同志社大学 沿革

同志社大学

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沿革

略歴

明治後期の同志社理事団
前列左から浮田和民徳富蘇峰小崎弘道原田助J.D.デイヴィス宮川経輝湯浅治郎、後列左から高木貞衛、牧野虎次D.C.グリーン、川本恂蔵、古谷久綱

同志社大学の源流は、1875年(明治8年)に新島襄が京都府顧問山本覚馬との結社により設立した同志社英学校である。最初は教師2名(新島とJ.D.デイヴィス)と生徒8名のみの小さな学校だったが、翌年秋に熊本バンドと呼ばれる一団が入学し、のちに彼らが同志社の柱石となる。

新島は米国留学時代から日本でのキリスト教主義大学設立の志を抱いており、1888年(明治21年)に「同志社大学設立の旨意」を公表して大学設立への協力を呼びかけたが、その実現を見ることなく客死したため、新島の遺志は主に熊本バンドの教育者や宗教家らによって受け継がれ、1912年(明治45年)に専門学校令による同志社大学(神学部・政治経済部・英文科)を設立した。ただしこの時期の同志社教授陣の陣容は薄く、上田敏河田嗣郎河上肇などの京都帝大教授の出講を必要とした[14][15]

大正デモクラシーの理論的指導者吉野作造。彼自身は生粋の同志社人ではないが[注 1]、教え子の中島重住谷悦治らを通じて同志社学風に少なからぬ影響を及ぼした。

1920年(大正9年)、西日本の私立大学で初めての大学令に基づく旧制大学となり、文学部法学部および予科と大学院を開設した。法学部には吉野作造門下の少壮教授が集い[注 2]、文学部神学科[注 3]からは学術雑誌『基督教研究』が刊行されるなど、海老名弾正総長の下での同志社アカデミズムには目をみはるものがあった。

なお、従来からの専門学校令による課程は同志社専門学校に改組され、高等商業部はのちに同志社高等商業学校として独立した。

日本の私立大学での男女共学専門学校令による東洋大学日本大学専門部での先例はあったが、大学令による私立大学では同志社大学が最初であり、1922年(大正11年)に同志社女学校専門学部英文科卒業者の同志社大学各学部への入学を認める学則改正が行われ、翌年女子学生4名が文学部に入学した[16]。その後も同志社大学は女子学生の受け入れ枠を徐々に拡大し、旧制時代を通じて111名の女子卒業生を社会に送り出した[17]

今出川キャンパス正門と良心碑

昭和期に入ると軍国主義の台頭によってキリスト教主義を掲げる大学に対する風当たりが強まり、第10代総長湯浅八郎は軍部や右翼勢力との衝突の末に辞職を余儀なくされた。後任者の牧野虎次は軍国主義とキリスト教主義の折り合いをつけながら綱渡りの学校運営を行った。徳富蘇峰や社友大久保利武らを通じて同志社への圧迫軽減を試み[18][19]、学生・職員・卒業生らの募金によって戦闘機を献納したりもしている[20]

これに先立って今出川通に面する正門のそばに良心碑が建てられた。「良心」は同志社教育の原点であると同時に明治天皇の帝王学で重視されたことでもあった。軍部といえども天皇の教育を批判することはできまい、というしたたかな計算がそこにはあった[21][22]

1944年(昭和19年)に大学は法文学部のみの単科大学へと縮小し、専門学校(高等英語部・法律経済部)は小規模の外事専門学校、高等商業学校は経済専門学校に組織変更し、工業専門学校を新設した。大学神学科は日本基督教団設立の神学校への統合を拒み、 学徒出陣勤労動員によって授業はできなくなっていたが、神学研究は終戦の日まで細々ながらも続けられた[23]

終戦後の1946年(昭和21年)に元の2学部体制に復旧。翌年神学部が独立し、米国に亡命していた湯浅八郎が総長に返り咲いた。1948年(昭和23年)の新制大学発足時に神・文・法・経済の4学部を擁する総合大学となり、翌年商学部工学部を開設した。

京田辺キャンパスの航空写真(2021年)

同志社大学の新制移行を見届けた湯浅は東京三鷹に新設された国際基督教大学に転じ、神学者大塚節治が後任の総長に就任した。大塚は秦孝治郎理事長の補佐を得ながら大学施設の拡充を進め、機構面では同志社諸学校の独立採算制を採用したが、これについてはセクショナリズムを助長し総合学園としての一体感を損ねるものだとの批判もあった[24]

