着工までとは? わかりやすく解説

着工まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 19:25 UTC 版)

東京外かく環状道路」の記事における「着工まで」の解説

関越自動車道練馬区大泉JCT)から中央自動車道三鷹市仮称中央JCT)を経て東名高速道路世田谷区仮称東名JCT)に至る区間1966年昭和41年)に高架構造として都市計画決定されたものの、土地収用排気ガスによる環境悪化を心配する周辺住民反対運動が根強かったため、根本龍太郎建設大臣美濃部亮吉東京都知事らによって、1970年昭和45年10月計画凍結された。 1999年平成11年)に石原慎太郎東京都知事就任すると、効率的な物流ネットワーク構築慢性化した渋滞緩和提唱し2003年平成15年)には、当初高架構造から大深度地下地下40 m)を通す計画変更する方針」が公表された。2007年平成19年3月15日東京都都市計画審議会にて、関越道中央道東名高速接続する3ジャンクションJCT)と、目白通り青梅街道東八道路の3インターチェンジIC)を設置する案が承認され同年12月25日国土交通省第3回国土開発幹線自動車道建設会議にて基本計画承認される決定され計画では、関越自動車道起点練馬区から三鷹市変更した上で関越道から中央道までを関越自動車道として、中央道から東名までを中央自動車道として整備することとされた。石原知事その後折に触れ着工前提となる整備計画定めることを要望し2009年平成21年4月27日第4回国土開発幹線自動車道建設会議整備計画承認された。 国土交通省関越-東名を6車線片側3車線)、設計速度80 km/h整備することで、これにより現在約60要している関越道 - 東名高速は、12分へと大幅に短縮されるものと予測している。 この外環東京区間は、国内初めて、高速道路構想段階からPIPublic Involvement市民参加方式導入し2002年平成14年6月からPI外環沿線協議会2005年平成17年1月からPI外環沿線会議開催された。原点立ち戻り計画の構想段階から幅広く意見交換を行うものとして発足したが、PI協議会PI会議での議論とは関係なく方針公表が行われ、事業化された。PI協議会PI会議参加した委員外環PI検証し課題まとめている。

※この「着工まで」の解説は、「東京外かく環状道路」の解説の一部です。
「着工まで」を含む「東京外かく環状道路」の記事については、「東京外かく環状道路」の概要を参照ください。


着工まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 14:26 UTC 版)

最初の大陸横断鉄道」の記事における「着工まで」の解説

今日大陸横断鉄道の父」と呼ばれているのはセオドア・ジュダである。ジュダ1852年設立されサクラメントバレー鉄道において主任技術者務め鉄道建設監督していた。この過程で、ジュダサクラメントからシエラネバダ山脈越えて鉄道建設できる確信し、自らこの仕事推進したいと考えようになった程なくサクラメントバレー鉄道倒産するジュダ1856年ワシントンD.C.行き連邦議会へのロビー活動経験した提案書書き閣僚議員その他の影響力のある人々配布した1859年9月サンフランシスコ第1回太平洋鉄道会議開催されジュダロビイストとして選任された。12月ワシントンDC戻りキャピトル・ヒルビル一角オフィス構えた太平洋鉄道会議代表してジェームズ・ブキャナン大統領面会し連邦議会でも発言した1860年2月アイオワ州選出下院議員サミュエル・カーチスによって最初法案提出されたが、このときは関連法案成立させられず、ものにならなかった。 1860年ジュダカリフォルニアへ戻りシエラネバダ山脈鉄道越え経路調査あたった。同じ頃、鉱山技師のダニエル・ストロングがシエラネバダ山脈馬車越え経路発見していた。この経路鉄道経路としても適していた。ストロングジュダへこの発見示し、後に彼らは共同商人企業家からの出資募るための組合設立した11月サクラメント富裕な商人コリス・ハンティントンは、ジュダ説明聞いてその重要性すぐさま理解し、4人の出資者集めて理事会設置した理事会メンバー彼の事業仲間のマーク・ホプキンズ、宝石商のジェームズ・ベイリー、食料雑貨商リーランド・スタンフォード呉服商のチャールズ・クロッカーであった1861年1月から7月にかけて、ジュダストロング10人のチームシエラネバダ山脈横断経路調査し一方でリーランド・スタンフォードワシントンリンカーン大統領面会した連邦議会特別会合が召集され太平洋鉄道法案カーチスによって再提出された。しかし、連邦議会南北戦争問題手一杯であったため、法案次の会期まで持ち越しとなった10月ジュダ下院太平洋鉄道委員会書記官任命されカリフォルニア州選出新人下院議員のアーロン・サージェントと共に法案通過尽力した1862年太平洋鉄道法案5月6日下院を、6月20日上院通過し7月1日リンカーン大統領署名した同法は東からユニオン・パシフィック鉄道西からセントラル・パシフィック鉄道大陸横断鉄道敷設求めるものであった連邦政府による支援策としては、用地使用許可加えて各社平地においては鉄道の建設1マイルあたり 1万6,000ドル(1メートルあたり 9.94ドル)、丘陵地においては同 3万2,000ドル(同 19.88ドル)、山地においては同 48,000ドル(同 29.83ドル)が融資されることが定められた。 1863年1月8日カリフォルニア州知事となっていたリーランド・スタンフォード出席のもと、サクラメント着工記念式典開催された。どちらの会社がより長い線路敷設できるか競争始まった

