フォークランド紛争
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イギリス軍の反攻開始
第317任務部隊の編成と海上封鎖の開始 (3月31日-4月18日)
上記の通り、イギリス軍は、当初は情勢が緊迫するにつれて五月雨式に派遣部隊を増やしており、まず3月29日にフォート・グランジ級給糧艦「フォート・オースティン」、4月1日に原子力潜水艦「スパルタン」と「スプレンディド」が派遣されたほか、ジブラルタルに寄港していたフリゲート「ブロードソード」と「ヤーマス」も追加されることになっていた。アルゼンチン軍の侵攻の時点で、「フォート・オースティン」と原子力潜水艦は大西洋を南に向けて航行中、フリゲート艦隊はようやくジブラルタルの海軍基地を出港したところであった[12]。
そして3月31日の時点で、サッチャー首相はセントー級航空母艦「ハーミーズ」とインヴィンシブル級航空母艦「インヴィンシブル」の2隻の軽空母を中核として、第3コマンドー旅団を伴った機動部隊の編成を下令しており、4月1日夜の閣議で、機動部隊をフォークランドに派遣することが決定された[12]。
当時、第1艦隊はカサブランカ沖でNATOの演習「SPRINGTRAIN」に参加しており、ここから下記の7隻が抽出されたほか、既に演習部隊から分離されて西インド方面における長期任務へと向かっていたロスシー級フリゲート「プリマス」も呼び戻された[20]。
4月3日2時30分には、これら8隻は補給艦「タイドスプリング」とともにフォークランド諸島に向かった[20]。
4月5日には、大々的な見送りとともに、ポーツマスより2隻の空母が出撃した。同日、ひっそりと21型フリゲート「アラクリティ」「アンテロープ」、そして補給艦支援給油艦「ピアリーフ」、艦隊補給艦、「リソース」および補給艦「オルメダ」も出港した。また4月6日には強襲揚陸艦「フィアレス」が、また4月9日には第3コマンドー旅団の大半および増援された陸軍の第3空挺大隊を乗せた徴用船「キャンベラ」も出港した。第1艦隊司令官ウッドワード海軍少将は、ジブラルタルから「グラモーガン」に座乗して既に南下しており、4月15日、空母部隊と合流した。搭載品の移載や会議を経て、4月18日、空母機動部隊はアセンション島を出港した[20]。
また4月7日の時点で、イギリス政府は、12日4時(UTC)以降、フォークランド諸島周辺200 マイルに海上排除区域(Maritime Exclusion Zone: MEZ)を設定すると宣言していた。12日、原子力潜水艦「スパルタン」が排除海域で配備に入り、予定通りMEZが発効した。また15日には「スプレンディド」も配備に入った。「スパルタン」は東フォークランド島の近くを、「スプレンディド」はアルゼンチン本土の港湾とフォークランド諸島の中間になる海上排除区域の北方の哨戒水域を担当した[20]。
アルゼンチン軍の迎撃体制
一方、フォークランド諸島ではアルゼンチン軍による防衛準備が進められ、歩兵部隊、装甲車両、レーダー設備、野砲や対空機関砲、対空ミサイル発射機などの兵力が輸送艦、輸送機により運び込まれた。4月12日以降のイギリス海軍の海上封鎖から大規模な揚陸はできなくなったものの、輸送機による空輸や小規模な海上輸送は続けられ、同島のアルゼンチン軍守備隊の総兵力は9000名を超えた。さらに制圧したスタンリー、グース・グリーン、ペブル島の各飛行場にアルゼンチン空軍第1、第3グループと海軍の第1・第4航空隊の軍用機約30機や陸軍の輸送ヘリ部隊が配備され、戦力の増強が図られた。軍用機はプカラ攻撃機、イタリアのアレーニア・アエルマッキ社製の軽攻撃機MB-339・MB-326、アメリカのビーチエアクラフト社製のT-34Cターボメンター軽攻撃機等で編成された。
