がい‐てつ【街鉄】
東京都電車
(街鉄 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 18:44 UTC 版)
東京都電車(とうきょうとでんしゃ)は、東京都地方公営企業の設置等に関する条例[1]及び東京都電車条例[2]に基き東京都(交通局)が経営する路面電車である。一般には都電(とでん)と呼称される。1972年以降は、荒川区の三ノ輪橋停留場と新宿区の早稲田停留場を結ぶ12.2 kmのみが運行されている。
注釈
- ^ どの鉄道会社を日本最初の私鉄とするかは諸説あり、日本鉄道または阪堺鉄道とする場合もある。
- ^ 米国の発明家フランク・スプレイグによって考案された、トロリーポールと吊り掛け駆動方式を用いる電車が実用化されたのはこの前年の1888年のことである[9]。
- ^ 1895年(明治28年)開業。1918年(大正8年)京都市電に編入。
- ^ 1898年(明治31年)開業。後の名古屋市電および現在の名古屋鉄道の前身。
- ^ 1899年(明治32年)開業。京浜急行電鉄の前身で現在の京急大師線。
- ^ 1900年(明治33年)開業。現在の小田急箱根の前身。
- ^ 当時車両に電気を供給する方法としては
・架線にプラスの電流を流し、マイナスの電流をレールに流す架空単線式
・架線を2本設置してマイナスの電流も架線に流す架空複線式
・架線を設けない蓄電池式
の3種類が検討された。しかし市区改正委員会は漏電による水道管やガス管の腐食を懸念し、架空単線式を認めない方針をとっていた。なお出願者の中には電車以外にもセルポレー式蒸気動車や石油発動機、圧搾空気の使用を計画するものもあった[10]。 - ^ 1859年1月23日(旧暦安政6年12月20日)長門国美禰郡伊佐村(現在の山口県美祢市)出身。真宗信徒生命保険(現在のT&Dフィナンシャル生命保険)、徴兵保険(後のAIGエジソン生命保険、現在のジブラルタ生命保険)、武蔵電気鉄道(現在の東京急行電鉄)などを設立し、大日本製薬の取締役や日本競馬会(旧競馬法に基づく日本競馬会ではなく、その前々身に当たる団体)会長などを歴任した。また衆議院議員総選挙にも1903年の第8回、1904年の第9回の2回当選している[14]。
- ^ 1903年(明治36年)8月2日開業。後の三重交通神都線。
- ^ かつて都内を流れていた汐留川に架かっていた橋の一つで、今日の東京高速道路土橋入口のある位置に存在した。
- ^ 当時の運賃は各社ともに全線3銭均一で同じ会社の電車同士の乗り継ぎは無料だったが、異なる会社の電車に乗り換える場合はまた運賃を支払う必要があった。
- ^ 特に通行税は運賃に上乗せ課税されており、納税するのは鉄道会社でも実際に税金を負担しているのは電車を利用する市民だった。
- ^ 戦前において、路面電車など軌道条例および軌道法に基づく鉄道会社の監督権限は、道路行政を所管する内務省にあった。しかし電気事業取締規則及び旧電気事業法において動力に電気を用いる鉄道会社は電気事業者と見なされていたので、同時に電力行政を所管する逓信省も監督権限を有していた。また1908年以降は鉄道行政を所管する鉄道院→鉄道省も監督権限を得たので、路面電車は三重行政のもとにあった。[21][22]
- ^ この金額は1911年5月1日時点の評価をもとにした協定価格で、実際の買収額は6458万円余りとなった。
- ^ 営業係数は営業収入100円あたりの営業費用の比率で、この場合収入100円あたりの費用が34円30銭だったことを意味する。営業係数が100を下回れば営業黒字、上回れば営業赤字で、数字が小さいほど営業効率がよいと言える。
- ^ なお1922年度における東京市電気局の歳入総額は約6367万円、歳出総額は約6016万円である。
- ^ 1925年にはフォード・モーター(日本フォード)が横浜、1927年にはゼネラルモーターズ(日本ゼネラル・モータース)が大阪に製造拠点を設置した。なおフォード社が日本進出を決めたのは、東京市が市営バスのためにT型フォード800台を発注したためだとされる。
- ^ 東京市内の路線バスは震災前には東京乗合自動車など数社程度だったが、震災後の1933年には市営や鉄道会社の兼営でないバス専業事業者だけで41社を数えた。またタクシーは1922年には1200台程度だったが、1929年には1万台以上にまで増加した。
