宇宙戦艦ヤマト 放送局

宇宙戦艦ヤマト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/15 10:03 UTC 版)

放送局

放映と影響

1974年10月6日から1975年3月30日まで26回にわたり、讀賣テレビ放送をキー局として放映された。

当初は最大39話(企画時では全51話)の放送を予定し、小マゼラン基地撃破編などのストーリーが用意されていた。視聴率はビデオリサーチ調べで平均6.0%、ニールセン調べで平均7.3%に終わった[86]。しかしながらSFファンからは人気を得て、日本SF大会のファン投票で星雲賞を受賞する。

低視聴率に加えて、前述の過酷な制作、そして1話あたり予算が500万円の計算だったのが800万円かかって[87]、1話制作すると100万円単位の赤字が出たために[88]、第3クールへの延長は第1クール中に断念され、終盤への伏線を削除して全26話に再構成の上で製作・放映された。

以上のように本放送では失敗したが、1975年9月より北海道札幌地域、翌1月より読売テレビ系で再放送が始まり、他地域でも続々と再放送が行われるにつれ、『宇宙戦艦ヤマト』が再評価されるようになった。特に関東地方では20%の視聴率を記録した[89]。この再放送や映画化により社会現象とも言える人気を得て、ヤマトブームのみならず、後述のアニメブームの他、アニメ史上で様々な影響をもたらした。

同人誌即売会コミックマーケットは当初は少女マンガが中心であったが、本作によりアニメのサークルの参加が増え始めた[90]

1970年代から1980年代の声優ブームは、本作のヒットによってアニメ声優が注目された影響とも言われる[91][92]

漫画市場においても、『宇宙戦艦ヤマト』が、漫画とテレビアニメの関係がどちらが主体とは言い難い複雑で密接なものとなり、メディアミックスによる市場拡大がなされる転機となった作品との評価がある[93]

後のクリエイターに与えた影響も大きく、庵野秀明出渕裕らはヤマトがなければ今の自分はなかったとの旨を語っている[94][95]

本作が当時の中高生に人気を博した理由に関して、社会学者からモラトリアムの拡大が指摘されている。当時は高校進学率や大学進学率が大きく伸びており、モラトリアムの期間が拡大した結果、中高生が本作のようなアニメを楽しむ余裕があったとされている[96]。また、学生運動の衰退と社会の固定化により、若者は「サブカルチャー」に群れることで空想の世界に溺れるようになったとも言われる[97]

日本国外

日本国内だけでなく、アメリカで1977年に再編集した劇場版『Space Cruiser Yamato』が公開され、1979年より『Star Blazers』という題名で、シンジケーション番組としての都市部でテレビ放映された。『STAR BLAZERS』視聴率はさほどでもなく、その人気はアメリカ全土ではなく東海岸を中心にしたものにとどまった。『科学忍者隊ガッチャマン』の改変に比較すると、『STAR BLAZERS』の改変は暴力的な描写や戦艦大和の削除などわずかにとどまった。宇宙戦艦ヤマトの艦名はギリシア神話に登場するArgo(アルゴー船)に変更され、登場人物もWASP風に改名された[98][99]

アメリカから再輸出されたオーストラリアイタリアなどの国々でも同様である。

アジアでは、韓国1981年に『宇宙戦艦V号』(우주전함V호)のタイトルで放送され[100]、『銀河艦隊地球号』(은하함대지구호)という模倣作品も登場した[101]香港では『太空奇艦』として放送され、ともに漫画版や絵本ムック海賊版も出版されていた[30]台湾では『宇宙戰艦』のタイトルで放送された(ただし、テレビ版第1作と第2作のみ)。

英語表記

1977年に第1作を再編集して輸出した映画版の英語表記は『Space Cruiser Yamato』だった。プロデューサーの西崎義展がクルーザーを所有していたためとされる[102](軍事用語のcruiserは「巡洋艦」という意味になる)。また、英語圏のSF作品では『スタートレック』のように「Battleship(戦艦)という単語には愚鈍さもあるので、宇宙戦艦には用いない」ということもある。現在は『Space Battleship Yamato』に変更されている。

アメリカ合衆国では、『STAR BLAZERS[103] の題名でテレビ放映された。

アニメブーム

再放送で起こった本作のブームを引き継ぐ形で『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』が人気を得たことで、ヤマトブームに終わらず、アニメブームの火付け役になったとの評価が定着している[104][105]