やがて工業(場)等制限法により今出川での施設拡充は困難になったため、1960年代に綴喜郡田辺町(現・京田辺市)の土地約100万m2を購入したが、大学紛争などの影響もあって田辺キャンパス(現・京田辺キャンパス)開設は1986年(昭和61年)までずれ込んだ[25][26]

学部については6学部体制の時代が長く続いたが、2000年代以降に政策学部社会学部文化情報学部生命医科学部スポーツ健康科学部心理学部、グローバル・コミュニケーション学部、グローバル地域文化学部を相次いで新設し、さらに工学部を理工学部に改組した。

現在の大学は14学部、大学院16研究科および人文科学研究所、アメリカ研究所、ハリス理化学研究所を擁し、今出川京田辺を主要校地としている。

年表

(年表節の主要な出典は公式サイト[27]

明治

出来事
1874年
明治7年)
1875年
1876年
1877年
1879年
  • 6月 - 同志社英学校第1回卒業式を挙行[注 4]
1880年
  • 4月 - 朝礼のとき生徒の校則違反に責任を感じ、校長自ら鞭を打つ(自責の杖事件)[28]
1883年
1884年
  • 5月 - 「明治専門学校設立旨趣」および「同志社英学校設立始末」を印刷頒布。
  • 9月 - 彰栄館竣工。
1885年
  • 12月 - 校友会を結成[31]
1886年
  • 6月 - 礼拝堂(チャペル)竣工、献堂式を挙行。
  • 12月 - 英学校余科を廃し、神学専門科(英語神学科・邦語神学科)を設置。
  • 仙台に東華学校を設立(1892年廃校)。
1887年
  • 3月 - 『同志社文学雑誌』創刊(1895年の87号まで)[注 5]
  • 8月 - 同志社予備学校設置 (明治29年廃止)[28]
  • 11月 - 書籍館(現・有終館)竣工。医学校構想の一環として、同志社病院・京都看病婦学校を創設。
1888年
1889年
  • 9月 - 同志社学院を同志社予備学校、同志社普通学校、同志社神学校と改称。
  • 11月 - 新島襄が前橋遊説中に倒れ、12月末大磯の百足屋旅館で療養するも病勢悪化[28]
1890年
  • 1月23日 - 新島襄、急性腹膜炎のため永眠。京都東山の若王子山上に葬られる[28]
  • 7月 - J. N.ハリスの理科教育寄付金10万ドルにより理化学館竣工、
  • 9月 - 同志社波理須(ハリス)理化学校が開校。
1891年
  • 5月 - 『同志社神学叢書』刊行(1895年の第8輯まで)[33]
  • 9月 - 同志社政法学校開校。政治学科と理財科を置く。
1892年
  • 3月 - 小崎弘道が第2代社長兼校長に就任[28]
  • 6月 - 同志社波理須理化学校を同志社波理須理科学校と改称。
1893年
  • 6月 - 神学校内に宗教博物館を設置[34]
  • 10月 - 同志社徽章を制定。
  • 11月 - 神学館(現・クラーク記念館)竣工。
  • 新島紀念文庫開設[35]
1895年
  • 10月 - キリスト教義と教育勅語の精神との全国的論争が同志社内部にも波及し、宣教師団と日本人教師団との内紛に拡大[28]
1896年
  • 4月 - 同志社普通学校を同志社高等普通学校と改称。
  • 8月 - アメリカン・ボードとの関係悪化により外国人宣教師団が同志社から引き上げる[36](1900年復帰)[37]
1897年
  • 4月 - 横井時雄が第3代社長に就任[38]
  • 9月 - 同志社高等普通学校を同志社高等学部文科学校、同志社政法学校を同志社高等学部政法学校、同志社波理須理科学校を同志社高等学部波理須理科学校と改称。
1898年
1899年
1900年
  • 7月 - 外国社友選出理事としてJ.D.デイヴィス、D.C.グリーン、G.E.アルブレヒトが就任[37]
1902年
  • 3月 - 片岡健吉が第5代社長兼校長に就任(翌年9月永眠)[38]
1904年
  • 3月10日 - 専門学校令による同志社専門学校を設置(同志社高等学部文科学校と同志社高等学部波理須理科学校を統合)。同志社高等学部政法学校廃止。
  • 3月15日 - 専門学校令による同志社神学校を設置。
  • 3月29日 - 下村孝太郎が第6代社長兼校長に就任[38]
1905年
  • 1月 - 『同志社新聞』創刊(のち『同志社時報』と改題、1927年の246号まで)[33]
1906年
  • 5月 - 同志社病院・京都看病婦学校閉館。
1907年
  • 1月 - 原田助が社長に就任、3月校長を兼任[38]
  • 4月 - 同志社維持会を結成。
  • 5月 - 故・新島襄、帝国教育会から六大教育家の一人として顕彰される。
1908年
1909年
  • 4月 - 同志社カレッジソング制定[42]
  • 12月 - 帝国教育会から「教育上功績上顕著なる私学の一」として慶應早稲田明治中央専修とともに表彰される[43]
1912年
  • 2月 - 専門学校と神学校を合併し大学と改称の件認可。
  • 4月 - 専門学校令による同志社大学を開校。神学部・政治経済部・英文科を設置[44][注 7]

