宇宙戦艦ヤマト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/15 10:03 UTC 版)
用語
- 波動エンジン
- イスカンダルから伝えられた恒星間航行用エンジン。宇宙エネルギーを取り込み圧縮して、光よりも速いタキオン粒子に変換し、それを動力とする。
- 宇宙キロ・宇宙ノット
- 本作で使用される架空の単位。宇宙キロは宇宙空間での距離を表す場合に、宇宙ノットは宇宙空間での艦船などの速度を表す場合に使用される。宇宙キロ、宇宙ノットは共に、本作に限らず松本作品で宇宙を舞台とした作品でしばしば使用されるが、実在する距離・速度との換算が作中に明確に登場したことはない。
- 宇宙放射線病
- ヤマトの初代艦長沖田十三が度重なる宇宙戦闘で受けた戦傷により発症する。ヤマト出航前から既に蝕まれており、航海途中に悪化する。本作のリスペクトとして『トップをねらえ!』、続く『トップをねらえ2!』に同様の病名が登場している。
- コスモクリーナーD
- イスカンダル星所有の放射能除去装置。イスカンダル星のスターシャから、「滅亡したくなければ、受け取りに来るように」のメッセージが地球に送られ、ヤマトは旅立つことになる。
- イスカンダル星ではパーツ単位で引き渡され、スケジュールの関係上、地球への帰路の最中に真田志郎により艦内工場にて組み立てられる。地球到着直前、不測の事態により試運転もなしに起動、空気から放射能を除去する過程で酸欠状態を作り出してしまうことが判明、改修が行われた。
- そして、ヤマトの帰還とともに、荒廃した地球が元の青さを取り戻す光景が、本作のラストシーンとなった。
スタッフ
- 企画・原案・プロデューサー - 西崎義展
- 監督・設定デザイン - 松本零士
- 構成 - 舛田利雄、西崎義展、山本暎一
- 音楽 - 宮川泰
- SF設定 - 豊田有恒
- 設定製作 - 野崎欣宏
- メカニックデザイン - 松本零士、スタジオぬえ
- 監修 - 山本暎一、舛田利雄、豊田有恒
- アニメーションディレクター - 石黒昇
- 現像 - 東京現像所
- キャラクターデザイン - 岡迫亘弘
- 原画 - 正延宏三、タイガープロ(金田伊功、内山正幸、友永和秀)、湖川友謙、山崎和男 他
- 音響監督 - 田代敦巳
- 雑誌連載 - 小学館学習雑誌、テレビランド、冒険王、朝日ソノラマ
- 制作担当プロデューサー - 佐野寿七、柴山達雄、中村建一
制作の経緯
企画の発端
本作は、虫プロ商事と瑞鷹エンタープライズにも籍を置いていたオフィスアカデミーの西崎義展プロデューサーが虫プロダクションの山本暎一に声をかけ1973年の初め頃に企画を立ち上げた[4][5]。前2作(『海のトリトン』『ワンサくん』)を商業的に失敗で終えた西崎はロバート・A・ハインラインの『地球脱出』(後に『メトセラの子ら』に改題)における「地球の危機的状況から脱出して宇宙に移住の地を求める」話に刺激を受けた[6]。これに豊田有恒やクリスタル・アート・スタジオ(スタジオぬえの前身)といったSF界の人材が参加して練られたものである。テレビアニメ草創期に虫プロでアニメの脚本を執筆していた豊田は、当時アニメ界から離れていたが、西崎と虫プロ出身である山本暎一の要請に応える形で参加した[7]。
西崎は、子供の頃に海野十三[注 4]や南洋一郎によるSF冒険作品から影響を受け、透明な飛行機や空飛ぶ戦艦などに憧れていた[8]。
最初の企画案は、藤川桂介と豊田有恒が競合する形で創られた。
藤川案におけるタイトルは『宇宙戦艦コスモ(仮題)』[9]。
一方、豊田案におけるタイトルは『アステロイド6』。『西遊記』を下敷きにして遠い異星に人類を救う放射能除去装置を取りに行くという基本ストーリーで[10]、この豊田案が提出用企画書の原案となった。当時の世相として、公害問題やオイルショックなど大規模な社会問題が頻発し、『ゴジラ対ヘドラ』や『日本沈没』『ノストラダムスの大予言』『漂流教室』など、1970年代前半には“滅亡”や“公害”をテーマにした作品がブームとなっており[11][12]、放射能汚染による地球の滅亡と復活という内容には、そうした公害と終末ブームという世相が企画当初から意識されていた[10]。
