フォークランド紛争での運用と狙撃運用説について
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「12.7x99mm NATO弾」の記事における「フォークランド紛争での運用と狙撃運用説について」の解説
フォークランド紛争におけるフォークランド諸島奪還において、アルゼンチン軍は陣地の防衛にしばしば本銃弾を使用するブローニングM2重機関銃を用い高い効果を挙げた。いっぽうイギリス軍の地上部隊は同クラスの機関銃を配備していなかったことから、汎用機関銃で支援された偵察兵を遮蔽物に沿って一人ずつ前進、火点をあぶりだしてミラン対戦車ミサイルや手りゅう弾による攻撃、あるいは銃剣突撃による直接攻撃を敢行するという対応を余儀なくされた。 なお、この時のアルゼンチン軍の重機関銃運用を、通常の射撃ではなく「単発狙撃」であったとする記述が一部の和文文献に見受けられるが、フォークランド紛争、狙撃銃、狙撃手などに関する英文の文献やその和訳書には、「アルゼンチン軍による重機関銃を用いた単発狙撃」についての言及が見当たらない。また「フォークランド紛争での重機関銃運用の戦訓がきっかけとなって対物ライフルが開発された」とする説も、一部の和文文献のみに見受けられ、英文文献やその和訳書では言及されていない。
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フォークランド紛争での運用と狙撃運用説について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:15 UTC 版)
「ブローニングM2重機関銃」の記事における「フォークランド紛争での運用と狙撃運用説について」の解説
本銃が活躍した例としてフォークランド紛争でのアルゼンチン軍の防衛戦術がある。1982年6月11日にイギリス軍第3空挺大隊は夜陰に紛れてロングドン山地へ進軍し、西側の山頂”フライハーフ”に到達したものの、21:30ごろ周囲のアルゼンチン軍陣地に捕捉され、105mm無反動砲や迫撃砲による砲撃に加え、暗視装置を装備した狙撃兵による狙撃とともに遮蔽壕からM2重機関銃による猛射を浴び、狭い稜線上でほとんど身動きができない状態に陥った。これに対しイギリス軍は砲兵に支援を要請したが、強固な天然岩盤に囲まれたアルゼンチン軍陣地にはあまり効果がなく、最終的に7.62mm汎用機関銃で支援された歩兵がアルゼンチン軍火点に対戦車兵器や手榴弾と銃剣突撃による直接攻撃を敢行し、これを攻略した。イギリス軍は18人の戦死者と約40名の負傷者を出すなど、出血を強いられた 。 上記のアルゼンチン軍の重機関銃運用を、通常の射撃ではなく「単発狙撃」であったとする記述が、一部の日本語文献には見受けられる。しかしフォークランド紛争、狙撃銃、狙撃手などに関する英文書籍やその日本語訳書籍には、「フォークランド紛争での重機関銃による単発狙撃」についての言及が見当たらない。また「フォークランド紛争での重機関銃の狙撃運用がきっかけとなって対物ライフルが開発された」とする説も、一部の日本語文献には見受けられるが、これも英文文献やその和訳書では言及されていない。
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