- ^ 市債の中には直接市電の収益に結びつかない目的のため発行されたものも多く、このことも事態を悪くしていた。1934年度の市債残高2億7822万円のうち、47%は震災復旧、道路拡張、東京鉄道の買収などのために発行されたものだった。
- ^ この時からPASMOやSuicaといったICカード乗車券で運賃を支払う場合、表記の運賃より数円程度安くなるIC運賃を導入しており、2014年4月〜 165円、2019年(令和元年)10月〜 168円が適用されている。
- ^ 告示では8日「東京市告示第63号」『東京市公報』1914年5月17日
- ^ a b 1966年2月15日に東京都交通局が運輸省および建設省に提出した「巣鴨車庫前・志村橋間の軌道事業廃止許可申請」による。
- ^ 「都電百景百話」など林順信の著作物によるが、池袋駅電停背後の西武百貨店に掲げられていた日本万国博覧会開会までの日数電光表示板や、最終運転日(1969年10月25日土曜日)など、平日や土曜日に運転されていた事実を示す写真も残されている。
- ^ 『茶の湯連翹抄』(戸田勝久(茶家) 2005年12月 思文閣出版)425頁に当時の思い出として「トタン張りの大きな倉庫のようになっていた」と記述されている。
- ^ 東京都公報 1966年5月26日発行 号外90 「東京都電車の運転系統の名称及び区間の一部改正」(交通局告示 昭和41年第4号および交通局規程 第22号)に第18系統・第41系統削除の旨が掲載されている。一部の資料では18系統について「巣鴨車庫-神田橋間に運転短縮の上、1967年8月31日廃止」と記されているが、東京都公報では同日付の東京都電車運転系統に関する改廃の告示は掲載されていない。
- ^ 現在の浜松町駅前で、2016年4月現在跡地には世界貿易センタービル、交通局大門庁舎などがある。
- ^ なお、新宿線建設にあたって京王側が標準軌への改軌を検討したこともあるが、工事中の輸送力低下を恐れた京王側の意向から交通局側が馬車軌間で建設することになった。
- ^ 三ノ輪橋停留場では1983年8月時点で電停標識として存置されていた。また、1983年頃までは停留場名称板のみを外し、全面広告スペースとして使用する停留場も一部にみられた[168]。
出典
- ^ 東京都地方公営企業の設置等に関する条例
- ^ 東京都電車条例
- ^ a b 『東京都交通局100年史』42-43頁
- ^ a b c d e f g h i j k l 『東京都交通局100年史』44-45頁
- ^ 『東京都交通局60年史』90-91頁
- ^ 『鉄道ピクトリアル』121号16頁
- ^ 『都市鉄道の技術社会史』28頁
- ^ a b 『都市鉄道の技術社会史』32-34頁
- ^ a b c 『日本の電車物語』36-37頁
- ^ a b c d e f 『東京都交通局100年史』46-47頁
- ^ a b c d 『都市交通の世界史』292-293頁
- ^ a b c d 『両大戦間期の都市交通と運輸』8-11頁
- ^ a b c d e f g 『東京都交通局100年史』48-49頁
- ^ 横浜市立図書館デジタルアーカイブ、京浜実業家名鑑 より。
- ^ a b c d e 『東京都交通局100年史』50-51頁
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』614号41頁
- ^ 時事新報
- ^ 中外商業新報
- ^ a b c d e 『東京都交通局100年史』52-53頁
- ^ a b c d e f g h 『東京都交通局100年史』54-55頁
- ^ 『日本の市内電車』3頁
- ^ 『日本の市内電車』4-5頁
- ^ a b c d 『東京都交通局100年史』56-57頁
- ^ a b 『東京都交通局100年史』58-59頁
- ^ a b 『東京都交通局100年史』60-61頁
- ^ a b c d 『東京都交通局100年史』62-63頁
- ^ a b c d e f 『東京都交通局100年史』64-65頁
- ^ 『日本の市内電車』28-29頁
- ^ 『日本の市内電車』30-31頁
- ^ a b c d e f g 『東京都交通局100年史』66-67頁
- ^ 『東京都交通局100年史』759頁
- ^ 『両大戦間期の都市交通と運輸』42-43頁
- ^ 『東京都交通局100年史』100-101頁
- ^ 『都電60年の生涯』192-193頁
- ^ 『日本の市内電車』34頁
- ^ 『両大戦間期の都市交通と運輸』36-37頁
- ^ a b c d 『東京都交通局100年史』82-83頁