豊田案の宇宙船は、小惑星そのものにエンジンを組み込んだもので、「岩石宇宙船イカルス」と呼ばれていた[13]。乗員も世界各国から集まる国連形式で構想され、名前や性格などの素案も作成された。その後、岩石宇宙船の内部に戦艦が内蔵された「アステロイドシップヤマト」なるアイデアに変更された。いざという時には岩盤を砕いてアステロイドリングにするという設定の名残が本編に見られる。戦艦は「三笠」のイメージから「長門」に寄っていき、長門ではネームバリューが低いことから「大和」でいいだろう、という話になった[14]。デザインはクリスタル・アート・スタジオの松崎健一が行い、企画書(後述)に描いたのは背景監督の槻間八郎だった[15]。
その後、元虫プロの作家の石津嵐、脚本家の藤川桂介、イラストの斉藤和明、背景美術の槻間八郎が加わり検討が繰り返された結果、敵はコンピュータからラジェンドラ星人に変わり、放射能汚染された地球を救うためにヤマトが放射能除去装置を求めてイスカンダル星を目指すという大筋が完成した。ラジェンドラとの激戦や乗組員の反乱により、1年後に生きて地球に帰還するのは主人公「小竹忍」のみという内容で、この時点でワープ航法や波動砲といったヤマトを象徴するギミックも考案されている。
1973年夏の終わり頃までに『宇宙戦艦ヤマト』の名を冠した企画書[16]が完成。全55ページにおよぶ同企画書は、『ポセイドン・アドベンチャー』や『日本沈没』に触れる導入部から始まり、全52話のプロット、ヤマト艦内の命令系統図、ヤマト本体のスペック、イスカンダル到着までの日程・行程、乗組員の制服・武器、様々な惑星・異星人・宇宙船などに関する諸設定をイメージ・イラスト付きでまとめていた[17]。
1974年の4月頃になって、松本零士がデザインのスタッフとして参加依頼を受けた。これは、設定制作の野崎欣宏の推薦によるものだった[6]。既に『宇宙戦艦ヤマト』のタイトルも読売テレビでの放映も決定していた段階での参加だったが[18][19]、結果的にキャラクターや個々のストーリー作りなど作品制作に深く関わるようになる。松本は、上記の1973年の企画書にあったキャラクター設定・メカ設定を一新し、1974年5月21日に基本ストーリーの初稿を執筆した。「ガミラス」という名称が初めて使われたのも、この稿である[20]。
さらに監督を務める予定だった山本暎一が、他の仕事のため1974年6月末にヤマトから抜けることになったことにより、松本が石黒昇のサポートを受けながら監督も務めた[6]。松本は、キャラクターやメカのデザインをするとともに、『新選組血風録』を元に若者の集団劇を構成した[21][22]。
一説では、『セクサロイド』に感銘した西崎が松本にデザイン監修を持ちかけたところ、「全てを任せてもらえるのでなければ」といったん断られたが、上記のように山本が離脱したため、西崎が松本の条件を受け入れることになったとされている[20]。これについて西崎は1978年のエッセイで、『セクサロイド』で機械と人間がうまく共存している描写に共感を覚え、また同作における女性のイメージが自分の理想像になったと述べている[8]。
放映の決定
西崎はテレビ局へ企画を持ち込み、1974年8月に読売テレビに売り込むためのパイロットフィルムが制作された[23]。こうして『宇宙戦艦ヤマト』の放映枠は日本テレビ系の日曜19時半に決まった。企画当初は虫プロでのアニメ制作が予定されていたが、虫プロは倒産し[24]、本作はオフィス・アカデミーで企画製作を行うこととした。なお、『宇宙戦艦ヤマト』の企画は西崎プロデューサーが在籍していた瑞鷹で行われ、フジテレビ系の裏番組『アルプスの少女ハイジ』が瑞鷹の製作番組だったため、道義上の問題から、別会社での製作になったのだという瑞鷹の高橋茂人の見解もある[25]。
なお、当初の企画書では全52話だったが、放送決定時には全39話に短縮された[26]。