また、アルゼンチン本国では空海軍の航空隊がフォークランド諸島に近いリオ・グランデ、リオ・ガジェゴス、サン・フリアン、トレリューなどの南部の基地に展開し、イギリス海軍への要撃準備が進められた。更に当時アルゼンチン海軍がフランスのダッソー社から購入したばかりのシュペルエタンダール攻撃機に、同じくフランスのMBDA社から購入した空対艦ミサイルエグゾセAM39が5発搭載された。
サウスジョージア島奪還 (4月18日-25日)
アルゼンチン軍は、4月3日のサウスジョージア島占領ののち、駐屯軍として海兵隊員55名をグリトビケンとリースに配置した。また廃材回収業者39名が引き続きリースに残っていた。しかし同地は地理的に隔絶しており、特にイギリス軍潜水艦の哨戒下ではアルゼンチン海軍による支援を受けることも困難で、守るに難しい状況であった。このため、イギリス軍としては、まず同地を奪還することで、来るべきフォークランド諸島奪還へと弾みをつける心算であった[21]。
第317.9任務群の編成と事前偵察
4月7日にはサウス・ジョージア島奪回のための部隊として、フリゲート「プリマス」と駆逐艦「アントリム」およびタイド型給油艦「タイドスプリング」によって第317.9任務群が編成され、のちにサウスジョージア島近海で氷海警備船「エンデュアランス」が合流、更に4月24日にフリゲート「ブリリアント」が合流した。上陸部隊は第42コマンドーのM中隊が割り当てられ、後に陸軍特殊空挺部隊(SAS)のD中隊と海兵隊特殊舟艇部隊(SBS)の1個分隊も追加された。作戦は「パラケット作戦」(Operation Paraquet)と名付けられたが、作戦参加者は、わざと文字を1字だけ変えて「パラコート(Paraquat)作戦」と呼んだ[21]。これらの任務群を掩護するため、4月20日から25日の間、サウスジョージア島からアルゼンチン本土の沿岸までを、空軍のニムロッド哨戒機が哨戒したほか、原子力潜水艦「コンカラー」もサウスジョージア島沖を哨戒していた[22]。
本隊の上陸に先立ち、まずSASがリースを、SBSがグリトビケンを偵察することになっていた。4月21日12時、リースを偵察するSAS分隊は、周囲の忠告を押し切って「アントリム」と「タイドスプリング」の艦載ヘリコプターによってフォーチュナ氷河に降下したが、おそるべき悪天と氷河の状態のために5時間弱をかけて500メートルしか進めず、4月22日10時に救出を要請した。ホワイトアウトの状態が続き、まず隊員の発見に難渋した上に、救出作業中に2機が墜落してしまった。幸い死者も重傷者もなく、残る1機は一度艦に戻って隊員を降ろしたのち、残されていた隊員と乗員を救出しようとしたが天候不良で二度も引き返し、三度目の挑戦でようやく救助に成功、1トン以上の過荷重状態で無事帰還した。またSBSのグリトビケン偵察も、強力な向かい風と、吹き寄せられた氷山によって阻まれ、失敗した[21]。
4月23日には、SASの偵察隊員が、今度はボートによってストロームネス湾に潜入しようとしたが、極寒の環境で船外機がうまく動かず、5隻中目標に達したのは3隻のみで、1隻は外海に吹き出されてしまったところをヘリコプターで救出され、もう1隻は別の場所に吹き寄せられたのち3日後に救出された。しかし残る隊員は偵察活動を完遂した[21]。
グリトビケンとリースの奪還
アルゼンチン海軍最高司令官アナヤ大将は、サウスジョージア島について、将来は科学観測基地を設けてアルゼンチンの実効支配を示そうと考えていた。その後、イギリス艦艇がこの島に近付いているという情報が入ると、一度はこの島をあきらめ、部下には無抵抗で降伏するよう命じた。しかしその後考えを変えて、潜水艦「サンタ・フェ」によって、増援として約40名の海兵隊員を送り込むことにした。同艦は、4月21日にマル・デル・プラタ海軍基地を出発し、24日深夜にカンバーランド湾の入り口に到着し、25日の2時頃から約2時間をかけて、海兵隊員と補給物資をグリトビケンに揚陸した。しかし帰路、カンバーランド湾内で第317.9任務群のヘリコプターに攻撃されて行動不能になり、グリトビケンに戻って、キング・エドワード崎に乗り上げた[21]。