- ^ 『東京都交通局100年史』636-637頁
- ^ a b 『東京都交通局100年史』84-85頁
- ^ 『東京都交通局100年史』88-89頁
- ^ a b c d 『東京都交通局100年史』98-99頁
- ^ a b c 「東京市街鉄道開業」中外商業1903年9月16日『新聞集成明治編年史. 第十二卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「電車車掌運転手罷業務」『東京時事新報』1912年1月1日(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
- ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正11年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「女車掌六十八人が乗務開始」『時事新報』1925年3月20日夕刊(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.496 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 「大会開催、会員一万五千人が労農党に入党」『東京朝日新聞』1926年6月12日(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.496 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 『鉄道統計資料. 昭和11年度 第3編 監督』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「配給米運搬に市電利用の東京」『朝日新聞』1941年10月12日(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p.83 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 1955年6月2日付朝日新聞8面東京地域版「10日より志村-志村橋新線開業」
- ^ 板橋区役所発行『板橋区広報』1955年6月25日 第106号「都電志村線開通 花火あげ盛大な祝賀」
- ^ 「都電・都バス 停留所名が大幅変更」『日本経済新聞』昭和40年9月15日.15面
- ^ 「都電荒川線 一部ワンマン化」『交通新聞』交通協力会、1977年9月30日、1面。
- ^ a b 都電荒川線で7701号車が営業運転を開始 - 交友社「鉄道ファン」railf.jp鉄道ニュース 2016年5月31日
- ^ “都電荒川線の愛称を決定しました!”. 東京都交通局. (2017年4月28日)
- ^ 諸河久 (2019年11月2日). “都電が走らなかったのは練馬区とどこ? 青空の下を一直線にひた走る56年前「杉並線」”. AERA dot.. 2020年7月6日閲覧。
- ^ a b c 『わが街わが都電』161頁
- ^ a b 「新橋上野間電車今日開通」日本新聞1903年11月25日『新聞集成明治編年史. 第十二卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 報道では2月25日「馬車鉄の馬も徴発」東京朝日新聞1904年2月25日『新聞集成明治編年史. 第十二卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「東京市告示第48号」『東京市公報』1914年4月14日
- ^ a b c d e 『電気事業成績調書. 昭和4年度(第19回)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 開業日8月10日『日本鉄道旅行地図帳』5号、37頁、『わが街わが都電』161頁
- ^ 「東京市告示第21号」『東京市公報』1915年3月14日
- ^ a b c d e 『電気事業成績調書. 大正11年度(第12回)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「東京市告示第80号」『東京市公報』1918年6月29日
