太田大八
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太田 大八(おおた だいはち、1918年12月29日 - 2016年8月2日[1])は、日本の絵本作家・画家。
注釈
- ^ 「絵本学会第7回大会 - 作家に聞く - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)」参照。なお、若干ディテールは異なるが、後述の通り『わたしの8月15日』(あかね書房、1975年)に当時の体験記を寄せている。
- ^ 以下、『わたしの8月15日;児童文学作家と画家が語る戦争体験』 あかね書房、1975年、pp.20-23。なお、同書には当時学徒出陣で呉に滞在していた児童文学者の今西祐行の手記「敗戦まで」も併収されており、ここで今西は被爆直後の広島市での救援活動の体験を回想している。
- ^ 大竹は広島市から27kmの遠隔地である。
- ^ 『わたしの8月15日』p.22では「三駅ほど」とあるので、当時営業していた己斐駅(現・西広島駅)および横川駅を経て広島駅に向かう区間であったと推定される。
- ^ 秋吉は8月6日当日に被爆死している。また当初、太田が打ち合わせのため向かうはずだった広島県庁は、当時は現在と異なり爆心地近く(約900m)の水主町(現在の広島市中区加古町)に所在していたため原爆被災により壊滅していた。
出典
- ^ 絵本作家の太田大八さん死去 「だいちゃんとうみ」(朝日新聞デジタル、2016年8月8日)2021年1月17日閲覧
- ^ ふるさとの夏―長崎・大村の海を描いた絵本『だいちゃんとうみ』 朝日新聞デジタル&TRAVEL 2020年5月28日閲覧。
- ^ 『わたしの8月15日』(あかね書房、1975年)。
- ^ 子どもの本・九条の会 - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
- ^ 『わたしの8月15日』p.21。括弧内の引用部分は原文のまま。
- ^ 『わたしの8月15日』p.23。
- ^ 上笙一郎『日本の童画家たち』(平凡社ライブラリー、2006年、p.214)
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