 公益財団法人 | 鉄道総研 JR総研 |
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東京都国分寺市 |
事業領域 | 法人名 | 種別 | 通称 | コーポレートカラー | 本社 | 主な事業区域 | 備考 |
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鉄道電話 | 鉄道通信 → 日本テレコム |
株式会社 | JR通信 | ![]() |
東京都港区 | 日本全域 | 2001年、JRグループとの資本関係解消。 2015年にソフトバンクモバイル(現:ソフトバンク、元は日本テレコム子会社のジェイフォン)に吸収合併された、ソフトバンクテレコムの前身(→ソフトバンクテレコム#歴史)。 |
各事業者・法人の総称としてはJRグループとも呼ばれるが、このグループは概ね以下の3種に分類される独自の資本体制に依拠した法人の総称で(次項「#民営化から現在までの状況」も参照)、なおかつ資本体制に関わらず経営はそれぞれ独立しており、グループを代表して各社を統括する持株会社および統括会社は存在しない[注釈 9]が、上場完全民営化までは鉄道建設・運輸施設整備支援機構(JRTT、分割民営化当初は、日本国有鉄道清算事業団)が株式の保有を行っている。
発足当初は会社相互間の株式持ち合い関係も存在しなかったが、後に純粋民間会社となった4社の間では株式の持ち合いが行われている。保有割合はおおむね1%未満だが、JR九州に対しての他3社からの出資は2020年以降1%を超えている[2][3]。
このような分散的なグループ体制に起因して、営業施策や経営戦略等において各社の独自性が極めて強いのが特徴であるが、一方で旧国鉄から引き継いだ鉄道ネットワークの一体性にも利用客への利便性という観点からある程度配慮されている。2社以上のJR営業エリアにまたがる列車の相互乗り入れ、運賃・乗車券制度の事実上の共通化、観光振興(国鉄時代から続くデスティネーションキャンペーン)、震災のような大規模災害時の復旧要員派遣[4]といった様々な分野で、広域的な連携・協調・協力体制も構築している。
JRの駅などに掲示されるデスティネーションキャンペーンや青春18きっぷのポスター、そして交通新聞社発行の『JR時刻表』には、「JR-GROUP」のロゴが使用されている[注釈 10]。ただし、この場合のJRグループは旅客鉄道各社を意味し、貨物・総研・システムは含まれない[要出典]。ただし、2017年12月に実施された国鉄民営化30周年記念ツアーの企画には、寝台特急「カシオペア」を牽引する機関車を提供する形でJR貨物も参加している[5][6]。
JR東日本・東海・西日本・九州が、鉄道ノウハウ(とりわけ高速鉄道)の国際進出を目的に一般社団法人国際高速鉄道協会(IHRA)を2014年(平成26年)4月1日に東京都港区に設立した。こちらは出資したJR大手4社の他、JR総研、さらにJR方式の高速鉄道を採用した台湾高速鉄路公司なども会員としている(のちにJR北海道も加盟し、四国を除くすべての旅客会社が参加している)。
JR系の社員の健康保険組合は、概ね「JRグループ健康保険組合」の加入となる。
JRグループ各社傘下の吹奏楽団が加盟する「JRグループ音楽連盟」は、JR北海道音楽クラブ(休部中)、JR東日本吹奏楽連盟(JR東日本東北吹奏楽団・JR東日本東京吹奏楽団)、JR東海音楽クラブ、JR西日本バンド連盟、JR四国吹奏楽部、JR九州吹奏楽団が会員。2016年11月から定期演奏会を開始した。各楽団は国鉄時代からの各管理局ごとの吹奏楽団が前身。
JRグループ7社のうち、JR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本の4社はACジャパン(旧・公共広告機構)の正会員である[7]。
民営化から現在までの状況
JRグループ各社は、日本国有鉄道改革法(昭和61年法律第88号)(第6条第2項(旅客会社)、第8条第2項(貨物会社))の規定により、1987年4月1日に発足した。運営等については、旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律(JR会社法)に定められた。「JR」という呼称は、同年2月20日に決められたものである。
JR発足当初は、国鉄から移行した日本国有鉄道清算事業団(JNRSC)が全株式を保有する特殊会社であった。なお、同事業団解散に伴い1998年10月22日以降日本鉄道建設公団(JRCC)国鉄清算事業本部、2003年10月1日以降独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(JRTT)が株式を継承した。
2001年6月27日にJR会社法が改正され、本州の旅客3社(JR東日本、JR東海、JR西日本)が同法の対象から外され、純粋民間会社(非特殊会社)化が実現した。それに伴い、一部経営に関する部分の認可制から解放され、いわゆる「普通の会社」になったが、その一方で、国鉄改革趣旨に則った事業運営が行われるよう「本州3社が配慮すべき指針」の公表、事業経営への指導及び助言、勧告及び命令を国土交通大臣が行うことができる旨が、改正附則に明記された。