- ^ 「外堀線延長開業」東京朝日新聞1905年5月6日『新聞集成明治編年史. 第十二卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『電気事業成績調書. 大正13年度(第14回)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「東京市告示第268号」『東京市公報』1924年6月21日
- ^ 「東京市告示第92号」『東京市公報』1923年4月21日
- ^ 「東京市告示第99号」『東京市公報』1920年6月9日
- ^ 「東京市告示第40号」『東京市公報』1914年3月15日
- ^ “都電時代の「最も短い区間」はどこ? 70年前傷みながらも戦後東京を支えた木造車両(2/3ページ)”. AERAdot. (2020年10月17日). 2020年10月17日閲覧。
- ^ 「東京市告示第218号」『東京市公報』1922年12月13日
- ^ 「東京市告示第139号」『東京市公報』1922年8月2日
- ^ 「東京市告示第58号」『東京市公報』1915年5月28日
- ^ 「東京市告示第125号」『東京市公報』1919年10月1日
- ^ 「東京市告示第124号」『東京市公報』1914年9月13日
- ^ 『電気事業成績調書. 大正14年度(第15回)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 告示では18日「東京市告示第40号」『東京市公報』1922年3月25日
- ^ 「東京市告示第59号」『東京市公報』1917年6月9日
- ^ a b 『電気事業成績調書. 大正12年度(第13回)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「東京市告示第188号」『東京市公報』1923年4月15日
- ^ 「東京市告示第67号」『東京市公報』1917年8月1日
- ^ 「東京市告示第57号」『東京市公報』1921年9月20日
- ^ a b 「東京市告示第4号」『東京市公報』1922年1月11日
- ^ 「東京市告示第24号」『東京市公報』1922年2月25日
- ^ 「東京市告示第268号」『東京市公報』1924年7月16日
- ^ a b c d e f g 『わが街わが都電』160頁
- ^ 「東京市告示第130号」『東京市公報』1921年8月17日
- ^ 「東京市告示第192号」『東京市公報』1923年8月4日
- ^ 「東京市告示第99号」『東京市公報』1926年3月27日
- ^ 「東京市告示第268号」『東京市公報』1927年8月16日
- ^ 『電気事業成績調書. 昭和2年度(第17回)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『電気事業成績調書. 昭和8年度(第23回)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 『電気事業成績調書. 昭和3年度(第18回)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『電気事業成績調書. 昭和5年度(第20回)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「東京市告示第399号」『東京市公報』1930年9月6日
- ^ 「東京都告示第470号」『東京都公報』1944年5月1日
- ^ 1925年3月3日軌道特許「軌道特許状下付」『官報』1925年3月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軌道敷設権譲渡」『官報』1938年11月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 小野田滋「東京市電の池袋接続と武蔵野鉄道」『鉄道ピクトリアル』No.614
- ^ 「東京都告示第1300号」『東京都公報』1944年12月28日
- ^ “お茶の水橋アスファルト5センチ下から出現、戦中に消えた都電 錦町線 の線路跡”. 鉄道チャンネル. (2020年1月29日) 2020年2月2日閲覧。
- ^ “舗装の下に都電レール 東京・お茶の水橋 戦中に廃止、工事で地上に”. 東京新聞. (2020年1月28日) 2020年2月2日閲覧。
- ^ 『路面電車EX2016年vol.07』54-56頁
- ^ 『路面電車EX2016年vol.07』56-57頁
- ^ 『路面電車EX2016年vol.07』58-59頁
- ^ 『路面電車EX2016年vol.07』60-61頁
