群集事故
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群集事故(ぐんしゅうじこ)とは、無秩序な集団によって発生する事故である。雑踏事故、群衆雪崩、将棋倒し、ドミノ倒しともいう。
概要
群集事故は、統制ないし誘導されていない人の群れの流れによって発生する事故である。具体的な事故の要因は様々だが、例えば、通路上に障害物があって人が滞留したり、狭い出入口などのボトルネックにおいて、災害など他の要因で人が殺到した際に許容量を超えるなどが典型的なケースである。ガーディアンによると、群集事故の発生リスクは集団の密度に大きく関係し、1平方メートルあたり4人以下の場合は相対的に安全で、1平方メートルに6人以上がいる場合は発生するリスクが高い[1]。
群集事故は、災害によって誘発されたパニックの際に発生しやすいことはよく知られるが、パニック状態ではないときに発生することもある。日本では明石花火大会歩道橋事故のように、継続的な混雑時において、些細なきっかけから均衡状態が崩壊し事故に至ったケースが知られている。この事故では歩道橋に設置された手すりが群衆によって変形するほど凄まじい圧力であった[2]。同事故では、行楽客らが進むことも戻ることもできないことから、イライラしている状態にあったところに、予定されていたイベントの終了に伴ってさらに人が流入し、多数の死傷者を出した。主な死因は胸部を強く圧迫されることによる外傷性窒息である[3][4]。
将棋倒しとも呼ばれ、明石事故の際に日本将棋連盟からの抗議を受けたが、現在もニュース一般で使われている。
対策
群集事故は多くの死傷者をだす場合もあるため、都市計画や建築物の設計段階でも回避策が検討される。例えば公共施設などでは、その出入り口に設けられた扉に普段は開け閉めできるが、非常時には全面開放できボトルネック化しないよう設計されたもの(→パニックオープンドアなど)が見られる。
また、イベント等で一時的に群集が発生することが予想される場合は、あらかじめ雑踏警備に係る警備計画を策定することが重要である。警備員を配置し、ロードコーン等の保安器具により立ち入り規制を行う等により、特定の場所に人が集まりすぎないように人の流れをコントロールすることで事故を未然に防ぐことが可能となる。
個人は平均的に、約30×60 cm、0.18 m2の楕円形の床面積を占めており、1平方メートルあたり1、2人の密度であれば、互いに接触することなく自由に移動することができ、人々が素早く移動していても、この密度であれば障害物を避けることが可能であり、群衆に関連した事故の可能性は最小限に抑えられるうえに将棋倒しは生起しない[5]。1平方メートルあたり3、4人でも危険性は低いが[6]、1平方メートルあたり5人の密度になると、個人が移動することが制限されるようになり、より高い密度となる1平方メートルあたり6~7人になると、個人が互いに押し付け合うようになり、自分の意思で移動することができなくなることで群衆は流体のように行動し始め、個々が周囲の人々の圧力によって移動することによって群衆内の圧力が変化し、発生する衝撃波が群衆を通過することがあり非常に危険な状況となる[6]。また、密集状態で将棋倒しが発生した場合、先頭の人間が支えられる人数はぜいぜい平地で7人、階段では4人であることが研究から明らかとなっている[5]。
学問・技術
こういった事故の予防のために、コンピュータを使ったシミュレーションも盛んである。流体力学的な側面もある同分野だが、この中では意図的に人の流れを阻害するボトルネックを設置したり、あるいは「一人が転倒する」や「些細な行き違いから喧嘩が発生する」などの偶発的な要素で発生しうる滞留の状況を数理的に再現、これが全体の流れにどのように影響するかをシミュレーションするのであり、近年では駅や商業施設の動線配置の設計などで利用されている。
社会学の立場で警備業研究を展開している田中智仁は、群集事故の変遷と警備体制の強化を考察した論文を発表している(ただし、同論文では「雑踏事故」と表記されている)[7]。
主な群集事故

- 1807年9月20日(文化4年旧暦8月19日) - 永代橋崩落事故
- 1896年 - ロシアのモスクワで、皇帝ニコライ2世即位記念に配給された食物を求める人々が折り重なるように倒れたことで1,389人が死亡。
- 1897年(明治30年)8月10日 - 隅田川「両国橋」の崩壊事故。
- 1934年1月8日 - 京都駅跨線橋転倒事故