その後、本州3社の株式については順次民間への売却が行われ、2002年6月にはJR東日本、2004年3月にはJR西日本、2006年4月にはJR東海の全株式の売却が完了し、上場している本州3社は名実ともに「完全民営化」が実現した。
一方、いわゆる三島(さんとう)会社と呼ばれる本州以外の旅客3社(JR北海道、JR四国、JR九州)およびJR貨物はJRTTが全株式を保有する特殊会社であり、また、もともと採算の厳しい路線が多く、経営努力だけでは限界があることが当初より想定されていたため、固定資産税の減免および三島会社に関しては経営安定基金の運用(主にJRTTへの高金利による貸付であり、実質的な補助金)により損失補填しているが、バブル崩壊以後は低金利状態の基金運用が続いている等経営環境は厳しい状況にあった。
2015年6月10日にJR会社法が改正され、2016年4月1日よりJR九州が同法の適用から除外された。これにより同社は法令上は特殊会社から民間会社に移行した。同社の株式は2016年10月25日に東京証券取引所に上場[8]、JRTTが保有していた同社の株式は全て売却された。これにより、同社は経営が厳しいと見られていた三島会社からは初めて「完全民営化」を果たすこととなった[9]。なお、同社の経営安定基金の取り扱いについては、借入金の返済や新幹線設備使用料の一括前払いなどに充てられ、国庫に返納せずに全て取り崩された[10]。固定資産税の軽減措置は改正JR会社法の施行から3年後の2019年度に廃止された。
なお、2016年時点でその他3社(北海道、四国、貨物)については依然として厳しい経営状況が続いており、上場や民間への株式売却の目途は立っていない。
社名表記について
「鉄」の字について、ロゴ文字に限り「鉃」(金偏に矢)という字を採用した[11][注釈 11]。JR四国を除き、JRグループでは各社とも社名ロゴに「鉃」(金偏に矢、本来は「鏃(やじり)」の意)を使用している[注釈 12]。これは「金を失う」に繋がる「鉄」の字を避けるためのゲン担ぎであり、背景にはJRは国鉄の赤字が原因で発足したという経緯がある[12]。かつては、近畿日本鉄道等にも同様の例があった。
JRグループにおける各社の略称は、分割民営化前の国鉄時代に原案が作られており、それらをもとに決定され、1987年2月20日に発表された。1987年4月1日の新体制の発足に際し、呼称としての「JRグループ」・「JR○○」を前面に押し出した結果、「JR」の定着はスムーズに進んだ[注釈 13]。
コーポレートカラー
JRグループにおける各社のコーポレートカラーは、分割民営化前の国鉄時代に原案が作られており、それらを元に決定され、1987年(昭和62年)2月20日に発表された。ロゴを含むCIデザインは日本デザインセンターが手がけている(後節も参照)。
- 北海道旅客鉄道 - ライトグリーン。真白な雪の大地から一斉に芽生え、やがて野山を彩る柔らかな色。新会社のさわやかで伸びやかなイメージを表現[13]。
- 東日本旅客鉄道 - グリーン。東北・信越・関東の豊かな緑色で、力強く発展していく新会社の未来を象徴させる。また、東北・上越新幹線のカラー(緑14号)でもある[13]。
- 東海旅客鉄道 - オレンジ。かぎりなく広がる東海の海と空の彼方を染める夜明けの色。新鮮で潑剌としたオレンジのように、フレッシュな新会社を表す。また、この地域を走る湘南色の電車にあやかっている[13]。
- 西日本旅客鉄道 - ブルー。日本の文化と歴史に彩られた地域に相応しい色とされ、地域に密着した会社を表している。また、豊かな海と湖を象徴するカラーでもある[13]。
- 四国旅客鉄道 - ライトブルー。太平洋の青さより、さらに鮮やかなブルーであり、「青い国・四国」で知られる澄みきった空のブルーとして、新会社のフレッシュさを表現[13]。
- 九州旅客鉄道 - レッド。南の明るい太陽の国には、燃える熱意の色「赤」が相応しいとされた。全力で明るくスタートダッシュを切る新会社の意欲的な姿勢を表現している[13]。
- 日本貨物鉄道 - コンテナブルー。新会社のフレッシュさと信頼感を演出するカラー。国鉄末期にはC35形コンテナから始まる、2万個もの新造コンテナがイメージの一新を目指して、塗装を従来のコンテナグリーン(黄緑6号)からコンテナブルー(青22号)に変更して登場していた[13]。民営化後に設計された19A形コンテナは当初JRFレッドと黒で登場し、その後、後継形式を含めJRFレッド一色となっている。
- 鉄道情報システム - エンジ。[14][出典無効]
- 鉄道総合技術研究所 - 薄紫。[14][出典無効]
- JRグループ - 無彩色。グループ各社としての汎用性を考え、黒、グレー、白、3つの無彩色とされ、金・銀も可としている[13]
ロゴ(JRマーク)
JRマークなどのロゴデザインは、1964年東京オリンピックポスター、トヨタロゴ、アサヒビールロゴ等を考案した日本デザインセンターが製作した[13]。
JRマークは、鉄道車両は両方向に進行することが可能であるため、ロゴが描かれた車両がどちらに動いても違和感のないように作られている。高速走行時の視認性も考慮され、どこまでも繋がっているレールのように太くて横に広がるシンプルな一筆書きの形状には、スピード感も込められている。また、新会社の安定感を作り出すために「R」の斜めの支えを加えることで、大地に根を張るイメージが付与されている[13]。