1975年3月末の本放送の終了後、西崎プロデューサーの資金繰りで再放送の権利が『ワンサくん』と抱き合わせで東北新社に売却[106]といわれるが、実際は1975年の再放送時には再放送権は売却しておらず、東北新社は西崎の再放送権売却の提案を蹴っており、再放送の業務委託をしたに過ぎない。再放送は西崎が独自に実施し大ヒットさせた。そのヒット後、当時の東北新社代表である植村伴次郎が”あの時買っておけば良かった”と後悔したことを西崎に言った逸話がある。1975年夏に近畿地方から再放送が始まり、1975年秋から全国的に行われ、人気が高まる[107]。高視聴率を得たほか[108]、これをきっかけに全国各地でファンクラブが結成される[107][109]。ファンクラブは最盛期には全国で851団体、15万人を数えたという[110]。ファンクラブは西崎プロデューサーの呼びかけに応えて、主題歌のラジオ番組へのリクエストや映画公開の際にはポスター貼りなどを行って、ヤマトブームの盛り上げに一役買った[111]。1977年12月には、オフィスアカデミーが主宰し、西崎が会長の公式ファンクラブ「宇宙戦艦ヤマト・ファンクラブ本部」が発足し、機関誌『宇宙戦艦ヤマト』を発行していた[112][113]

そして、『宇宙戦艦ヤマト』によって多数誕生した中高校生・ハイティーン世代のファンへ向けてアニメ雑誌が誕生した。当時は、児童向けのテレビ雑誌の『テレビマガジン』『テレビランド』『冒険王』があった程度で、アニメ雑誌が存在せず、まずサブカルチャー雑誌としてスタートした『月刊OUT』が1977年6月号(創刊第2号)でヤマト特集を行った。このヤマト特集は、同人活動を行っていたファンの小牧雅伸氷川竜介、伊藤秀明(ケッダーマン)をライターに起用して執筆がなされ[114]、雑誌としては異例の増刷になった[115][116]。若者向けの商業誌で本格的にヤマトが取り上げられたことは初めてであり[114]、この『月刊OUT』の50ページのヤマト特集がヤマトブームの火つけ役だったとも言われる[117]。さらに同年8月に発売されたテレビランド増刊『ロマンアルバム宇宙戦艦ヤマト』はファンクラブに入っていない層からの多大な反響を得て、『アニメージュ』に繋がるアニメ雑誌の流れを作る[118][119]

ヤマトによって形成された世代層向けに、本作の成功面と失敗面を研究して『機動戦士ガンダム』が企画された[120]ことを、日本サンライズに在籍していた飯塚正夫や元社長の山浦栄二と吉井孝幸が証言している。元々『機動戦士ガンダム』の企画は、宇宙空母ペガサスを主役として企画されたものだった[121][122]バンダイにとっても、ヤマトのプラモデルのノウハウは、ガンプラに活かされることになった(詳細は「宇宙戦艦ヤマトシリーズ#玩具」参照)。

社会・暗部への影響

上記のような一般社会への好ましい影響ばかりではなく、カルト教団といった社会の暗部にも影響を与えている。特にオウム真理教は様々なサブカルチャーの影響を受けていることが指摘され、本作についてもその一つとして影響が取り沙汰されている。具体的には空気清浄機のコスモクリーナー、行動部隊の白い愛の戦士という名称、教団の自主アニメにおける宇宙船のコクピットとコスチューム、滅びに瀕した人類を救うというモチーフなどである[123][124][125]

劇場版

宇宙戦艦ヤマト
監督 舛田利雄
脚本 藤川桂介
山本暎一
原案 西崎義展
製作 西崎義展
製作総指揮 西崎義展
ナレーター 木村幌
音楽 宮川泰
編集 鶴渕允寿
配給 オフィスアカデミー(東急レクリエーション
東映洋画東京都外)[126]
公開 1977年8月6日
上映時間 151分
製作国 日本
言語 日本語
興行収入 21億円[127]
配給収入 9億円
次作 さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち
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1977年に劇場公開された、テレビ放映版の再編集作品。

正式タイトルはテレビ放映版と同じ『宇宙戦艦ヤマト』だが、テレビ放映版との区別のため、ビデオソフトなどでは「宇宙戦艦ヤマト(劇場版)」と表記されている。

経緯

テレビ放送終了後、第22話の再撮影が行われた[89]。同話は、過密スケジュールの影響でNGシーンが入ったままテレビ放送されていたが(#別バージョン参照)、第21話 - 第22話(七色星団の戦い)を1つにまとめて40分の中編映画としてフィルム・レンタル会社に売り込むことを想定し、修正されることになったのである。ここから劇場映画化というアイデアが生まれた[89]