- 京都駅構内で海軍に入団する新兵を見送るために集まった人垣で人が折り重なるように倒れる事故が発生。死者77名、重軽傷者74名。
- 1937年10月27日 -
- 1948年(昭和23年)8月23日 - 万代橋事件
- 1948年(昭和23年)11月4日
- 1949年(昭和24年)4月24日
- 1950年(昭和25年)5月5日
- 1954年1月2日 - 二重橋事件
- 皇居の一般参賀に訪れた人達の将棋倒しが発生。死者16名、重軽傷者65名。
- 1956年1月1日 - 彌彦神社事件
- 1960年1月26日 - ソウル駅圧死事故
- 1960年3月2日 - 横浜歌謡ショー将棋倒し事故
- 1964年5月24日 - エスタディオ・ナシオナルの悲劇
- 1967年(昭和42年)
- 1971年1月2日 - アイブロックスの惨事
- スコットランドのグラスゴーにあるアイブロックス・スタジアムで行われたサッカーの試合の際に発生し、66人が死亡した。尚、同競技場では1902年4月5日にも群集事故が発生しており、25人が死亡している。
- 1978年(昭和53年)1月27日 - 札幌市の中島スポーツセンターで行われたイギリスのバンドレインボーのコンサートで、開演と同時に興奮した約500人の観客がステージに殺到し、詰めかけた観客が折り重なるように倒れ、女子大学生1人が死亡し、負傷者は7人[18]。
- 1979年(昭和54年) - 兵庫県西宮市の第51回選抜高等学校野球大会開催中の阪神甲子園球場で、入場券売り場前にいた群衆が販売が開始されたと思いこんで殺到、倒れた小学生2名が死亡した。
- 1985年5月29日 - ヘイゼルの悲劇
- ベルギーの首都ブリュッセルで行われた、UEFAチャンピオンズカップ 1984-85決勝のリヴァプールFC対ユヴェントスFCの試合前に、リヴァプールサポーターの一部が隣のユヴェントスサポーターの観戦エリアを襲撃した。逃れようとした多くのユヴェントスサポーターが壁際に押し寄せて折り重なるように倒れ、39人が死亡、400人以上が負傷した。
- 1987年(昭和62年)4月19日 - ラフィンノーズ公演雑踏事故
- 東京都千代田区の日比谷野外音楽堂で行われたロックバンドLAUGHIN' NOSEのコンサート中に観客がステージ前に殺到し、折り重なるように倒れる形となり死者3名重軽傷者27人を出した。当日の会場には主催者スタッフのみが配置され、警備員の配置は全くされていなかった。LAUGHIN' NOSEは引責謹慎。担当していたラジオ番組も降板した。
- 1987年(昭和62年)12月10日 - 1987年上海陸家嘴輪渡站雑踏事故
- 1989年4月15日 - ヒルズボロの悲劇
- イングランド・シェフィールドのヒルズボロ・スタジアムで行われた、リヴァプールFC対ノッティンガム・フォレストFC戦で、ゴール裏の立見席に収容能力を上回る大勢のサポーターが押し寄せたことにより死者96人、重軽傷者766人を出す惨事となった。イギリスのスポーツ史上最悪の事故と評される。
- 1990年(平成2年)1月7日
- 1990年7月2日 - 1990年メッカ巡礼事故
- 1993年1月1日 - 蘭桂坊将棋倒し事故
- 1999年5月30日 ‐ ニャミハ群衆事故
- 2001年7月21日 - 明石花火大会歩道橋事故
- 2005年(平成17年)
- 2010年7月24日 - ラブパレード死傷事故
- 2010年11月22日 - プノンペン群集事故
- 2014年12月31日 - 2014年上海外灘雑踏事故
- 2015年9月24日 - 2015年メナー群衆事故
- ハッジに訪れていた多数の巡礼者がメッカ郊外において人が折り重なるように倒れ、2,181人以上が圧死。ハッジでの群集事故としては史上最悪となった。
- 2017年5月7日 - COMIN'KOBE17における群衆事故
- 兵庫県神戸市のワールド記念ホールで開催されたチャリティーフェス「COMIN’KOBE17(カミングコウベ)」において、多数の観客が折り重なるように倒れ、21歳の女性が脊髄損傷の重症、他2名が軽症を負った。前のバンドが終わり退出する客と、次のバンドを観るために入場したい客が出入口付近に殺到した結果とされている。
- 2021年11月5日 -アストロワールドフェスティバル群衆事故
- 2022年10月1日 - カンジュルハン・スタジアムの悲劇
- インドネシア東ジャワ州マランのサッカー場で行われた、ペルセバヤ・スラバヤ対アレマFC戦後に、サポーターがピッチに乱入。これを鎮圧しようと警察が催涙ガスを撒いた結果、場内はパニック状態となり131人が死亡[25]。