JRマークはわずかな例外を除き、各社の鉄道車両に掲出されている。電車や気動車については制御車の側面・まれに前面部分、機関車の側面、客車では緩急車の側面などにこのマークがある。民営化当初、各社は車体の色合いに合わせて、白色、黒色または灰色といった無彩色のJRマークを掲出していたが、JR九州だけは一貫してコーポレートカラーである赤色のJRマークを掲出しており、ED76・EF81など、車体が赤色である交流用および交流直流両用電気機関車については、赤地に白い縁取りを加えたJRマークを使用した。また、JR東海でも1988年以降、クロ381形10番台の落成を皮切りに特急形車両を中心にコーポレートカラーであるオレンジ色のJRマークを掲出するようになった。その後、現在に至るまでに様々な色のJRマークが車両に掲出されている。
なお、JRマークは「ジェイアアル」という呼称で1999年12月3日に商標登録が完了している[15]。各社毎にロゴが商標登録されており、各JR旅客各社のロゴは、全旅客各社が共同で権利を申請し、所有している模様。
また、JR貨物では、JRマークの下に「FREIGHT」の文字を加えたロゴや、1990年代後半以降は独自の「JRF」マークを制定している[注釈 14]。所有するコンテナや機関車に使用しており、こちらも商標登録されている。
このほか1998年まで存在した日本国有鉄道清算事業団(JNRSC)では、1988年2月4日に事業団の識別用マークを制定しており[16]、JRマークを元に改変した「JNR」のマークがデザインに含まれていた。
製作の経緯
1986年11月28日に参議院本会議で国鉄改革関連8法が可決成立したことに伴い、新会社のマークと社名ロゴにコーポレートカラーなど、新会社が必要とするデザイン課題が国鉄プロジェクトチームと電通との間で話し合われていた。その製作に相応しいクリエイターということで、日本デザインセンターにデザイン製作依頼が舞い込み、チーフディレクターの梶祐輔を中心としたプロジェクトチームが立ち上げられた[13]。
マークのデザイン案は「JRグループ(Japan Railway Company)」または「NRグループ(Nippon Railway Company)」で、それ以外にも幅の広いデザイン案が求められた。各デザイナーによって起こされたデザインは100案以上を超え、「JR」「NR」を模ったもの、レールの頭文字「R」をデザインしたもの、6つの旅客会社のレールをデザインしたもの、レールを鳥がはばたくイメージで表現したものなど多様なアプローチが提案されたが、1987年1月14日には3案に絞られた。国鉄総裁の杉浦喬也はその3案を自宅に持ち帰って3日間考え抜いた末、新会社グループのJRを最もシンプルにデザインしたものに決定し、最終的には永井一正の監修を受けて完成した。デザインが決定してから民営化までは2か月半しかなく、7社の社名ロゴおよび各社カラー・アプリケーションの開発・マニュアル制作・記者発表用キット・各社の切符など膨大な制作物をこの期間で仕上げることが求められた[13]。
国鉄では、民営化初日の4月1日に特急の一部と山手線だけにでもJRマークを付けた車輌を走らせたいと考えていた。日本デザインセンターは、民営化の初日から全国の列車の機関車と運転台付きの車両にマーク展開することを提案。全国で約1万輛に及ぶ多彩な型式の車両ごとにデザインを起こし、3月31日の最終列車から翌4月1日始発までの間に職員の手でJRマークを貼付するという計画だった。そのために誰にでも短時間で作業できるよう工夫した「JRマーク車両貼付け指示書」が制作された。この指示書は110ページに及ぶものだったが、時間が切迫していたため、図面の指示は山本洋司による手書きだった[13]。
脚注
注釈
- ^ 一方で、JR東日本傘下にあった日本レストランエンタプライズ(現:JR東日本クロスステーション)の略称は「NRE(Nippon Restaurant Enterprise)」となっていた。
- ^ 一例を挙げると、羽田空港輸送を担う東京モノレールもJR東日本グループの一員である。
- ^ 1987年4月1日から1988年3月13日までは青函連絡船の青森桟橋、1988年3月13日からは海峡線の中小国駅 - 竜飛定点間、2016年3月26日からは北海道新幹線の新青森駅 - 新中小国信号場間(新中小国信号場以北は海峡線と共用)が該当。
- ^ 岐阜県・愛知県・三重県(伊賀地区を除く)・静岡県(東部の一部を除く)が該当。
- ^ 北陸(富山県・石川県・福井県・新潟県西部)と長野県北西部が該当。
- ^ 山陽新幹線の小倉駅と博多駅および博多南線の博多南駅が該当。
- ^ 国鉄時代の名称から青22号ともいう。
- ^ 当初は灰色の「JR」ロゴを使用していた。日本テレコム→ソフトバンクの商標登録第3126644号だったが、2016年3月29日で権利が消滅した。