※この「着工まで」の解説は、「最初の大陸横断鉄道」の解説の一部です。
「着工まで」を含む「最初の大陸横断鉄道」の記事については、「最初の大陸横断鉄道」の概要を参照ください。


着工まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:00 UTC 版)

瀬戸大橋」の記事における「着工まで」の解説

1889年明治22年5月23日 - 香川県議会議員大久保諶之丞讃岐鉄道開通式での祝辞瀬戸大橋架橋提唱1955年昭和30年5月11日 - 国鉄連絡船紫雲丸による紫雲丸事故。(修学旅行小学生など死者168名) 紫雲丸事故後、香川県議会が「宇高連絡鉄道建設促進に関する意見書」を国に提出1958年昭和33年3月19日 - 香川県議会高松岡山海底トンネル架設建設促進案の調査特別委員会設置しました7月5日 - それまで海底トンネル案に対し香川県議会瀬戸大橋架橋案決定香川岡山橋梁架設に関する意見書提出10月16日 - 香川県第1回瀬戸大橋架橋計画書を作成政府国会陳情1959年昭和34年4月 - 建設省本四連絡橋ルート調査開始瀬戸大橋は「宇野高松ルート」(Bルート)、「玉野市日比高松市下笠居ルート」(Cルート)、「児島坂出ルート」(Dルート)の3候補6月28日 - 建設省による初の瀬戸大橋予定海底の地質調査着手8月31日 - 瀬戸大橋架設推進委員会香川県協議会設立9月4日 - 東京大学教授平井敦が瀬戸大橋設計図発表11月17日 - 東京永田町香川県政府機関への瀬戸大橋架設説明会開催1960年昭和35年6月8日 - 第六管区海上保安本部瀬戸大橋ルート底質調査潮流観測開始1961年昭和36年3月4日 - 瀬戸大橋候補3ルート一本化について香川県高松市坂出市三者会談高松会館開かれ問題解決金子香川県知事及び大久保県議会議長一任6月1日 - 衆議院において瀬戸大橋を「岡山縣宇野附近ヨリ香川縣高松ニ至ル鉄道」として鉄道敷設法別表追加議決同月16日参議院議決6月19日 - 瀬戸大橋架橋海底調査建設省坂出児島間の地質調査開始東海サルベージ潜水母船海工丸(61トン)と潜水艇白鯨号を使用6月22日 - 香川県議会瀬戸大橋架設促進特別委員会設置1962年昭和37年3月29日 - 鉄道建設審議会瀬戸大橋宇野付近高松)の調査線格上げ承認6月10日 - 国際連合アーネルト・ワイズマン調査団一行瀬戸大橋架橋ルート視察し本四連絡橋3ルートのうち瀬戸大橋ルート優先性与えるべきだと声明7月10日 - 建設省土木研究所沙弥島南方瀬戸大橋架橋工事のためのボーリング調査開始 1963年昭和38年2月25日 - 香川県下の町村議会議長会の定期総会で、瀬戸大橋架設促進特別決議6月5日 - 第7回四国地方開発審議会産業計画会議が「本土四国連絡基本方向に関する調査」について瀬戸大橋優先調査結果発表1964年昭和39年4月6日 - 岡山香川鳥取島根の4県知事会議で、瀬戸大橋早期実現について政府国会要望することを決定9月16日 - 東京瀬戸大橋架設推進岡山香川両県選出国会議員団結成1965年昭和40年8月15日 - 国連地域計画調査団瀬戸大橋架設最終報告発表し、5ルートのうち岡山香川架橋優位性強調10月9日 - 香川県議会瀬戸大橋架設促進に関する意見書議決1966年昭和41年1月5日 - 香川県瀬戸大橋架設推進本部設置3月15日 - 県議会瀬戸大橋ルート一本化に関する決議案可決し坂出下津井ルート早期建設に関する意見書採択4月14日 - 岡山香川両県が協議し瀬戸大橋ルートの名称を児島坂出ルート統一1967年昭和42年5月2日 - 前日から開かれた臨時香川県議会瀬戸大橋架設促進特別委員会設置決議5月19日 - 土木学会本州四国連絡橋技術調査委員会最終報告要旨発表し、5ルートとも建設可能と答申6月2日 - 瀬戸大橋架設推進香川岡山国会議員団新会長に大平正芳選出1968年昭和43年5月10日 - 鉄道建設公団海底掘削実験瀬戸大橋建設予定地岡山県児島沖で着手7月15日 - 日本経済研究所が「瀬戸大橋香川県与え影響調査」を県議会全員協議会発表1969年昭和44年10月4日 - 香川県議会が「瀬戸大橋並びに中国四国横断自動車道早期着工に関する決議案」を可決1970年昭和45年3月16日 - 香川県議会瀬戸大橋早期建設要望議決 7月1日 - 本州四国連絡橋公団設立日本道路公団及び日本鉄道建設公団の本四連絡にかかる業務承継12月3日 - 建設運輸大臣本四公団対し本州四国連絡橋に関する基本計画調査)を指示1971年昭和46年8月9日 - 瀬戸大橋架橋推進に関する説明会坂出市各地区で始まる。 