- ^ 都電荒川線に7700形車両を導入します(東京都交通局ホームページ)
- ^ 『路面電車EX2016年vol.07』62頁
- ^ 『東京都交通局60年史』302頁
- ^ 『都電車両総覧』22頁
- ^ 『都電車両総覧』26頁
- ^ 『都電車両総覧』23頁
- ^ 『都電車両総覧』25頁
- ^ a b 『都電車両総覧』24頁
- ^ 『都電車両総覧』27頁
- ^ a b 『都電車両総覧』28頁
- ^ 『都電車両総覧』29頁
- ^ 『都電車両総覧』30頁
- ^ 『都電車両総覧』31頁
- ^ 『東京都交通局100年史』385頁
- ^ 『路面電車EX2016年vol.07』50-52頁
- ^ 『路面電車EX2016年vol.07』53頁
- ^ 「東海道線止る 四年ぶり都電に除雪車」『朝日新聞』昭和26年2月15日
- ^ a b 『東京都交通局100年史』222頁
- ^ a b 『都電が走った街今昔II』157-158頁
- ^ 『東京都交通局100年史』248-249頁
- ^ 『東京都交通局100年史』575頁
- ^ 『東京都交通局100年史』931頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『東京都交通局100年史』217頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『東京都交通局100年史』219頁
- ^ 『都電が走った街今昔II』169-170頁
- ^ 港区立港勤労福祉会館、港区立商工会館の臨時休館及び施設予約の休止について (PDF) - 港区(2021年7月16日)2023年5月14日閲覧。
- ^ 「港区新型コロナワクチン接種センター」を開設しました! - 港区(2022年5月6日)2023年5月14日閲覧。
- ^ 令和5年5月8日(月曜)から、高齢者などを対象にした新型コロナウイルスワクチンの「令和5年春開始接種」を実施します - 港区(2023年3月10日)2023年5月14日閲覧。
- ^ 『東京都交通局100年史』928頁
- ^ 『都電が走った街今昔II』169頁
- ^ 『都電が走った街今昔II』168-169頁
- ^ a b 『都電が走った街今昔II』167-168頁
- ^ 『鉄道ピクトリアル』688号97頁
- ^ a b 『都電が走った街今昔II』166-167頁
- ^ 『伊勢丹百年史』(株式会社伊勢丹広報担当社史編纂事務局、1990年)121頁
- ^ 『東京都交通局100年史』199-200頁
- ^ 『都電が走った街今昔II』166頁
- ^ a b c 『東京都交通局100年史』225頁
- ^ a b 『都電が走った街今昔II』165-166頁
- ^ a b 『都電が走った街今昔II』162-163頁
- ^ 『都電が走った街今昔II』164-165頁
- ^ 『都電が走った街今昔II』163-164頁
- ^ 『都電が走った街今昔II』163頁
- ^ 『東京都交通局100年史』855頁
- ^ 『都電が走った街今昔』172-173頁
- ^ 『都電が走った街今昔II』161-162頁
- ^ 『都電が走った街今昔』115頁
- ^ a b 『都電が走った街今昔II』161頁
- ^ 『都電が走った街今昔II』160頁
- ^ カメリア会について ごあいさつ
- ^ 『都電が走った街今昔II』159頁
- ^ 『都電が走った街今昔II』158頁
- ^ a b c d 『東京市電気局三十年史』519-520頁
- ^ a b 『都営交通100周年記念写真集 都電』95頁
- ^ a b 加藤新一「『東京ゲージ』をめぐる鉄道史」『地理』第41巻11号(通巻491号)、古今書院、1996年11月、48-53頁、NAID 40002447064。
- ^ 和久田康雄『人物と事件でつづる私鉄百年史』鉄道図書刊行会、1991年、1頁
- ^ 『鉄道ピクトリアル』734号
- ^ たとえば、保育社カラーブックス712 林順信・諸河久著『おもいでの都電』(1986年)掲載写真など。
- ^ たとえば、野尻泰彦『東京都電風土記』(伸光社、1984年)309頁掲載 志村坂上停留場写真など。
- ^ 野尻泰彦『東京都電風土記』247頁 三ノ輪橋停留場、251頁 小台停留場、289頁 庚申塚停留場撮影写真による。
「街鉄」の例文・使い方・用例・文例
- >> 「街鉄」を含む用語の索引
- 街鉄のページへのリンク