- ^ 日本で持株会社の設立が可能となったのはJR発足から10年後の1997年である。類似事例として、2005年に日本道路公団(JH)より民営化されて発足した高速道路会社主要3社を含むNEXCO各社間でも同じくグループ全体を統括する会社は存在していない。一方、NTTグループを統括する日本電信電話(NTT)は1999年の再編成において持株会社の形式を採用した。
- ^ コーポレートカラーは黒色。
- ^ 会社登記上の文字は、いずれも「鉄」である。
- ^ 発足当初はJR四国も他のJR各社同様に金偏に矢の「鉃」を使用していた。
- ^ なお、発足当初は「○○線」「○○鉄道」「○○会社線」の呼称も存在した。
- ^ ただしJR FREIGHTのロゴやJRFマークは近年撤去が進んでいる。
出典
- ^ 「時刻表」はこうしてつくられるP.125 交通新聞社新書 ISBN 978-4-330-37713-1、2013年
- ^ “JR東・東海、トヨタ株 125億円分取得 交通問題の協業視野”. 日刊工業新聞. (2016年6月28日)
- ^ “JR上場4社、株式持ち合い拡大 九州への出資、3社1%超”. 日刊工業新聞. (2020年6月25日)
- ^ インフラ復旧 危機対応の物語(5)東日本旅客鉄道〔JR東日本〕過去の震災活かした鉄道員の一体感WEDGE REPORT(2011年5月20日)
- ^ JR発足30周年記念「JR7社共同企画 スペシャルツアー」の発売についてJR貨物プレスリリース(2017年10月17日)
- ^ “JRグループ、JR発足30周年記念「JR7社共同企画 スペシャルツアー」を発売”. 日本経済新聞. (2017-10-17日). オリジナルの2019年3月11日時点におけるアーカイブ。 2019年3月11日閲覧。
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:|date=
の日付が不正です。 (説明)⚠ - ^ “正会員リスト”. 会員一覧. ACジャパン. 2025年1月8日閲覧。
- ^ 『九州旅客鉄道株式会社株式の売出しの実施について』(PDF)(プレスリリース)鉄道・運輸機構、2016年9月15日 。2016年9月15日閲覧。
- ^ “JR九州が完全民営化へ 「三島会社」で初、改正法成立”. 産経新聞. (2015年6月3日). オリジナルの2015年6月3日時点におけるアーカイブ。 2015年6月3日閲覧。
- ^ “JR九州の17年3月期、経常利益535億円 最高益で上場へ”. 日本経済新聞. (2016年5月27日). オリジナルの2016年5月27日時点におけるアーカイブ。 2016年5月20日閲覧。
- ^ 朝日新聞(夕刊). (1987年1月21日)
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は必須です。 (説明)⚠ - ^ 参考リンク
- ^ a b c d e f g h i j k l m “87 JRグループ CIデザイン”. 株式会社日本デザインセンター. 2011年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月6日閲覧。
- ^ a b [1]
- ^ 登録第4323175号 - 特許情報プラットフォーム
- ^ 『国鉄清算事業団史 〜11年半のあゆみ〜』日本国有鉄道清算事業団、1998年10月21日、33頁。
関連項目
- 国鉄分割民営化
- JRTT
- JR線
- JRダイヤ改正
- 国鉄・JR線路名称一覧
- JRバス
- JRカード
- 二谷英明・白川由美
- ソフトバンクテレコム - JRが資本関係を持っていた鉄道通信および日本テレコムを主たる系譜とする企業。
- 遠くへ行きたい (テレビ番組) - 読売テレビが制作し、日本テレビ系列で放送されている紀行番組。国鉄時代からスポンサーとなっており、2022年3月までJRグループがスポンサーだった。
- 産経児童出版文化賞 - JR貨物を含むJR7社が協賛している。
外部リンク
プロフェッサー・タナカ
プロフェッサー・タナカ | |
---|---|
![]() 1973年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
プロフェッサー・タナカ トール・タナカ タロー・タナカ |
本名 |
チャールズ・カラニ・ジュニア (チャーリー・カラニ) |
ニックネーム | 東洋の悪魔 |
身長 | 180cm - 183cm |
体重 | 116kg - 124kg |
誕生日 | 1930年1月6日 |
死亡日 | 2000年8月22日(70歳没) |
出身地 |
![]() ![]() ホノルル郡ホノルル |
スポーツ歴 |
アメリカンフットボール 柔術 |
デビュー | 1958年[1] |
引退 | 1986年[1] |
プロフェッサー・タナカ(Professor Tanaka、本名:Charles Kalani, Jr.、1930年1月6日 - 2000年8月22日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ハワイ州ホノルル出身。現役引退後は、アクション映画の悪役俳優に転じた。
