狙撃銃タイプ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 04:31 UTC 版)
「リー・エンフィールド」の記事における「狙撃銃タイプ」の解説
第一次・二次世界大戦と朝鮮戦争の間を通して、数多くのリー・エンフィールド小銃が狙撃銃に改造された。 第二次世界大戦中は新たに狙撃銃を設計せず、No.4 Mk Iの生産ラインから精度の良いものを選び、照門を取り外し、木製のチークパッド(頬当て)と"No.32 3.5倍スナイパースコープ(狙撃眼鏡)"を取り付けるなどの改造を施すことで狙撃銃を製作した。この独特な"No.32 3.5倍スコープ"は、1942年にMk 1が、43年にMk 2が、44年にはMk 3(4倍)が採用され、年を追うごとに進歩していった。その後、No.32 Mk 3スコープには新たに“L1A1”という名称が与えられている。 それらの改造を施したNo.4 Mk Iに、軍はNo.4 Mk I (T)という名称を与えた。イギリスで有名なスポーツ用銃製作会社であるHoland and Holandで、数多くのNo.4 Mk Iが狙撃銃へと改造されていった。 これらの狙撃銃は、オリジナルの状態で1960年代までの多くの紛争で用いられることとなったが、7.62mm NATO弾を使用するように改修されたタイプであるL42A1は1982年のフォークランド紛争でも用いられた。 オーストラリアではスナイパースコープ、チークパッドを取り付け、銃身を肉厚で重い物と交換したSMLE Mk III*にSMLE Mk III* (HT) という名前を与え、狙撃銃として採用した。(HTとは重銃身、狙撃眼鏡付きの意味である。)SMLE Mk III* (HT)は第二次世界大戦、朝鮮戦争を経験し、その後1970年代後半まで狙撃手の練習用として使われた。
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