- 2022年10月29日 - 梨泰院雑踏事故
関連項目
- 動線
- 交通誘導員 / 雑踏警備
- 満員電車 / 渋滞
- モッシュ / ダイブ - ライブにおける群衆が入り乱れる中で行われる行為[29]。ライブによってはダイブは禁止、モッシュによる怪我は当事者間で解決する事案で自己責任とされている[30]。
- 事故の一覧
- 集団ヒステリー
- 集団パニック
- 避難
- 非常口
- 蜂球 - ミツバチは天敵であるオオスズメバチが巣に接近した際、群衆で取り囲み体温を上げることで天敵を蒸し殺すことで知られる。
脚注
出典
- ^ “Hajj crush: how crowd disasters happen, and how they can be avoided” (英語). the Guardian (2015年10月3日). 2022年11月2日閲覧。
- ^ 吉村英祐 (2007年). “明石歩道橋事故での群集圧力と群集密度の推定” (PDF). 生産と技術 (季刊誌生産と技術). 2023年8月2日閲覧。
- ^ “外傷性窒息 日本救急医学会・医学用語解説集”. www.jaam.jp. 2022年11月3日閲覧。
- ^ 山口均 (2016). “外傷性窒息”. 救急医学 40 (3): 345-349 .
- ^ a b “群集の流動と事故” (PDF). 東京都立大学都市研究所 (1981年). 2023年8月2日閲覧。
- ^ a b Tracy Hresko Pearl (2018年1月18日). “Crowd Crush: How the Law Leaves American Crowds Unprotected”. Kentucky Law Journal. 2023年8月2日閲覧。
- ^ 田中智仁「雑踏事故およびその対策の専門化をめぐる問題-雑踏警備業務の社会学」『現代の社会病理』 (24), 99-116, 2009年、日本社会病理学会
- ^ 永代橋崩落事故(江戸ワードのホームページ)
- ^ [1]謎解き!江戸のススメ・第97回(江戸の大事故)、2014年2月10日放送
- ^ 中嶋 繁雄 『明治の事件史―日本人の本当の姿が見えてくる!』 青春出版社〈青春文庫〉、2004年3月20日、186-188頁
- ^ 国立国会図書館デジタルコレクション2016/3/27閲覧
- ^ 軍列車歓送の人波に電車、二十六人死亡『中外商業新聞』(昭和12年10月28日)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p77 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 沢柳政義『野球場大事典』大空社、1990年、p.288
- ^ 中野晴行『球団消滅 幻の優勝チーム・ロビンスと田村駒治郎』筑摩書房、2000年、p.121
- ^ 沢柳政義『野球場大事典』大空社、1990年、p.292。
- ^ 【TBSスパークル】1960年3月2日 横浜歌謡ショーで見物人多数圧死(昭和35年) - YouTube
- ^ 【昭和42年4月23日】桜の通り抜けで警戒
- ^ 昭和54年警察白書 第8章 災害、事故と警察活動
- ^ “Belarus stampede kills 54”. BBC News. (31 May 1999). オリジナルの16 August 2022時点におけるアーカイブ。 22 June 2018閲覧。
- ^ “Трагедия на Немиге: как подземный переход стал туннелем смерти” [Tragedy on Nemiga: how the underpass became a tunnel of death] (ロシア語). Gazetaby.com (29 May 2009). 11 March 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。22 June 2018閲覧。
- ^ “カンボジアで将棋倒し事故の追悼式、死者は347人に訂正”. AFP. (November 25, 2010) 2022年10月30日閲覧。
- ^ 上海将棋倒し “金券”は関連性なし、警察「事故後ばらまき」 死者は若者大半