グレート東郷、ハロルド坂田、キンジ渋谷などのステレオタイプな日系悪役レスラーのスタイルを踏襲し、「東洋の悪魔」としてアメリカマット界で活躍したが、出自は不明な点が多い。トール・タナカ(Toru Tanaka)あるいはタロー・タナカ(Taro Tanaka)を名乗り、広島県出身の両親を持つ日系人を自称していたが、ギミックの可能性が高く、実際はハワイ生まれのフィリピン系とされている[2]。その他、ミンダナオ島出身説やタイの山岳民族であるとの説もあった[2]。
来歴
「金剛山」を名乗ったハワイの日系レスラーと同一人物という説もあったが真偽は不明[2]。少年期から柔道や空手などの格闘技を身につけ[2]、柔術のブラックベルトも取得[3]。アメリカンフットボールでも活動し、1955年にアメリカ陸軍に入隊[3]。除隊後の1958年、チャーリー・カラニ(Charlie Kalani)の名義で地元のハワイにてデビュー[1]。1960年代に入りアメリカ合衆国本土のサンフランシスコ地区に進出、1964年にはザ・シーク、ベアキャット・ライト、マーク・ルーイン、ホセ・ロザリオらと対戦した[4]。
その後、プロフェッサー・トール・タナカ(Prof. Toru Tanaka)をリングネームに、1966年にオーストラリア(ジム・バーネットが主宰していたワールド・チャンピオンシップ・レスリング)に遠征。6月3日にシドニーにて、ドミニク・デヌーチから豪州版のIWA世界ヘビー級王座を奪取[5]。以降、1968年9月2日にもマリオ・ミラノを破り同王座を獲得[5]、11月にはスカル・マーフィーとのコンビでIWA世界タッグ王座にも戴冠している[6]。同年12月、フィリピン遠征の途中に一度来日し、日本プロレスを表敬訪問したが試合は行わなかった[2]。
その間、アメリカでは1967年よりWWWFに参戦。ブルーノ・サンマルチノと抗争を繰り広げ、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンをはじめ東部各地でサンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦した[7][8]。以降もWWWFを主戦場に、ボボ・ブラジル、エドワード・カーペンティア、スパイロス・アリオン、ビクター・リベラなどの人気選手と対戦[9][10]。塩を相手の目にすり込む反則攻撃で観客の憎悪を煽るなど、卑怯者の日系人ヒールとしてブレイクを果たした。1969年には純正の日系アメリカ人であるミツ荒川とライジング・サンズ(Rising Suns)なるタッグチームを結成、6月にWWWFインターナショナル・タッグ王座の初代王者チームに認定されている[11]。
1970年下期からはNWAのテキサス州ダラス地区で活動、12月18日にフリッツ・フォン・エリックからNWAアメリカン・ヘビー級王座を奪取[12]。戴冠中の1971年1月5日と翌6日にはドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦している[13]。以降もダラスではエリックやジョニー・バレンタイン、ワフー・マクダニエル、ミル・マスカラスなどの強豪を相手にアメリカン王座を争った[14][15]。

1972年よりWWWFに復帰し、ミスター・フジと新コンビを結成。6月27日にフィラデルフィアでチーフ・ジェイ・ストロンボー&ソニー・キングを破り、WWWF世界タッグ王座を獲得する[16]。以降は長期政権を築き、10月16日にはサンマルチノ&ペドロ・モラレスの新旧WWWF王者コンビとも対戦[3]。翌1973年5月30日にトニー・ガレア&ヘイスタック・カルホーンに奪取されるも9月11日に奪還、11月14日にガレア&ディーン・ホーに敗れるまで戴冠した[16]。シングルでも、モラレスが保持していたWWWFヘビー級王座に再三挑戦している[17]。
1974年1月には全日本プロレスの『新春NWAシリーズ』に来日[18]。初の日本マット登場を果たし、1月29日の郡山大会ではジャイアント馬場のPWFヘビー級王座に挑戦している[19]。1975年にはフジと共にジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに参戦、9月19日に行われたトーナメントの決勝で、因縁のガレア&ホーを下してNWAジョージア・タッグ王座を獲得[20]。シングルでは、3月18日にダニー・リトルベアを破って空位となっていたNWAメイコン・ヘビー級王座の新王者となり[21]、8月にはアブドーラ・ザ・ブッチャーからNWAジョージア・ヘビー級王座を奪取している[22]。1977年2月12日には太平洋岸のロサンゼルス地区において、チャボ・ゲレロを破りNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得するなど各地で活躍した[23]。
その後はフジとのコンビでWWWFに戻り、1977年9月27日にストロンボー&ビリー・ホワイト・ウルフからWWWF世界タッグ王座を奪取、通算3回目の戴冠を果たした[16]。1978年3月14日にデヌーチ&ディノ・ブラボーに敗れてタイトルを明け渡したが、翌週3月20日のマディソン・スクエア・ガーデンにおける定期戦ではフジ&ケン・パテラと組み、マスカラス、アンドレ・ザ・ジャイアント、ダスティ・ローデスの豪華トリオと6人タッグマッチで対戦している[24]。
