雑貨商
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「アルフレッド・ジェラール」の記事における「雑貨商」の解説
1863年9月21日(文久3年8月9日)に来日。居留地168番に、小麦粉やソーセージ、シャンパンなどを扱う商店を開業した。英字新聞「ジャパンヘラルド」に1864年9月24日号から11月12日号まで5回にわたり広告を出稿したが、12月5日号からは扱い品目に砂糖が加えられた。1865年版のディレクトリには陸海軍請負業との表記があり、その前年の1864年からは軍の食料の調達を行っていたことになる。1866年版のディレクトリには、「水の供給を準備中である」とする内容の広告が横浜港に停泊中の船長向けに掲出されている。1866年中頃の広告から、所在地が169と表記されるようになった。隣接地を取得し、家屋をかまえたものと推測されている。1867年1月18日、当時の日本には粗悪で火災の危険性があるランプ油しかないことに着目したフランス人のデュプシェル(Dupouchel)は、ジェラールと組んで精製した油の販売を始めたが、2月19日から5月30日にかけての広告にデュプシェルの名はなく、ほどなくして手を引いたとみられる。6月からは皮革の柔軟加工に使われる牛脚油の販売も手掛けた。牛や羊の骨を砕いた肥料の販売も行っていたが、油と肥料の販売は1867年1月から7月までの半年ほどで終了した。1870年と1872年のディレクトリには、食肉の販売についての記述がある。ジェラールの雑貨店の広告は、1874年9月まで掲載されている。ジェラールは1875年夏に一時帰国し、翌年1月に横浜に戻った際に188番地の店舗と倉庫を他者に貸し、自らは山手77番(現在の元町公園の一部)での水供給業・瓦屋に専念することとなった。
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