大正

出来事
1913年
大正2年)
  • 10月 - 英文科卒業生に中等教員無試験検定資格を認定[45]
1916年
  • 1月 - 学長を置き、社長がこれを兼任する(翌年兼任制を廃止)。
  • 3月 - 大学教室致遠館竣工。
1917年
1918年
  • 1月 - 予科の修業年限を2年に延長する[47]
  • 6月 - 社長を総長と改称する。
  • 10月 - 本社機関を本部、大学、中学、女学校、図書館の五部制とする。
1919年
  • 1月 - 原田総長辞任。中村栄助が総長事務取扱となる。
  • 2月 - 安部磯雄を次期総長に推薦するも拒絶される[注 8]
  • 4月 - 英文科を文学部、政治経済部を法学部と改称[48]
  • 9月 - 大学令による同志社大学設立申請書を文部大臣に提出。
1920年
1921年
  • 12月 - 弘風館(予科校舎)竣工。
1922年
  • 3月 - 同志社女学校専門学部英文科卒業生は同志社大学各学部に入学資格あるものと指定される(翌年女子学生4名入学)[49]
  • 4月 - 専門学校令による大学を同志社専門学校と改称再編し、神学部、英語師範部、高等商業部、政治経済部を設置[注 11]
1923年
  • 2月 - 法学部法律学科設立認可[50]
  • 3月 - 徳照館(高商部校舎)竣工。
  • 11月 - 『基督教研究』創刊[51]
1925年
1926年
  • 4月 - 文学部神学科に神学専攻、倫理学専攻を設置。

昭和(戦前)

出来事
1927年
昭和2年)
1928年
  • 1月 - 学位規程認可。
  • 11月 - 有終館出火事件により総長・理事・監事総辞職[55][38]。中村栄助が総長事務取扱となる。
1929年
  • 4月 - 同志社専門学校高等商業部が愛宕郡岩倉村に移転。
  • 4月 - 海老名前総長の復職と理事会の醜類一掃を求める学生運動発生(~5月)[56]
  • 11月 - 大工原銀太郎(前九州帝大総長)が第9代総長に就任。
1930年
1931年
1932年
  • 2月 - 栄光館落成。
  • 3月 - アーモスト館竣工[59]
  • 5月 - 同志社大学社会事業後援会創立[60]
  • 10月 - 神学教育協力委員会創立。
  • 11月 - 新島会館竣工[31]
1933年
  • 2月 - 大学予科を2年制と3年制の2部制とする[61]
  • 2月 - 専門学校英語師範部を1部・2部制とする[61]
  • 2月 - 専門学校政治経済部を法経部と改称[61]
1935年
1936年
1937年
  • 2月 - 「同志社教育綱領」を発表[64]
  • 3月16日 - 法学部で「上申書」問題が起こり、憲兵司令官中島今朝吾が調停に乗り出す[注 12]
  • 3月27日 - 専門学校法経部を法律経済部と改称し、英語師範部2部と神学部廃止[65](文学部神学科は存続)[66]
  • 7月 - 配属将校の草川靖中佐に扇動された予科生によるチャペル籠城事件発生。主だった学生17名に諭旨退学または無期停学の処分[67][68]
  • 12月 - 新村猛真下信一両教授の治安維持法違反事件を受け、湯浅総長辞任[38]
1938年
  • 7月 - 牧野虎次が総長事務取扱に就任 (1941年7月より第11代総長)[38]
  • 10月 - 奉安殿を設置(戦後解体)。
1939年
  • 3月 - 専門学校英語師範部を高等英語部と改称[69]
1940年
  • 4月 - 文学部哲学科倫理学および教育学専攻を倫理学、教育学専攻に分割。
  • 7月 - 同志社東亜研究所を設置[70]
  • 11月 - 有終館前の中庭に良心碑を建立。
1941年
  • 2月 - 学友会を解散し、大学修練団を結成。
  • 3月 - 日米関係悪化により外国人教員が同志社から引き上げる。
  • 4月 - 文学部(神学科、英文学科、哲学科)を神学科(神学専攻)、文化学科(哲学倫理学、心理学、英語英文学、文芸学、厚生学専攻)に改制。
  • 9月 - 大学報国隊を結成。
1942年
  • 4月 - アーモスト館などの英語名の建物を日本名に変更[71](戦後旧称に戻す)。
  • 11月 - 池田庄太郎の寄付による新島遺品庫竣工[38]
1943年
  • 2月 - 同志社大学神学教育後援会を結成[72]
  • 4月 - 戦前最後の同立戦を開催[73]
  • 6月 - 文学部神学科が日本西部神学校への合流を求められるもこれを拒否[74]
  • 11月 - 出陣学徒武運長久祈願祭並に壮行会(平安神宮)に参加[75]
  • 戦闘機同志社号を軍に献納[18]
1944年
  • 4月 - 同志社工業専門学校を設置し、電気通信科、機械科、化学工業科を設置。
  • 4月 - 同志社専門学校高等英語部と法律経済部を統合し同志社外事専門学校設立。
  • 4月 - 同志社高等商業学校を同志社経済専門学校と改称。
  • 8月 - 同志社大学研究所(現・人文科学研究所)設置。
  • 10月 - 法文学部(神・厚生・法経の3学科)1学部に縮小。
1945年
  • 同志社経専が今出川に一時移転(終戦後岩倉に戻る)[18]
  • 8月 - 終戦により学徒勤労動員解除。

昭和(戦後)