WWWF離脱後はニュージーランドに遠征して、1978年6月13日と7月20日にNWAブリティッシュ・エンパイア・ヘビー級王座を獲得[25]。同年11月には国際プロレスが主催した『日本リーグ争覇戦』に来日[26]。予選リーグでは同ブロックのグレート草津やマイティ井上を下しトップの戦績で決勝トーナメントに進出、1回戦でミスター・サクラダ、2回戦でジャンボ鶴田から反則勝ちを収め、11月30日に千葉公園体育館にてラッシャー木村と優勝戦を争った[27]。
1979年はテネシー州メンフィスのCWAにて、2月にロバート・フラーを破ってAWA南部ヘビー級王座を獲得[28]、同じアジア系ギミックのモンゴリアン・ストンパーとも防衛戦を行った[29]。フジとのコンビでも、5月14日にフラー&ビル・ダンディーからAWA南部タッグ王座を奪取したが、翌月にダンディー&ジェリー・ローラーに奪回されている[30]。
フジとのタッグチームを解消後、1979年下期から1980年にかけては古巣のダラス地区で活動、ブルーザー・ブロディを相手にラフファイターの称号であるブラスナックル王座を争った[31]。ダラスでは国際プロレスでも共闘したサクラダ&ミスター・ヒトとのトリオで、ケビン、デビッド、ケリーのフォン・エリック兄弟とも抗争している[32]。並行してジョージア地区にも出場し、キラー・カーンとタッグを結成[33]。1980年1月27日にはアトランタのオムニ・コロシアムにてボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦している[33]。
1981年にセミリタイアして俳優に転じ、アクション系作品の悪役として映画やテレビで活躍[3]。その後もWWFの西海岸エリアでの興行に時折出場し、1984年11月には旧敵マスカラスとの連戦が組まれた[34]。
2000年8月22日、カリフォルニア州レイクフォレストにて心不全のため死去[3]。70歳没。2019年、WWE殿堂のレガシー部門に迎えられた[35]。
得意技
獲得タイトル
- ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)
- IWA世界ヘビー級王座(オーストラリア版):2回[5]
- IWA世界タッグ王座(オーストラリア版):1回(w / スカル・マーフィー)[6]
- WWWFインターナショナル・タッグ王座:1回(w / ミツ荒川)[11]
- WWWF世界タッグ王座:3回(w / ミスター・フジ)[16]
- WWE殿堂(レガシー部門):2019年[35]
- NWAテキサス・ブラスナックル王座:2回[31]
- NWAアメリカン・ヘビー級王座:2回[12]
- NWAアメリカン・タッグ王座:1回(w / サンダーボルト・パターソン)[36]
- NWAアメリカス・ヘビー級王座:1回[23]
- NWAアメリカス・タッグ王座:1回(w / ドクター・ヒロ・オオタ)[37]
- NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / ディック・スレーター)[40]
- NWA大英帝国ヘビー級王座:2回[25]
俳優活動
1980年頃から俳優として様々な映画に日本人役・東洋人役で出演している[41]。
- 香港コネクション(1981年、主演:チャック・ノリス)
- 大草原の小さな家(1982年、シーズン9 第11話「若い牧師」)
- ニンジャ II・修羅ノ章(1983年、主演:ショー・コスギ)
- チャック・ノリスの 地獄のヒーロー2(1985年、主演:チャック・ノリス)
- ピーウィーの大冒険(1985年、主演:ポール・ルーベンス)
- ピース・フォース(1985年、主演:トム・ハンクス)
- 爆進!プロレス野郎 / アメリカン・ヒーローズ(1986年、主演:アダム・ボールドウィン)
- 上海サプライズ(1986年、主演:ショーン・ペン、マドンナ)
- 特攻野郎Aチーム(1986年、主演:ジョージ・ペパード)
- バトルランナー(1987年、主演:アーノルド・シュワルツェネッガー)
- Police Story: Monster Manor(1988年、主演:ブライアン・マクナマラ)
- ゾンビ・コップ(1988年、主演:トリート・ウィリアムズ)
- ブラック・レイン(1989年、主演:マイケル・ダグラス、高倉健)
- ダークマン(1990年、監督:サム・ライミ)
- ラスト・アクション・ヒーロー(1993年、主演:アーノルド・シュワルツェネッガー)
脚注
- ^ a b c “Toru Tanaka”. Wrestlingdata.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ a b c d e 『THE WRESTLER BEST 1000』P174(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c d e “Professor Toru Tanaka”. Online World of Wrestling. 2010年6月5日閲覧。