1972年昭和47年2月28日 - 坂出市で初の瀬戸大橋架橋計画説明会開催され、約150人が出席6月1日 - 本州四国連絡橋公団児島調査事務所坂出支所設置6月2日 - 本四架橋に関する瀬戸内海環境保全などを話し合う初の岡山香川県知事議長会談高松市開催8月31日 - 岡山香川瀬戸大橋架橋連絡協議会(両県議会特別委員長・県企画部長の4者構成)が発足11月1日 - 瀬戸大橋架橋促進預貯金運動スタート12月25日 - 瀬戸大橋にかかる建設資金負担割合について、岡山香川両県が折半する方針合意1973年昭和48年2月13日 - 本州四国連絡橋公団坂出陸地ルート測量調査範囲発表4月1日 - 香川県瀬戸大橋架設推進本部改め香川県瀬戸大橋対策本部設置11月20日 - オイルショックに伴う総需要抑制策で、11月25日予定されていた本州四国架橋3ルート着工延期12月16日 - 本州四国連絡橋公団、県が関係する34漁業協同組合南北備讃瀬戸大橋着工同意覚書調印1974年昭和49年4月14日 - 坂出市与島連合自治会総会瀬戸大橋与島測量調査了承12月24日 - 県知事議長瀬戸大橋特別委員長瀬戸大橋早期着工方を大蔵大臣要望1975年昭和50年8月5日 - 香川県瀬戸大橋架設協議会高松市香川県銀行協会開かれ会長綾田整治選出8月15日 - 政府本州四国連絡橋を1ルートとし、瀬戸大橋児島坂出)の早期完成合意8月31日 - 瀬戸大橋架橋に伴う漁業補償交渉が塩飽4漁協との間で妥結1976年昭和51年3月31日 - 瀬戸大橋架橋に伴う漁業補償交渉のうち、与島漁協との交渉妥結し関連する1県漁連33漁協すべての交渉解決6月1日 - 瀬戸大橋着工前に香川県本四連絡橋公団が、2日間地坂出市現地説明会開催6月8日 - 瀬戸大橋関係島嶼部における埋蔵文化財予備調査開始8月5日 - 本州四国連絡橋公団が、瀬戸大橋建設に伴う国鉄本四備讃線四国ルート決定9月18日 - 瀬戸大橋架橋対応上の共通点について連絡協調を図るため、高松坂出両市で構成連絡協議会発足1977年昭和52年4月26日 - 政府本州四国連絡橋当面早期完成を図るルートとして道路・鉄道併用橋瀬戸大橋児島坂出ルート)を内定し早急に環境影響評価などを推進する旨を決定11月1日 - 瀬戸大橋架橋工事に伴う埋蔵文化財発掘調査開始11月4日 - 第3次全国総合開発計画閣議決定されたことで、瀬戸大橋児島坂出ルート)が当面早期完成を図る1ルートとして正式決定11月19日 - 本四公団香川知事瀬戸大橋児島坂出ルート環境影響評価書案提出同月22日香川県内5か所で縦覧開始12月13日 - 香川県坂出市宇多津町瀬戸大橋環境問題連絡協議会設置12月29日 - 瀬戸大橋環境問題連絡協議会開催され櫃石島岩黒島与島宇多津坂出西部川津各地区の代表からの意見聴聞1978年昭和53年1月23日 - 本四公団対し香川県知事瀬戸大橋児島坂出ルート環境影響評価書案対す意見書提出3月27日 - 本四公団対し環境庁長官瀬戸大橋児島坂出ルート環境影響評価書案対す意見書提出5月4日 - 本四公団瀬戸大橋児島坂出ルート環境影響評価書公表し関係機関等に送付6月13日 - 瀬戸大橋建設に関して自然環境保全審議会自然公園部会本四連絡橋問題小委員会条件つき同意環境庁長官答申8月29日 - 瀬戸大橋架設推進岡山香川両県選出国会議員団会議東京開催9月29日 - 環境庁長官瀬戸大橋児島坂出ルート)の着工同意

※この「着工まで」の解説は、「瀬戸大橋」の解説の一部です。
「着工まで」を含む「瀬戸大橋」の記事については、「瀬戸大橋」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「着工まで」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「着工まで」の関連用語

着工までのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



着工までのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの東京外かく環状道路 (改訂履歴)、最初の大陸横断鉄道 (改訂履歴)、瀬戸大橋 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS