フォークランド諸島の発見とイギリスの実効支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:51 UTC 版)
「フォークランド紛争」の記事における「フォークランド諸島の発見とイギリスの実効支配」の解説
最初にフォークランド諸島を発見したのはフエゴ島の先住民ヤーガン族ともいわれる。ヨーロッパ人による発見についても諸説あり、1520年のポルトガルのマゼラン船団のエステバン・ゴメス船によるとも、あるいは1592年のイギリスの探検家ジョン・デイヴィスによるともされている。アルゼンチン政府は前者を、イギリス政府は後者を採っている。 同地は大西洋と太平洋を結ぶマゼラン海峡・ビーグル水道に近く、パナマ運河開通までは戦略上の要衝であったことから、18世紀には領有権争いの舞台となった。1764年にフランスは東フォークランド島に入植し、サン・ルイ港と名づけた(現在のバークレー湾)。イギリスは翌1765年にジョン・バイロン艦長が西フォークランドにあるソーンダース島の港にエグモント港と名づけた。スペイン・ブルボン朝は、1767年にフランスからフォークランド諸島の売却を受け、1770年にはブエノスアイレスからエグモント港に侵攻した。当時、北米植民地の情勢急迫に対処しなければいけなかったイギリスは全面戦争を避け、1774年にはスペインの領有権が一時的に確立した。しかし1833年にはイギリスが派遣したスループ「クレイオー」によって無血占領に成功し (Reassertion of British sovereignty over the Falkland Islands (1833)) 、以後実効支配を進めたことで長らくイギリスの海外領土(属領)とされてきた。
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