出来事
1946年
  • 4月 - 法文学部を法経学部と文学部に再分離。厚生学科は文学部社会学科へ改組。
  • 10月 - 図書館学講習所を開設。
1947年
1948年
1949年
  • 4月 - 商学部・工学部を開設、6学部体制となる。同志社経専が今出川に移転。
  • 7月 - 旧制神学部に神学博士の学位論文審査権を認可[79]
  • 7月 - 第1回夏期大学を開催[注 13]
  • 日本の大学では初となる点字での入試を開始。
  • 学友会発足。
1950年
  • 4月 - 大学院修士課程、神・文・法・経済・商各研究科を開設。
  • 4月 - 短期大学部(夜間2年制)英語・商・経・工各学科を開設。
  • 4月 - 大学会計の乱脈に端を発する学生運動が起こる(6月湯浅総長辞職)[80]
1951年
1952年
  • 3月 - 同志社各専門学校(経専・工専・外専)を廃止。
  • 6月 - 旧華族会館を買収、大学院校舎とする(1972年解体)[83]
1953年
  • 4月 - 大学院博士課程(神・文・法・経の各学研究科)設置。
  • ハーバード・エンチン研究所より助成をうけ同志社東方文化研究室を設置[82]
1954年
  • 3月 - 明徳館第二期工事竣工[84]
  • 4月 - 短期大学部を発展的に解消し、文・法・経済・商・工各学部に2部(4年制)を設置。
  • 8月 - 新島先生海外渡航記念碑(函館市)の除幕式を挙行。
  • 徳富蘇峰、山中湖畔の双宜荘を同志社に寄贈[85]
1955年
  • 4月 - 工学研究科修士課程開設。
1956年
  • 2月 - キリスト教社会問題研究会を設置[86]
  • 5月 - 寧静館竣工[82]
1957年
  • 3月 - 同志社大学研究所を同志社大学人文科学研究所へ改称。
  • 4月 - 大学大学院博士課程(商学研究科、工学研究科、電気工学、機械工学専攻)設置[82]
1958年
  • 3月 - ロックフェラー財団の援助によりアメリカ研究所開設。
1959年
  • 3月 - 弘風館全館竣工[82]
  • 4月 - 日本電池新町工場跡を買収し、旧社屋を臨光館と命名。理工学研究所開設。
  • 4月 - 大学院博士課程(工学研究科、工業化学専攻)設置。
1960年
  • 3月 - 旧制同志社大学廃止。
1961年
  • 10月 - 国内研究員制度が設けられる(翌年実施)[87]
  • 創立90周年記念事業計画実施のため15億円の募金募債に着手、以来数年にわたる活動の結果、13億円余を達成[82]
1962年
  • 1月 - 尋真館竣工(新町)。
  • 4月 - 工学部電気学科を電気工学科、機械学科を機械工学科と改称。
  • 5月 - アーモスト館ゲストハウス 竣工。
  • 12月 - 大学大成寮竣工[82]
1963年
  • 4月 - 工学部に電子工学科、機械工学第二学科、化学工学科を増設。工学部第2部廃止。
  • 4月 - 社史史料編集所を設置。
  • 7月 - 神学館竣工。それまでの神学館をクラーク記念館と改称[88]
  • 7月 - 礼拝堂が国の重要文化財に指定される[28]
  • 11月 - 住谷悦治が第14代総長に就任[82]
1964年
  • 7月 - 神学部此春寮の入寮資格をめぐって寮生と神学部教授会が対立(翌年まで)[89]
  • 8月 - 博遠館竣工[82]
  • 工学部西原教授を長とする同志社アラスカ学術調査隊を派遣。
1965年
  • 4月 - 大学プール竣工(新町)。
  • 6月 - 大学記念会館竣工。
  • 8月 - 綴喜郡田辺町(現・京田辺市)での土地購入の方針を理事会で決定。
  • 11月 - 熊本バンド奉教記念碑(熊本市)の除幕式を挙行。
  • 11月29日 - 創立90限年記念式を栄光館にて挙行[82]
1966年
  • 4月 - 文学部社会学科に産業関係学専攻を増設。
  • 9月 - 近畿日本鉄道と第1次田辺土地売買契約を締結。
1967年
  • 4月 - 文学部文化学科教育学及心理学専攻を教育学、心理学専攻に分割。
  • 4月 - 至誠館竣工。
1968年
  • 3月 - 第2次田辺土地売買契約を締結。
  • 10月 - 大学ボート部エイトクルーがメキシコシティ五輪日本代表として出場[82]
1969年
  • 5月 - 大学運営時推置法案反対運動が高揚し、6月より半年間全学バリケード・ストに入り、教学まひ状態に陥る[82]
1970年
  • 山岳部、ヒマラヤ・ダウラギリ登頂に成功[82]
  • 12月 - 大学山岳スキー部が立山で下山中に猛吹雪のため遭難、7名死亡の大事故となる[90]
1972年
  • 2月1日 - デモの計画していた学生約200人が、大学学生会館中庭から烏丸通に出ようとしたところで機動隊と衝突。学生50人が凶器準備集合、公務執行妨害の現行犯で逮捕[91]
1973年
  • 2月 - 同志社大学名誉教授規程を制定。
  • 12月 - 大学新図書館竣工[92]。旧図書館を啓明館と改称。
1974年
  • 11月 - 新町別館開館。
1975年
1976年
  • 9月 - 光塩館(法・経研究室)竣工。
1978年
  • 7月 - アーモスト大学との教育交流に関する協定を締結。
  • 12月 - 神学館チャペルにパイプオルガンを設置。
1979年
  • 5月 - 彰栄館・有終館・ハリス理化学館・クラーク記念館が国の重要文化財に指定される。
1980年
1982年
  • 12月 - 徳照館(文学部研究室・事務室)竣工。
1985年
  • 1月9日 - 田辺校地起工式。
  • 2月 - 田辺校地建築工事着工。
1986年
  • 4月 - 田辺校地開校。
  • 4月 - 文学研究科社会福祉学専攻博士課程(後期課程)、国文学専攻博士課程(後期課程)開設。
  • ラーネッド記念図書館開館[92]
1988年
  • 4月 - 文学研究科美学および芸術学専攻修士課程を開設。
  • 9月 - 新島記念講堂(礼拝堂)竣工。