- ^ Browning, Keith. “9-year-old trampled at Astroworld dies from his injuries, family says”. KTRK-TV. November 15, 2021時点のオリジナルよりアーカイブ。November 14, 2021閲覧。
- ^ Helsel, Phil. “8 dead after panic at Houston Astroworld music festival”. NBC News. オリジナルのNovember 6, 2021時点におけるアーカイブ。 November 6, 2021閲覧。
- ^ “インドネシアサッカー場事故、調査委が協会責任者に辞任勧告”. AFP 2022年10月30日閲覧。
- ^ 死者は151人、うち外国人19人 韓国ソウルの雑踏事故 - 産経ニュース 2022年10月30日
- ^ 【動画】ソウル雑踏事故 人が倒れても人波は前進 熱狂は悲鳴に - 産経ニュース 2022年10月30日
- ^ “梨泰院惨事、20代韓国人女性1人が追加死亡…延べ158人”. 中央日報 (2022年11月14日). 2022年11月14日閲覧。
- ^ “ライブのダイブ・モッシュって死人出してまでやる意味あるんですか? | BASEMENT-TIMES” (2017年4月20日). 2022年10月30日閲覧。 “サークルモッシュとは?知っておかないと危険なライブの知識!”. firststyle.jp. 2022年10月30日閲覧。 “モッシュ/ダイブの歴史を探る【前篇】”. Red Bull. 2022年10月30日閲覧。
- ^ “開催概要・注意事項”. COUNTDOWN JAPAN 19/20. 2022年10月30日閲覧。
外部リンク
- 『雑踏事故』 - コトバンク
- 兵庫県警 雑踏警備の手引き
群集事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 10:03 UTC 版)
「群集事故」、「パニック」、および「en:List of human stampedes and crushes」も参照 1807年9月20日(文化4年旧暦8月19日) - 現在の東京都中央区の永代橋の落橋事故(永代橋崩落事故)。死者440人、負傷者・行方不明者を入れると1,400人以上。「永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼」 (大田南畝) 1896年 - ロシアのモスクワで、皇帝ニコライ2世即位記念に配給された食物を求める人々が将棋倒しとなり、1,389人が死亡。 1897年(明治30年)8月10日 - 隅田川にかかる両国橋の崩壊事故。両国川開きの花火を見ようと詰めかけた見物人の重みで欄干が壊れ、見物人が川に落ちた。死傷者数十名を出し、花火は中止となった。 1903年(明治36年)12月30日 - アメリカ合衆国のイリノイ州シカゴのイロコイ劇場火災。逃げ惑う観客がパニックとなり、焼死者の他に多くの圧死者を出した。火災全体で602人死亡。 1934年(昭和9年)1月8日 - 京都駅跨線橋転倒事故。京都府京都市下京区の京都駅で発生した海兵団入隊の見送り客による群衆雪崩事故。 1946年(昭和21年)3月9日 - バーンデン・パークの惨事。イギリスのイングランドグレーター・マンチェスターボルトンで行われたサッカー試合で将棋倒しが発生し33人が死亡、400人以上が負傷。 1947年(昭和22年) - 埼玉県秩父市の秩父夜祭の見物を終えた群衆が御花畑駅方面に殺到し、6人が圧死。 1948年(昭和23年)8月23日 - 新潟県新潟市中央区の萬代橋で、新潟まつり前身にあたる「川開き」の花火見物に集まった群衆が殺到、欄干が落下し観衆が信濃川に転落して、死者11名、重軽傷者29名を出す大惨事となった。 11月4日 - 東京都新宿区の明治神宮野球場で、プロ野球の読売ジャイアンツ創設15周年記念無料オープン戦(対戦は阪急ブレーブス、金星スターズ、急映フライヤーズの3球団からの選抜チーム)観戦に集まった群衆を時間を繰り上げて入場させたところ、将棋倒しが起き死者2人、重軽傷者29人が発生した。 1949年(昭和24年)4月24日 - 兵庫県西宮市の阪神本線甲子園駅で、野球観戦のために集まった利用客が将棋倒しとなり、死者1人・重軽傷者46人を出す。 1950年(昭和25年)5月5日 - 宮城県仙台市の宮城球場で、プロ野球公式戦観戦に集まった群衆を時間を繰り上げて入場させた際、入口のトンネルでの転倒により将棋倒しが発生、3人が死亡した。 