狙撃銃の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/25 01:09 UTC 版)
大正時代、帝国陸軍は新たな兵器研究方針のもと、1920年(大正9年)7月20日に狙撃に用いる眼鏡(狙撃眼鏡・照準眼鏡・スコープ)の研究・開発を開始した。始めにドイツのカールツァイス製品を購入し研究に着手、1923年(大正12年)11月には日本光学(ニコン)により試製され射撃試験が行われたが、眼鏡装着部に不具合がありまた倍率の増加も要望されたためその後の審査は遅延した。 しかし、1931年(昭和6年)から翌1932年(昭和7年)の満州事変の実戦体験が審査促進の契機となり、同1932年には倍率4倍の眼鏡の試製が完了、翌1933年(昭和8年)には北満州でその実用試験が行われた。その結果は装着部の不具合は若干除去できたものの、(要望による)倍率増加により眼鏡重量が増し操作が不便であるといったものであった。そのため倍率を2.5倍(二倍半)とした改修型試製照準眼鏡を1936年(昭和11年)3月に富津にて試験を行い、これは実用に適することが認められた(同年6月には陸軍歩兵学校で、11月には北満州で実用試験が行われ実用性を高めている)。また、照準を容易にするための軽易なる脚(単脚・モノポッド)の装備が望ましいという判決も下った。 以上の審査結果を経て実用化された試製狙撃銃に改修を施し、1937年(昭和12年、皇紀2597年)6月に富津において最終試験が行われた結果、概ね目標に到達したことをもって翌1938年(昭和13年)2月3日に九七式狙撃銃として仮制式制定を上申、1939年(昭和14年)3月7日に制式制定された。同時期、試製照準眼鏡は九七式狙撃眼鏡として1938年2月に制式制定を上申している。 なお、開発・研究が長期にわたって行われていたため、多種多様な試製狙撃銃(狙撃眼鏡)が製作されている(いずれも小銃は三八式歩兵銃をベース)。
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