平成

出来事
1991年
平成3年)
  • 4月 - 初の大学院独立研究科として、アメリカ研究科を開設。
  • 4月 - 学術情報センター発足(図書館と計算機センター、視聴覚室を統合)[92]
1993年
  • 4月 - 文学研究科教育学専攻修士課程、文学研究科社会学専攻修士課程、アメリカ研究科アメリカ研究専攻博士課程(後期課程)開設。
  • 4月 - 言語文化教育研究センター開設。宗教センターをキリスト教文化センターへ改称。
1994年
  • 4月 - 工学部および工学研究科、理工学研究所を田辺校地に統合移転。知識工学科、機能分子工学科、物質化学工学科を開設。機械工学科を機械システム工学科に、機械工学第二学科をエネルギー機械工学科に改組。
1995年
  • 2月 - 今出川キャンパスに尹東柱詩碑を建立。
  • 4月 - 大学院独立研究科として、総合政策科学研究科を開設。
1996年
  • 2月 - 同志社大学歴史資料館が開館[93]
  • 4月 - 文学研究科美学および芸術学専攻に博士課程(後期課程)を開設。
1997年
  • 4月 - 文学研究科社会学専攻と総合政策科学研究科総合政策科学専攻に博士課程(後期課程)を開設。
  • 4月 - 昼夜開講制を実施。
  • 早稲田大学と国内交換留学を実施[94][95]
1998年
  • 4月 - 文学研究科新聞学専攻に博士課程(後期課程)を開設。
  • 4月 - 工学研究科に知識工学専攻修士課程、および数理環境科学専攻修士課程を開設。
  • 4月 - セメスター制度を実施。
1999年
  • 4月 - 留学生別科を設置。
2000年
  • 4月 - 大学院工学研究科知識工学専攻に博士課程(後期課程)を開設。
  • 9月 - 滋賀県大津市に同志社びわこリトリートセンターを開設[96][97]
2001年
  • 4月 - 大学院文学研究科教育学専攻に博士課程(後期課程)を開設。
  • 学術情報センターを総合情報センターと改称[98]
2002年
  • 9月 - 学生会館竣工(新町)。
2003年
  • 4月 - 大学院文学研究科産業関係学専攻修士課程を開設。
  • 9月 - 京田辺キャンパスに情報メディア施設オープン(情報メディア館・ローム記念館)[98]
  • 一神教学際研究センター設立[99]
  • 学友会解散。
2004年
  • 4月 - 政策学部、専門職大学院(司法研究科、ビジネス研究科)開設。
  • 4月 - 工学部2学科増設。
  • 4月 - 寒梅館(室町キャンパス)竣工[100]
  • 5月 - 学生部から学生支援センターへ名称変更[101]
  • GPA制度導入。
2005年
  • 4月 - 文学部社会学科から社会学部に改組。
  • 4月 - 文化情報学部開設。
  • 4月 - アンチエイジングリサーチセンター開設[102]
  • 9月 - 臨光館竣工(新町)。
2006年
  • 4月 - 工学部知識工学科をインテリジェント情報工学科に改組。
  • 4月 - 付属小学校として同志社小学校が開校。
  • 11月 - 学研都市キャンパス開設。
2007年
  • アンチエイジングドック開設。
2008年
  • 4月 - 工学部から理工学部に改組、それに伴い、2学科を改組、1学科増設。
  • 4月 - 生命医科学部(3学科)、スポーツ健康科学部(1学科)、大学院生命医科学研究科開設。
  • 10月 - 学研都市キャンパスに赤ちゃん学研究センター開設[103]
2009年
  • 4月 - 大学院総合政策科学研究科に一貫制博士課程の技術・革新的経営専攻を開設。
  • 4月 - 文学部心理学科、文学研究科心理学専攻を心理学部・心理学研究科に再編し京田辺校地に展開[104]
  • 4月 - 神学部、社会学部の学修校地を今出川校地へ統合[105]
  • 9月 - 閉館していた温水プール施設、旧「レジーナ京都」を買収。継志館と改称し、施設を一般にも開放する。
2010年
  • 4月 - 大学院スポーツ健康科学研究科・大学院グローバル・スタディーズ研究科を開設。
  • 4月 - 隣接する同志社中学校が岩倉校地へ移転。大学の今出川キャンパスの拡張が可能となる。
  • 9月 - 多々羅キャンパス開設。
  • 大学院アメリカ研究科募集停止。
2011年
  • 4月 - 京田辺校地にグローバル・コミュニケーション学部を開設。
  • 4月 - 国際教育インスティテュートを設置。
  • 9月 - 付属学校として同志社国際学院(初等部・国際部)開設。
2012年
2013年
  • 4月 - 文学部・法学部・経済学部・商学部の学修校地を今出川校地に統合。
  • 4月 - 今出川校地にグローバル地域文化学部を開設。
  • 11月 - ハリス理化学館同志社ギャラリーが開館[107]
2014年
  • 4月 - 大学院ビジネス研究科に修士課程のグローバル経営研究専攻を開設。
2015年
  • 4月 - 理工学研究所をハリス理化学研究所に改組。
  • 大学院脳科学研究科の学修校地を京田辺校地(学研都市キャンパス)から京田辺校地(京田辺キャンパス)に移転。
2017年
2019年
  • 4月 - 同志社大学新島塾開塾[109]