当初は日本国外輸出向けに舛田利雄と山本暎一らの協力で再編集していたが、1977年初頭に小説版などで縁のあった朝日ソノラマの社員から国内のファンの存在を考慮して国内向けにしてみないかという助言を受ける[128]

しかし、当時は西崎もまだ無名のプロデューサーであり、さらにテレビでは商業的に失敗に終わった作品のため[129]、試写を観た大手映画会社の東宝松竹や、洋画配給の東宝東和日本ヘラルド映画から「こんなのは稼がない」と配給を蹴られ[129][130][131][132][133][134][135][136][137][138]、西崎が東映岡田茂社長(当時)に泣きつき[129][137]、東映での配給を依頼[129][130][132][133][134][137]、岡田が観て面白いことを確認して配給を決めた[129][137]。岡田が買った理由は「うちはほかに作品がないから」である[133]

岡田が東急レクリエーションと話し合い[132]東京都内は東急レクリエーション(都内の劇場4館)、地方は東映洋画の劇場チェーンでの配給を決めた[129][132]。岡田は「私が西崎氏の才能を発見した」と話している[132]。当初西崎はこれを最後にアニメから手を引き、オフィス・アカデミー自主配給でファン向けに1週間だけ劇場公開するつもりだったという[139][140]

岡田は戦艦を天空に浮かべるという奇想天外なアイデアに舌を巻き「ああいう発想はおれたちのような映画屋では絶対に生まれない。げに恐ろしきものは素人」と西崎を評し[141][142]、腹心の吉田達プロデューサーを2年半、オフィス・アカデミーに出向させ[143]、ヤマトシリーズ作品を担当させて、西崎の取り込みを計った[143]。岡田は外部からの変わり者には吉田を担当に就けた[144]。ヤマトシリーズは、岡田にアニメ映画の威力を強く印象付けて[143][145]、東映がアニメ映画を多数製作していく切っ掛けとなった[143][145][146]。"アニメブーム"の勃興に一役買った岡田は[147]、「映画製作はファッション。絶えず大衆の求めているものは揺れ動いている。これについてゆくためには、まったく別の発想のモノを入れ込むこともやらにゃダメ。角川春樹クンに頼んでシャシン入れてもらったのも、西崎クンが入って来てアニメ映画の革命を起こしたのも、みんなそれ」などと述べている[148]

再編集の内容

1975年5月、劇場向けの再編集を開始。当初は3時間半あるいは5時間の長さ[146]であったが、舛田利雄の監督のもと沖田艦長の物語に焦点を当てる方針で第13-19話分を丸ごと削除するなどして、約2時間短縮した[89]。さらに、イスカンダル到着シーンの脚本が書き直され、最終回のデスラー再襲シーンも削除され、2時間8分まで短縮。イスカンダルのシーンは、スターシャが既に亡くなっており、立体ホログラムで登場するという設定で、石黒昇が新たな絵コンテを起こし[149][150][89]、芦田豊雄のスタジオが作画を行った[89][151]。よって、古代守の生存・再登場もない。このシーンが入っているバージョンは、俗に「スターシャ死亡編」と呼ばれる。なお、元々は16ミリのレンタルフィルム向け総集編として製作されたことと予算不足で、追加シーンは16mmフィルムで撮影されている。そのため35ミリフィルムで撮影されたテレビ版からの再利用部分に比べると画質が粗い[89][150]

なお、本作は山本版と舛田版の2つが作られており、山本が比較したうえで舛田版を選んだとされる[152]

アフレコは一部のセリフの差し替えを主として、メインキャストによる新録が行われた[153]

日本での動向

『月刊OUT』の特集記事

劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の存在が一般に知られるようになったのは『月刊OUT』誌の1977年6月号(同4月下旬発売、創刊第2号)においてである[154]。同号には、ヤマト・アソシエイション(YA)というファンクラブの協力により、西崎義展のインタビュー、エピソード・ガイド、キャラクター・ガイド、ヤマト百科などを含む全60ページ[注 8]のヤマト大特集が掲載された[155]

『月刊OUT』が8月号(6月下旬発売)で再び『宇宙戦艦ヤマト』を取り上げ、8月6日から劇場公開されるという情報を掲載。元々、オフィスアカデミーの自主配給により新宿の映画館でファンのみを対象とした1週間の上映会を行うつもりだったが、同誌6月号に対するファンの好反響などを受け、東急レクリエーション系4館での公開が決定したのである。同号には前売券の入手方法も掲載され、前売券が大量に売れる。