『ハイジ』の裏番組になったため『ハイジ』の視聴者である幼児をターゲットとせず、本作は『ルパン三世(旧)』『ゼロテスター』と同じく中学生以上を取り込むことになった[27]。
制作体制
西崎義展をプロデューサーとし、監督は松本零士(絵コンテ・美術・設定デザインも担当)、演出は石黒昇が担当。松本のキャラクター原案を元にしたキャラクターデザインは岡迫亘弘。SF設定は豊田有恒。スタッフの多くが虫プロダクション(旧虫プロ)の出身者により占められた[28]。山本暎一、藤川、宮川、石黒昇などのメインスタッフは前年の西﨑プロデュースの虫プロ作品『ワンサくん』から続投である[29]。
演出の石黒昇は、アニメに初参加だった監督の松本零士をサポートし、絵コンテを全てをチェックして、西崎と松本のイメージを画面作りに反映する演出作業を行った。石黒はSF好きということもあり、無重力での爆発などヤマト独特の爆発フォルムを産み出したほか、様々な自然現象のエフェクトアニメーションにも手腕をふるった[30][31]。作画面では、岡迫と芦田豊雄の虫プロ系と、小泉謙三のスタジオメイツと白土武のタイガープロダクションと主に東映動画(現・東映アニメーション)の仕事を主にしていた作画プロダクションに二分された。そのため、作画監督によってキャラクターの顔が異なり、そのことは逆にアニメファンにアニメーターの個性を認識させる一因となった[32]。オープニングやバンクのヤマトの作画は泉口薫が担当した[33]。
構成と監修でクレジットされている映画監督の舛田利雄は、西崎プロデューサーに監督とストーリーの監修を依頼されたが同時期に既に制作に入っていた東宝映画『ノストラダムスの大予言』の仕事のため、企画会議に3度出席しただけで実際にはテレビシリーズには直接タッチしていない[34]。
初期の企画担当者で基本設定を考案した豊田有恒は、裏番組の『猿の軍団』の原作者の1人となったことから、脚本は執筆せず、監修という立場でSF設定の助言をするにとどまった[35]。
企画段階から参加して企画書をまとめた山本暎一は「宇宙戦艦ヤマト」のロゴをデザイン。一旦は別の仕事の海外取材をしていたが、西崎プロデューサーの要請で復帰。各話のラフを担当した上に脚本を執筆してヤマトを人間ドラマ中心にシフトさせた他、脚本と絵コンテのチェックの役目を負った[36][37][38]。
富野喜幸、安彦良和らが制作スタッフとして参加しており、主に絵コンテを担当した。ただし富野は「ヤマト」制作への参加は当初から乗り気ではなく、強引に発注された絵コンテのストーリーが気に入らず内容を改竄して、参加は第4話のみに留まる。西崎主導の作品と分かって縁を切るために喧嘩を売ったのだと富野は自著で回想した[39][40]。ただし富野はプロデューサーとしての西崎については評価しており、『機動戦士ガンダム』を制作した理由もライバルとして評価する西崎を打倒するため、ロボットものを使ってでもヤマトを潰すためだったと公言している[41][42]。
なお、監督については、クレジットされていた松本零士ではなく、実質的には、製作総指揮をとっていた西崎義展だった。三共と東北新社のパチンコの訴訟で、東京地方裁判所は各証拠に基づいて「本件映画の監督は、映画における表示では補助参加人P1とされていたが、その制作に当たっての実質的な監督業務は、P2が行った」という「当裁判所の判断」を下している[43]。松本自身も、著作者人格権裁判の後、2004年に西崎と交わした和解書で自身は「総設定・美術・デザイン」の担当であり、「監督」は西崎であったことを確認している[44]。
音楽面では、音楽とストーリーの融合性も当初から重視していた西崎は、『ワンサくん』で組んだ宮川泰を引き続き起用し、山本暎一と相談しながら、迫力あり、かつ番組の基本テーマを強調するような音楽を製作するよう依頼した[8]。西崎の強い意向で、フルオーケストラ(第1作は正確にはビッグバンド型式)をバックにした主題歌や楽曲が宮川泰の手で作曲された。なお、『ヤマト』以前は予算の制約からこのような例は多くなかった。本作から、アニメ音楽のサウンドトラックはオーケストラが増えて、ビデオがまだ普及していない時代において音楽編とともにドラマ編がリリースされていた[45]。
