狙撃銃としてとは? わかりやすく解説

狙撃銃として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 06:45 UTC 版)

ワルサーGew43半自動小銃」の記事における「狙撃銃として」の解説

開戦となった1939年ポーランド戦後、すでに前線指揮官からスコープ付き小銃求め要望挙がっていた。これに対して陸軍兵器局は、1938年頃から開発進めてきた1.5倍率ライフルスコープをZF41としてKar98k組み合わせ1941年7月14日付け制式化するが、この性能本格的な狙撃銃求め前線期待応えるものではなかった。そのため軍用狙撃銃としては、Kar98k民間用スコープ装着したものに頼らざるを得なかったが、これにはスコープ自体絶対数の不足とKar98k改造調整手間掛かること、多種多様なスコープ整備管理が困難であったこと等、様々な問題があった。このため陸軍兵器局は、4倍率量産適した軍制式ライフルスコープGwZF4(Gewehr Zielfernrohr 4-fach:4倍率小銃照準眼鏡)を1942年頃に開発導入行った。そして、Gew43標準仕様でこのGwZF4用のレール装備させ、狙撃銃となるポテンシャルもたせることは、狙撃銃大量生産可能にするものとして慢性的な狙撃銃不足に悩んでいた軍にとって理想的な解決策として受け止められた。1943年8月にはヒトラー自身が、これまでの多様なスコープ換えてこのGwZF4をKar98kFG42、そして新型Gew43搭載する意向表明し翌月にはGew43、GwZF4いずれの量産体制整っていないにも拘らずスコープ付きGew43増産命令した。更に1944年4月にはスコープ付きGew43指して狙撃銃(Scharfschützengewehr)」と宣言するに至る。しかしながらその熱意が仇となり、無理な増産強いられた銃もスコープ不十分な仕上がりとなり、狙撃銃求められる精度満たすのは困難となった。この結果当時資料によると狙撃銃として仕上げられスコープ付きGew/Kar43の全数1944年7月から1945年2月までで46,042丁とされており、全生産数10%程度であった。つまり、ヒトラー期待とは裏腹にほとんどのGew43通常の歩兵銃として戦場送られのである

※この「狙撃銃として」の解説は、「ワルサーGew43半自動小銃」の解説の一部です。
「狙撃銃として」を含む「ワルサーGew43半自動小銃」の記事については、「ワルサーGew43半自動小銃」の概要を参照ください。

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