1954年(昭和29年)1月2日 - 二重橋事件。東京都千代田区の二重橋で皇居の一般参賀に集まった群衆が将棋倒しとなり、16人が死亡した。 1956年(昭和31年)1月1日 - 彌彦神社事件。新潟県西蒲原郡弥彦村の彌彦神社で福餅撒きに集まった参拝者が将棋倒しとなり、124人が死亡した。 1月15日 - 大劇(大阪劇場)事件。美空ひばり公演客1名が圧死、9名が重軽傷。日本ドリーム観光#事件参照。 1959年(昭和34年)7月17日 - 韓国の釜山広域市にある釜山市民運動場で開催された野外市民コンサートの途中で突然の豪雨が降り、これにより3万人もの観客が屋根のある出口付近に殺到。67名が圧死した。犠牲者の大半は子どもだった。 1960年(昭和35年)1月26日 - 韓国のソウル特別市にて旧正月の帰省客で混雑していたソウル駅で列車に乗ろうとした乗客が将棋倒し、31人が死亡。 3月2日 - 横浜歌謡ショー将棋倒し事故 。神奈川県横浜市中区の横浜公園体育館で行われた『歌謡曲ゴールデン・ヒット・ショー』公開録音の開門時に殺到した観客が将棋倒し、12人が死亡・14人が重軽傷。主催したラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)が、会場の収容定員を上回る招待券を出していたことが原因。 1961年(昭和36年) - 岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)の松尾鉱山小学校で行われた祝賀会のあとで、映画鑑賞会へ向かう小学生などが将棋倒しとなり10人が死亡、10人が負傷。 1964年(昭和39年)5月24日 - エスタディオ・ナシオナルの悲劇。ペルーのリマで行われたサッカーの国際試合の判定を巡って観客が暴徒化し、警官隊が鎮圧のため催涙弾を使用。出口に殺到した観客が将棋倒しとなり319人が死亡、500人が負傷。 1967年(昭和42年)4月22日 - 大阪府大阪市北区の桜の通り抜けで一般開放していた造幣局本局で、観客の1人が転倒したことから観客が将棋倒し。女性1人が死亡し、27人が負傷。 11月5日 - 奈良市の近鉄あやめ池遊園地でザ・タイガースのコンサートの入場待ちをしていた観客が入口に殺到し、6人が重軽傷。 1971年(昭和46年)1月2日 - アイブロックスの惨事。イギリスのスコットランドグラスゴーで行われたグラスゴー・レンジャーズFC対セルティックFCのサッカーリーグ戦の試合後、出口へ向かう観客が階段上で将棋倒しとなり10数メートル下まで転落。66名が死亡、負傷者約200名。 12月24日 - 関西テレビ『4時だぜ!飛び出せ!!ワイワイワイド クリスマス大会』生放送に参加予定の小・中学生たちが、スタジオのある新朝日ビルディング地下一階のSABホールに向かう階段で将棋倒しとなった。重傷9名・軽傷24名。 1973年(昭和48年)6月3日 - 千葉県千葉市中央区にある千葉県文化会館でNETテレビ(日本教育テレビ。現・テレビ朝日)の公開録画が行われたが、開門時に殺到した観客が将棋倒しになり11人が重軽傷を負った。会場の収容定員を上回る招待券を出していたことが原因。 1976年(昭和51年) - 年末ジャンボ宝くじの複数の販売所で買い求めに集まった客が殺到。長野県松本市と福岡県福岡市の会場で各1名が死亡、全国で40名以上が負傷。この事故を受け、翌年より購入は往復はがきによる申し込み制に変更された(1995年まで)。 1978年(昭和54年)1月27日 - 札幌市の中島スポーツセンターで行われたレインボーのコンサートで、開演と同時に興奮した約500人の観客がステージに殺到し、詰めかけた観客が将棋倒しとなった。死者1人、負傷者7人。 1979年(昭和54年) - 兵庫県西宮市の第51回選抜高等学校野球大会開催中の阪神甲子園球場で、入場券売り場前にいた群衆が販売が開始されたと思いこんで殺到、倒れた小学生2名が死亡。 1982年(昭和57年)千葉県松戸市のダイエー新松戸店(現・イオンフードスタイル新松戸店)で当時大ブームだったアニメーション番組『ガンダム』のプラモデルを購入するため、開店と同時にエスカレーターに殺到した小中学生250人による将棋倒し事故が発生した。 ルジニキの惨事。ソビエト連邦モスクワのレーニン・スタジアム(現・ルジニキ・スタジアム)で発生した将棋倒し。公称の死者は66人と発表されたが、後年、死者340人超と推定されている。 1985年(昭和60年)5月29日 - ヘイゼルの悲劇。