制作状況
制作スタジオは広く、スタッフの質量は通常のテレビアニメなら4シリーズ分が制作できるだけの人材が投入されたが、絵コンテで参加した安彦良和は西崎義展による会議の連続でスケジュール管理が破綻していたと証言している[46]。そのため、現場はかなり過酷な環境であったと言われ[47]、打ち切りは低視聴率のせいではなく、放送スケジュールに間に合わせてフィルムを納品できなくなったため、西崎の側から降りたのではないかと安彦が推測するほどであった[46]。映像が間に合わず、シナリオだけで録音をしたという声優の証言もあり、当初加藤三郎役に起用されたキートン山田がシナリオだけの録音かつ現場の資料が乏しかった事から役が掴めずに本人曰くニヒルな悪役風の演技をしてしまい次週から新たに神谷明が起用されて降板させられたというエピソードがある[48]。作中の七色星団会戦は、「タイガープロ(作画プロダクション)をつぶしかねないほどの日程(9人の原画マンで50日)と描きこみが行われた」とする当時の同プロダクション代表・白土武の証言もある[49]。要因として、西崎の会議主義のために会議が多く、製作現場で描く時間がなかったことが挙げられている[46][47]。後年に徳間書店から発売されたロマンアルバムなどの資料によれば、会議中に出たアイデアを説明するために作画した絵がそのまま採用されたと松崎健一は語っている[50]。
なお、西崎は大塚康生に作画監督として本作に参加しないかと誘ったことがあるが、「戦艦が空を飛ぶというのが理解できない」として即座に断られている。[51][52]
別バージョン
第1話、第2話、第22話には諸般の事情により本放送で使用されなかったり、再放送以降使用されていなかったりする別バージョンが存在し、それぞれ「NG版第1話」「再放送第2話」「本放送NG第22話」と呼ばれている。これらは『宇宙戦艦ヤマトDVDメモリアルボックス』及び『宇宙戦艦ヤマトTV BD-BOX』に映像特典として収録されている[53]。
- 第1話
- NG版第1話では島大介の声が仲村秀生ではなく、新人であった野村信次(本放送では相原義一役)が演じているが、古代の声を演じた富山敬にトーンが重なるために、本放送版では落ち着いた仲村秀生に変更され、島の声だけが再録音された。他にも沖田艦に格納される100式探索艇の入庫角度がやや異なったり、OPとEDの歌手がささきいさおではなく、山崎あきらが子門真人風に歌ったりしている。このNG版第1話の原盤は現在紛失しており、メモリアルボックスでは簡易テレシネで録画した家庭用ビデオ版から収録している。
- 第2話
- 再放送版第2話では大日本帝国海軍戦艦大和の出撃シーンと続く戦闘シーンで『軍艦マーチ』がBGMとして使用されている。本放送時に、戦争賛美アニメとレッテルが貼られるのを避けたい松本監督と石崎すすむら若手現場スタッフが西崎プロデューサーに猛反対し、放送直前のためにフィルムのプリントが間に合わなかったため、新潟地方を除く全国では、軍艦マーチの部分をヤマトBGMにテープで切り替えられて放送された[54]。しかし1975年から1978年までの再放送では、本放送のヤマトBGM版のフィルムで放送された地方と、『軍艦マーチ』版のフィルムで放送された地方があった。
- 第22話
- 本放送NG版第22話とは1975年3月2日に放映された本放送バージョンで、通常のヤマトの宇宙背景は暗紺色が基本であるが、この第22話の七色星団の戦闘での宇宙背景はドメル艦隊側を暗黒星雲、ヤマト側を七色混成発光星域の明色宇宙と区別されるべきであったが、通例の暗紺宇宙背景のまま撮影されてしまった。他にも、本来は同一画面に映るはずのないガミラスファイターと急降下爆撃機が重なってしまったり、ラストの宇宙葬の場面で古代のセリフがないのに口が動き、いわゆる「口パク」になるといったNGシーンがあった。