令和

出来事
2021年
令和3年)
  • 3月 - 多々羅キャンパス運営終了。
  • 9月 - 継志寮開寮[110]
2023年
  • 6月 - 新創館(新町)竣工。
  • 9月 - 寧静館(今出川)竣工[111]

注釈

  1. ^ クリスチャンとしての吉野は海老名弾正門下であり、新島襄から見れば孫弟子にあたる。
  2. ^ 吉野自身も科外講演で何度か同志社を訪れ、一時は嘱託講師も務めた(同志社山脈, p. 130)。
  3. ^ 戦後に新制大学が発足するまで同志社大学の神学科は日本唯一の大学令による神学教育機関であった(同志社百年史, p. 938, 通史編二)。
  4. ^ 最初の卒業生は市原盛宏浮田和民海老名弾正岡田松生加藤勇次郎金森通倫小崎弘道下村孝太郎不破唯次郎宮川経輝森田久萬人山崎為徳横井時雄吉田作弥、和田正修の15名である(九十年小史, p. 642)
  5. ^ 誌名は何度か変更があり、最終的に『同志社文学』となった(『日本キリスト教歴史大事典』 教文館、1988年、934頁)。
  6. ^ しかし、学校わきの2軒の商店との価格競争に敗れ、わずか1年ほどで解散せざるを得なくなったという(井口隆史 『安部磯雄の生涯―質素之生活 高遠之理想』 早稲田大学出版部、2011年、101頁)。
  7. ^ 政治経済部と英文科の修業年限は予科1年半・本科3年、神学部は予科2年・本科3年であった(同志社百年史, p. 577-578, 通史編一)。
  8. ^ その後も候補者選考は難航し、翌月には浮田和民とも交渉したが失敗(九十年小史, p. 108)。
  9. ^ 『同志社論叢』は1949年1月の第91号をもって廃刊となり、以後は『同志社法学』『経済学論叢』へと発展的解消をとげた(同志社百年史, pp. 931–932, 通史編一)
  10. ^ 当初は法・文・神の3学部設置を目指したものの、神学部については文部省の認可を得られず、文学部内に神学科を設置するにとどまった(九十年小史, p. 109)
  11. ^ 英語師範部と政治経済部の開校は人員と設備の関係で1927年まで見送られた。
  12. ^ この問題は最終的に上申組3名と被上申組3名への解職または休職という喧嘩両成敗で決着した(同志社百年史, p. 1135-1136, 通史編二)。
  13. ^ 1963年に夏期講座と改称したのち1977年夏に廃止(同志社百年史, p. 1308-1309, 通史編二)。
  14. ^ 専門学校令による神学部も1937年まで並存。
  15. ^ 入試は学科単位で募集するが、1年次から日本文化史コースと西洋文化史コースに分かれる。
  16. ^ 自分の所属学科のコース以外を選択。
  17. ^ 2015年度入学生用の法学部パンフレットによると、2年秋学期にコース選択

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