この『月刊OUT』誌上の東京上映のみという情報が、後述の全国公開に発展する流れを生む[127]

周辺の動き

1977年7月、日本コロムビアよりテレビ版のサウンドトラックLP(CS-7033)が発売され、ヒット。この場合の「サウンドトラック」は、「テレビのオリジナル音声から編集した名場面集」という意味で[注 9]、OP主題歌の冒頭にも「無限に広がる大宇宙...」という、テレビでおなじみのナレーションと効果音が入っていた。また、帯には「君は覚えているか! あの熱き血潮を!!」と書かれていた。

その他にも、再放送の人気やファンクラブの活動が新聞などで次々と報道される。

公開前夜

『月刊OUT』が9月号(7月下旬発売)で2度目のヤマト大特集を組む[155][注 10]

1977年8月5日夜、公開を翌朝に控え、セル画プレゼントを目当てにしたファンが劇場前に行列を作った。それまで、アメリカのホラー映画エクソシスト』で徹夜が生じたことはあったが、日本映画で初めて徹夜組が出たのはこのヤマト劇場版第1作だと言われている[156][157][158]

「ファンが劇場前に行列」というテレビ報道を見た西崎らは、同夜のうちに劇場前にかけつけた。同伴した石黒昇によれば、西崎は並んでいるファン全員と握手しかねない勢いだったという[154]。この時に徹夜で行列したファンの数は2万人以上である[154][159]

劇場公開

1977年8月6日、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が東京の4館で公開。1977年夏に日本で上映されたのは2時間10分の「スターシャ死亡編」である[151][160][161][162]

前述の『月刊OUT』8月号誌上で東京の4館のみでの上映の情報が伝わると、全国での上映を希望する声が高まり、オフィスアカデミーでもファンクラブを通じて、ラジオ局への曲リクエストとポスターを貼る作戦を行い、マスコミの話題となる[127]。これらの反響により、岡田茂東映社長の意向で[163]、地方都市の配給は東映が担当し、系列の東映洋画系で全国配給が決まった[163]。北海道では、東京公開から1週遅れの8月13日に札幌市の2館公開予定だったのが、旭川市函館市室蘭市に拡大公開されることになった[164][154])ことを皮切りに地方のブッキングが進み、全国ロードショーが決定する[127][158][165]

地方での上映館が増えたのは、アメリカ映画『ブラックサンデー』の上映中止事件によって穴が空いた地方の映画館が存在したことも一因だった[129]。最終的に225万2000人の観客を動員し、9億円の配給収入、21億円の興行収入をあげて[129][127]、1977年の日本映画では9位の興行成績を記録した大ヒット作品となった[147][166]

当時は長編のアニメ映画といえば、東映動画(現・東映アニメーション)による低年齢向けの東映まんがまつりの独擅場という状況であったが、劇場版ヤマトのヒットはこの状況を打ち破り、ハイティーンのアニメファン向けにテレビアニメ再編集版や新作の長編アニメが続々と劇場で公開されるアニメ映画ブームをも巻き起こした[129][167][168]。『宇宙戦艦ヤマト』が1977年8月に劇場公開されたとき、“アニメブーム”なる言葉が生まれ[169]、本作の大ヒットから、それまでテレビの夕方の子供向けの時間帯にひしめいていたアニメーション映画が大型化されて劇場に進出するようになった[129][170]。長く低迷していた東映アニメーションが本作を機に復活[133][145]、配給した東映洋画が飛躍する原動力にもなった[134]。宣伝面では従来の「まんが映画」に代わって「アニメ」という言葉を全面に押し出し、特典付き前売券や初日舞台挨拶、セル画プレゼントなど、後発のアニメ映画で一般的になる手法を使ったはしりとなったのが本作である[158][154]

テレビ放送

劇場公開の翌年、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』公開前日の1978年8月4日にテレビ放送されたのは、スターシャが生存しており救出された古代守と恋愛関係にあるというテレビシリーズに沿った形で146分になった「スターシャ生存編」である[160]。「生存編」として再編集されたことにより、藪の反乱がなかったストーリーであるにもかかわらず(地球帰還時、第一艦橋に藪の姿が見える)、徳川がスターシャに頭を下げて出ていくシーン、古代守・スターシャとの別れの場面で雪が負傷しているというシーンが存在する(ラストの地球を観るシーンで藪が登場していることから、反乱が描かれなかったのではなく、なかったと考えないと筋が通らない)。

劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の放送局はテレビシリーズの日本テレビ系ではなく、フジテレビであり、日本テレビと競り合って5000万円で放送権を獲得した。視聴率は31.9%[110][171]。以後、「スターシャ死亡編」はヤマトシリーズの正史ではなくなり、再公開の際にも上映されず[172][173]、翌1979年にフジテレビが放送した『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』は「スターシャ生存編」に則ったテレビ版第1作および『2』の続編となっている。

1979年7月14日開始の「宇宙戦艦ヤマトフェスティバル」において、西崎義展プロデュース作品の『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』『海のトリトン』とともに3本立てでロードショー公開(東映洋画部配給)された時も「生存編」が上映された。その時の配給収入は5億1000万円だった[174]

ビデオソフト化とバリエーション

本作の最初のビデオソフト化は1983年で、東映ビデオからVHSベータマックス日本ビクターから、VHSとVHD、日本コロムビアからLDが発売された[175]

このうち、ビクター発売のビデオソフト用として、音声をステレオ化したものが新たに制作された。映像は同一だが、BGMが差し替え、あるいは疑似ステレオ化されている[175]

長らく封印状態だった「スターシャ死亡編」は、1990年になってレーザーディスク「宇宙戦艦ヤマト 劇場版パーフェクトコレクション」の特典映像として初収録された[172][173]。この映像特典は、当初16ミリレンタルフィルム用の総集編フィルムとして制作されながら、劇場公開にあたってカットされたヤマトの潜水シーンやスターシャの宮殿が沈むシーンも収録されている[150][176]

後のDVD版およびBD版では、メニュー画面で選択する形で生存編と死亡編を選択して視聴出来るが、死亡編には宮殿の沈没シーンは未収録となっている[176]

2015年時点、本作には「スターシャ死亡編」と「スターシャ生存編」、およびそれぞれにモノラル版とステレオ版が存在する状態となっており、DVD以降はこの計4種のバリエーションを選択できる。

日本国外での展開

1976年頃までに、オフィスアカデミーは日本映画の国外販売に従事するようになっており、『宇宙戦艦ヤマト』もそのラインナップに加えられた[89]。その際、上映時間が短い方が売りやすいということで、さらにオリオン星関連のシーン(第12話)を削除して1時間38分まで短縮された[89]

1977年5月、英語吹替版『Space Cruiser Yamato』(「スターシア死亡編」)が第30回カンヌ国際映画祭に出品された[177][89]。英語版のチラシも配られ、アメリカ合衆国、メキシコカナダイギリスフランスなど、11か国の配給会社と契約が成立[165][89]。アメリカでは映画館での上映のみでなく、一部ではテレビ放送も行われた[注 11][89]

日本国外での評価

1978年3月発行の『Starburst』誌(イギリスのSF・ファンタジー雑誌)第2号に『Space Cruiser Yamato』の映画評が掲載されたが、その筆者は『宇宙戦艦ヤマト』が『スター・ウォーズ』の後発だと勘違いし、両作品の共通点を挙げ連ねて酷評した[89]

関連商品

1977年11月、日本コロムビアが『Space Cruiser Yamato』の箱入りLPレコードを発売。LPの収録内容は英語吹替版の音声トラックを編集して54分にまとめたもので、付属ブックレットには日英両語の脚本が掲載され、スタジオぬえによる描き下ろしポスターも同梱されていた[89]

なお、日本コロムビアは1978年12月、ささきいさお歌唱による英語版主題歌シングル『SPACE CRUISER YAMATO / THE RED SCARF』(#主題歌)を発売したが、これは劇場版『Space Cruiser Yamato』とは直接関係はない[89]

劇場版スタッフ

  • 総作画監督:石黒昇
  • 作画監督:芦田豊雄、白土武、小泉謙三、岡迫亘弘、泉口薫、宇田川一彦
  • 作画協力:スタジオ・メイツ、タイガー・プロ、アニメ・ルーム ※全てノンクレジット
  • 背景美術者:槻間八郎、横瀬直士、東条俊寿、水尾純一
  • デザイン協力:スタジオ・ぬえ(宮武一貴、加藤直之、松崎健一)※全てノンクレジット
  • 色彩設定:横瀬直土、広瀬和好、伊藤滋子 ※全てノンクレジット
  • 撮影:諌川弘、吉坂研一、藤田正明、山崎友正
  • タイトル:多々良正春
  • 音響監督:田代敦已
  • 効果:柏原満(T.E.O ※ノンクレジット)
  • 編集:鶴渕允寿
  • 録音所 アバコスタジオ
  • 音響制作:グループ・タック ※ノンクレジット
  • 現像:東京現像所
  • 助監督:棚橋一徳
  • 制作担当:長嶋正治、野村和史、堤隆之、広岡修
  • 配給:オフィス・アカデミー、東映洋画