- 制作の遅れから本放送ではNGシーンを修正する間もなく放送されたが、第26話制作の直後には再撮影と編集作業が行われ、1977年以降の再放送には新プリントされた修正版が放送されている[注 5]。
未使用設定
古代守が松本のオリジナルキャラクターであるキャプテンハーロックの名前で再登場することや、小マゼラン星雲での戦い、ヤマト艦内に潜入した女性兵士イローゼの破壊工作なども企画されたが、視聴率低迷の影響で話数が削減され未使用に終わった[55]。
放送開始当初は、航海途中での大規模な反乱が予定されていた[55]。
その首謀者は初期プロットでは真田技師長だったが、脚本チェックの山本暎一が首謀者は徳川機関長だと勘違いしたため、出航当初は艦橋にいた機関長が途中から機関室に籠る描写が増えたり、島航海長と対立したりといった伏線が描かれていた。
シリーズ中盤、部下の藪機関士が徳川機関長を焚き付けるような台詞を口にした点について他のスタッフから指摘されて山本も勘違いに気付き、また低視聴率による放送短縮により徳川機関長率いる機関部員の反乱はオミットされたが、その名残として薮がイスカンダルで反乱を起こすことになる[56]。
注釈
- ^ ただし、第10話では雪以外の女性乗組員の姿も確認される。プロデューサーの西崎は、元々ヤマトの女性乗組員は雪一人と考えていたが、現場との情報伝達が不十分のため作画されてしまったと語っている。
- ^ 松本版では明示されていないが、ドメル艦隊からヤマトを助けた、髑髏マークをつけた宇宙船の主はキャプテンハーロックを名乗ってヤマトに地球の医薬品を要求し、顔は隠しているものの、来艦して宇宙服のヘルメットを脱いだ古代進の顔を見て驚き、進の肩に手を添えて送り出す場面がある。
- ^ 放映当時の設定。現在では準惑星に分類されている、
- ^ 松本零士も海野十三に憧れていたため、自分がキャラクター設定を任された際に、艦長を「沖田十三」と命名した。
- ^ 一方、古代に撃墜されるガミラスファイターが、本来の緑ではなく紫色になっている場面は修正されていない。
- ^ 本書では「子門はA mだったところを僕は一音下げたC m」との記載だが、正調C mの一音上はD mである(A mだとC mより更に一音半低い)ため、おそらく記者の聞き間違いによる誤記。
- ^ アカデミーの資料では、第3話絵コンテは松本零士と石黒昇の2名となっていたが、その後の「宇宙戦艦ヤマト TV DVD-BOX 記録ファイル」(バンダイビジュアル・2008/2/22発行)で訂正されている。
- ^ 5月号(創刊号)の次号予告では50ページとされていたが、6月号の表紙によれば60ページである。
- ^ 当時はまだ、アニメのBGM集という商品は存在しなかった。「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」が発売になる前のことである。
- ^ 当時の『月刊OUT』はアニメ雑誌ではなく、当時はまだ、アニメ雑誌という媒体そのものすら存在していなかったが、本作の記事が載った号の売上が高かったことからアニメ関連の記事が増えるようになり、結果的にアニメ雑誌のパイオニアとなった。
- ^ これは後に『STAR BLAZERS』という英題で放送されたテレビ版ではなく、あくまでも劇場版のテレビ放送である。
- ^ スタンダード版はストーリー解説等を中心としたベーシック版で、豪華版は『宇宙戦艦ヤマト DVDメモリアルボックス 保完ファイル』に新規資料を収録した増補改訂版である。
- ^ 1976年から1977年にかけ、『冒険王』『月刊少年ジャンプ』などでも同様の企画が組まれていたため、この時期に読みきりの新エピソードが執筆された漫画作品は多い。本作や『サイボーグ009』『サブマリン707』など、『プレイコミック』掲載分の作品は、1977年6月に『プレイコミック ビッグまんがBOOK 帰って来たヒーロー特集号』としてまとめて発売された[190]
出典
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