ベルギーのブリュッセルにあるヘイゼル・スタジアム(現・ボードゥアン国王競技場)で、暴徒化したサポーターが相手チームの観客席になだれ込み、老朽化した競技場の一部が崩壊。死者39名、負傷者400名以上を出す大惨事になった。 1987年(昭和62年)4月19日 - ラフィンノーズ公演雑踏事故。東京都千代田区の日比谷野外音楽堂で行われたロックバンドLAUGHIN' NOSEのコンサート中に観客がステージ前に殺到、将棋倒しに。死者3名重軽傷者27人。LAUGHIN' NOSEは引責謹慎。担当していたラジオ番組も降板した。 12月10日 - 1987年上海陆家嘴轮渡站踩踏事故(中国語版)。中華人民共和国上海市の黄浦江にある陸家嘴渡船場で自転車に乗った乗客らが殺到、将棋倒しとなり66人が死亡、30人近くが重軽傷。現場は2014年に起きた群集事故(後述)と至近距離にあり、27年後に同様の事故が発生したことで、このときの教訓が生かされなかった。 1989年(平成元年)4月15日 - ヒルズボロの悲劇。イギリスのイングランドシェフィールドにあるヒルズボロ・スタジアムで、立見席に観客が詰め込まれ、圧死者96人、負傷200人以上のイングランドサッカー史上最悪の事故となった。これ以後、イギリスのスタジアムから立見席が廃止されることとなった。 1990年(平成2年)7月2日 - 1990年メッカ巡礼事故(アラビア語版)。イスラム教の大巡礼ハッジの群集がメッカからミナへ通じるトンネル内で将棋倒しを起こし、1,426人が死亡。ハッジでの群集事故としては当時史上最悪のものとなった。 1993年(平成5年)1月1日 - 蘭桂坊将棋倒し事故(中国語版)。午前0時過ぎ、香港のランカイフォン(蘭桂坊)にて新年を迎える人々が揉み合い状態になり徳己立街との境界地点で将棋倒しが発生、日本人1人を含む21人が死亡し62人が重軽傷を負った。 2001年(平成13年)7月21日 - 明石花火大会歩道橋事故。兵庫県明石市大蔵海岸の花火大会後にJR神戸線朝霧駅付近の歩道橋で発生した群集雪崩事故。 2003年(平成15年)6月11日 - 岐阜県岐阜市にある長良川球場で行われた中日ドラゴンズ対阪神タイガース戦の終了後(試合は阪神が7-2で勝利)に阪神ファンがグラウンドに乱入し中日ファンを挑発、中日ファンもグラウンドに乱入し乱闘となった。その際に防犯用の唐辛子系催涙スプレーとみられるものが噴射され、観客53人が目やのどの痛みで治療を受け、うち31人が病院搬送、7人が入院する事態となった。この一件以降、中日は阪神との主催地方試合の開催を2013年(平成25年)まで行わなかった。 2005年(平成17年)イラクのバグダードで巡礼者が移動中、自爆テロの流言が流れパニックとなる。将棋倒しにより965人が死亡。 10月3日 - 韓国の慶尚北道尚州市の競技場で行われたコンサートで将棋倒しが発生、11名が死亡し70名あまりが負傷。 2008年(平成20年)8月3日 - インドのヒマチャルプラデシュ州のヒンズー教寺院で将棋倒しとなり、約150人が死亡、50人以上が負傷。 2010年(平成22年)3月26日 - 東京都渋谷区の竹下通りで芸能人が見られるとの噂が立ち、人々が殺到して将棋倒しとなる事故が発生。 7月24日 - ドイツのデュースブルクで行われたラブパレードで、2つのルートから会場に入ろうとする人と、会場に入れずに帰ろうとする人が一か所に押し詰められる状況となり、21人が圧死、500人以上が負傷した。この結果、ラブパレードは廃止されることとなった。 11月22日 - カンボジアのプノンペンで、年中行事「水祭り」で夜に行われたボート競技に集まった見物客が、メコン川にかかる橋の上で倒れるなどして、345人以上の死者と、300人以上の負傷者が生じた。この日は祭りの最終日で、全国から300万人以上の観客が集まっていた。 2014年(平成26年)12月31日 - 2014年上海外灘雑踏事故。上海市の外灘で年越しを迎えようとした市民が、広場の階段で揉み合い状態になった挙句に転倒。36人が死亡、47人が負傷した。 2015年(平成27年)9月24日 - 2015年メナー群衆事故。ハッジに訪れていた多数の巡礼者が将棋倒しとなり2,181人以上が圧死。ハッジでの群集事故として1990年の事故を上回り史上最悪となった。
※この「群集事故」の解説は、「事故の一覧」の解説の一部です。
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