第317.9任務群では、この勢いに乗じるべきであると衆議一致した。この時点で、上陸部隊主力が乗艦する給油艦「タイドスプリング」は潜水艦脅威を避けて退避しており、上陸作戦は、駆逐艦・フリゲートに乗艦しているM中隊の指揮班と迫撃砲兵、そしてSASとSBSの特殊作戦部隊のみで行うことになった。まず13時より、「アントリム」と「プリマス」によってグリトビケンへの上陸準備射撃が開始され、続いて13時30分より寄せ集め部隊79名のヘリボーン展開が開始された。実のところ、艦砲射撃が始まるとすぐにアルゼンチン軍は白旗を揚げており、16時5分には接近した地上部隊がこれを確認し、16時30分にはイギリス国旗とイギリス海軍旗が掲揚された。この戦闘で両軍に死者・負傷者はでなかった[21]。
引き続きリース奪還のため、17時15分、SASとSBSの隊員が「プリマス」と「エンデュアランス」に乗艦してリースのあるストロームネス湾へ派遣された。「エンデュアランス」艦長は無線で降伏を説得したところ、リースのアルゼンチン軍指揮官は、当初は「民間人は投降するが海兵隊員は戦う」と返答していたものの、21時45分には「決心を変え海兵隊員も降伏を準備している、イギリス軍指揮官は明日リースのサッカー場へヘリコプターで飛来して欲しい、そこで降伏の指示を受ける」と返答を変えた。イギリス側はいったんそれを認めたが、明朝、予定を変更して、武装解除したのち、上陸していたSAS・SBSの隊員のところに出頭するように命じた。その後、アルゼンチン側が夜のうちにサッカー場などに地雷を敷設していたことが判明し、イギリス側の判断の正しさが裏付けられた[21]。
注釈
- ^ 以下はフォークランド諸島で記載を統一。
- ^ その後、1773年にボストン茶会事件が発生し、1775年のレキシントン・コンコードの戦いによりアメリカ独立戦争が勃発した。
- ^ ダヴィドフは、既に1981年12月に一度同島に上陸していたが、この際も、上陸のための事前許可を得ていなかった[10]。
- ^ この他、島民の志願者からなるフォークランド諸島防衛隊23名が組織されていたが、こちらは海兵隊の補助に限定され、戦闘には加えられなかった。
- ^ ベインティシンコ・デ・マヨは元々オランダ海軍空母の「カレル・ドールマン(旧英海軍コロッサス級空母「ヴェネラブル」)」で、アルゼンチンが購入した際には火災事故によって機関を損傷した状態だった。そのため、コロッサス級の準同型艦で建造が中止されていた英海軍マジェスティック級空母「レヴァイアサン」から機関を流用して修復した後に就役したのだが、この機関はベインティシンコ・デ・マヨに流用された当初から不調だったと言われている。
- ^ a b 当時英海軍が採用していたSCOT衛星通信装置は、電波探知装置による探知を阻害する危険があった[27]。
- ^ 1機にエグゾセを搭載し、もう1機はレーダー故障時の誘導を担当するための補助機
- ^ イギリス側はエグゾセの撃破をアヴェンジャーの114mm単装砲による撃墜と主張しているがチャフによる誤作動だった可能性もあるなど詳細は不明である。
- ^ チャフロケットなどの発射煙を誤認したと見られている
- ^ ただし南大西洋の過酷な海況のために船体に亀裂を生じ、後に補強工事が必要になった[56]。
- ^ ただし、部分的にノズルを偏向して旋回能力を向上させ、敵機後方に回り込むという運用実績は記録されている。また後に増援として派遣された空軍のハリアーGR.3攻撃機は、レーダーを持たないなど空戦能力が低いことから、空中戦に巻き込まれた場合にはVIFFを活用して脱出するように推奨されていたが、実際にはハリアーGR.3が空中戦に遭遇すること自体がなかったため、このような機会はなかった[60]。
出典
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