神仏分離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 15:48 UTC 版)
その動きは早くは中世から見られるが[1]、一般には江戸時代中・後期以後の儒家神道や国学・復古神道に伴うものを指し、狭義には明治新政府により出された神仏判然令(慶応4年3月13日から明治元年10月18日までに出された、太政官布告・神祇官事務局達・太政官達など一連の通達[2]の総称)に基づき、全国的に公的に行われたものを指す。
- ^ 宮中においても即位灌頂・大元帥法・御斎会をはじめとする仏教儀礼の導入が行われる一方で、斎宮の忌み詞を始め、神仏隔離・神事優先の原則が古代より一環として守られている分野が存在しており、公家社会においても仏事と神事の間では神事優先の理念が強かった(井原今朝男『中世の国家と天皇・儀礼』校倉書房、2012年、p.168-169・172)。
- ^ 太政官布告・神祇官事務局達・太政官達など
- ^ 山口和夫「神仏習合と近世天皇の祭祀」(初出:島薗進 他編『シリーズ日本人と宗教1 将軍と天皇』(春秋社、2014年)/所収:山口『近世日本政治史と朝廷』(吉川弘文館、2017年) ISBN 978-4-642-03480-7 P352-356)
- ^ 全国歴史教育研究協議会『日本史B用語集―A併記』(改訂版)山川出版社。
- ^ a b 日本史用語研究会『必携日本史用語』(四訂版)実教出版。
- ^ データベース『えひめの記憶』
- ^ a b 伊藤聡『神道とは何か』中央公論新社〈中公新書〉。
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