注釈

  1. ^ ただし、第10話では雪以外の女性乗組員の姿も確認される。プロデューサーの西崎は、元々ヤマトの女性乗組員は雪一人と考えていたが、現場との情報伝達が不十分のため作画されてしまったと語っている。
  2. ^ 松本版では明示されていないが、ドメル艦隊からヤマトを助けた、髑髏マークをつけた宇宙船の主はキャプテンハーロックを名乗ってヤマトに地球の医薬品を要求し、顔は隠しているものの、来艦して宇宙服のヘルメットを脱いだ古代進の顔を見て驚き、進の肩に手を添えて送り出す場面がある。
  3. ^ 放映当時の設定。現在では準惑星に分類されている、
  4. ^ 松本零士も海野十三に憧れていたため、自分がキャラクター設定を任された際に、艦長を「沖田十三」と命名した。
  5. ^ 一方、古代に撃墜されるガミラスファイターが、本来の緑ではなく紫色になっている場面は修正されていない。
  6. ^ 本書では「子門はA mだったところを僕は一音下げたC m」との記載だが、正調C mの一音上はD mである(A mだとC mより更に一音半低い)ため、おそらく記者の聞き間違いによる誤記。
  7. ^ アカデミーの資料では、第3話絵コンテは松本零士と石黒昇の2名となっていたが、その後の「宇宙戦艦ヤマト TV DVD-BOX 記録ファイル」(バンダイビジュアル・2008/2/22発行)で訂正されている。
  8. ^ 5月号(創刊号)の次号予告では50ページとされていたが、6月号の表紙によれば60ページである。
  9. ^ 当時はまだ、アニメのBGM集という商品は存在しなかった。「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」が発売になる前のことである。
  10. ^ 当時の『月刊OUT』はアニメ雑誌ではなく、当時はまだ、アニメ雑誌という媒体そのものすら存在していなかったが、本作の記事が載った号の売上が高かったことからアニメ関連の記事が増えるようになり、結果的にアニメ雑誌のパイオニアとなった。
  11. ^ これは後に『STAR BLAZERS』という英題で放送されたテレビ版ではなく、あくまでも劇場版のテレビ放送である。
  12. ^ スタンダード版はストーリー解説等を中心としたベーシック版で、豪華版は『宇宙戦艦ヤマト DVDメモリアルボックス 保完ファイル』に新規資料を収録した増補改訂版である。
  13. ^ 1976年から1977年にかけ、『冒険王』『月刊少年ジャンプ』などでも同様の企画が組まれていたため、この時期に読みきりの新エピソードが執筆された漫画作品は多い。本作や『サイボーグ009』『サブマリン707』など、『プレイコミック』掲載分の作品は、1977年6月に『プレイコミック ビッグまんがBOOK 帰って来たヒーロー特集号』としてまとめて発売された[190]

出典

  1. ^ SF名作アニメ「宇宙戦艦ヤマト」発進!25年ぶりに劇場公開 映画.com(2008年8月4日)2022年4月23日閲覧
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  9. ^ 詳細および関連イラストはStarBlazers.com - Yamato Origins Part 3: Space Battleship Cosmo(英語)(インターネットアーカイブ2012年10月9日分キャッシュ)を参照。
  10. ^ a b 豊田 2000, p. 225.
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  13. ^ 詳細および関連イラストはStarBlazers.com - Yamato Origins Part 4: Asteroid Ship Icarus(英語)(インターネットアーカイブ2012年10月9日分キャッシュ)を参照。
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  18. ^ 「インタビュー 私は『みつばちマーヤ』が作りたい 松本零士」『季刊ファントーシュ』第2号(1976年)での、松本零士の発言による。
  19. ^ 「松本零士インタビュー 」『ぱふ』1981年9月号(p.91)
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  21. ^ 『ぴーぷる最前線 松本零士』(福武書店、1983年)p.166
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  23. ^ StarBlazers.com - Yamato Origins Part 9: The Pilot Film and the Homestretch Archived 2012年3月14日, at the Wayback Machine.(英語)も参照。
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