- ^ “The PCAC matches fought by Toru Tanaka in 1964”. Wrestlingdata.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ a b c “IWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ a b “IWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1967”. The History of WWE. 2010年6月5日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Toru Tanaka in 1967”. Wrestlingdata.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Toru Tanaka in 1968”. Wrestlingdata.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Toru Tanaka in 1969”. Wrestlingdata.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ a b “WWWF/WWF International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ a b “NWA American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ “The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1971”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ “The WCCW matches fought by Toru Tanaka in 1970”. Wrestlingdata.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ “The WCCW matches fought by Toru Tanaka in 1971”. Wrestlingdata.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ a b c d “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Toru Tanaka in 1973”. Wrestlingdata.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ “AJPW 1974 New Year NWA Series”. Puroresu.com. 2016年5月7日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Toru Tanaka in 1974”. Wrestlingdata.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ a b “NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ a b “NWA Macon Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月2日閲覧。
- ^ a b “NWA Georgia Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ a b “NWA Americas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Toru Tanaka in 1978”. Wrestlingdata.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ a b “NWA British Empire Heavyweight Title [New Zealand]”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月25日閲覧。
- ^ “IWE 1978 Japan League Competitions”. Puroresu.com. 2016年5月7日閲覧。
- ^ “The IWE matches fought by Toru Tanaka in 1978”. Wrestlingdata.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ a b “NWA/AWA Southern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ “The USWA matches fought by Toru Tanaka in 1979”. Wrestlingdata.com. 2014年11月25日閲覧。
- ^ a b “NWA/AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ a b “NWA Texas Brass Knuckles Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ “The WCCW matches fought by Toru Tanaka in 1980”. Wrestlingdata.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ a b “The GCW matches fought by Toru Tanaka in 1980”. Wrestlingdata.com. 2013年9月28日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Toru Tanaka in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ a b “Congratulations to the 2019 WWE Hall of Fame Legacy inductees”. WWE.com. 2019年4月7日閲覧。
- ^ “NWA American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2018年8月8日閲覧。
- ^ “NWA Americas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年8月2日閲覧。
- ^ “NWA Southeastern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月6日閲覧。
- ^ “NWA Southeastern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ “NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月22日閲覧。
- ^ “Professor Toru Tanaka at IMDb”. Internet Movie Database. 2010年6月5日閲覧。
外部リンク
- WWE Hall of Fame
- Online World of Wrestling
- プロフェッサー・タナカのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database
Jr.(ジュニア)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/10 01:47 UTC 版)
「旅だて!Jr.」の記事における「Jr.(ジュニア)」の解説
和樹から分離した身体の一部分。一見象の頭部のような姿形をしていて、本来は存在しない眼と口のような器官がある。
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「JR」の例文・使い方・用例・文例
- JR 東日本では新しい特急列車の愛称を募っております.
- JR のダイヤは 10 月に大幅改正の予定である.
- JRの1等の客車
- JRの長距離寝台特急列車
- グリーン周遊券という,JRの周遊割引乗車券
- 緑の窓口というJRの指定券や長距離切符を扱う窓口
- 東京23区のJR東日本と都営の両交通機関に使える乗車切符
- 10月1日,東海道新幹線の列車が,東京駅と新横浜駅の間のJR品川駅に停車するようになった。
- その上,JR東海は,のぞみの本数を増やした。
- JR東海と鉄道総合技術研究所が,共同で山梨リニア実験線に取り組んでいる。
- 列車が時速581キロで問題なく走行したので,JR東海は自信を得て,「リニアモーターカーは余裕を持って時速500キロで走行できる。実際の営業において安全であることを確信している。」と話した。
- 日本中央競馬会(JRA)のトップジョッキー,武(たけ)豊(ゆたか)騎手が,3月22日に開催されるレースで同馬に騎乗することになったのだ。
- 昨年,武騎手は,JRAの歴史上初の,年間200レースで勝利した騎手となった。
- N700系というその新型車両は,東海旅客鉄道(JR東海)と西日本旅客鉄道 (JR西日本)によって共同で開発された。
- 兵庫県尼(あまが)崎(さき)市で4月25日,西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線快速電車が脱線し,マンションに衝突した。
- この事故はJR史上最悪の鉄道惨事の1つとなった。
- 兵庫県警は,JR西日本が事故に対して刑事責任を負うかどうか詳しく調べるつもりだ。
- JR西日本はまた,事故後の職員の行動についても批判されている。
- 加えて,事故のことを知っていた参加者がいたにもかかわらず,43人のJR西日本の職員が事故当日ボウリング大会を開いていた。
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